学習通信080418
◎老人医療の無料化は、燎原の火のように全国に……
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【塩爺のよく聞いてください】
元財務相・塩川正十郎
■「後期」とは社会の「別枠」か
サクラ満開の今月6日、東洋大学の入学式が日本武道館で行われた。総長として約7500人の新入生を迎えた私は3分間の祝辞の中で、これからの日本を背負って立つ若者たちに訴えかけた。
「まず親と先生に感謝しなさい。そして受験勉強が終わったからといって遊んだらあかん。これから社会に出るんやから、もっともっと勉強せなあかん」と。
最初、新入生たちは「おっさん、何やら怒っとるなあ〜」と思って聞いていたかもしれないが、そうハッパをかけたら一様にしゃきっとした。毎年のこととはいえ、すがすがしい気分に浸れる。
しかし入学式の風景を見るにつけ、「甘ったれ」が年を追うごとに多くなってきていると思えてならない。東洋大だけに限ったことではなかろうが、両親や祖父母と一緒に式に臨む新入生が格段に増えている。晴れの舞台を親御さんと祝うことを決して揶揄(やゆ)するわけではない。近年、社会問題化している一人っ子や少子化現象を象徴しているのだろう。親は子がかわいくてしょうがないし、子もなかなか乳離れできない。
そう思い巡らしていた折も折。日本の政治からぬくもりが消えたと実感させられる出来事があった。東大阪市内の自宅に「後期高齢者医療制度」の通知が役所から郵送されてきた。私は昭和21年の復員後から60余年、86歳の今日まで無我夢中で働き、懸命に人生を歩んできたつもりだ。しかし、その紙切れは私の人生を否定するものでしかなかった。
世間や社会の「別枠」「邪魔者」になってしまったのか…。例えようのない寂しさ、悲しさに襲われた。新制度の対象とされた75歳以上の人々のだれもがそうであろう。先日も大阪から東京に向かう新幹線の中で見知らぬ高齢の男性から「わしらはもう死ねということですか」と涙目で訴えかけられた。私は「国が間違っとる」と返すのがやっとだった。
福田康夫首相は「長寿社会の実現」を唱えてはいるが、いまの政治家や官僚は本当に庶民の生活の実態をみているのだろうか。後期高齢者医療制度は老人の医療負担を増やすだけでない。高齢の親を扶養するという伝統的な家族の絆(きずな)を壊すばかりか、夫婦の間にも水臭さを持ち込みかねない。昔の政治をすべて了とする気はないが、いまの政治は四角四面そのものだ。
銀行や証券会社など金融機関の窓口に行けばよく分かる。「本人の証明書を出せや、あの書類を出せや」と面倒臭いことばかり言う。「消費者保護」の美名のもと不利益を被りかねない人を救済したり、悪いことをたくらむ輩(やから)の行為を阻止したりと、一部の人間のために大部分の人が窮屈な統制を強いられているのである。
国民の財産に少しでも被害が出たら行政の責任にされるがゆえに役人は責任逃れに憂き身をやつし、役人におんぶにだっこの政治家も彼らに踊らされている。マスコミも過剰報道に走っている。
いま政府が経済成長を押し上げ儲(もう)けることを考えれば、高齢者の医療費負担を軽くすることができる。国家として福祉財源を稼ぐ努力をしてほしい。今回の後期高齢者医療制度は財政上の都合ばかり優先され、人間味が欠けている。国がちゃんと仕事すれば、若者も老人ももっともっと元気になる。(しおかわ・まさじゅうろう)
(「産経」20080417)
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学問 文化
「私の訴状」
多田 富雄
後期高齢者医療制度が長寿医療制度に呼びかえられると聞いて、私は怒りに身が震えました。この制度が高齢者の医療を著しく制限し、新たな個人負担を強いる「姨捨(おばすて)山」政策であることは明らかです。それを聞こえのいい「長寿」という言葉でくるんで、有無を言わせず飲み込ませようという魂胆が見えたからです。年寄りと障害者の命を年齢によって差別するという本心が、この制度には現れていたのですから。
低い医療費
強引に削る
制度の背景には、小泉内閣の下での強引な医療費削減がありました。経済財政諮問会議の言うままに、社会保障費を毎年二千二百億円ずつ削っていったのです。先進医療が発達し、高齢化が進むと、当然自然増があるはずなのに、逆に強引に削っていったのです。
先進諸国ではもともと低水準にあった医療費が、足りなくなるのは当然の成り行きです。二〇〇六年には医療改革法が成立し、二〇一一年までに、医療福祉分野で一兆七千億円も圧縮することが決まりました。そのしわ寄せが、まず高齢の患者、障害者にかぶさっていったのです。その現れのひとつが、〇六年から実施された、リハビリの日数制限です。治ろうと努力している患者に、無駄だから止めろという残酷な制度です。
僻地(へきち)や救急の医者不足や、少子化というのに産科や小児科は閉鎖という診療体制では、いくら子どもを産めといっても、安心して産むことはできません。こうした医者不足も、医療費を適正に支出しなかった政策の責任です。医師も病院も実際は困っていたのです。これも医療費の無理な抑制の結果起こったのです。
障害者には
「65歳から」
こうした政策は、アメリカ直輸入の経済優先の競争至上主義、市場原理主義を鵜呑(うの)みにした経済財政諮問会議の答申の結果決まったものです。アメリカでは、自己責任の思想が強く、公的な医療保険は著しく限られたものです。お金のある人は民間の医療保険に入っていますが、お金のない人は救急車で運ばれても医療を受けることはできません。よしんば治療を受けられても、目の玉の飛び出るほど高い医療費を突きつけられ、払えないために自己破産に追い込まれるケースが続出しています。競争の原理が医療にまで侵入し、人間の命までお金で計る事態が起こったのです。
小泉内閣の押し進めた規制緩和は、まさにアメリカ式の競争原理を、日本社会にも導入したのです。中でも保険業の大幅な規制緩和が行われ、「何歳でも入れます」という謳(うた)い文句の外資系の医療保険が急激に伸びました。
公的医療保険はこれ以上カバーしませんから、民間の保険を利用しなさいという、アメリカ式の自己責任を押し付けようとするのです。これでは世界がうらやむ国民皆保険はおしまいです。このあたりで国は病根に気づき、政策を転換しないと、この国は危ない。
格差社会の歪(ゆが)みがこれに重なり、医療問題は収拾不可能な社会問題化したのが現状です。高齢者の医療費が足りなくなるのは、こんな政策では当然の帰結ではありませんか。それを高齢者の自己責任で解決しろと、負担を強制するのは誤りです。
もうひとつ見逃せないことがあります。障害者は健常者より十年も早く、六十五歳から、後期高齢者医療制度になかば強制的に組み入れられます。
これが憲法で禁じられた障害者の差別にならないのでしょうか。福田首相は「良い制度なので、よく高齢者の方に説明したい」と語っていますが、どこが良いのかわかりません。
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ただ・とみお
免疫学者。一九三四年生まれ。東京大学名誉教授。七一年、免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞を発見し、内外の受賞多数。元国際免疫学会連合会会長。朝鮮人強制連行や原子爆弾の悲劇などを扱った新作能の作者としても知られます。二〇〇一年、脳こうそくで倒れ、言葉を失い右半身不随に。〇六年にリハビリ診療報酬改定の撤回を求めて運動に立ち上がっています。『免疫の意味論』『寡黙なる巨人』『わたしのリハビリ闘争』ほか。
(「赤旗」20080417)
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いのちキラキラ
社会保障 リレー講座
第6話
中央社会保障推進
協議会事務局次長
相野谷安孝
世界の常識に逆行して……
日本の医療制度は?
アメリカの医療制度の貧困を告発したマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」を見た人が一同に驚きの声を上げたのは、映画が紹介したイギリス、フランス、カナダ、キューバなどの国々では、医療費(窓口負担)が原則無料という事実(世界の常識)でした。
原則無料だった……
日本でも健康保険本人は1984年まで、初診時や人院時に定額の一部負担はあったものの、原則無料(10割給付)でした。
73年から83年の間は70歳以上の高齢者の窓口負担もありませんで
した(老人医療費無料)。岩手県の沢内村ではじまった老人医療の無料化は1969年、東京都が実施。つづいて京都府など他の革新自治体でもつぎつぎと実施され、燎原(りょうげん)の火のように全国に広がりました。
老人医療費無料化は、金国に日本共産党を与党の一員とする革新自治体が広がる中で、自治体の制度として実現させたものです。こうした自治体の流れに抗しきれず、ついに73年に国の制度として実施されます。この73年は「福祉元年」といわれました。
また自営業者や農漁民が加入する国民健康保険は61年にスタートします。すべての国民が公的保険によって医療を受けられるという「国民皆保険制度」の実施でした。しかしスターート当初は5割給付でした。これも、労働者・国民の運動によって実施2年後には世帯主7割給付に引き上げられます。
医療を提供する体制でも、70年代には一県一医大という医師養成の増大もすすめられました。
国民皆保険制度が
憲法25条に立脚した国民と医療従事者の共同の運動が制度を改善・充実させてきたのです。この結果、日本の医療制度は、平均寿命や健康達成度の高さによって、WHO健康達成度調査『(2000年)では「総合世界一」という高い評価を受けるにいたります。
対GDP比で低い総医療費支出にもかかわらず、世界に誇れる医療の水準を築いてきたのは、保険証一枚あれば「いつでも、どこでも、だれでも」医療を受けることができるという国民皆保険制度を半世紀近く続けてきたことと、医療関係者の献身的な努力によるものでした。
ところがいま、病院に行けは健康保険本人であっても3割負担です。世界の常識に反して、病院や診療所での負担が「常識」にされています。財布の中に一方円札一枚あっても「(支払いが)心配」「病院に行くにも一つの決断が必要」という状況です。保険証を取り上げられたりして手遅れでなくなる人も増えています。
医師不足で地域の病院がなくなった、看護師が過労死する、産科や小児科が町に一ヵ所もないなど、医療を提供する体制も「崩壊」といわれる危機に直面しています。4月一日から「後期高齢者医療制度」がはじまり、年齢による差別も加わりました。
広がる大きな怒り
こうした事態がなぜ引き起こされたのでしょうか。「福祉元年」と名付けられた73年前後に、オイルショック、スタグフレーション(不況と物価高の同時進行)に直面した財界は、70年代半ばから社会保障支出の引き締めを露骨に要求するようになります。労働運動の右傾化と、80年の社公合意による共産党を除くすオール与党体制のなかで、81年に第二臨時行政調査会が設置され、社会保障に対する全面攻撃が常態化しました。
医師養成抑制の閣議決定(82年)、老人医療費有料化(83年)、健保本人一割負担(84年)などが実施されます。社会保障に対する攻撃は、健保本人負担を2割に引き上げた90年代後半の橋本「改革」、2000年代の小泉構造改革」で加速し、世界の流れに逆行する日本の医療をつくり出しました。国民のいのちや暮らしよりも、大企業のための経済を優先させる国の政策的な過ちの結果です。そのうえ政府は過ちを反省もせず、いわば医療費抑制策の仕上げとして、4月から後期高齢者医療制度をスタートさせました。
いま、後期高齢者医療制度の実施に大きな怒りの声が広がっています。明らかに福田政権のアキレスけんになりつつあります。構造「改革」がかかげた毎年2200億円の社会保障費自然増分の削減にも、「もう限界」という声が共通してあがっています。いまこそこの誤った政策を転換させるときではないでしょうか。
老人医療費無料化を実現させたときのように、国民の大きなたたかいが求められています。
(「赤旗」20080418)
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◎「この制度が高齢者の医療を著しく制限し、新たな個人負担を強いる「姨捨(おばすて)山」政策であることは明らか」と。