学習通信080310
◎結婚式の新郎新婦も……
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ご縁やねェ
南久美子
右左、どちらが偉いか
きょうは桃の節句ですね。挿絵などで三月を表現しなければならない時には、必ずといってよいほど雛人形を描くのですが、さて、お内裏さまはどちら? と毎回毎回迷います。
そして、その度に開く資料には向かって左が男雛とあるのですが、京風雛となると、これが逆で、向かって右に男雛を飾り床す。
昔、わが国は中国流の「左上位」が習慣であったのですが、明治天皇により、西欧のマナーが導入され、明治時代以降は「右上位」に打って変わりました。
西欧では右手は攻撃の手、左手は防御の手とされ、上位者の攻撃の手の邪魔をしないように下位者は必ず左側に立『うのだそうです。
そう言えば「あなたの右に出る人はいない」なんていうおだて言葉≠ェあったり、信頼する有能な部下を「私の右腕」と比喩したり、好景気を右肩上がりと表現する言葉などには「右」に重きを置く風習がよく表れていますね。
また、車の上座や正しく配置された応接間の上座の右側は、必ず空いていますし、結婚式の新郎新婦も……。ただ、このことに関しては、女性が上位者のケースもあり、おかしいという意見もあるかもしれませんが。
しかし、ビジネスのシーンなどでは、自分から見て年齢的、地位的な上位者の右側に位置することを避けるというマナーを知っておくだけでも社会人としてのポイントが上がると思いますよ。今年、新たな社会人となる諸君、ぜひお見知り置きを!(漫画家)
(「京都 夕刊」20080303)
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美術 逍遥
右か左か、それが問題だ
ハムレットじゃないが、右か左か、それが問題だ。
エスカレーターでどちら側に立つか、大阪だと右で東京なら左というのは周知のことだが、なぜそうなのかについては様々な議論がある。昔から大阪は商人の町、江戸は武士の町であり、武士は刀を抜く必要から道では必ず左側に位置するからだといわれたりする。
一七七六年、オランダ商館長に伴って長崎から江戸に行った医師ツェンベリ(スウェーデン人)は、その折の記録に、日本の道では左側通行と決められているので相対する集団がうまく通り過ぎられるが、ヨーロッバはそんな規則がないので事故が多い、と述べている。
これは東海道のことだが、たとえば伊勢神宮内宮に入る五十鈴川に架かる宇治橋は、いまでも右側通行である。こういったところ、微妙な問題がありそうだ。ただ知っておいてほしいのは、ツェンベリが旅の設備≠ェ当時のヨーロッパに較べて日本がはるかに凌駕している、と述べていることだ。だからこそ日本では女性も安心して旅行ができたのである。一例に、「浪花講」の看板を掛けたはたごがよく描かれているが、これは旅慣れた大阪の商人が組織して推薦したはたごに掛けられたもので、今でいう旅行会社指定旅館だった。当時は、こんなものは世界中にない。
残された絵で見ると、江戸の日本橋は左側通行、伊勢の宇治橋は右側通行。上方は江戸の威令に易々と従ったわけではない。いま京都国立博物館は三十日まで雛飾りの陳列でまっ盛り。愉しんで頂きたいが、関東と上方では男雛と女雛の位置が左右逆なのである。さて、京都では男雛は右か、左か。 同志社大学教授 狩野博幸
(「日経 夕刊」20080303)
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夫を語る妻
夫は妻について堂々と語ることがあろうか。酒席でもなく、おふざけでもなく、まっぴるま、多くの人にむかって私の妻はこういう風にすばらしい女ですとか、こうして私たち二人は愛を育ててきましたとか、妙なテレなく話すことが出来ようか。
ないとは言わないが、非常に少ないと思う。つい先頃死んだ私の母は「ノロケル」ということばが大嫌いだった。母が父のことを何か書いた随筆を読んだある男性が、私に向って「お母さんのオノロケ」と言ったことを聞いた母は、眉根(まゆね)にしわをよせてそんなものと違うと非常に不愉快そうにしていた。このノロケという語の持つニュアンスにはおそらく英語などには翻訳しにくいいやらしいデレッとした雰囲気があるが、それもおそらくは、夫が妻のことを正面切って語りにくい、「ウチノヤツハアホデスネン」というような妙な傾斜表現で一種の愛情を語るしかない、そんな日本の思考風上の中で育ったことばなのであろう。
ごく最近、私はある農協婦人部の学習活動で、そのテーマが「夫婦」という一種のパネル討論を聞いた。そうめんのつゆを作ってくれる夫、妻がごはんを盛りつけている間に自分はおつゆをついでくれる夫。そんな夫たちの話を、母ちゃん農業でがんばっている妻たちはニコニコと物語っていた。うっかり「主人」と言ってから、いや、ちがう、「夫」と言い直しているのにも一驚したが、どの婦人たちの表情もきわめて明るく、何よりも心身の健康に支えられて輝やくようであった。
もちろん、初めからそんな夫であったのではない。頭からオシッコかけられてもあたたかいと言え、と教えられて農村の嫁となった女たちが、いかにその境遇を物言う場に変えてきたかの苦闘の人生をひっさげて、はじめてそのように変った夫たちの話をすることが出来ているのだ。私は、夫たちもこういう形で妻を語り得る場を持ってほしいとしみじみ思った。女の方が進んでいる、とさえ思った。 (「全国商工新聞」一九八一年九月)
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p112-113)
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◎「夫が妻のことを正面切って語りにくい、「ウチノヤツハアホデスネン」というような妙な傾斜表現で一種の愛情を語るしかない、そんな日本の思考風上の中で育ったことば」と。