学習通信080106
◎つねに自らの組織の量、質ともなる強化をねがっている……

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 以上は08春闘全体から見た課題の整理である。国民春闘を大きく発展させるためには、一人ひとりの労働者、一つひとつの労働組合が、08春闘ではどのような課題をかかげてたたかうかを、労働者の要求や情勢の検討をもとに討議・意思統一し、春闘共闘の旗の下に連帯してたたかう必要があろう。

 今日の歴史の転換点に立って、労働組合が痛切に問われているのは、みずからが担っている社会的責任の自覚である。

かつて世界ではじめて労働運動の出発点を築いた第一インターナショナルは、その採択した「指令」のなかで、「労働組合は、みずからの運動が狭い利己的なものではけっしてなく、ふみにじられた数百万の大衆の解放をめざすものだということを、広範な国民にわかってもらえるようにしなければならない」と書いたが、いま求められているのはまさにそうした労働組合運動であり春闘ではなかろうか。
(全労連・労働総研編「二〇〇八年国民春闘白書」学習の友社 p13)

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第二版への序

 本書初版は「日本労働組合評議会史」と題し、磯村秀次なるぺンネームのもとに、一九三二年一月京都共生閣から出版されたが、直ちに発売禁止の厄にあった。いま再出版するにあたり、伏字をことごとく生かし、かつ若于の訂正をした。

 日本労働組合評議会(略称「評議会」)は、一九二四年五月に生れ、ニ八年四月時の政府によって解散せしめられた。わが国左翼労働組合運動(革命的、マルクス主義的労働糾合運動)の最初の団体であって、戦争の前夜および戦争の初期までつづいた「全協」の前身である。従って評議会の歴史を知ることはわが革命的労働組合運動の発生とその発展の様相を知ることである。

 労働組合は、労働者大衆がその日常の政治的・経済的利害の一致によって団結した闘争団体であるが、同時に労働者階級の完全なる解放という根本的・歴史的任務をも必然的に帯びるものであることは何人も知っている。この後者の任務を、自覚すると否とにかかわらず拒否するか、または意識して促進するか、によって、組合の性質はまるで違ってくる。

いうまでもなく前者の立場は、日常的にも究極においても労働者階級・大衆の利益を裏切るものであり、後者はその逆である。そして前者を、労働組合主義的、ないしは社会民主主義的労働組合ということはこれまた何人も知っている。

わが国労働組合運動の歴史において、この労働組合主義的、ないしは社会民主主義的指導精神の生れたのはほぼ一九二二、三年頃のことに属する。すなわち当時わが労働組合運動の指導的、主流的団体であった「旧総同盟」にそれが生れたのである。その中心的人物は今日の片山内閣の主要人物、西尾官房長官および松岡衆議院議長らであった。

このことは本書において詳しく描かれてあるが、要するに評議会は、こうした旧総同盟の非階級的指導者たちに反対して立った、当時の革命的労働者大衆の、彼らみずからが組織した団体なのである。

 ところで、右のごとく、当時革命的労働者大衆が、総同盟から分離して評議会を創立したことに関し、今日、終戦後、一種の高踏的な批評が行われている。すなわち、「あの時分裂すべきでなかった」という「批判」がこれである。だがこれは、「死んだお花が男ならよかった」という俗間の親のぐちに似ている。

なるほど、旧総同盟が総同盟と評議会に二分されたことは、当時およびその後の日本労働者階級にとっては大きな損失であった。これは何人も認める。が、総同盟を分裂さしたのは、本文において明らかなごとく、革命的組合大衆の側ではなく社会民主主義的指導者たちであった。

革命的組合大衆は、総同盟の堕落を防ごうとして──換言すれば、自己階級の利害に忠実なろうとして総同盟の革新運動に奮起したのであるが、それを西尾氏らが大量除名したのである。もし、革新運動を起したそのことが悪かったというなら坊主のザンゲになる。当時はまだ日本におけるプロレタリアートの指導部隊が──すなわち、日本共産党が公然化、大衆化されておらず、従って、組合大衆はみずからの階級的利益をまもるためには、みずから組合内部で組織的に行動せざるをえなかったのである。

かくて、労働組合内部におけるいわゆる「少数派運動」は必然的であった。この必然性を無視するところに右の高踏的批評が発生するのである。

 今日、敗戦後の世界情勢のおかげで、わが国においても労働組合運動は未曾有の発達をきたしている。

それは労働者大衆がみずからの力で闘いとったものではなく、いわば外部の力で、ブルジョア民主主義的な法律の保護によってえたところのものであるが、破局的に進行するインフレのなかでの大衆の窮乏化は、意外な速度で組合の革命化を促進している。

従って、闘争に起ちあがろうとする大衆と、それを抑制しようとする組合幹部との対立もまた方々に見られる。

この時に当って、評議会の諸経験は、階級、大衆にたいして最もよき教訓を与えるであろう。

もとより今日においては、プロレタリアートの指導部隊としての日本共産党が、合法的に、公然と、かつ大衆的規模において組織され活動しているのであるから、労働組合内部における社会民主主義の克服は、分裂的抗争によってではなく、どこまでも民主主義的な手段によってなされなければならないし、またなしうるであろう。が、それだけに、一層、条件の違った時代の革命的労働組合運動の経験は教訓的なのである。

 本書を読まれるにあたって、今日の読者は、若干の煩雑さを覚えられるかも知れない。それは既に歴史的な存在となった団体名や運動の呼称がぞくぞくと出てくるからである。また、本書の執筆が十五年も前のことであるゆえ、現在形で表現していることが実は十五年前のことであるという錯覚も避けがたい。しかし、本書自体一つの歴史的文献となっているという意味から、それらはすべてそのままにしておいた。もちろん必要なところでは新しく註を加え、さらに巻末には年表も加えることにした。

 最後に、本書再出版に当り、前発行者たる田村敬男(元京都共生閣主)氏が、快く新出版社へ出版権をゆずられたことに感謝を表する。
一九四七年四月
 丹波胡麻郷の寓居にて

(谷口善太郎著「日本労働組合評議会史 上」青木文庫 )

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はしがき

 労働組合は、つねに自らの組織の量、質ともなる強化をねがっているし、それに向けての努力も払われている。

 しかし、ふりかえってみると、それがかならずしも十分に行われていないことにいまさら気がつくのである。

 とくに、労働組合員を労働組合という労働者階級の初歩的で基本的な大衆組織を構成する一員として自覚させ、その自覚にもとづく自発的な行動を展開するうえでけっして十分とはいえないのである。

 それにはいくつかの原因があると思うが、そのもっとも重要な問題点の一つとして、系統的で計画的な組合員教育の不十分さがあげられるのではないだろうか。

 もちろん、多くの労働組合は、機関紙・誌を通じ、また、講座、労働学校、研究集会、さらには、春闘をはじめその時どきの情勢や闘争課題についての教育・学習を行ってきている。

 いくつかの労働組合では通信講座や、教科書を作成し、とくに、ここ一〜二年、全国金属、全農協労連などで、フランスCGT、イタリアCGILなどの教科書に学んで、理論的な面でも、系統性をもった面でもすぐれた教科書がだされ、これにもとづく組合員総学習運動が展開されている。

 こうした前進をみながらも、なおそれは緒についた段階であり、教科内容についても、一、二を除いては労働者階級の初歩的で基本的な大衆組織である労働組合の性格と任務、また日本の現状や、そこから生まれる課題などについて、かならずしもただしく焦点が合わされたものになりえていないといえる。

 今回、全国自動車運輸労働組合編集、労働者教育協会監修として発行するこの『労働組合員教科書』、はこの現状の一歩前進を意図したものである。

 もとより、これをもって完成したとはいえないし、不十分さはまぬがれないものと思うが、それは今後、組合内外から寄せられる批判、意見によってより良いものにしたいと思う。

 なお、この教科書は、全自運が七二年の六月と十一月に、初級と中級に分けて発行した教科書を、合本して発行するにあたり、各方面からの助言をもらい、とくに大衆的な労働者教育の分野を担当している労働者教育協会の協力をえ、作成したものである。

 この教科書が、全白運の組合員だけでなく、より多くの労働組合の組合員、さらにいえば三千四百万人の全労働者に読まれ、多くの労働組合が系統的な組合員教育を発展させていく上で役立つ契機になることを切に望むものである。

 一九七三年七月
   全国自動車運輸労働組合

(全国自動車運輸労働組合編集「労働組合員教科書」学習の友社 p1-3)
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謹賀新年

 まったく疑う余地のないことであるが、労働日の延長が法律によってきっぱりと禁止されるやいなや、労働の強度の系統的な引き上げによってその埋め合わせをつけ、また機械設備のすべての改良を労働力のより大きな吸収のための手段に転じようとする資本の傾向は、やがてまた労働時間の再度の減少が不可避となる一つの転換点に到達せざるをえない。(一七七)

(一七七)
いま(一八六七年)、八時間運動がランカシャーで工場労働者たちのあいだに始まっている。

 マルクス『資本論』
第一三章 機械設備と大工業第三節 労働者におよぼす機械経営の直接的影響 C 労働の強化
  新日本新書B 頁722

 現実の状態と将来を考えるとき、確信≠私たちに示しているのではないかと思います。
 労働運動の合法則性への確信……。

 今年も全力で大衆的学習・教育運動をおしすすめます。よろしくお願いします。

学習=c…それは怒りを闘いへ

  2008年1月1日

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◎「労働組合員を労働組合という労働者階級の初歩的で基本的な大衆組織を構成する一員として自覚させ、その自覚にもとづく自発的な行動を展開するうえでけっして十分とはいえない……それにはいくつかの原因がある……そのもっとも重要な問題点の一つとして、系統的で計画的な組合員教育の不十分さがあげられる」と。