学習通信080424
◎ネオ・ナチの精神に匹敵する……
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レーダー
NHK裁判
最高裁口頭弁論を前に
自民党国会議員の試写に端を発した、映画「靖国」一時上映中止事件。それとよく似た構図のNHK番組改変事件訴訟の口頭弁論が、きょう最高裁で開かれます。
番組は、日本軍の「慰安婦」問題をとりあげた「問われる戦時性暴力」(2001年放送)。この番組が、放送直前に元「慰安婦」の証言など核心部分が改ざんされたことで、取材に応じたバウネットが、「期待権」の侵害、「説明義務」違反を理由に、NHKと制作会社2社を提訴していました。
昨年の高裁判決は、政治家の圧力といった番組改変にいたる過程をくわしく認定し、NHK敗訴の判決を出しました。
「国会議員等の意図を忖度(そんたく)して当たり障りのないように番組を改編した」と政治におもねるNHKの姿勢を正面から批判。これに対しNHKは、政治圧力を否定、「放送の自由」についての理解が誤っているなどとして、最高裁に上告受理申し立てをしました。
最高裁では、高裁判決が認めた「期待権」の侵害と、「説明義務」違反について、判断されます。ここで注意する必要があるのは、高裁判決が「取材対象者の期待と信頼の法的保護」を無制限に認めたわけではない、ということです。問題は、いつから期待と信頼は侵害されたのか。それは誰によって何を目的になされたのか、です。
判決は、改変の過程として次のような事実を認めました。放送前から右翼らの抗議でNHKが敏感になっていたこと。NHK予算の国会承認を得る時期で幹部は神経をとがらせていたこと。説明のために上層部が国会議員と接触をはかり、「番組作りは公正・中立に」といわれたこと。その意図を忖度して修正を繰り返したこと。
その上で、制作現場での編集過程と、制作に関係のない国会担当局長らが関与してからの編集過程を明確に区別し、上層部の修正は、「本件番組の趣旨とはそぐわない意図からなされた編集行為で、原告らの期待と信頼に対する侵害行為」と断じたのでした。
その点で、判決が「NHKは憲法で尊重され保障された編集の権限を濫用し、又は逸脱」「自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄」と述べたのは注目に値します。
編集権を自ら放棄したNHKが「放送の自由」を主張することが、いかにお門違いか。NHKが本当に「放送の自由」を大事に思うなら、それは取材に協力したバウネットに対してではなく、「公正・中立」という言葉で「意図を忖度」させた当時の官房副長官・安倍晋三氏らに対して主張すべきなのです。(板)
(「赤旗」20080424)
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公的助成の歴史の示すもの
映画「靖国」をめぐって、稲田朋美衆院議員ら一部議員が干渉を続けている。稲田氏らは、映画への公的助成を口実にするが、実際には芸術の内容に介入するものだ。
四月の上映中止後、稲田議員はホームページで言い訳をしているが、その証左のような文章である。稲田氏は、映画自体を問題にしたわけでないとしながら、「映画『靖国』は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っており、そもそもが政治的宣伝である」という。テーマや内容を問題にしているのである。
戦前日本の検閲はもちろん、助成の歴史からも、芸術・文化への公的助成は金は出すが口は出さない≠ェ原則であり、教訓である。
戦前、米国のニューディール政策のなかでは、政府の資金によって演劇制作がおこなわれた。片山泰輔氏の研究によると、一九三五年に始まったこのプロジェクトは、「検閲のない、自由な劇場」がめざされたが、議会で一部議員から、演目や内容が「非米的」「共産党の役者」と攻撃され、四年で幕を閉じた。この政治の干渉は、芸術界に深い傷を残し、一九五三年の調査でオーケストラ団体の99%が連邦政府による支援に反対の意思を示したという。文化活動の自由をふまえない公的助成の結未である。
「靖国」派の主張は、歴史認識のうえでも、文化行政のうえでも、歴史を逆行させようという主張でしかない。(支)
(「赤旗」20080424)
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靖国神社の問題とは何か
まず、靖国神社の問題とは何でしょうか。
小泉首相による靖国神社公式参拝という問題は、言葉では反省するが行動ではそれを裏切る≠サの典型だと言われてきました。実際はどうでしょうか。
靖国神社は、戦争中は、国民を戦場に動員する役割をになった神社でした。「戦争で死んだら靖国神社で神様に祀られる」、それが最大の光栄だというわけです。だから戦場に出かけていくもの同士のあいだで、「九段で会おう」が合言葉になりました。靖国神社は東京の九段にあったからです。この成り立ちを考えただけでも、その神社への参拝を、戦争への反省の場とすること自体が、まことに道理に合わない話なのです。
しかも、それにくわえて、二つの重大問題があります。
A級戦犯合祀−「戦争犯罪」そのものを否定する立場で
一つは、戦争を起こした罪を問われたA級戦犯が、戦争の犠牲者として合祀されたことです。
これは、一九七八年一〇月に、国会も国民も知らないうちに強行されたことでしたが、このことが問題の性格を大きく変えました。
靖国神社がこの人たちをどういう立場で祀っているのか、ご存じでしょうか。これは(手でリーフを示しながら)、「やすくに大百科 私たちの靖国神社」といって、あの神社に行ったら誰でも無料でもらえる解説のリーフレットです。このなかに、靖国神社に祀ってあるA級戦犯について、こう書いてあります。「戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人≠ニいう、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた」方々、「これらの方々を『昭和殉難者』とお呼びして……すべて神さまとしてお祀り」している、という説明です。
要するに、日本には戦争犯罪などなかった、敵である連合軍が一方的な裁判で押しつけた濡れ衣だ、その立場でA級戦犯を神さまとして合祀したというのが、靖国神社の公式の立場なのです。
そういう意味で、神として祀られている訳ですから、ここへ公式参拝することの是非というのは、合祀された個々の人々への追悼の是非の問題ではありません。首相が参拝することは、日本政府が、戦争犯罪そのものを否定する立場に立つ。こういう意味をもたざるをえないのです。
神社そのものが「正しい戦争」論の宣伝センターになっている
さらに重大な問題は、この神社自体が、「正しい戦争」論の最大の宣伝センターになっているということです。
靖国神社は、自分たちには二つの使命があると言っています。
一つは「英霊」の「顕彰」です。戦没者の追悼ではありません。「英霊」の「顕彰」なのです。「顕彰」というのは、神社の言葉を借りれば、「武勲」、戦争のいさおし、戦争行為≠サのものをほめたたえることです。
二つは、「英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにすること」。もっとはっきり言えば、大東亜戦争批判によって、この「真実」がおおい隠され、「祖国に汚名が着せられたまま」になっている(靖国神社のホームページ)、その「汚名」をそそいで、日本がやった戦争の本当の意味を明らかにすることが、この神社の使命だとしているのです。
では、明らかにしようという日本の戦争の本当の意味とは何でしょうか。この神社によりますと、日本の戦争は、明治の日清日露から大東亜戦争まで、すべての戦争が、「近代国家成立のため、わが国の自存自衛のため、さらには世界史的に観れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避けえなかった戦い」だとされます。これはむき出しの、「日本の戦争は正しかった」という主張ではありませんか。このことの宣伝が、この神社の使命だとされています。
日本の戦争の歴史がこう描きだされている
靖国神社には、「遊就館」という展示館があります。「遊就」とは中国の古い文書からとった言葉だとのこと。三年前に大改築をやって、現在二十の大きな展示場をもち、そこに日清・日露から「大東亜戦争」にいたる日本の戦争の歴史を描き出しています。ここにもってきた『遊就館図録──靖国神社』という本は、展示の中身を詳しく紹介した本ですが、そこから、日本の戦争の「真実の歴史」というものが、どう描かれているかを、見てゆきましょう。
まず「満州事変」。「新国家中華民国」──これは清朝を倒して、孫文などがつくった国なのですが、これを建国した「熱気」が、これまであった各国との条約を無視した「過激な国権回復運動」となり、それが「満州に波及」して、「反日行動」を起こした。これを、日本軍が「武力で制圧した」のが「満州事変」だという説明になっています。事変のそもそもの根は、中国側の過激な反日行動にあるという責任転嫁論です。
次の日中全面戦争はどうか。この神社は、戦争中に日本側がつけた「支那事変」という呼び名を、いまでも平気で使っています。「蘆溝橋の小さな事件」が大きな事変となった背景には、「中国正規軍による日本軍への不法攻撃」があり、あわせて「日中和平を拒否する中国側の意志があった」。この調子で、戦争もその拡大も、すべて中国側の責任だとする説明です。さらに、蒋介石は「戦場を上海・南京へと拡大し、広大な国土全域を戦場として、日本軍を疲弊させる道を選んだ」とつづきます。
では、太平洋戦争はどうか。靖国神社は、ここでも、「大東亜戦争」という日本の戦争指導者たちがつけた呼び名に、あくまで固執します。そして、開戦の事情説明はこうです。日本は「日米開戦を避けるべく……日米交渉に最大の努力を尽」くしたが、アメリカの側はそうではなかった。アメリカは戦争の用意をすすめたが、米国民の反戦意思は強く、「ルーズベルトに残された道」は、日本を「禁輸」(石油などの輸出禁止)で追い詰めて、「開戦を強要する以外になかった」。結局、日米戦争もルーズベルトの責任だ、真珠湾攻撃も、アメリカが日本を追い詰めて強要したものだ、という議論です。
最後に戦争の結果ですが、ここでは、日本の戦争の長年の努力が実り、念願だった「大東亜」の解放が実現したという、驚くべき歴史が叙述されています。
「日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が日本を訪れた。しかし、激動の第一次世界大戦が終わっても、民族独立の道は開けなかった。
アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍の輝かしい勝利の後であった。日本軍の占頷下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て、民族国家が次々と誕生した」。
いまのアジアの独立諸国家は、日本の戦争のおかげで生まれたんだ、こういう歴史が靖国神社の展示館に堂々と書かれているのです。
靖国神社後援のドキュメント映画
もうひとつ、ご紹介しましょう。ここに、靖国神社の後援でつくられ、ビデオとして販売されているドキュメント映画『私たちは忘れない』があります。「忘れない」ということは、日本の戦争の「真実」の歴史、英霊たちの「武勲」を忘れてはならないという意味で、その内容には、「遊就館」での展示以上に強烈なものがあります。
冒頭に登場する戦争解説者の言葉を引けば、日本のやった戦争の全経過を、「欧米諸国の植民地勢力にたいするアジアを代表しての」戦争という立場から、描きだした映画です。内容を詳しく解説するゆとりはありませんから、ケースの一面に「主な内容」として掲げているうたい文句の一部を聞いてください。
まず〔満州事変〕の部分。「アジア安定に寄与する日本と中国大陸で繰り広げられる排日運動と満州事変の真実を探る」。
〔支那事変〕──日中戦争の部分です。「中国側が日本軍に発砲した盧溝橋での一撃、あいつぐ攻撃を受けついに日中の全面戦争へ」。「支那事変の拡大を避けようとする日本、裏で中国を支援する米英仏ソ、ついに米国が日本の前面に」。
〔大東亜戦争〕──太平洋戦争のところ。「日本参戦を仕掛けた米国の陰謀、そして日本は隠忍自重しながらついに苦渋の開戦決断へ」。
最後に戦争責任の問題。「日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き、刑場の露と消えた『戦犯』の無念をふりかえる」。
日本の戦争に対するこの神社の立場が何か、これ以上の説明は必要ないのではないでしょうか。
特定の政治目的をもった運動体
これが、靖国神社の実態です。この神社は、特定の政治目的をもった運動体なのです。その政治目的とは、「日本の戦争は正しかった」という立場を、日本の国民に吹き込むことであって、そのよってたつ精神は、ヨーロッパで言えば、ネオ・ナチの精神に匹敵すると思います。
小泉首相は、「私が参拝するのは、追悼の意思表示だ」と弁明しますが、日本の首相が政治運動体であるこの神社に参拝すること自体、戦役者への追悼という気持ちを「日本の戦争は正しかった」という立場に結びつけることにならざるを得ないのではないでしょうか。
(不破哲三著「日本の前途を考える」新日本出版社 p92-100)
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◎「日本には戦争犯罪などなかった、敵である連合軍が一方的な裁判で押しつけた濡れ衣だ」と。