学習通信080130
◎福田首相に、もはや日本人の誇りや希望をまともに語れない
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「私たちは、焼け野原だった日本を、必死に働いて復興させた世代です。『後期高齢者医療制度』を知ったとき、その私たちがいま、国から棄てられようとしていると思いました」
▼日本共産党の志位委員長は、国会の代表質問で、ある高齢者の声を紹介しました。七十五歳まで生きたというだけで差別し、人間としての存在を否定するような制度。苦労が国と社会の発展とともにあった人たちの、「国から棄てられようとしている」の思いはつよい
▼高齢者だけではありません。米づくり農家の人たちも、同じようなめにあっています。収入が減っても、後継者難に悩みながらも、農家の多くが、日本人の主食をまかなう仕事ヘの誇りや使命感をもって米づくりを続けてきました
▼しかしいま、米価でえられる一時間あたり労働報酬は、わずか二百五十六円。志位さんは、米価を市場まかせにし、輸入米をふやしてきた農政を「どんないいわけをしても……大失政」といいきりました
▼社会人として、働き手として、日本の将来をになっていく若者たちも、尊厳を傷つけられています。低い賃金にただ働きの残業、社員食堂も使えず、名前でなく「ハケンくん」とよび捨てられる派遣労働者。志位さんは、一人の声を首相に届けました。「苦しんで涙して働いても希望もなにもありません」
▼打開への提案を次々としめす志位さん。対して、通り一遍の答えを繰り返す福田首相に、もはや日本人の誇りや希望をまともに語れない政権の姿をみました。
(「赤旗」20080123)
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あとがき
教訓は、いつも後からやってくる。二〇〇一年九月一一日以後のアメリカで真っ先に犠牲になったもの、それは「ジャーナリズム」だった。
九・一一テロの瞬間をとなりのビルから目撃していた私の目の前で、中立とは程遠い報道に恐怖をあおられ攻撃的になり、愛国心という言葉に安心を得て、強いリーダーを支持しながら戦争に暴走していったアメリカの人々。
だが、実はすべてを変えたのはテロそのものではなく、「テロとの戦い」というキーワードのもとに一気に推し進められた「新自由主義政策」の方だった。何故ならあの言葉がメディアに現れてから、瞬く間に国民の個人情報は政府に握られ、いのちや安全、国民の暮らしに関わる国の中枢機能は民営化され、競争に負け転がり落ちていった者たちを守るはずの社会保障費は削減されていったのだから。
九・一一で生かされたことをきっかけにジャーナリストに転向した私は、学校から生徒の個人情報を手に入れた軍にリクルートされた高校生たちを取材するうちに、知ることになる。
今起きていることは、あのテロをきっかけに一つの国が突入した「報復戦争」という構図ではなく、もっとずっと大規模な、世界各地で起きている流れの一環であることを。「民営化された戦争」という国家レベルの貧困ビジネスと、それを回してゆくために社会の底辺に落とされた人間が大量に消費されるという恐ろしい仕組みについて。
それがアメリカとイラクという二国をはるかに超えた世界規模の図式であることを証明するかのように、日本もアメリカの後を追うようにしてさまざまなものが民営化され、社会保障費が削減され、ワーキング・プアと呼ばれる人々や、生活保護を受けられない者、医療保険を持たない者などが急増し始めた。アメリカで私が取材した高校生たちがかけられたのと同じ勧誘文句で、自衛隊が高校生たちをリクルートしているという話が日本各地から私の元に届き始めたのは最近だが、同時にアメリカ国内では、この流れに気がついた人たちが立ち上がり始めていた。
兵士やその親たちだけではない。民営化の犠牲になった教師や医師、ハリケーンの被災者や失業手当を切られた労働者たち、出口をふさがれる若者たちや、表現の自由を奪われたジヤーナリストたちが今声を上げている。生存権という、人間にとって基本的な権利を取り戻すことが戦争のない社会につながるという、真実に気がついた人々だ。アメリカから寄せてくるこの新しいうねりは、同じ頃日本で急速に拡がった憲法九条を守ろうとする動きに一つの大きなヒントを差し出してくる。
戦争にブレーキをかけるために中将への昇進を目前にして軍を除隊したある米軍元少将は言う。
「問題は、何に忠誠を尽くすか、なのだ。それは大統領という個人でも国家でもなく、アメリカ憲法に書かれた理念に対してでなければいけない」
一つの国家や政府の利害ではなく、人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじふせようとしても決して手放してはいけない理想であり、国をおかしな方向に誘導する政府にブレーキをかけるために私たちが持つ最強の武器でもある。それをものさしにして国民が現実をしっかりと見つめた時、紙の上の理念には息が吹きこまれ、民主主義は成熟しはじめるだろう。
何か起きているかを正確に伝えるはずのメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されているその状態におかしいと声を上げ、健全なメディアを育て直す、それもまた私たち国民の貴任なのだ。人間が「いのち」ではなく「商品」として扱われるのであれば、奪われた日本国憲法二五条を取り戻すまで、声を上げ続けなければならない。
この世界を動かす大資本の力はあまりにも大きく、私たちの想像を超えている。だがその力学を理解することで、目に映る世界は今までとはまったく違う姿を現すはずだ。戦うべき敵がわかれば戦略も立てられる、とエピローグで紹介したビリー牧師は言う。大切なのはその敵を決して間違えないことだと。
無知や無関心は「変えられないのでは」という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる。
現状が辛いほど私たちは試される。だが、取材を通じて得た沢山の人との出会いが、私の中にある「民衆の力」を信じる気持ちを強くし、気づかせる。あきらめさえしなければ、次世代に手渡せるものは限りなく貴いということに。
(堤味果著「ルポ 貧困大国アメリカ」岩波新書 p203-206)
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◎「人間が人間らしく誇りを持って幸せに生きられるために書かれた憲法は、どんな理不尽な力がねじふせようとしても決して手放してはいけない」と。