学習通信071210
◎自分で育っていく……

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夏休みの宿題について

 さいきんでは、夏休みも終わりに近くなると、デパートで学生アルバイトをやとって夏休みの宿題コーナーを特設するのが目だっています。親にとって毛夏休みの終わるころは、頭の痛い時期です。デパートにかけつけたり、親子がねじり鉢巻でギリギリに間にあわせるということが多いようです。

 宿題を受けとる教師の側からすると、天気相談所で教えてもらったお天気しらべ≠竅A休みの最後の夜にあわててかいたうちわや風鈴の写生=Aデパートで七十円で買った貝や虫、親の字で埋められた夏休み帳ほど無意味でガッカリさせられるものはありません。

 夏休みの宿題や作品はできあがったものに値打ち≠ェあるのでなくて、その宿題や作品を子どもなりに仕上げていく過程で、子どもがどれだけ自然を観察し、どれだけ思考し、どれだけ工夫・努力したかに値打ちがあるのです。

 そういう理屈はわかっていても、現実にできあがっていないのをみると、つい子どもをしかりつけ、手を出したくなるのが親の気持ちだろうと思います。そうしてやっと仕上げても、親子ともども「また今年もだめだったなあ」という暗い気持ちで夏休みを終わることになります。

 長い四十日の夏休みを計画どおりすごし、宿題や作品が予定どおりキチンとできあがっているとすれば、その方がむしろ異常≠ニいっていいでしょう。夏休みの終わりごろになっても宿題がまだ残っているならば、子どもの力でできるだけ、またできるところまでやらせるべきです。

 夏休みは一回だけで終わるのではなく、また来年もやってきます。子どもを必要以上にしかりつけたり、力がない、バカだときめつけてしまっては、新学期へのスタ一トにあたっても、のびる芽をつんでしまい、無力感、挫折感しか残らないともかぎりません。昨年の夏休みとくらべて、一歩前進しているところをみつけてやり認めてやってほしいと思います。子どもにだけ要求するのでなく、そういうときには親もどこかで一歩前進することが大切です。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p170-171)

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フットボールの熱源
指導は見守ること

 Jリーグは三日から2日間、今夏のU−20(20歳以下)ワールドカップ(W杯)でアルゼンチンを優勝に導いたウーゴ・トカリ前監督を講師に招き、「Jリーグ・アカデミー・コーチングワークショップ」を開いた。

 13年間、アルゼンチンサッカー協会の育成部門に携わり、いまをときめくメッシ、テベスやサビオラ、リケルメらの飛躍に手を貸してきた大物指導者の講義とあって、各クラブの下部組織の指導者が60人近く集まり、次々と質問をぶつけた。

 「アルゼンチンに次々とストライカーが出てくるのは、特別の指導法があるからですか」「アルゼンチン選手の精神面の強さの秘密は何ですか」「ずる賢さが重要というけれど、どうやって身につけさせるのですか」

 面白かったのは、ノウハウの伝授を期待したこの手の問いに、トカリ氏がことごとく「それは選手がもともと持っているものであったり、ストリートサッカーで自分でつかんだものであり、我々が教えられるものではない」と答えた点だ。

 そもそも、選手は自分で育っていく。難題にぶつかるたびに自力で答えを見いだしていく。自力で新たな道を切り開けない者は、そこまでの選手ということだ。

 では指導者には何ができるのか。同氏はいくつかヒントをくれている。
 「選手を見守ることが重要なんです」「試合で結果を出せなくても、変わったものを持っていたら、切り捨てずチームに残しておくべきでしょう」「指導者はマニュアルではなく、自分の勘を大切にしてほしい」

 あるとき、ある選手の向きをひょいと変えてあげることで、選手が何かをつかむことがあるのではないか。指導者がひらめく。そのとき、選手もひらめく。あいまいな言い方になるが、指導とはそんなものなのかもしれない。(吉田誠一)
(「日経」20071205)

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──子どもの力でできるだけ、またできるところまでやらせる」
──指導者には何ができるのか。