学習通信071211
◎おかしいのは若者のほうでなく……
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一九九〇年代から大企業は相次いで大規模なリストラを強行して、首切り、出向、配転の嵐が吹き荒れました。財界団体の日経連(経団連と合同して現在の日本経団連に)は一九九五年に「新時代の『日本的経営』」と題する報告をまとめ、正社員を減らして非正規雇用労働者に切り替える方針を打ち出していました。
その結果、正社員は減り、職場は二十代から四十代の正社員を中心に過労死ラインを超える長時間労働がまん延しています。一方、「派遣」や「請負」など間接雇用の非正規雇用労働者が大量に生み出されました。この人たちは、権利を主張する条件を奪われたまま、いつでも首が切れる安い労働力として使い捨てられています。「史上空前」を更新し続ける大企業各社の利益は、この現実を抜きには考えられません。「多様な働き方」などといって労働法制を改悪し、規制緩和をすすめてきた自民党、公明党、民主党などの責任も問われます。
「しんぶん赤旗」日曜版編集部が非正規雇用労働者の実態を取材し始めたのは、二〇〇四年の夏でした。「生産現場がすっかり変わってしまっている」という情報をもとに、「ともかく現場を知ろう」と始めた取材でした。その第一弾が、同年八月二十二日号に掲載した「若者たちは眠れない」です。液晶テレビというハイテク製品をつくる最新鋭工場は、「業務請負」の若者たちで成り立っていました。「それは、異様な光景でした」と書きだされた記事の内容は、記者の驚きそのままでした。
取材を始めるといっても、手がかりがありません。記者たちは悪戦苦闘しながら、労働者の話を聞き込みました。体当たりの取材で給与明細書を見せてもらい、支給額や社会保険未加人の事実を確認する。部屋にあげてもらって生活ぶりを教えてもらう。「偽装請負」を告発する人を見つけ出す。数日前まで連絡できていた労働者の音信が突然、途絶える。数カ月後にやっと連絡がとれたら、別の請負会社に移っていた……。
そんな取材を続けながら、記事を書き続けてきました。努力が実って、「偽装請負」や「ワーキングプア」の間題をどのメディアよりも早く深く、根源を突いて伝えることができました。
当初は孤軍奮闘≠ニいっていい状況でした。しかし二〇〇六年になると、ライブドア事件などをきっかけに「格差の拡大」が政治のテーマにのぼり、新聞、テレビ、雑誌が「偽装請負」「ワーキングプア」をこぞって取り上げるようになりました。
(「ワーキングプアと偽装請負」日本共産党中央委員会出版局 p3-5)
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「プレカリアート」との出会い
本書を書こうと思い立ったのは、「プレカリアート」という言葉と出会ったからだ。
私白身、長年、若者の生きづらさや自殺の問題を取材、執筆してきた。自分自身がずっと生きづらく、自殺願望を持っていたからだ。
一〇代の頃から二〇代中盤まで自傷行為が続き、オーバードーズも習慣としていた。薬を飲みすぎて救急車で運ばれ、地獄の胃洗浄を受けたこともある。
一番自殺願望が強かったのは、フリーターの頃だ。現在三二歳の私は高校卒業後、予備校生を経てフリーターになった。と同時に時給はどんどん下がり始めるという不況に直面した。仕事は誰にでもできるつまらないもので、単純作業をすればするほど自己否定につながっていくという悪循環のなかにいた。しかし、社会が私に必要としているのはその程度の単純労働だけで、それに疑問を持ったところで「お前の代わりはいくらでもいる」とクビになる。
不安定な生活は不安定な心を生み、社会から必要とされていないという気持ちは簡単に自己否定につながる。誰にでもできることしかできない自分にどうやってプライドを持てばいいのかそもそもわからない。そしてそんなフリーター生活を一、二年も続けてしまうと社会への入り口はきっちりとガードされていて、そこから抜け出す道などないのだ。
自分としては、どこで人生を間違えたのかわからない。いつのまにこの穴に落ちていたのかわからない。先の見えない日々と、ときどき猛烈に不安になる自分の将来。正社員の友人との間にいつのまにか生まれている厳然たる格差。フリーターとして精いっばい「自由」を謳歌しているふりをしながら、じわじわともっとも不自由な場所へ追いやられていることに薄々気づいている毎日。フリーターという働き方が人の精神を少しずつ蝕んでいくものであることは、そんな経験から嫌というほど知っていた。
結局、二五歳で一冊目の本を出し、脱フリーターするわけだが、そこからの私の興味はフリーターではなく、生きづらさや自殺のほうにずっと重点が置かれていた。
しかしながら、その出口のなさに辟易(へきえき)してもいた。
若者は口々に生きづらい、生きていたくないと訴える。理由はさまざまだ。いじめや親との関係、職場の問題、自らが抱える精神的な病気など数えればきりがない。理由があればまだいいほうだ。自分でも理由がわからず、つねに漠然とした生きづらさと不安を抱えている人が圧倒的に多い。ある高校生は、こういった。「利益とかだけが優先されるこんな人間的じゃない社会で生きていたくない」と。
多くの若者の話を聞きながら、これはもう何か構造的な原因があるはずだと思っていた。〇〇年あたりから急激に増えたリストカットやオーバードーズを習慣とする人々。明るい未来をあらかじめ描けない世代。社会に出るパスポートを、人格否定されながら過酷な就職試験を突破することでしか得られない若者たち。即戦力しか求めない企業。そこから弾かれてしまった人たちヘの絶えまないバッシング。
そんなことを考えているときに、「プレカリアート」という言葉と出会ったのだ。
プレカリアート。「Precario(不安定な)」と「Proletariato(プロレタリアート)」を合わせた造語らしい。〇三年、この言葉はイタリアの路上に「落書き」として現れたという。以来、世界中の不安定なプロレタリアートたちに広まり、ユーロメーデーなどで広く使われるようになる。
定義は一言でいえば「不安定さを強いられた人々」だろうか。
経済のグローバル化によって国際競争が激化したなか、多くの国で日本と同じように若者が使い捨ての労働力として劣悪な環境で働き、景気の調整弁にされたあげくに廃棄されている。
初めてその言葉を見たのは、ネット上のある掲示板だった。メーデーのデモの告知文としてそり言葉は現れた少し長いが引用しよう。
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自由と生存のメーデー06 プレカリアートの企みのために
生きることはよい。生存を貶(おとし)めるな!
低賃金・長時間労働を撤廃しろ。まともに暮らせる賃金と保障を!
社会的排除と選別を許すな。やられたままでは黙っていないぞ!
殺すことはない。戦争の廃絶を!
いまや全雇用者の三人に一人は非正規雇用(プレカリアート)である。「働き方を自由に選べます」「楽しい仲間があなたを待っています」甘い言葉と引きかえに、何の保障もないのに安い時給で文句も言わずに働き、ときにはタダ働きを喜んでこなすことへと誘惑される。
コミュニケーションや感情、対人サービスを通じて、人の生そのものにかかわって働かされるものだから、ついつい勘違いもしてしまう。職場に「自己実現」のチャンスを期待し、しょーもない作業に「やりがい」を見い出し、感動したりもする。しかしつかのまの「職人気どり」も「仲良しクラブ」もすぐに裏切られる。働く場所は次々変わるし、手にしたはずのスキルはすぐに使い物にならなくなるからだ。
午後に釣りをして夜に議論をする暮らしにはほど遠く、家に帰ればくたくただ。それなのに働く意欲がない、甘えているとの非難が浴びせられている。間題はいつも個人の資質に帰せられ、「人間力」を高めろというおせっかいな説教が幅を利かせる。敵意と嘲笑にさらさられながら、つねにわが身を脅かすこの見通しなく不安定な日々を生きなければならない。これは自分のせいなのか? どこにまともに暮らせる仕事がある。フリーター歓迎の求人雑誌は街にあふれかえっているが、つまるところ使いたいときに使い、切りたいときに切れる、あとくされのない商品として人を使い潰したいだけではないか。
私たちはばらばらに切り分けられながら、この国で戦争を戦わされている。差別と排除のなかで生存を脅かされながら、野宿生活者が「自立」を強要され剥き出しの市場に放り出される。社会保障を切り捨てられ地域の支えあいが不十分ななかで、障害者は「自立支援法」のもとに自己責任で働くことを強要される。無権利なまま女性パートタイム労働者が正社員と変わらぬ労働を担わされる。
人間性を蹂躙(じゅうりん)する指紋押捺など治安管理にさらされながら、移民労働者が都合よく周縁労働者として酷使される。イラク派兵後のこの戦時下では、殺されることさえも殺された人間の自己責任と侮辱され、ふらふらと街を歩くこと自体が危険視され監視されている。「ただ生きること」が否定され、役に立つかどうか、放置してよいかどうか、殺してよいかどうかが吟味されているのだ。(後略)
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この文章を読んだとき、自分がずっと追い続けてきた若者の「生きづらさ」の問題、そして社会問題化されて久しいフリーター、ニート、ひきこもりといった現象の、大きなヒントを見つけた気がした。何かとてつもなく大きな突破口を見つけた気がした。
そしてもうひとつ、「いまの日本で普通に働く」ということが完全に機能しなくなっているということを身に染みて感じたという事情もあった。
のちに詳しく書くが、私の弟が過労死と隣あわせの職場で働かされるという経験をしたことだ。一七時間を平気で超える長時間労働、食事もとらせないほどの多忙、「フロア長」という名前だけの肩書きにさせて労働基準法から守られないようにするという巧妙な企業のやり方で、弟はみるみるうちに痩せていった。心配した家族が労基署(労働基準監督著)や弁護士などに相談したものの、まったくもって全然一切どうにもならなかった。結局、弟は二年近くもそんな過酷な労働状況に耐え、家族の説得に次ぐ説得でやっと職場を辞めた。弟がそんなひどい職場でも二年もしがみつかざるを得なかったのは、せっかくつかんだ正社員の座を離したくないという強い思いと、辞めたところで他に正社員になれる仕事などないことがわかりきっていたからだ。
弟の枕元にあった五個の目覚まし時計を思い出すたびに、なぜ、ただ「普通に働いて生きていく」ことがこんなにも困難になってしまったのか、背筋がぞっとする思いがする。何か分不相応な夢でも見ているとか、ものすごい高給だったりするならまだわかる。だけどただ、弟は「普通に就職すること」を望んだだけだ。
私自身、多くの人が生きづらさと闘い、自殺者という犠牲者を出しながら生きているこの国はすでに戦場だとずっと書いてきたのだが、いまは特に生きづらくなくたって、「普通に働く」ことそのものがこれほど困難になっているのだ。
〈未来なく不安定な状況を白分のせいにされ、頭と体と感情をすり減らして働かされる日々はもういらない〉
「プレカリアートの企みのために」の集会に行ってもらったチラシにはそう書いてあった。
集会の後、一五〇人ほどの若者が原宿、渋谷の街をデモヘと繰り出した。先頭には爆音で音楽を流すサウンドカー。
「賃金を上げろ!」「職をよこせ!」「マトモに暮らせる金と保証をよこせ!」「月一二万でどうやって生きてけるんだよ!」「俺たちは食えてないぞ!」
デモに参加した若者たちは、口々に叫ぶ。沿道からそれを眺める、デモ隊と同じように貧しい若者たち。ゴールデンウィークのその日、原宿、渋谷では若者たちが束の間の休日を謳歌していた。その多くは、ゴールデンウィークでも海外旅行に出かける金などなく、恋人とマクドナルドやスタバで低予算のデートをし、ウィンドーショッピングで物欲をくすぐられながらも指をくわえることしかできない若者たちだ。彼らがどんなに一生懸命働いても、一〇〇〇円程度の時給では、その物欲は一生満たされることはない。それどころか、家賃と光熱費を払ってしまったら、手元に残るのは生存にギリギリの食べものを買う金銭くらいだ。
そんな状況に憤るデモ隊を、機動隊が囲み、暴力的に排除しようとする。もちろん、申請をし、許可をとっているデモだ。しかし、機勤隊と警察官がぎっしりとデモ隊の両側を埋め、参加者に突然体当たりしては、わざとデモ隊を混乱に陥れる。混乱のなか、三人が逮捕された。もちろんデモ隊の人たちが暴れていたわけでも暴力を振るったわけでもない。ただ当たり前の生存権を主張しただけでいまの日本では逮捕される。
数年前、戦時中のイラクに行った知人から聞いた話を思い出した。イラクでは連日デモをやっていて、そのデモ隊のイラク人が叫んでいたのは「メシをよこせ」「仕事をよこせ」「住むところをよこせ」という最低限の生存にかかわる要求だったという。イラクでは当たり前に生きさせろと叫ぶことで最悪射殺され、日本では同じ要求をすると逮捕される。そんな日本は「平和」なはずで、しかし、今日も多くの人がホームレスに転落し、どれほど働いても貧困から抜け出すことのできない若者がため息をついている。いまの日本では「経済・生活問題」で自殺する人は全自殺者の二四パーセント。〇五年度で七八一二人にのぼり、単純計算でも一日に二一人が生活苦により自殺している。
おかしいのは若者のほうでなく、明らかに社会のほうだ。
プレカリアートという言葉が示すように、キーワードは「不安定さ」だ。いま、生活そのもの、生きることそのものが不安定さのなかに放り出されている。生活とあまりに密着した「働く」ということが、根こそぎ崩れている。そしてそれは、私たちの精神まで不安定にさせている。熾烈な競争に勝ち続け、自らがのし上がり統けなければ生存そのものが許されないような世の中で、誰がマトモに生きていけるだろう。
だからこそ、フリーターも派遣社員も契約社員も脆弱な自営業者も、そして働くことから降りたニートもひきこもりも、心を病んでしまった人々も自殺志願者も、過労死が秒読みの正社員も、すべてプレカリアートだ。
三人の逮捕は、今の日本でそんな不安定な生き方を余儀なくされた人々が声をあげることへの「罰」、そして「見せしめ」のように見えた。
機動隊に羽交い締めにされながら連れ去られるデモ参加者を見ながら、言語化できないでいた私の怒りに火がついた。それが本書を書く動機だ。
(雨宮処凜「生きさせる」太田出版 p12-19)
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◎「記者たちは悪戦苦闘しながら、労働者の話を聞き込み……体当たりの取材で給与明細書を見せてもらい、支給額や社会保険未加人の事実を確認……部屋にあげてもらって生活ぶりを…… 「偽装請負」を告発する人を見つけ……数日前まで連絡できていた労働者の音信が突然、途絶え……数カ月後にやっと連絡がとれたら、別の請負会社に移っていた…… そんな取材を続けながら、記事を書き続け…… 努力が実って、「偽装請負」や「ワーキングプア」の間題をどのメディアよりも早く深く、根源を突いて伝えることができた」と。