学習通信080129
◎裏で動かしているものの存在……
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映画 母べえ
人間らしく生きられないような
社会の構造が
だんだん、だんだん
と作られていくことへの
怒り
これは、青年が見なアカンと思いました。見ている一人ひとりに呼びかけている。
少しずつ暮らしの様子が変わっていく様。
いろんな形でまわりの人たちが理不尽を感じながらも黙っていく様。
例えば、法律に照らし会わせて善悪は判断するべきと説く大学のエライさん、積極的に贅沢品撲滅運動を進める女性たち、息子がいつ兵隊にとられるか不安だと漏らしながらもアメリカ・イギリスと戦争するとなると「そうこなくっちゃ!」と張り切る風を見せる隣組組長・・・
そして自分の中で理不尽を理不尽と感じることを否定していることを正当化するべく、理不尽を理不尽だと発する人たちを非難する。その表情の変わり様は、自分の押し殺している感情を認めるわけにはいかないという必死さが感じられる。
その中で母べぇも、表面上であれ何であれ強調していくしかない。そういう社会的意識が作り上げられている。なんかおかしいと感じ続ける人。なんかおかしいと思うことをやめてしまった人。「お国」を信じ切っている人・・・いろいろな形で、それが現れている。
最後の母べぇの言葉。死んでいく母べぇに「もうすぐ父べぇに会えるね」と話しかける娘に対し、「あの世でなんか会いたくない。生きた父べぇに会いたい」・・・ずっと押し込めてきた怒りが外へ出るのを感じた。死ぬ間際のかすれるような声で弱々しく言葉を発する母べぇ・・・その場面で、一番強く怒りを感じた。戦後もずっとその思いを抱えて、その怒りを抱えて、母べぇは生きていたのかと思う。
なんで父べぇが逮捕されるのか。なんで山ちゃんが死ぬ覚悟をしないといけないのか。
タイトルバックに流れる語り。「何時間働くというのか。不安を抱きながら・・・みんなくびになるのを恐れている。か細くやつれた身体・・・。誰が彼女をこんなに苦しめるのか!何者だ!!・・・もう美しくない。若くもない。しかし、彼女の一貫したもの。それは、僕たちに人間であることを思い出させてくれる。・・・」そんな風な内容だったと思う。
単に反戦でない。人間らしく生きられないような社会の構造がだんだん、だんだんと作られていくことへの怒り。警鐘。呼びかけ。力強いものだった。それは今の戦争をする国へと向かわせようとする動きと共に、働く労働者の状態への問題提起ともとれた。考えすぎでしょうか・・・。(20080128 山口加代)
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学問 文化
映画 「母べえ」と治安維持法
松本 善明
著作を検閲、捜索・連行・拷問
戦争知らない世代に真実を
この映画はまず、ドイツ文学者の野上滋の著作が検閲で不許可になり、突然、夜中に特高による捜索をうけるところから始まる。子どもたちの目の前で、逮捕状もなしに手錠ではなく繩をかけられて連行される。行政検束という手口だ。
それから主人公「母べえ」の佳代が二人の子どもとともに、いろいろの人たちの援助のもとに、どのように生きていくかが感動的に描かれていく。理想の妻、母親が吉永小百合によって見事に演じられ、家族、師弟関係、学問、愛情などさまざまな人間の生き方を深く考えさせる。吉永さんはこの映画に出演できたことを「幸せ」といい、作品を「自分の宝物」と言っている。
思想弾圧の
狂気の猛威
しかし、観客が涙とともに受けとる大きなものは、あの戦争の時代の恐ろしさである。治安維持法といえば、すぐ頭に浮かぶのは小林多喜二、宮本顕治であるが、野上滋は転向上申書という手記を書いた。しかし、中国侵略を支那事変≠ニ書き、教え子の思想検事に「聖戦」と書けと迫られる。そう書けなくては出獄できない。そのころ、偽装で或いは心ならずも転向した人は多い。協力するふりをした人も多い。映画はその微妙なところも描いている。ナチスに抵抗したレジスタンスの中でもそういうことがあったということだ。治安維持法の狂気の猛威は太平洋戦争準備期から敗戦まで日に日にひどくなった。
政府は弾圧を思想戦と位置づけ特高や憲兵がその実行者となった。戦争末期の言論機関に対する最大の弾圧事件である横浜事件では特高が、「俺たち貴様を殺したところで責任はないのだからな。いいか、遠慮なくやるぞ」と言ったという記録が残っている。こうして獄死したり、拷問や過酷な待遇で、釈放はされたが病死した人たちがどれだけいるだろうか。今、各地で調査が始まっている。
監督と俳優
渾身の力で
戦争は国外だけでなく、国内でしかも日本国民を対象におこなわれていたのだ。それに対するさまざまな抵抗が広範になされていたことがいま明らかになりつつある。NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」でもあの重苦しい時代が描かれ、太宰治をモデルの一部としている人物が不審人物として連行されようとする。今、国際的に注目されている芥川龍之介の苦悩も広く知られるようになってきている。いろいろな国民のたたかいがあった。まさに国内で戦争があり、決して実態は靖国派などが思っているように「一億一心」ではなかったのだ。しかし、無念の死を遂げた人たちの意思は生きている。それが野上照代の原作であり、この映画である。
いま、「あの戦争が正しかった」と主張する靖国派は国内外で孤立し始めた。しかし、国内での戦争責任の追及はこれからだ。戦争を知らない世代にまず真実を知ってもらうことが何よりも必要だ。この映画はその役割を立派に果たしている作品だ。さすが、日本映画を代表するといってよい監督と俳優が中心となって、関係者が一致して渾身(こんしん)の力で作り上げただけのことがある。必見の映画だ。(まつもと・ぜんめい 元衆院議員)
(「赤旗」20080129)
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映画母べえ
普通の生活が
あっという間に崩れ
人が人として生きられなくなる
時代へと
どんな映画なのかとワクワクしていましたが、久々に感動して、涙、涙でした。
戦争を描く映画だというと、苦手ですぐ生々しい映像を想像してしまいがちですが、「母べえ」は、そういうものはほとんどなく、家族を中心に日常の出来事を描いている、あたたかなものを感じました。もちろん特高がでてきたり、転向をしようとするとき検事が偉そうにする場面は、腹が煮えくりかえるほどのものがありましたが、それにもまして父べえ、母べえの芯の強さにはそれを忘れさせるような勢いがあったように思います。
そんな時代でも登場人物、一人ひとりの個性が+分に出ていてとても普通に感じられ、みんな輝いていたと思います。特に言葉の力というものをあらためて感動しました。ラストの父べえが母べえにおくる詩がとても感動的です。もう涙が止まりませんでした。
今も昔と同じように、普通の生活があっという間に崩れ、人が人として生きられなくなる時代へとまた近づいているように思います。戦争への道へと着々と準備をしている動きもあり、とても恐ろしい時代でもあると思います。「いつの間にか…」そうならないように、一人ひとりが学習し、自分で考えていく力を持たなければならないと思いました。また仲間をたくさん作ることが大事だと思いました。(20080128 桑谷誠)
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コラムC
誰がメディアの裏側にいるのか?
かつてベトナム戦争の時に「戦争で最も犠牲になるものは真実だ」という格言を残したのは、「ニューヨーク・タイムズ」紙の記者、デイビッド・ハルバースタムだった。だがイラク戦争において真っ先に犠牲になったもの、それは「ジャーナリズム」だと言えるだろう。
アメリカのメディアを裏で動かしているものの存在について私が初めて実感したのは、二〇〇一年九月一一日の同時多発テロの時だった。あの時ニューヨークに住んでいた私は、テロリストの存在と、次のテロ予告の疑いについて繰り返すメディアに不安をあおられたアメリカ国民が、恐怖から好戦的になり、武器を買いにスーパーに走り、一気に戦争へと突き進んでいく姿を目の当たりにした。「愛国心」という言葉に多くの人々が安心感を覚え、星条旗の下で報復を叫ばなければお前も敵だ、という恐ろしい空気がアメリカ中に流れていたのを覚えている。
二〇〇三年にイラク戦争が始まると、私は世界中の新聞をチェックした。イギリスの「タイムズ」紙など大手新聞の多くが、理由のはっきりしないこの戦争を支持している記事を読み愕然とする私に、大学院時代にお世話になった国際関係論学のブドロー教授は、そんな私を見てこういった。「無知な羊みたいにだまされるな、メディアは国が所有しているとは限らない。ニュースは必ず出所をチェックしろと教えたはずだ」
私は彼のその一言で、「タイムズ」紙が八〇年代に共和党支持のメディア王、ルパート・マードック氏によって買収されていたこと、彼がイラク戦争開戦直後に、世界中に所有する新聞一七三紙の社説欄担当者に、この戦争を支持する社説を書くよう指示していたことを知ったのだった。
一九八五〜八六年の間、二期目のレーガン政権下で、アメリカの三大テレビ・ネットワークであるNBC、CBS、ABCの三局は一斉に大資本に買収されている。
NBCは親会社のRCAごと、巨大企業のGE(ジェネラル・エレクトリック)に買収された。GEは第二次大戦中に原爆を完成させた「マンハッタン計画」を受注した軍需会社でもある。CBSは投機会社に、ABCはウォルト・ディズニー・カンパニーに、それぞれ買収されている、アメリカ国内で最もよく見られている「FOXニュース」のオーナーは前述のマードック氏で、彼の会社であるニューズ・コーポレーションはいまやテレビ局のみならず映画会社や衛星放送、出版事業をも抱える国際メディア複合体だ。
「編集への干渉を避けたいなら利益を出せ」「ニュースは流すものではなく作るものだ」など、商業メディアのポリシーを公言して憚らないその姿勢に、アメリカ国内のジャーナリストたちから批判の声が上がっている。今やイラク関連の正確な報道はネット上にしか存在しないという声さえあるこの時代に、健全なメディアを育て、必要ならば市民メディアを立ち上げ、守っていく責任が、私たちに問われている。
(堤味果著「ルポ 貧困大国アメリカ」岩波新書 p142-143)
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マスコミがつくりあげた小泉人気
現代はマスメディアの時代である。マスメディアの影響力は強大である。とくにわが国のようにいくつものマスメディアが常に同一行動をとる傾向の強い社会においては、決定的と言えるほど強大である。同時に現代は広告の時代である。いかなる商品も巨額の広告費を投入して誇大広告を行えば、少なくとも一時的には商品の人気は上がり販売高は上がる。それが本当に良質な価値ある商品であれば信用と人気は持続する。だが、それが欠陥商品であれば商品の信用は下落し、売れ行きは落ちる。
政治権力がマスコミと広告を全面的に利用し一体化したとき、同じ現象が起こる。巨額の広告費を使い、広告技術を駆使して、政府と政府の政策を大宣伝すれば、政府の人気は上がる。選挙にも勝つ。強大な政治権力をつくり上げることができる。もしその政治権力が国民にとって良質な政治を中長期的に実行し、国民のためになる政策を実行するならば、政権の人気は長つづきする。しかし、その政治が国民にとって害あるものであれば、高い人気は一時の幻想に終わる。小泉政権はマスメディアと広告を使って、一時期は高い人気を確立したが、やったことは、国民にとって百害あって一利なしというべきひどいものであった。小泉政権は詐欺的政治を行ったのである。
国民が小泉政治の欺瞞性に気づいたとき、小泉氏はすでに首相の地位を去っていた。
小泉政権は、強大な米国ブッシュ政権のバックアップのもとに、中央官僚指導層、経済界、学界、マスコミ界、宗教界など大多数の社会的諸組織を総結集して強大な政権となった。小泉政権は、とくにマスコミを全面的に影響下におくことに成功した。日本のマスコミは政治権力と癒着し、権力の一部と化した。マスコミは連日、小泉首相と小泉構造改革を賞賛した。マスコミは放送法が定めた「不偏不党」の原則をかなぐり捨てて、報道から小泉批判者を一掃し、小泉首相を稀代の英雄に仕立てるための報道を行った。
小泉政権登場から郵政選挙まで私はマスコミの中で働いていたが、マスコミ内部の小泉翼賛化が激しく進展した現実の動きをこの目で見てきた。マスコミーファシズムと言うべきものだった。小泉政権への批判的言動に対する圧力が日に日に厳しくなることを私自身が体験した。権力と一体化したマスコミの暴走ほどおそろしいものはない。
民主主義社会における政治権力と報道機関とは、チェックアンドパランスの関係にあるのが健全であると思う。政治にも報道にもそれぞれの社会的責任というものがある。マスコミは独自の見識にもとづいて、政治権力を監視し、批判する立場を放棄してはならない。絶対に癒着してはならないのである。
政治権力とマスコミが一体化すると、双方とも途端に傲慢になる。マスコミの中の指導的幹部は、政治権力との一体化を自慢するようになり、謙虚さを失う。政治家の側も同様である。批判されなくなったとき、政治家は傲慢になり、堕落する。マスコミも同様である。これも、私自身が実際に見てきたことである。
政治権力、行政機関、経済界、宗教界、学界、マスコミの一体化により、小泉政権は強人な権力と化した。この強大な政権がマスコミによって熱烈に賞賛されると政権の人気はさらに高くなる。小泉政権はこういう状況におかれたのである。
国民の側にも小泉構造改革によって、日本がおかれている一種の閉塞状況から脱却できるのではないかとの期待感が芽生えた。連日のように小泉政権を賛美するテレビのワイドショーの視聴者の中心にいる大都会地の主婦層の間に、小泉人気がとくに高くなった。この結果、報道機関の世論調査で高い支持率を記録した。世論調査の数宇が広く報道された結果、さらに人気をたかめる役割を果たした。
(森田実著「自民党の終焉」角川SS新書 p43-46)
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◎「そう書けなくては出獄できない……偽装で或いは心ならずも転向した人……協力するふりをした人も……映画はその微妙なところも描いている」と。