学習通信080220
◎あるいはうすぼんやりと感じとりはじめてはいた……

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《潮流》

なんとか二十四日のアカデミー賞授賞式に間に合ったようです。世界中の映画ファン注目の晴れの舞台が、脚本家のストで中止されるかもしれませんでした

▼十一月五日に始まったストは、三ヵ月あまりへてようやく終わりました。アカデミー賞の式の台本も脚本家が書いているのですから、彼らの協力なしに、はなやかな一大行事を演出できません。映画界とファンがやきもきしたのも無理ありません

▼アメリカの脚本家組合の組合員は、約一万二千人。彼らは、次のように要求していました。DVDの販売やインターネット配信で得た映画会社や放送局のもうけを、脚本家にも配分してほしい。新しい技術の登場にともなう権利をうちたてようとしたのです

▼連日のようにスタジオなどの前に集まって抗議し、市民に支持を訴える。支援する俳優たちが続々かけつけ、連帯の強さをみせつける。ついに会社側も、新しい契約を結ぶと認めざるをえませんでした

▼年間五百本つくられるというアメリカ映画も、四六時中流れるテレビのドラマやおしゃべり番組も、脚本家なしには始まりません。世界にあふれる物語をつむぎだす脚本家。スト参加者が話しているそうです。DVD一枚につき要求している取り分八kは、DVDの入れ物をつくる金額にも満たない。脚本家がいないと入れ物の中は空っぽなのに──

▼欠かせない存在なのに光があたらず、ふさわしい権利を保障されていない働き手は、もちろん彼らだけではない。ストはそう気づかせます。
(「赤旗」20080214)

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労働組合とストライキ闘争

1 ストライキは労働組合の基本的武器

 資本主義のもとでは、労働組合闘争の基本的武器は、ストライキである。
 労働運動の歴史をふりかえってみれば、そもそも労働組合組織というものは、不当な賃金・労働条件に反対して、いくらかましな生活水準を手に入れようとした労働者たちの、自然発生的なストライキから生まれたものであった。すでに第一章でのべたように、ぬすみを主とする個人的抵抗や暴動などという、犯罪的な抵抗闘争の初歩的段階をぬけだして、ストライキという新しい、より進んだ闘争の形態をとりはじめた労働者たちは、はじめはストライキのたびごとに一時的に結束していた。

そして要求をかちとるか、敗北するかのいずれにせよ、とにかくこの闘争が決着すると、ふたたびもとの分散状態にもどっていたのであるが、こうした経験をくりかえすうちに、労働者たちは、このストライキという武器をいつでも行使できるようにするために、自分たちが恒常的に団結する組織をつくるよぅになった──これが労働組合であった。

 このようにして初期の労働組合運動が発足した時期に比べてみると、資本主義はいまでは大きな発展をとげ、組合運動も巨大なものになり、労働者は組合闘争をつうじてさまざまの権利を獲得したし、国政にも一定の影響をおよぼすほどの社会的な力をもつようになった。また組合は、大衆宣伝・カンパニヤ、民主団体との統一行動や統一戦線への参加など、さまざまの闘争手段を発展させたし、政府の審議会に代表を送ったり、あるいは企業内で経営協議会などといったこともするようになった。

 しかし、今日の労働組合が、初期の労働組合とはかなり異なった状況のもとで運動を進めているようにみえても、今日もなおストライキが労働組合の基本的武器であることに、変わりはない。それは、資本主義社会の外見に大きな変化があったにしても、今日の社会が資本主義社会であることは少しも変わっていないからである。

 一部の労働組合の労資強調主義的指導者たちは、労資協議制や政府審議会への組合代表の参加などの意味を過大に評価して、すでに労資は対等の立場に立っているかのようにいい、ストライキという武器は時代おくれのものになったとか、労資間の対等の協議をつうじて労働者の要求を解決してゆくことができるなどと主張している。だが、それは菩薩の手のひらのうえでおどる西遊記の孫悟空の錯覚にも通ずる主張であろう。

 なぜなら、今日の社会の生産は、それが一見どのように複雑な形をとっていようとも、あいかわらず、生産手段を独占する資本家が、利潤を手に入れるために、生産手段を所有していない労働者の労働力を買い入れることによって行なわれている生産であり、生産手段を所有する者と、これを所有せず、資本に雇用されないかぎり生活手段を手に入れることができないもののあいだには、本来、平等はありえないからである。

また、たとえ労資間の協議が行なわれたとして、資本主義つづくかぎりこの不平等の関係は少しも変わるものではなく、労働力という商品は、労働者の側が全力をふりしぼってたたかわないかぎり、その価値どおりに買われることがないばかりか、労働者は不断に貧困に追い込まれずにはいないからである。

 こうした資本主義下の法則にたいする抵抗の基木的手段は、労働者は不当な価格では労働力を売らないという、労働者の一致した行動しかありえないのであり、ストライキという伝家の宝刀をいつ使うかは別として、少なくとも労働者が決意したときにはいつでもこれを使う用意がないかぎりは、労資は対等の立場に立ったなどという労資協調主主義の労資協議は、つねに、労働者側の利益をまもるのではなくて、資本の側の利潤をまもるための協議に終わってしまうことになる。

 だから、今日わが国の労働運動でも、ストライキが実際にその主要な武器として使われている。個々の企業内での諸要求獲得や合理化反対のための闘争においても、春闘という賃上げげ要求を軸とする一〇〇〇万近い労働者の統一闘争でも、またストライキの奪還をめざす公共企業体労働者と公務員のたたかいや、沖繩即時返還、安保条約破棄という全人民的要求をめざす政治闘争においても、ストライキがその他の闘争形態とともにつねに労働組合の強かな武器になっている。

とりわけ生産性向上運動への参加や労資協協議制、産業政策の発展という階級協調主義的方針をかかげて、ストライキを回避する方針を長年にわたってとりつづけてきた同盟傘下の海員組合が、賃金水準の低下と合理化による労働条件のはなはだしい悪化に耐えかね、七一年に新指導部を選び出し、翌七二年には、九二日間にわたる、総評、中立労連傘下の組合にも類をみない長期ストライキをたたかって、大帽賃上げその他の成果をあげたことは、なによりも、ストライキこそが労働組合の基本的武器であることを、実証したものといえよう。

2 ストライキは「労働者の兵学校」

 人間性の回復と団結の自覚

 だが労働組合におけるストライキの意義を経済闘争の武器としてしか理解しなかったとすれば、それは重大なあやまりであろう。

 ストライキは経済闘争の武器として重要であるばかりでなく、資本のもとに従属させられた、人間性を最後のひとかけらまで奪い去られた労働者に、その人間性をとりもどさせ、自分たちの団結の力を自覚させ、さらにこれを組織的に成長させ、成熟させるという、それよりもはるかに重要な意義を持っていることが指摘されなければならない。

 産業革命以前の、生産が手工的方法で行なわれていた時代には、労働者は、たとえ基本的には資本に従属させられていたとしても、なお、いくらかの副次的な自由が残されていた。こうした時代には、生産過程のなかで、資本は、手工的職人である労働者を、完全におさえ込むことができず、職人たちは職人たちの流儀で、わりあい「自由・気ままに」仕事をしていた。雇主たちは、職人たちにいい仕事をさせようと思えば、気むずかしい職人たちのいわゆる職人かたぎを尊重しないわけにはいかなかった。

 だが今日のように機械制大規模生産──機械に動力が結合されたいわゆるエ場制生産が行われるようになると、労働者は作業機械の附属物になり、そのことを通じて完全に資本に,従属させられてしまった。そして大量生産方式の導入が、こうした状況を極限にまでおし進めた。作業はもはや労働者にとって何の意味もない単純作業の反復であり、しかもスピード・アップが彼の神経をへとへとになるまですりへらすのである。

 こうして労働者はその独立性、その自由の最後のひとかけらすら失なってしまった。それはまさしく、近代化され、最新の技術が応用された機械のもとで、資本家の利潤を生みだすために、わずかばかりの賃金とひきかえに、時間ぎめで身体を買われた、賃金奴隷であった。そして奴隷的・非人間的状態におかれた者には精神的退廃がつきものなのである。

 だが、こうして、とことんまで資本に従属させられた労働者たちに、自分自身をとりもど させる、唯一のものがあった。それはストライキであった。しかも、一つの屋根の下に、多 数の仲問が集められ、同じ一つの動力に結びつけられた機械のもとで協同作業に従事させられることが、彼らのストライキを容易にもし、その効果をも高めた。

 昨日まで職場で雇主と職制の監視におびえながら、仲間と労働強化を競いあっていた労働 者が、いったんストライキにたちあがると、驚きあわてて右往左往する職制を昂然とみかえし、仲間との連帯感をいきいきと感ずることができる。たとえば一九五四年、人権ストといわれた近江絹糸ストライキ闘争に参加した一婦人労働者は、そのあとでこう書いている。「あいかわらず機械の調子は悪く、仕事はつらいが、となりで仕事をしている仲間が、争議のまえには信頼のできない競争相手だったのが、いまは同志だ。自然と労働歌が口ずさまれてくるような気持ちです」。

「労働者の兵学校」

 このような例は枚挙にいとまがない。だが、労働者はストライキのなかで、いきいきとした人間的感情をとりもどし、団結の意識をたかめるだけではない。それまでは知ることのなかった、あるいはうすぼんやりと感じとりはじめてはいたとしても、それほどまでに明確に意識することのなかった、社会のしくみのいっさいを、このストライキのなかではっきりと、つかみとるのである。

 それまでは、警察を犯罪人を取り締まるもので、善良な市民の一員である白分たちの味方 だとすら考えていたのが、労働者は、その警察が、ピケットに干渉し、ストライキの弾圧にててくるのにぶつかる。全力をあげての闘争のなかでこうした事実を経験した労働者は、国家や警察が中立ではなく、資本家階級のものだということに気がつく。

 また、ストライキ労働者は、自分たちの経験をふりかえってみることによって、もしもすべての労働者が、その気になり、団結してたたかうことができるならば、資本主義そのものさえ打ち倒すことができるのだということを自覚すると同時に、プルジョアジーの支配をくつがえすためには「労働組合やストライキ以上の何かが必要であること」、労働者階級の革命党や、それにみちびかれた自分たちの政府をつくるための政治的・革命的なたたかいもり、これとあわせてやらなければならないということを、自覚するのである(引川、エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』)。

 だから、エンゲルスは、以上のことを総括して、ストライキを「労働者の兵学校」と名づけ、つぎのようにのべた。

 「ストライキは、労働者の兵学校であり、ここで労働者は、もはや避けることのできない大闘争の準備をするのだ……・」(同前)

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◎「欠かせない存在なのに光があたらず、ふさわしい権利を保障されていない働き手は、もちろん彼らだけではない。ストはそう気づかせます」と。