学習通信080409
◎気息エンエンで花を咲かして……
■━━━━━
《潮流》
歩く先々で、サクラの花びらがふりかかってきます。週末、サクラの木のあるところ、散る花を惜しむ人々がいきかいました
▼一つ、また一つ、音もなく落ちてくる。一陣の風にさらわれ、渦をまいて飛び去っていく。雪のように降りしきって刻々と地面を敷きつめる。空高く、陽光にきらめきながら虫の群れのように舞う。散るようすもさまざまです
▼花のさかずきでほろ酔い機嫌のおとなたち。かたわらで、降る花びらをつかまえようと、袋をかざしながら走り回る子どもたち。花の下の昼寝をきめこむ、おつかれさまの若い人。昼下がりの公園に集う人々の姿も、さまざまでした
▼散る花になにを感じ、なにを思うのか。やはり一様ではないでしょう。わびしさ。いさぎよさ。かつて戦時には、花と散る「散華」という言葉で、戦死を美化しました。しかし、サクラは散っても年が変わればまた咲きます。死んだ兵士は、もう帰ってきません
▼サクラに恋した花狂いの西行は、散り敷く花を踏むのが惜しくて道中を前にすすめないほどでした。サクラを詠んだたくさんの彼の歌で、不思議にひかれるのが次の一首です。「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき」
▼花を惜しむ心がわが身にずっととどまり、また巡りくる春の花を咲かせ、花に焦がれる心の種になるのだろうか──。生きて来年も花をみたいという願いが、込められているようです。花を惜しむ心は命を惜しむ心でもあるのだろうと、あらためて思いいたります。
(「赤旗」20080406)
■━━━━━
桜もみじ
家のまわりに桜並木がある。三種類の木である。と言って、ナントカザクラの三種ではなく、植えた年次の三種である。第一次は昭和の十年ごろだったろうか。次に戦後の第二次、そして一番のたよりなさそうな今から十年ばかり前の一番若いの。
木そのものの種類は、一番平々凡々のソメイヨシノ。正直言って、私はこの桜はきらいだが、それでも植えられて、それなりに風雪に耐え、花を咲かすのはいじらしい。何しろ並木だから、おまけに舗装が進んできたから、どうしても弱りがち、一番の老本などは気息エンエンで花を咲かしているのが、哀れでしょうがない。
そして花が咲くごとに、思い出のさまざまがよみがえる。
となりのオジサンが花の咲くころなくなって、白い経かたびらが枝にかけられていたな、学校に受かって、飛びはねるように並木道を家に帰ったな、母の入院が終わって、道に花びらがしきつめられる頃ニコニコと帰ってきたこともあったな……
そして秋。もみじというと誰しもいわゆるモミジを連想するけれど、まだそれより美しいのは桜の紅葉である。それこそ真紅で、ちっちっとある虫くいのところがわずか黒ずんだり、どこかに、まだ緑が残っていたり、何とも不思議なパレットを見るようで、その色のにじみ工合は何とも言えない。
母が最後の入院をした秋、十月初めから足早やに季節は日を重ね、はらはらと桜の葉が落ちるようになった。なかでもみごとな色合いのを一枚、私は拾いあげ、病院の母の枕元においた。きれい、と母はかぼそい声でつぶやき、じっとみつめていた。
この桜の若葉のころ道具を桜の幹に結びつけ、若いころの母はさわやかに毎日毎日しんし張りをしていた。白い手ぬぐいの姉さんかぶり。青葉に見えかくれする母の働き姿が、下校して家路を急ぐこどもの目にふれるとき、いつも心を踊らせたものだ。そして二度と母は桜を仰ぐことなく逝った。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p100-101)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「花を惜しむ心は命を惜しむ心」と。