学習通信080225
◎文学の怒り方が足りないのだ……

■━━━━━

朝の風
戦争の気配と文学

 高井有一がひそかな決京を吐露している。「戦場の生死」(『新潮』三月号)というエッセーの中でだが、四十年も前のエピソードを、最近時に思い出すのだという。

 エピソードというのは、第七次『早稲田文学』の復刊前後のことで、会合にふらりと現れた田村泰次郎が雑談中、不意に、「うん、俺は書くよ、戦争を書くよ」と強い声で言った、ということである。高井は、それを思い出すようになったのは「世界中に戦争の気配が濃くなり、それにつれて私も、かつての戦争をほんの少しでも知ってゐる者の一人として、何か書き遺しておきたい気持が募ってきたことと関係があるだらう」という。

 戦争を知らない世代にも戦争は書けるだろうが、体験した者にしか書けないことはまだまだ多い。高齢化によって「戦友会」が解散し、ようやく本当のことが書けると自分史に手を染める旧軍人も少なくないと聞く。

 『新潮』同号には池澤夏樹と中沢新一が「力の文明に抗う言葉」と題して、9・11以後の世界に文学の言葉をどう可能にさせるかを語り合っている。それぞれの近作「光の指で触れよ」「無人島のミミ」を話題にしてのもので、戦後世代の意気込みは示してくれている。

 文学は戦争と強権への抵抗軸として立てるか──命題が古くなっていないことを悲しむべきではない。まだ、文学の怒り方が足りないのだ。多喜二の二月である。(泰)
(「赤旗」20080225)

■━━━━━


彩・管・報・国

横山大観の戦争

●「大和魂」の画家

 「没後五十年 横山大観」展が東京の国立新美術館で開催されています(三月三日まで)。副題は「新たなる伝説へ」。これまでの大観展との違いは、作品を「現在の視点から見直す」ことを主眼とした点です。

ナチス歓迎で

 「大観芸術は古画の世界同様、作品のみによって新たに語られるべき時を迎えた」と、内山武夫氏(前京都国立近代美術館長)は同展カタログの巻頭に記します。「かつては大観の人間や作品の矛盾について様々に論じられもしたが、もはや没後半世紀という十分な年月を経」たのだから「作品のみによって」語るべし、と。

 大観が「様々に論じられ」てきたのは、理由があります。大観と皇室、そして戦争との密接な関係が大きな理由のひとつです。横山大観記念館編『大観の画論』には、明治、大正、昭和にかけて活躍した大観の思想を伝える折々の画論が収録されています。

 「東洋画と人格とは、極めて緊密なる関係を有し、随(したが)ってこの相関係を考慮する事なくしては東洋画を語る事は出来ない」(「絵画の使命と日本画」一九三五年)

 大観自身が作品と「人格」との関連を強調しています。では、大観の創作を支えていた思想とは何か。ひとことでいえば「大和魂」です。

 「我が日本は東洋平和の聖戦の為(ため)に陛下の臣民の多数が生死を超越して赤化の支那と戦っている。日本に於(お)ける忠臣の表範たる大楠公の七生報国の念を以(もっ)で戦っているのである。是(これ)こそは強く正しき我が大和魂の発露でなくて何であろう。此(こ)の魂こそは古来日本の天地に澎湃(ほうはい)として漲(みなぎ)っている正気である。美術に於いても亦(また)同じく此の正気の顕現せられたる作品のみが我国に於いては独り尊ばれるのである」(「日本美術の精神」一九三九年)

 これは一九三八年に来日したヒトラー・ユーゲントの一行を歓迎する講話に加筆し発表したものです。

 こうした思想のもとに描かれたのが、今回出品されている「海に因む十題」「山に因む十題」(一九四〇年)などの作品群。大観自身が制作意図を「余(よ)興亜の聖戦下に皇紀二千六百年の盛典に会し、彩管報国の念止み難きものあり」と説明。彩管(絵筆)をもって国に報いる決意を情熱的に示しています。

本当にいい作品?

 美術評論家の北野輝さんは、「『海に因む十題』にはそれなりにいいものもあるが『山に……』は芸術的に見て感動をおぼえるものがない」といいます。

 「それでも時代の流れのなかでこれが有り難いものとしてとらえられ、大観の評価も画料も上がった。現在も多くの人が大観はすごいと思って見ているが、『大観』作という前提を外して見れば、それほど大したことはないと分かるのではないか。量産された富土山は、実際によくない。これを本当にいい作品だと思っているのか、主催者の意識が問われる」

●美術史のトゲ

 横山大観は一九四一年一月一日付けで「日本美術新体制の提案」を発表。「一億国民一体となり、高度国防国家の建設」のため「在来の放漫なる自由思想」を戒め、「日本精神の顕揚」に努力すべきだと説いています。画壇への国家的統制が進行した四三年には、日本美術報国会の初代会長に就任。皇国画壇のトップの座につきました。

 今回の「横山大観」展に出品されている「正気放光」(一九四四年)などの富士山のシリーズに見られるように、大観の芸術は、良かれ悪しかれ時代に密着し、自己の思想を伝える手段として機能しました。大観の場合、その思想や時代性をあえて作品と切り難し「評価」することは、作品の重要な構成要素を意図的に無視することにつながります。

 今回の出品作の海と山の「十題」の連作は、これを軸とした当時の新作展の利益が陸軍省と海軍省へ献金され、軍用機四機になりました。「南B(なんめい)の夜」(一九四四年)は戦艦献納帝国芸術院会員美術展に出品されたものです。

 美術評論家の北野輝さんは戦時下の美術を「日本の近代美術史にくいこんだトゲのようなもの。これをしっかり見ていかないと、美術史はもちろん、現代の美術の見方にも影響する」と指摘します。

 画家の増山麓奈さんは、「日本人の洗脳されやすさの原点が、あの時代にあると思う。権力と画家たちの関係をきちんと議論していくことが、同じ過ちを犯さないために大事なこと。そうした議論が、これからの新しい表現を生み出すことにもつながるのではないか」と話します。

 「新たなる伝説へ」という展覧会の押し出し方には、都合の悪い歴史は無かったことにしてしまおうとする歴史「修正」の風潮と重なる危険性が感じられます。しかし大観の芸術と思想とは、没後五十年が過ぎたからといって無関係になり無害化されるものではありません。かつて大観自身が力説した、「東洋画と人格とは、極めて緊密なる関係を有」するという主張に耳をふさぐべきではないでしょう。

 増山さんは、「戦後も大観の戦争責任追及が甘かったのは、戦争に抵抗しなかったほとんどの日本人の、自己保身的なうしろめたさがあるのではないか」ともいいます。

 今回の展覧会では、これまで何度も語られてきたように大観が「国民的人気」を誇る「国民的画家」であると、決まり文句のように繰り返されています。しかし、むしろ現在は大観イコール大家という位置づけそのものを冷静に見直す時期にきていると思われます。

 「国民的人気」の内実そのものも問い直されるべきでしょう。経歴も言動もはっきりしている、それほど大昔でもない人物の仕事をむやみに「伝説」化し、あがめ立てることだけは避けたいものです。(金子徹)
(「赤旗」20080222-25)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「都合の悪い歴史は無かったことにしてしまおうとする歴史「修正」の風潮と重なる危険性」と