学習通信080212
◎ボルサエスコラ……

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春秋

 消費が振るわない。そんな声をよそにこの週末、百貨店に女性たちが殺到している。目当ては特設チョコ売り場。バレンタインデー直前の休日には恒例の風景だ。高級ブランドの出店を前に本命、感謝、義理、義務、自分へのご褒美など品定めに余念がない。

▼ある百貨店には一風変わったコーナーが登場した。主力商品はオーストリアの有名ブランド、ゾッター。「オーガニック&フェア(公正な方法・価格の有機栽培)」原料の使用が特徴だ。隣にはエクアドル農民が無農薬カカオから手作りした品も。壁にはカカオ生産者の写真を掲示した。

▼チョコの原料であるカカオ農園にはときに長時間、低賃金、農薬まみれの児童労働という問題があるらしいと近年ようやく知られてきた。米経済誌フォーチュンも今月はじめ「甘く苦いチョコ経済」の特集を掲載。昨年邦訳が出たルポ「チョコレートの真実」で、その実態を知って驚いた方も多いのではないか。

▼児童の重労働とは無縁とするゾッター売り場には日本の「チョコレボ」というグループが協力した。会社員らのボランティアで「チョコを買うなら生産現場も潤うものを」とうたう集まりだ。一片のチョコが消費者の社会的責任を問いかける。食べ物は誰がどう作ったのか。気にすべきは冷凍食品だけではない。
(「日経」20080210)

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 婦人労働および児童労働の資本主義的搾取から生じる精神的な萎縮は、F・エンゲルスにより彼の『イギリスにおける労働者階級の状態』において、またその他の著者たちによって余すところなく叙述されているので、私はここではそれを指摘するにとどめる。

しかし、未成熟な人間を単なる剰余価値製造機械に転化することによって人為的につくり出された知的荒廃

──それは、精神の発達能力やその自然的豊饒性そのものの破壊なしに精神を休閑状態におく自然発生的な無知とはいちじるしく異なるものであるが──

は、ついに、イギリス議会をさえ強制して、工場法の運用を受けるすべての産業において、初等教育を一四歳未満の児童の「生産的」消費のための法定の条件にさせるにいたった。

資本主義的生産の精神は、工場法のいわゆる教育条項のいい加減な作成から、またこの義務教育を大部分ふたたび架空なものにしてしまう行政的機構の欠如から、またこの教育法にたいする工場主たちの反対そのものから、そしてこの教育法の法の網をくぐり抜けるための彼らの実際的な策略と計略からも、きわめて明白である。
(マルクス著「資本論B」新日本新書 p691)

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 二月、お店のショーウインドーには、宝石のようなチョコレートが並んでいます。七年前、アフリカのカカオ畑で奴隷のように働かされていた子どもたちのことがイギリスで報じられ、大きな波紋を広げました。今も児童労働者とよばれる二億一千八百万人の子どもたちがいます。児童労働反対の声が世界でひろがるなかで、私たちに何ができるのでしょうか。児童労働を考えるNGO(非政府組織)ACE理事・事務局長の白木朋子さんに聞きました。

児童労働を考えるNGO=ACE理事・事務局長
白木 朋子さんに聞く

児童労働──
それはわたしたちの身近に

子どもにはあらゆる搾取から
保護される権利がある

 国際労働機関(ILO)の条約では、就業できる最低年齢を十五歳とし、義務教育を終えていない子どもの労働(学校に行きながら家の手伝いをすることとは区別しています)を禁じています。また、たとえ義務教育を終えていても、十八歳未満の子どもの心身に著しく大きなダメージを与える恐れのある労働(最悪の形態の児童労働)も禁止しています。国連子どもの権利条約では、十八歳未満の子どもには、経済的搾取など、あらゆる搾取から保護される権利があることを定めています。

 世界には児童労働者とよばれる二億一千八百万人の子どもがいるといわれています。そのうちの約半分が、ILOが禁じている「最悪の形態の児童労働」に従事させられています。「最悪の形態の児童労働」とは、強制的に奴隷のように働かされることや、親の借金のかたに働かされること、麻薬取引などの犯罪、兵士や賀春などに子どもが使われることです。

 児童労働者の比率がもっとも高いのはアジア・太平洋、その次がアフリカとなっています。昨年末、イギリスのガーデニング(造園)産業で輸入されている石材の採掘にインドの子どもが従事させられていることがわかりました。イギリスはガーデュングブ一ムで、業界の景気を押し上げていたことが背景にありました。また同じころ、インドの繊維工場でも、綿花から種と線繊維を分けて綿織り機にかける仕事をしていた十二歳の女の子が性的暴行を受けて亡くなる痛ましい事件がおきました。綿花に散布された農薬によるかゆみや腫れなどの炎症も子どもたちを蝕んでいます。

 アフリカでは、昔からあった相互扶助の習慣が薄れ、人身売買という形に変わってきているともいわれています。エイズで親を亡くしたとたん働かなければいけない子どもも増えています。カカオ畑で働く子どもたちは、小さな体で鉈(なた)をもって働いているのでけがも多く、農薬散布による健康へのダメージは、子どもたちが健康なおとなになることさえ困難にしています。

「日本の子どもは何をして
働いているの?」と聞かれて

 生きるために最小限の教育さえ受けることができず、朝から晩まで働かされている子どもたちに、「日本の子どもは何をして働いているの?」と聞かれ、はっとしてしまいました。文字も読めない子どもたちは、自分たちが知らない世界が、世界にはあることさえも知らないのです。子どもたちに「将来の夢は?」と聞くと、みんな困ったような顔をします。朝から晩まで働かされている子どもたちは将来のことを考える余力がないのです。

 一方、NGOなどのリハビリ施設に保護された子どもたちは、学校に通って学び、遊ぶことができるようになります。また、私たちが進めている現地支援の活動「子どもにやさしい村」では、学校に通っていない子どもたちの親を説得し、何度も集会を開いて貧しい家庭の子どもが働くことは仕方がないことではない、児童労働は貧しさの解決にはならないということを訴えているのですが、そこでも子どもたちの多くが学校に通えるようになりました。住民の意識も向上し、学校の教師が増員されたり、校舎やトイレがきれいになったりしています。

 こうしたところにいる子どもたちは、学び、友達と遊ぶ時間でもなんでも自分の意思で自由に決めることもできます。子どもたちの目は輝いていて自信にあふれています。文字が読めるようになるということは、こんなにまで子どもたちを変えるんだ、と改めて思いました。教育は、将来の人格をつくるうえで大きな影響を与えます。それだけに生きていくために必要な基礎的な知識や能力を身につける機会さえも奪う児童労働は、子ども時代だけではなく、未来をも奪うものであることを感じています。地球の将来を担う子どもたちがそんな状態に追いやられていることは、私たちにとっても大きな損失ではないでしょうか。

中南米では児童労働者数が
三分の一に

 児童労働を大きく減らしているのが中南米です。二〇〇〇年の調査では千七百万人の子どもが働いていると報告されていましたが、二〇〇四年の調査では六百万人と三分の一に滅っています。ブラジルでは「ボルサエスコラ」(すべての子どもを学校に)という政府の取り組みが始まりました。貧しいゆえに子どもを働かせなければならなかった家庭に、子どもを学校に行かせることを条件に政府が補助金を支給するというものです。子どもたちが仕事をやめても貧困家庭が困らないような対策がとられているのです。メキシコでも同様の取り組みがおこなわれています。

日本も知らんふりは
できないはずです

 日本でも中南米からの外国人労働者の子どもが十五歳で仕事をさせられていたことがニュースで報じられました。発展途上国で子どもたちが一番多く従事しているのは農業です。日本は、食料を輸入に頼っている国です。自分がふだん身につけているもの、食べているものとどこかでつながっています。日本でも知らんふりはできないはずです。

 テレビの番組で児童労働が報じられると、「かわいそう」とか「貧しいからしかたない」という人がいますが、本当にそうでしょうか。グローバル経済のなかで、子どもたちが安い労働力として使われています。子どもたちだけではありません。おとなの労働者も安い賃金で長時間働かされています。おとなの労働条件の悪さは、その子どもの児童労働に直接つながっています。ILOは児童労働をなくす課題とともに「ディーセント・ワーク」(人間らしい働き方)を訴えています。私たち日本人も、過労死などを生む長時間過密労働をやめ、自分たちの働き方自体を変えていくことが大事だと思います。

たとえ貧しい家庭に
生まれたとしても

 たとえ貧しい国、家庭に生まれたとしても政府や社会が子どもたちに寄り添うことができれば、子どもたちの未来は大きく違ってきます。

 運動は少しずつひろがっています。チョコレートでも、大手のスーバーマーケットでフェアトレード(途上国から安く買いたたかず、生産者が生活していける価格で買うこと)のチョコレートが売られるようになりました。環境問題への関心の高まりとともに、少しずつ関心をもつ人がひろがっていることを感じます。

 子どもは地球の将来を担っています。だからこそ、世界中の子どもたちが笑顔で安心して暮らせる世の中を実現するために、あきらめずにできることから一緒にはじめていきませんか。
(「月刊 女性のひろば 08年3月号」日本共産党中央委員会発行 p96-100)

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◎「未成熟な人間を単なる剰余価値製造機械に転化することによって人為的につくり出された知的荒廃」と。