学習運動080206
◎「希望は、戦争。」……

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《潮流》

先日、群馬県草津のハンセン病療養所、「栗生楽泉園」を訪れた折です。いっしょに行った女性が、楽泉園との縁を語り始めました

▼彼女は先の大戦中、東京の淀橋区(いまの新宿区)から草津ヘ学童疎開しました。先生とともに旅館に寝泊まりし、勉強も旅館の部屋で。しかし、だんだんと食べ物の配給が減ってきます

▼温泉に毎日入れましたが、「お風呂に入るとおなかがすくからいや」といいだす男の子も。子どもたちの親が送ってきた食料をかすめる先生もいます。まじめな先生は、目だってやせていきます

▼あるとき、楽泉園でつくったジャガイモをもらえるという話がもちあがりました。彼女たちは園の所長さん宅ヘ受け取りにいき、リュックにつめてきます。以来、彼女にとって栗生楽泉園は、恩あるありがたいところとなりました

▼戦後もだいぶたち、ある機会から園の元患者と交流が始まります。彼女は、疎開仲間を代表する気持ちでお礼をのべました。ところが、思いもよらない事実を明かされます。ジャガイモをもっていかれた園では飢え死にする子どもがいた、と

▼当時、軍人や高級官僚、資産家は、コネや闇で食料を不自由しないだけ手に入れました。下には、子どもの食べ物を奪う人、ひもじい子ども、飢え死にする差別された子ども。最近、広がる格差に絶望し次のように論じる人もいます。格差社会をひっくり返すには、国民全体が生か死かを問われる戦争が望ましい。しかし、戦争の時代は究極の格差社会でした。
(「赤旗」20080203)

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雨宮……『論座』1月号に赤木さんが「希望は、戦争。」を書いて、4月号に佐高信さんとか福島みずほさんとかの応答があって、その後また赤木さんが、「けっきょく、『自己責任』ですか」という文章を書きましたね。
 そこで赤木さんは宿題を出していますね、自分に対して。それについてちょっと聞きたいなと思って……。

その宿題とは「1、戦争はそれ自体が不幸を生み出すものの、硬直化した社会を再び円滑に流動させるための必要悪ではないのか。戦争がなくなれば社会が硬直化、すなわち格差が発生し、一部の人に不幸を押し付けることになる。ならば、戦争がなく、同時にみんなが幸福な社会というようなものは夢物語に過ぎないのだろうか。

2、成功した人や生活の安定を望む人は、社会が硬直化することを望んでいる。そうした勢力に対抗し、流動性を必須のものとして、人類全体で支えていくような社会づくりは本当に可能だろうか」。

赤木……そうですね。結局のところ、戦争の問題なのかどうかっていうのは、信頼関係であるとか、説得できるか否かっていうことで、多分おれは人を説得できないと見ている。説得できないと見ているので、「戦争によって壊すべきだ」ということを言うわけですけれども。
(雨宮処凜の「オールニートニッポン」祥伝社新書 p198-199)

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第5章 世界中のワーキングプァが支える

 かつて「市場原理」の導人は、バラ色の未来を運んでくるかのようにうたわれた。競争によりサービスの質が上がり、国民の生活が今よりももっと便利に豊かになるというイメージだ。

 だが、政府が国際競争力をつけようと規制緩和や法人税の引下げで大企業を優遇し、その分社会保障費を削減することによって帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅し、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中にしっかりと組み込まれてしまった。

 グローバル市場において最も効率よく利益を生み出すものの一つに弱者を食いものにする「貧困ビジネス」があるが、その国家レベルのものが「戦争」だ。

 一九九〇年代の「外注革命」をモデルにして、アメリカ政府は国の付属機関を次々に民営化していった。アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは「国の仕事は軍と警察以外すべて市場に任せるべきだ」という考えを提唱したが、フリードマンに学んだラムズフェルド元国防長官はさらに、戦争そのものを民営化できないか? と考えた。この「民営化された戦争」の代表的ケースが「イラク戦争」であり、アメリカ国内にいる貧困層の若肴たち以外にも、どこに巧妙なやり方で引きずり込まれていった人々がいる。

「素晴らしいお仕事の話があるんですがね」

 ニューヨーク州ニューバーグに住むマイケル・ブラウンに信じられないような幸運がやってきたのは、二〇〇五年八月の暑い午後だった。

 中古のビュイックのエンジン・オイルを入れ終えたところでマイケルの携帯が鳴った。出ると聞き覚えのない声が流れてくる。

 「ブラウンさんですね? はじめまして、クレジット記録についてですが、ずいぶんお借人れされているようですね……」

 マイケルは舌打ちをして電話を切ろうとした。消費者金融からの取立てはしつこい。いくら着信拒否に登録しても番号を変えてまたかかってくるのだ。だが切ろうとした直前に電話の向こうの相手が言った言葉が、マイケルの注意を引いた。

 「実は素晴らしいお仕事のお話があるんですがね」

 マイケルは少し迷ってから、相手の話に耳を傾けた。どうやら借金の取立てでなく、何かの仕事の紹介らしい。聞けば相手は今急成長している国際規模の派遣会社だという。だがなぜ自分の携帯電話の番号を知っているのか、そしてまたどうやって自分が複数の消費者金融から借りている多重債務者であることを知ったのか? 頭の中に浮かんだ疑問をぶつけようとしたマイケルは、次に相手が言ったセリフに思わず息を呑んだ。

 「職種はトラックの運転手です。年収は初年度から六万五〇〇〇ドル(七一五万円)保証しましょう」

 マイケルは高卒のトラック運転手だった。食費を切りつめてやっと中古のトラックを手に入れたが、給料は安く、妻と息子を抱えた生活は苦しかった。妻は近所のレストランでフルタイムのウェイトレスをしていたが、一〇歳の息子は体が弱く、しょっちゅう医者にかからねばならない。半年前に息子が骨折して手術を受けた時、医師から送られてきた請求書の額はマイケルの支払い能力をはるかに超えていた。マイケルは消費者金融から借金をしたが、あっという間にふくれあがり、返済のために別な場所から惜りるうちに多重債務者ブラックリストに名前が載せられたのだ。

 年収六万五〇〇〇ドルは破格だった、というよりむしろ信じられない話ではないか。マイケルは、さらに詳しく内容説明を聞くことにした。

 「おたくの派遣会社に登録するだけでいいんですか? あの、私は高校しか卒業していないんですが、それでもその年収が約束されるのでしょうか」

 電話の相手は親切そうな明るい声で、もちろんですとも、と答えた。

 「ブラウンさんの運転技術およびバックグラウンドについてはさまざまな場所から情報を得ており、どれも満足いく結果でございます。給与の方はご心配なさらずに、社員登録の際にパスポートのコピーだけご用意して来ていただけますでしょうか」
 「パスポート? 」
 マイケルは困惑した。彼は生まれてから一度も外国に行ったことがない。それどころか多くのアメリカ人がそうであるように、ニューヨーク州すら一歩も出たことがなかった。
 「はい、私どもはグローバルな派遣会社ですから、勤務地が国外の場合もございます。もちろん、そう長期ではございませんが」

 外国と聞いてマイケルの胸は不思議な興奮を覚えた。海の向こうの見知らぬ国で颯爽と働き、家族のために十分に稼いで帰宅する父親の話に目を輝かせる息子の顔が浮かんでくる。マイケルは登録説明会への道筋を聞いてメモすると、翌朝パスポート取得の手続きをしてから、その足で教えられた会場をたずねた。

 「まず初めに驚いたのは、説明会に集まった人々の数でした」

 マイケルはその時の様子をこう語る。
 「会場は色とりどりの風船で飾り立てられ、壁には「アメリカ政府を支えよう」「崇高な使命を果たす同胞を助けるのは崇高な仕事だ!」などと書かれたポスターが貼りつけてあり、まるでパーティ会場でした」

 会場に来ていたのは一目でそれほど豊かな暮らしをしていないとわかる労働者風の男たちばかりだったという。並べられた椅子に座ると、入れ替わり立ち替わりリクルーターが出てきて会社の登録システムと就労条件についての説明を始めた。

 「実にストレートな内容でしたよ。イラク戦争が始まってから高校生たちを過剰なリップ・サービスで勧誘する軍の話は聞いていましたが、ここの場合はある意味まったく嘘がなかった初めからすべて詳しく説明されたんです」

 勤務地はアメリカではなく外国であること。今募集している職種のほとんどはイラクでの仕事であること。現地では武装勢力の攻撃で死ぬ可能性もゼロではないこと。勤務時間帯は日に一二時間の週七日、休暇は四か月ごとにズ一〇日間与えられる。現地では米兵が駐屯している場所で兵士たちの日常を支えるさまざまな業務につく。

 続いて部屋が暗くなり、イラクにある労働現場のビデオが上映された。悪くなさそうだ、とマイケルは思った。少なくとも先月まで働いていたあのくそいまいましい精肉工場よりもずっと清潔な環境に見える。ビデオが終了し部屋の電気が再びついた時、リクルーターはこう言った。

 「最後に申し上げておきます。もし現地での勤務中にあなた方が事故などでお亡くなりになった場合、たとえば可能性は非常に低いですが、化学兵器や放射性物質などによって死亡した場合には、本国への遺体送還はあきらめていただくことになります。現地で私どもが責任を持って火葬させていただきますので」

 会場が一瞬ざわめいた。だが、その後すぐにリクルーターが給料の説明に移ると人々は再び熱心に聞き入り、続いて登録が始まるとマイケルを含めそこにいた全員が手続きをしたという。

 「正直言って選択肢はありませんでした」
 マイケルは言う。
 「そこにいた誰もが、多少の差こそあれ同じ状況だったと思います。私の横に座っていた四十代前半の男性は大学を卒業していましたが借金だらけだとのことでした。高すぎる医療保険と政府による失業手当カット、それに奨学金枠縮小のあおりをもろに受けたらしいです」

 二〇〇四年の一月の「ワシントン・ポスト」紙が発表したデータによると、同月アメリカ国内の三七万五〇〇〇人が失業手当を打ち切られており、これはひと月に切られた手当の数では過去三〇年間で最悪だったという。

「これは戦争ではなく派遣という純粋なビジネスです」

 マイケルが登録した派遣会社の名は「ケロッグ・ブラウン&ルート社」(KBR社)といい、その時点で登録している派遣社員数はすでに六万人超、週に平均二〇〇人から三〇〇人の社員をイラクやアフガニスタンに送っていた。

 「労働条件は決していいとは言えませんでした。でも国内でトラックの運転手をしていても収入はたかが知れており、借金は利子分の返済だけでいつまでも消えないのです。化学兵器だなんだと言われても、頭の中は六万五〇〇〇ドルという数宇でいっぱいでした。息子に自転車も買ってやれず、妻と金のことで喧嘩ばかりしている生活から抜けるには、これが最後のチヤンスだと思ったんです」

 リクルーターはまた、登録する際に宗教や支持政党などを記入する必要は一切ないと説明したが、これはマイケルをほっとさせた。

 「そこにいる者たちは皆私も含めて、これは借金返済のためだと純粋に割り切って登録しようと考えていたと思います。そこでこの戦争の正当性について、などと聞かれたら面倒ですからね」

 登録した者たちの政治的立場は実際にはさまざまだったろう。この戦争に反対の者、サダム・フセインが九・一一に関与していたと信じる者、米軍が正義のためにイラク市民を救うのだと戦争を支持する者……。

 だが、それらは派遣会社にとってはまったく問題にならないのだ。
 「これは戦争ではなく派遣という純粋なビジネスです」とリクルーターは説明した。

 「あなた方には労働力を提供していただく。そして私どもはそれに見合う報酬を出させていただく。個人的感情は一切なし。まったくのフィフティ・フィフティです」

 登録してから二週間後に、マイケルは海外勤務の仕事を得た。勤務地はバグダッド、職種は最初の話どおりトラックの運転手だった。それから一年間、毎日四〇度近い炎天下、マイケルは武器を乗せたトラックを運転して兵舎と兵舎の間を往復した。

 一〇か月が過ぎる頃、マイケルは勤務中、肺に鋭い痛みを感じるようになった。米兵たちが基地内のペットボトルの水を飲むのに対し、マイケルたち労働者は現地の水を飲むよう会社から言われていた。米兵が使用する劣化ウラン弾の影響で放射能に汚染されている水である可能性が高いという。だが、マイケルはあまり気にしないようにしていた。彼はトラックの内部には誰よりも詳しかったが、劣化ウラン弾や他の化学兵器についてはまったく知識がなかった。
(堤未果著「ルポ 貧困大国アメリカ」岩波新書 p146-154)

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◎「戦争の時代は究極の格差社会」と。