学習通信080208
◎まさに多喜二の描いたものが、時代を超えて……

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若者たちはいかに
「蟹工船」を読んだか
読書エッセーコンテストの審査をして

 島村 輝

団結の困難さと打開への意志と

 日本を代表するとされる大企業が空前の利益を上げている一方で、若年層の不安定な雇用とネットカフェ難民、マック難民の増大、正規労働者の過酷な労働の実態といった現実もまた、大きな社会問題として黙過できないところにまで深刻化している。

女性労働者が
2部門最高賞

 こうした状況の中、プロレタリア作家・小林多喜二の出身校である小樽商科大学と、国際シンポジウムの開催やコミックス版「蟹工船」の出版などこの間多喜二文学の研究と普及に力を尽くしてきた白樺文学館多喜ニライブラリーの共催で、このほど「『蟹工船』読書エッセーコンテスト」が行われた。二十五歳以下を対象とした部門(U25)と、年齢制限を設けずネット力フエからの応募を条件にした部門との二つの部門で、総数百編を上回る応募があり、先日審査の結果、受賞者を決定した。

 全体として力作ぞろいの応募作の中で、U25部門、ネットカフエ部門ともに、それぞれの最高賞を受賞したのは、女性の労働者の手によるものだった。どちらも虚無感に満ちた現実世界の中で労働し、生活する人たちの悲しみと絶望、出口のない閉塞感といった深刻な問題を直視し、現実の労働現場の状況と「蟹工船」の世界を対照させながら、言いたいこと、語りたいことをぐいぐいと主張してくる、訴える力の強い作品である。

 切実な内容と文体でこうした感想を筆者たちに書かせたということそのものが、やはり社会的なしわ寄せを受けやすくなっている女性労働者たちの現実状況を反映しているといえるだろう。

みずみずしい
中高生の感性

 U25部門で準大賞を分け合った二つの作品は、それぞれ中学生、高校生の手による、みずみずしい感性をしめす感想である。今日、若い世代の社会的無関心や「学力低下」などといったことが話題になる中、果たしてどのような作品が出てくるのかと読み始めたところ、その切り口も書かれている文章の文体も、実に心打たれるものだった。

 高校生の受賞作に、日本の現状を振り返りながら、「本来なら他の国の人達にも誇るべき日本人の温厚さが近年の色々な問題を引き起こしてきた一つの要因に成っているとしたら、とても嘆かわしい事である」と述べてあるところなど、そのしっかりとした思考に敬服させられた。

 外国からも、日本語を学びはじめてからの期間がまだ短い中、懸命に工夫をこらして応募してきた作品がみられ、感銘をもって受け止められた。またネット力フエ部門から応募されたある作品は、応募用紙三枚にわたって、ひょろひょろとした文字で詩のようにつづられた内容とスタイルが、選考委員たちの心を打つものだった。この作品には、連絡先すら記されておらず、受賞しても連絡がとれるかどうかわからない状態ということで一抹の危惧(きぐ)はあったが、どうしても応えてあげたいという委員会の総意によって奨励賞授賞と決した。

実相とらえた
多喜二の力が

 二つの部門を通じて、論点として特徴的だったのは、「蟹工船」の世界は昔のことではなく、今起こっていることであるとする点、そうした中で「団結」の意味を認識したという点だった。それもただ単に虐げられた労働者の「団結」の必要性をいうだけでなく、さらに突っ込んで、現状の中での「団結」の困難さと、それを打開する意志を表明したものが目立ったことは、「蟹工船」が今日の時代の中で、現実に生きている若者たち、労働者たちの間に、どのような具体性をもって読まれているかを端的に示したものだといえるだろう。

 大賞受賞作に記された「本当に絶望だけで終わるのだろうか」という問いかけの意味は重い。今年は多喜二生誕百五年、没後七十五周年にあたり、各地での多喜二祭も盛り上がりをみせている。「蟹工船」に再びスポットライトが当たり、このコンテストにこれほどの応募が寄せられたのは、まさに多喜二の描いたものが、時代を超えて、今日の資本主義社会の実相を浮き彫りにしているからではないかとの思いを、一層深くする結果であった。
 (しまむら・てる 女子学術大学教授、「蟹工船」読書エッセーコンテスト 選考委員長)
(「赤旗」20080208)

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没後75周年記念講演会を前に
多喜二を歴史のなかで読む(下)

不破哲三さんにきく

──以上略──

「蟹工船」を起点に
労働者の全体像を
見る

 ──話が飛びますが、いま「蟹工船」が若い人たちのあいだで大いに読まれています。「蟹工船」での搾取は、現在のワーキングプアその ままだと言われて……。

不破……同感です。多喜二は、蟹工船を、「殖民地、未開地に於ける搾取の典型的なもの」ととらえてあの作品を書いたのです。多くの若者が、現代日本の大企業のなかに、そうした原始的で野蛮な搾取が再現している、ということを、多喜二の作品から痛感した、ということは、たいへんなことだと思います。

 一言、つけくわえて言いますと、蟹工船的な野蛮な搾取が、近代的な大資本の足元で再現しているという問題は、多喜二もよく見ていたことです。だから、彼は、労働者を書くときに、資本が労働者のなかに階層秩序をつくりだし、下層の部分では非人間的で過酷な搾取がおこなわれていることを、必ず問題にしました。

 「工場細胞」でも、近代的な「H・S工場」の職工たちは別格で、小樽の底辺には、「親方制度」や「現場制度」の過酷な支配のもとにある日雇いの運輸労働者の大群がいて、その階層的な区分が労働者支配のささえとなっていることが、描かれています。

 戦時下の作品でも、「沼尻村」に出てくる労働者は、炭鉱の「選炭場」に日雇いで働きに行っている小作の娘たちと、農閑期にやはり日雇いで働きにくる非正規の貧農たちです。「党生活者」では、主人公をはじめ工場細胞の面々は、軍需景気で忙しくなった工場に就職した臨時工ですし、「地区の人々」では、最初に出てくるY市の「地区」の情景描写のなかに、「大工場」と「町工場」、さらには日雇いの浜人足などからなる階層秩序が、生産現場だけでなく、居住条件の差別ともなっている様子が、克明に描きだされます。ちょっと、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』を思わせるような叙述です。

 「蟹工船」を見た多喜二の「目」が、こうして、前近代的な形態を現代の搾取体制のなかに再現させる資本主義の支配構造にまでおよび、そのなかでの労働者の階級的連帯と闘争への道を追求していったことも、多喜二の文学の大事な特徴というべきですね。
(「赤旗」20080127)

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◎「多くの若者が、現代日本の大企業のなかに、そうした原始的で野蛮な搾取が再現している、ということを、多喜二の作品から痛感した、ということは、たいへんなこと」と。