学習通信080117
◎ごう病のようなセクト主義……
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次ぎに、仲間の信頼を得るために重要なことは、仲間の労働と生活に深く結びつくということ、そのためには、必要とあればある程度とけあう能力を身につけなければならないということ、もう一つ、そのためには、少し油断すればすぐ入りこんでくるごう病のようなセクト主義との不断の闘いが必要であるという問題を考えてみたいと思います。
節度正しく、そして仲間と本当に一緒なんだなということを感じさせる努力というのは、そうむずかしいことではない。普通にふるまうということなんですが、しかしその普通にふるまうということがむずかしい訳なんです。なせならば、私たちは大衆を、仲間を導いてそして資本主義制度を廃絶して社会主義に導かなければならないという大きな任務をになっているからです。
したがって当然そこには、大衆との違いというのが根本的に前提としてなければなりません。だから根本的な前提で、仲間をみちびかなければならないということが、わけへだてを感じさせなくする反対条件として働く場合が大きい訳です。普通にふるまえばいいということなんだけれどしかし、普通にふるまうことが難しい、理論的な問題としていえばセクト主義というものをみじんも身につけないように、絶えず闘うということなしに、わけヘだてを感じさせなくしていくということは不可能だといっていいくらいむずかしい問題です。
ごう病のようなセクト主義との不断の闘い、これは実は、フランスの総同盟の議長をしていたブノア・フラション(世界労連の指導者でもありました。)が、かなり前にのべたことばの引用であります。
@セクト主義とは
セクト主義とは一体何かを考えてみたいと思います。セクト主義というのは日本語で書くと、宗派主義と書くのです。キリスト教には、いろんな宗派がありまして、その排他的な対立というのはものすごいものです。そういうところから語源がきているということなんですが要するに他をよせつけない態度です。
このように排他的な態度、わけへだてを感じさせる態度、というものはいつも格闘して追払う努力をしていなければ自分がセクト主義ではないと考えていても、実はひどいセクト主義にとりつかれているという場合がしばしばだということなんです。
なぜかといいますと、このセクト主義の根元と全く縁を切って生活しているわけではないからです。セクト主義の根元というのは、プチブル、つまりある程度の生産手段を所有しながら、しかもこれと自家労働力を結合して生産をおこなっているという生産関係そのもののなかにあります。つまり、それは生産手段から全く切りはなされて「二重の意味で自由」な存在といわれる労働者階級の場合であっても、けっして無縁ではありません。この隊列の中にはたえず、プチブルから没落して流れこんでくる人々があとからあとからおしよせているからです。
たとえば1960年には日本の労働者階級の数は約2、250万人でした。しかしそれから15年たった1975年では、3、700万人ちかく拡大をしている。15年の間に1千万人以上がふえている訳です。それは一体どこがら補給されてきたのかというと、農民、漁民です。60年代の日本では急速に農業が破壊され、農業で飯を食っていけなくなった農民が、先祖伝来の田畑をすてて都会へ都会へと流れ出し(年年60万人から80万人)労働者階級へ転落してみなさんのまわりにやってきた訳です。
この農民のジッポをつけた労働者というのは、どうしても考え方が農民的な考え方、プチブル的な考え方にとらわれやすい。労働者階級というのは、機械制大工業の産物でありますから、本来革命性・戦闘性を持ち、それから規律性、連帯性、団結性、文化性、科学性を備えておりますから、運動の中でそれをみがけばみがくほど、ひかってくるわけであります。
農民の生産形態をみますと、非常に孤立、分散的な生産形態です。自分の田畑を持って生産している訳ですから、労働者階級のように一つの工場の屋根の下で、一つのベルトコンベアーのまわりにくくりつけられて一つの規律のもとに労働しているのではなくて、孤立、分散的な生産なんです。しかも、農産物というのは、二毛作、三毛作というのもありますけれども年一回の収穫ですから、非常に慎重で保守的でもあります。こういう、生活の基盤そのものが孤立的、保守的で連帯性にうすく、排他的でありそれが基礎(背景)になるわけです。ここにセクト主義の根源がある訳です。
小ブル思想、ブチブル的な意識の経済的な基礎があります。人間の意識、思想などというのは、生活基盤の変革よりは、はるかにおくれてしか変化しない。生活の慣習、おくれた考え方というのが根強く生き残るわけであります。セクト主義の根源とういのが現実にあるかぎり、それにうんと影響されるということがなければ、自分が知らない間に、セクト主義におちいってしまうということになるわけです。
それでは、セクト主義と闘うためにはなにが大切なのでしょうか。さしあたり、つぎの三つのことを常に頭に入れておかなければなりません。
Aセクト主義の克服のために
第一に、現実(実際)のあるがままの姿から出発する(事実からの出発)。自分がこうあって欲しいとか、こうあるべきだとかいう主観から出発しない、客観的な今ある実際の姿から出発する。これです。よく私たちの活動をふりかえってみますと、こうあって欲しい、こうあるべきだ(なければならない)というところから出発している訳です。
今は根本的に改善されましたけれど、数年前までの労働学校に見られた例ですが、自治会というのが学生中心にできていなかった訳です、労働学校の自治会でありながら、学生中心の自治会として組みたてられていたのではなくて、経験主義的に、「実践的」(?)な組みたてになっておりまして、「学習の友」を何部増やすか、大学習会の券を何枚売るか、そればっかりなんです。だから生徒もたまったものではない、自分は科学的社会主義の勉強をしに来でいるのに、本を売れ、券を売れとしめつけにつぐしめつけ、そして遂には「脱落」をしていった(脱落という言葉を使うのも気の毒ですが)そういうにがい経験をもっている訳です。
そこで、それでは駄目だということに気がつきまして今では、労働学校生は運動の対象としてみていく、労働学校生を一切、自分たちと同じ水準であるべきだ、自分たちと同じように活動をすべきである。いうふうに見ないで、運動の対象として見ていく、つまり、あるがままの姿から出発していくというふうに組み立てなおした訳です。それから労働学校運動の活動も軌道に乗ってくるようになりました。つまり、現実と事実からの出発ということ、こうあってほしいとかこうあるべきだという自分の主観的な願望から出発してはならないということです。これは本当に重要なことだと思います。
労働組合の運動の場合でも同じようなことが言えます。彼等はこうあるべきだという立場に立っておりますと、客観的な事実から離れていって、そして客観的事実の発展法則とは別のところで、活動することになりますから必らず失敗するわけです。仲間たちがおかれている実際の姿なり、条件というものをよく研究して、それにあわせた方針をたてる。そしてその方針を基礎にみんなでつつんでいくという、かまえ方でなければ(もともとはなれている訳ですから)決して成功することにはならないわけです。
それからセクト主義と闘うという点で第二のポイントは、統一の原則をしっかり身につけるということだと思います。統一の原則を具体化する能力を身につけるということだと思います。統一の原則を身につけるというわけですから、そのためには、統一の原則とは何かを知らなければなりません。この統一の原則というのは、世界の労働運動がはじまってすでに二百年以上の才月がたちますが、この世界的な労働者階級の闘いの経験を集約しまして、1953年に世界労連第3回大会が聞かれました。この大会で行なったルイ・サイヤン書記長の報告の中に、統一の原則がでてくるわけです。そしてさらに1957年だったと思いますが、第4回世界労連の大会があって、これもルイ・サイヤン書記長によってもう一つつけ加えられて、統一の四原則というものが定式化されるに至る訳です。
日本の労働組合運動も、1953年(昭和28年)──朝鮮戦争がアメリカ帝国主義の敗北によって終るのが、1953年の夏なのです──当時、日本の労働組合運動は、再び、前進局面にうつっていく転換点にたっていましたがその時にこの統一の原則の果した役割というのは、画期的なものがありました。
その大会が定式化した統一の三原則の第一は、相互尊重、相手の立場を尊重するということです。つまり、意見のちがいというのは当然ありえてあたりまえとわきまえて相手に臨むということです。基本的な階級的利害の一致という意味での立場の尊重ということではない。階級的な利害、が一致しながらもなお意見の違いというのがあって、しかもそれは当然であるということを認めておたがいの立場を尊重していくということです。
二っ目に対等平等。
労働運動のなかでは何も一段高い人と一段低い人という関係が前提とはなりえない、ある団体は優先的な席をしめてある団体はそうではないということではなしに、文字どおり、資本の搾取や専制と闘うという目的に基ずいて協力共同しあう、協力一致の関係は本質的なものです。
それから三つ目に、不一致点の保留、つまり一致する点を相互に追求するということです。これは、世界労達を分裂させて、1949年にできた国際自由労連との共同行動の経験をふまえて導き出した原則なんですが、それは大きな団体問の共同綱領をどうするかということにとどまらず、一人ひとりの仲間との団結の問題にも通用できる原則なんであります。
不一致点というのは必らず出てくる訳なんです。経験もちがうし、意識水準も違う、おかれている環境もちがう、だから意見もちがうわけです。逆に言うと時間がたってもっと経験が豊富になってくると、今、一致しなくても必らず一致する時がくる。今一致しないことを、無理矢理に一致させようと思って反発するようではいけないということです。不一致点は保留をして、そして行動の中でなおねばり強く話し合いをつみかさねながら、そして行動だけはどんどん発展をさせていく、行動の中でねばり強い話し合いをしながら、一致点を追求していく。
以上、1953年にサイヤンによって打ち出された統一の原則なんですが、1957年の大会でもう一つ、分裂と統一とを同列に扱わない、ということをつけ加えた訳です。つまり分裂主義との闘いです。魂まで資本に売りわたして、資本に奉仕しているそういう連中と、それから統一を目ざしてがんばっている連中を同一に扱って混乱をもちこむということであってはいけない。分裂というのは、どんな分裂でも、いつの時代でもそうですが、分裂をおこすおもな原因は敵の攻撃です。敵の攻撃が労働者の団結に向けて加えられるということ、この外部の圧力が、どんな分裂の場合でも、基本的な原因です。この外圧と内部の弱点がむすびついて、始めておこるものなのです。
ところが社会民主主義的な潮流は、このことを理解しない、できないのです。彼等は反共主義的な立場をとっておりますから、反共主義がじゃまをして、むしろ分裂の原因が内部にあるととらえやすいのです。戦後日本の労働組合運動も大小さまざまな分裂をくりかえしてきておりますが、この分裂の原因をとらえる場合、主な意見の違いというのは大体これです。私も何回かその経験をしてきておりますが彼等は、共産党がやりすぎるからだとか、組合費が高いからだとか、闘争至上主義だからだなどといろいろな理由をあげます。分裂攻撃の片棒をかつぐ幹部と統一を求めてがんばっている人々を同じように見てはならないということなんです。
要するに統一の四原則というものを、くりかえし自分の頭で整理して自分自身のものとして確立することが必要だと思います。
さてセクト主義との闘いをすすめる上で三つ目に重要な点は、原則性と柔軟性を正しく結合するという問題であります。
これは、妥協の問題であるといっていいと思います。つまり私たちが労働者階級の解放のために闘うという原則をどう守り発展させるかという普遍的な階級性にかかわる立場と、同時に原則を具体的な情勢と条件の中に正しく適応していく柔軟性、これをいつの場合でも正しく結びつけて、そして活動を進める。いいかえると正しい妥協と正しくない妥協を区別して、正しい妥協のあり方というものをどう追求するか、発展をさせるかということであります。
いつの場合にも、労働者階級の解放めために闘うという目的を、堅持してはなさないことと同時に、その目的にふさわしく状況と条件というものを運用していくという柔軟性を伴わなければこれは成功することは出来ないわけです。この妥協という問題には、ふた通りの妥協がある訳です。
そのひとつは、正しい意味での妥協、それからもう一つは、原則自体をつきくずしてしまうような妥協です。あたかも、高い山を登るという目的を実現するために、あるときはジグザグコースをたどり、あるときは直進し、そしてあるときは、一時的な後退さえ自ら主導的におこないながら、しかし一貫して登るという目的をくずさない。この原則性と柔軟性の結合ということがなければ、これは私たちの目的を実現することはできないわけです。
この問題についてレーニンは、「共産主義における左翼小児病」の中でとても平易に解脱しています。彼は、あらゆる妥協は悪であるという考え方をいましめて、どんな場合でも、どんな条件のもとでの妥協も、基本的に悪いことだという硬直した考え方の間違いを指摘して、自動車強盗の例をあげています。「君たちが自動車強盗に直面したときにどうするのか」という問題を出しまして、その場合には、強盗に対する一時的な妥協が必要である、あらゆる意味で強盗と闘うということをくずすわけにはいがないのですが、その闘い方が問題だというふうに言っている訳です。
ピストルをつきつけて、その強盗が現われて来たときに、それに断固反対すべきだということでそこで妥協することを知らずに激突をすれば、結局自分の方がやられ駄目になってしまうのだからその場合には、自動車を与え、そして強盗の一時的な勝利を、自分の主導的な行動として実現すること、そして次の勝利の展望を確保することが大切なのです。
このように私たちはつねに正しい妥協という間題に習熟しなければなりません。これは、労働組合運動の場合だって、学習協の場合だって、その他どんな種類の運動の場合でも同じことが言える訳です。そういう正しい必要な妥協というのをうまくやりとげるだけの能力をもたなければいけないという訳であります。
以上、セクト主義との闘争に対してどういう点に留意しなければならないかという話を終り三つ目の話に移ります。
仲間の信頼をうるためには、統一が大切だがらということで、統一行動の中での批判の自由をなげすてる大衆追随主義を克服しなければなりません。統一が大切だからといって、統一をさまたげている原因と闘わないということであってはいけない、団結をさまたげる、団結をやぶるすべての傾向に対して闘うということなしに、統一を前進させることはできないという意味です。
もっと平たく言うと、大衆、仲間との団結が必要だからといって、仲間の信頼を得なければならないからといって、仲間のもっている不充分な点、弱点、あるいは団結をさまたげるような点、こういうようなものに対する自分の見解を述べるというふうなことをおこたってはいけない。つまり批判と自己批判この方法を使って、団結を発展させる、統一を強めるために、闘うということ、これは仲間の信頼を獲得するということと決して矛盾することではないということを理解しなければなりません。
もっと平たく言うと仲間の信頼を得なければならないからと言って全く指導性を放棄して、仲間の中に埋没してしまってはいけないということです。埋没するどころか後をついてあるくようなことであってはいけない、常に仲間の半歩前を歩かなければいけないということです。つまり、指導性というものを獲得していく、そのことを抜きにして、仲間の信頼を獲得することはできない。
こういう点では、レーニンの言いました様にある程度、仲間ととけあう能力を必要とする訳であります。文字どおりある程度なんであります。全面的にとけあうとは、レーニンは言っていない訳です。
全面的にとけあうことを日本の国では、昔から「ミイラとりがミイラになる」と言っていますがこれでは困ります。
(有田光雄「組織活動の根本問題と幹部活動家の役割」京都労働者学習協議会 p36−42)
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セクト主義をなくするとは
ブノア・フラション
セクト主義というやつは、魔法使いのおまじないなどでは、とてもうち破ることのできない、頑強で、油断もすきもならない業病のようなものである。
セクト主義をなくするということは、次の諸点を理解することだ。
労働者階級とは、同質のイデオロギーをもった集団ではないということ。
労働者階級はブルジョアとは万里の長城で隔離されているものでないこと。
したがって、ブルジョアのイデオロギーや悪徳が、無数の道をとおって、労働者階級の陣列にしみこんでくるということ。
権力をにぎっているブルジョアは、自由自在に、われわれよりも、ずっと大量に言論・宣伝のための威力ある国家機関や手段を動員しているということ。
ブルジョアは、ある労働者にたいしてはこれを脱落させ、自分たちの手先とし、自分たちのイデオロギーや腐敗の守り手につくりかえることに成功しているということ。
労働者階級の、もっともすすんだ、階級意識をもった分子は影響されないが、前にのべたこれらの要素は、多かれ、少なかれ、他の労働者には影響を与えるということ。
どんな状況の場合でも、われわれは、われわれが呼びかける労働者を、その労働者の、実際の、あるがままの姿の労働者としてみるようにし、われわれがその労働者たちに、こうあってほしいと希望するような労働者としてみないようにしなけれぱならない。われわれは、労働者たちが理解する言葉、労働者に考えさせる言葉を使わなければならない。
われわれは、労働者たちが、自分たちを迷わせようとする連中のウソやゴマカシを、労働者たち自身の経験によって明らかにするのを援助しなければならない。
セクト主義をなくするということは、われわれが呼びかける労働者たちに、統一行動の一条件として、われわれの綱領全体を、たとえ労働者たちが、そのすべての点について正しいと信じていなくても、お前たちはとりいれるべきだ、などとわれわれが要求しないことを意味する。
統一行動は、要求自体が、非常にひかえめのようにみえても、すべての労働者を結束するという長所があるような、単一の要求を中心にしてかちとられるものである。
この場合、その要求自体には、二つの重要な面がある。
第一に、その要求自体を現実にかちとるということが、もっとも重要である。
第二に、その要求をかちとる闘いを成功させるように行動するために、われわれは、本当に労働者階級の活動家として、この統一というかたちであらわれた新しい力を活用しなければならない。
こうしてうまれた結果は、労働者階級の要求を満足させるばかりでなく、すべての労働者に、自分たちの力の自覚と、統一をかためたい欲求とを成長させることになる。
一つの、もっともひかえめな要求をかちとることに、自分たちの行動を制限してしまうことは日和見主義者だ、と考えている兄弟諸君がいることをわたしは知っている。だが、実際にあらわれた事実では、これらの兄弟諸君のいわゆる革命的非妥協さが、かえって、もっとも悪質の日和見主義をまねくのである。なぜなら、それは活動の不活発をもたらすからである。
また、統一をかちとるためだという口実で、もっとやればできるのに、わざわざ、すこししかやらない兄弟諸君もみうけるが、これもまた、統一の発展には同じように有害であるということも真実である。こういうふうに行動することは、われわれが大衆を案内し、大衆を、一段と高い闘争の段階にすすむのを援助すべきであるのに、その大衆のうしろについていくことを意味することになる。
セクト主義をなくするということは、政治的見解や宗数的立場がちがっているために分裂している労働者たちが、これらの意見のちがいを、労働者間によこたわる乗りこえられない障壁としてしまおうと工作している労働者階級の敵の策励に、打ちかつようにしてやる努力をたえずすることを意味する。
だが、またセクト主義をなくするということは、これらの労働者たちがいっしょになったとき、いっしょになったからといって、われわれは、これらの労働者たちの政見や信教のちがいが、依然として存在していること、またサッと一陣の風が吹いて、そうした違いが吹きとんでしまうものではないことを忘れてはならないことを意味する。
セクト主義をなくするということは、共産主義者も、社会主義者も、キリスト教信者も、回教徒も、無神論者も、すべておたがいに、自分たちは、それぞれの主義主張を相手に押しつけないで、完全に兄弟同志なのだと感じ合えるように行動することを意味する。すなわち、みんなが、統一をつくりだすのに役立つ基盤の上にたっていっしょに行動できるようにすることである。
セクト主義をなくし、統一を本当につくりだす人になるということは、統一をかちとり、ちがった労働組合中央組織をひとつにまとめるために、休むことなく、あやまった自負心を捨て、活動することを意味する。
本当に統一をのぞむときは、どんな結果がかちとれるものかということを、われわれに示してくれる実例は世界中に事欠かない。
セクト主義をなくするということは、世界労連に加盟していない組織のなかで、まだ反動や政府が支配しているが、それにもかかわらず労働者大衆を結集している組合のなかで活動することを意味する。
セクト主義をなくするということは、あらゆる点で革命的純粋さをもっている組織ではあるが、大衆がいないというひとつの小さな欠点のある組織の偉大な指導者になることほど輝かしく、目立ってはいないとしても、大衆をもっていて、反動や政府が支配している組織のなかで活動しなければならないことを意味する。
セクト主義をなくするということは、何ものも、これをうちくだくことのできない辛抱強さと我慢強さで、世界労連の真の支持者として、これらの組織のなかでたたかうことを意味する。そこで、大衆と融合し、飾り気のない態度で、大衆の関心の集まっている問題を提出し、大衆が要求をまとめ、願望を表現するのを援助し、かれらの指導者の陰険な、裏切りをバクロし、自分たち自身の手に労働組合の指導権をにぎることが必要であると考え、そうしたいと思うようにすることである。
もし、われわれに、それができないならば、われわれはセクト主義をなくすたたかいをおこなうことができず、したがって数百万の労働者を、むざむざとブルジョアの策動のなかにひきわたしてしまうことになる。
だがセクト主義をなくするということは、統一の実現を追求するのにあたって、労働者階級を裏切っている指導者にたいする批判を放棄するということではない。そのような行動は、統一にとって有害になるだけである。だが、セクト主義をなくすることは、この批判を、建設的で明瞭な方法で行なおうとすることを意味する。
セクト主義をなくするということは、説得の立場をとることであり、下卑た悪罵を放つことをやめて、裏切りの個々の行為と労働者階級におよぼすその結果を説明することを意味する。それは、これらの指導者をまだ信頼している労働者のすべてが、自分たちは本当に裏切られているのだと理解できるような方法で説得をおこなうことを意味する。
われわれは、労働者や組織の活動家というものは、自分たちが誤りを犯したことを知ることは、決して気持ちのよいものではないということを認識しなければならない。古くからの活動家で、何十年もその組織に入っていたときは、とくにそうである。かれらは、自分の組合を信じきっており、自分たちの指導者を信頼してきたのに、突然、何年もの間、自分たちがだまされていたということに気がつく。
われわれが前から正しかったからといって、それを自慢するのではなくて、労働者の直面している困難な問題を解決してやるために労働者を援助し、労働者が自らその誤りを自覚するようにしてやることがずっと人間的であり、合理的であり、また効果的なのである。
フランス労働総同盟書記長ブノア・フラションの一九五一年一〇月世界労連総評議会における発言より
(細井宗一「労働組合幹部論」学習の友社 p178−184)
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「職場問題学習・交流講座」
2006年4月22日〜23日
志位委員長の報告から
四、職場支部の活動をどう強化するか――「政策と計画」をもって
つぎに、それではこういう状況のもとで、職場支部の活動をどう強化するか。
職場支部の活動を発展させる基本は、党大会がうちだした方針――「政策と計画」をもった活動にとりくむことにあります。どうすればすべての職場支部が「政策と計画」をもった自主的・自覚的な活動にとりくめるようになるか。聞き取り調査で私たちが学んだすぐれた経験、また全国のみなさんから解決がもとめられている問題にもふれながら報告したいと思います。
(1)労働者と日常的に結びつき、人間的信頼関係をつくる
まず最初に強調したいのは、労働者と日常的に結びつき、人間的信頼関係をつくるという問題です。
「政策と計画」という場合、それを難しく考えないことが大切です。その土台は、労働者と日常的に結びつき、人間と人間との信頼関係をつくることにあります。
大会決議では、このことについて、「支部と党員がまわりの人々と日常的に広く深く結びつくことは、あれこれの党活動の手段ではなく、それ自体が党の活力の根本にかかわる問題であり、党の基本的なありかたにかかわる問題として、重視されなければならない」と強調しました。この見地は、資本の労働者支配によって分断がもちこまれている職場では、とりわけ大切だと思います。
全国のすぐれた経験では、例外なく、労働者と日常的に結びつき、人間的信頼関係をつくることを、党活動の根本に位置づけています。聞き取り調査から大切だと感じたいくつかの経験を紹介したいと思います。
出発点はあいさつから
一つは、出発点はあいさつから、ということであります。
東京の出版関係の職場支部からこういう報告がよせられました。「党大会での『お茶を飲んでいきな』『野菜を持っていくけ』という言葉をおろそかにしてはなりませんという発言の報告を『印象的だった』と聞いた同志が、人間的結びつきで自分自身が変わらなければと思い、これまで会釈しなかった人には会釈を、会釈してきた人には『おはよう』と声をかけ、『おはよう』といってきた人とは会話する努力をし、これからは選挙での支持を広げ、読者も増やせるようにしたいと決意をのべている」。
北海道の民間の職場支部からはこういう報告がよせられました。「支部では『実践する三項目』を支部の『政策と計画』として確認した。(1)職場に入ったら元気よくあいさつすること、(2)会議を欠席するときは必ず連絡すること、(3)月一回の宣伝紙を活用すること。これを実践してみたら、『合理化』で党員もくたくたになっていたが、半年たったら党と労働者の関係がよくなった。この積み重ねが支部の団結につながっている。こつこつ増やしてきたら、結果的には日刊紙で130%を達成し、日曜版もあと少しで130%目標に達するところまできた」。
ここでも「元気よくあいさつする」ことが冒頭にすえられていることが、たいへん印象的でした。支部会議についても、「会議に100%出席」といわないで、「欠席するときは必ず連絡する」というところが、柔軟でリアルな知恵が働いていると感じました。
労働者の全生活にわたってつきあう
二つ目は、労働者のすべての生活にわたってつきあうということです。
大阪の民間大企業の職場支部からは、こういう報告がよせられました。「労働者の全生活にわたってつきあう姿勢をつらぬいている。労働者との懇談会を二〜三カ月に一回の割合で開いている。バーベキュー大会や花見、釣りなどもおこなっている。そこに、これまで結集していなかった党員も誘っている。この集まりに三回参加した青年が、昨年、入党してくれた」。
同じような努力は、全国からたくさんよせられました。
党員の苦しみは、労働者みんなの苦しみ
三つ目は、党員と労働者の結びつきの基礎はどこにあるかという問題です。
聞き取り調査で印象的だったのは、成果主義管理のもとでの長時間過密労働、メンタルヘルス問題などに、党員も同じように苦しみ、傷ついていることでした。党員の苦しみは、労働者みんなの苦しみでもある。ここに党員と労働者との結びつきの基礎があるし、団結の土台がある。ここを前向きにとらえた活動の発展が大切ではないでしょうか。
(「職場問題学習・交流講座」前衛2006年8月臨時増刊号 p20−22)
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◎「全国のすぐれた経験では、例外なく、労働者と日常的に結びつき、人間的信頼関係をつくることを、党活動の根本に」と。