学習通信080519
◎今度ロシアの領地へこっそり潜入して漁をするそうだど……

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『蟹工船』(小林多喜二)と対ソ連諜報

 高崎 隆治

 『現地調査書』(昭和十九年度)と印刷された報告書がある。発行は日魯漁業となっているが、内容は操業報告とは無関係のカムチャッカとその近海の現状報告で、海岸や陸地の状況のほか、兵力配置・防備施設・軍の内情・ソビエト軍艦艇の行動などが、詳細をきわめた統計表や地形図とともに記されている。

スパイ活動の
詳細な報告が

 一見してだれにもわかる明らかなスパイ活動の報告である。したがって日本側の状況に関しては漁業はむろんのこと、民事についての記録もない。あるのはただソビエト側との関係において、たとえば「帝国哨戒艦(駆潜艇)ソ領海内二入り沈没セル邦船神明丸付近二至り再ビ公海二出タルヲ隊長発見シ之二追跡セントセルガ当方ノ妨害二遇ヒ追跡ヲ断念」

 という記述や、ソビエト側の

 「日本護送船(七〇噸級)ソ連領海一・八浬二侵入約一〇分間領海内ニアリ、該船ハ機銃二門ヲ装ス。本日海上静穏視界三〇浬」
 といった記録である。

 この資料を私が人手したのは最近だが、内容を検討する過程で意識にのぼったのは『蟹工船』小林多喜ニ)の記述だった。

 「この辺の海、北樺太、千島の付近まで詳細に測量したり気候を調べたりする」のが日本の「大目的」なのだという部分である。

日中戦争下の
伏せ字の文庫

 日中生面戦争下の中学生時代に私が読んだ『蟹工船・不在地主』(新潮文庫)は伏せ字だらけで、とりわけ巻未に近い漁夫たちのストライキの場面などは、何度も読み返すことで、ようやく、弾圧したのは日本の警備艦であると判読したのである。

 文庫はそれから二年後、「俳句事件」に関連して家宅捜索を受けた時、特高警察に没収されたが、その時特高は「これだ!」と、動かぬ証拠でも発見したかのような声をあげた。「新刊書店で売っていた本をなぜ没収するのか」という私の抗議に、彼は「ガキが生意気なことを言うな」と怒鳴った。

 数年前、『民主文学』に、『蟹工船』を戦時下に読んだ時の他の人の感想を聞かせてほしいという意味の一文を書いたが、あの日中全面戦争下にも『蟹工船』は版を重ねていたのである。しかし、読み返すたびに、だれかに監視されているのではないかという不安に襲われたのは事実であった。だが、社会主義とか帝国主義という言葉の概念すらわからない中学生の思想や人生観に衝撃を与えたのも確かだった。

 そのことに関して、ここで詳述する余裕はないが、戦争未期、学徒兵であった私が、学徒の特権をすべて放棄したのとそれは無関係ではなかった。

 一般の常識からすれば、日中戦争下に『蟹工船』がなお重版を出していたというのは考えられないであろう。だが、戦後、何年も苦労してようやく探しあてた手元のそれは、奥付に「昭和十二年九月廿五日三十版」とある。

 伏せ字を多くすれば、判読は困難とたかをくくっていたのか、戦争開始によって発禁処分というのは国民の反発や不信を招くと判断したのか、当局の意図はいまもよくわからないが、もし発禁にするなら、「虚構の事実をあたかも事実であるかのように書いた」などとわけのわからぬ理由をつける以外になかったろう。なぜなら、「虚構の事実」を事実であるかのように書くのが小説本来の目的であるからだ。

 だが、『蟹工船』の「虚構の事実」は、虚構を突き抜けた現実そのものであったことが証明されたのである。
(「赤旗」20080519)

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 夕飯が終ってから、「糞壺」へ給仕がおりてきた。皆はストーヴの周囲で話していた。薄暗い電燈の下に立って行って、シャツから虱を取っているのもいた。電燈を横切る度(たび)に、大きな影がペンキを塗った、煤(すす)けたサイドに斜めにうつった。

「士官や船長や監督の話だけれどもな、今度ロシアの領地へこっそり潜入して漁をするそうだど。それで駆逐艦がしっきりなしに、側にいて番をしてくれるそうだ──大部、コレやってるらしいな。(拇指と人差指で円るくしてみせた)

「皆の話を聞いていると、金がそのままゴロゴロ転(ころ)がっているようなカムサツカや北樺太など、この辺一帯を、行く行くはどうしても日本のものにするそうだ。日本のアレは支那や満洲ばかりでなしに、こっちの方面も大切だって云うんだ。それにはここの会社が三菱などと一緒になって、政府をウマクつッついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをドンドンやるようだど。

「それでさ、駆逐艦が蟹工船の警備に出動すると云ったところで、どうしてどうして、そればかりの目的でなくて、この辺の海、北樺太、千島の附近まで詳細に測量したり気候を調べたりするのが、かえって大目的で、万一のアレに手ぬかりなくする訳だな。これア秘密だろうと思うんだが、千島の一番端の島に、コッソリ大砲を運んだり、重油を運んだりしているそうだ。

「俺初めて聞いて吃驚(びっくり)したんだけれどもな、今までの日本のどの戦争でも、本当は──底の底を割ってみれば、みんな二人か三人の金持の(そのかわり大金持の)指図で、動機(きっかけ)だけは色々にこじつけて起したもんだとよ。何んしろ見込のある場所を手に入れたくて、手に入れたくてパタパタしてるんだそうだからな、そいつ等は。――危いそうだ」
(小林多喜二「蟹工船」新潮社 p97-98)

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小林多喜二「蟹工船」突然のブーム
ワーキングプアの“連帯感”

 小林多喜二の『蟹工船』(新潮文庫)が売れている。世界恐慌の起こった昭和4年に刊行されたプロレタリア文学を代表する作品だ。29年に文庫化され、これまでも年に約5000部が売れ続けるロングセラーだったが、今年に入って突然売れ始め、急遽(きゅうきょ)4月に7000部を増刷、それでも追いつかず、5万部を増刷した。ブームの背景には「ワーキングプア」と呼ばれる人々からの共感があるようだ。(桑原聡)

 ブームのきっかけとなったのは、毎日新聞に掲載された作家の高橋源一郎さんと雨宮処凛(かりん)さんの格差社会をめぐる対談(1月9日付朝刊)だった。雨宮さんが「『蟹工船』を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました」と発言。これに高橋さんが「偶然ですが、僕が教えている大学のゼミでも最近読みました。そして意外なことに、学生の感想は『よく分かる』だった」と応じる、という内容。

 この対談後、東京・上野の大型書店が、平積みにしてポップやパネルを使って販促を仕掛けると、多いときで週に80冊も売れるヒットとなり、他の大型書店が次々と追随、ブームに火が付いた。

 下地もあった。「ワーキングプア」と『蟹工船』の労働者の類似性にいち早く着目した白樺文庫多喜二ライブラリーは一昨年11月、大学生や若年労働者をターゲットに『マンガ蟹工船』(東銀座出版社)を出版。増刷を重ね、発行部数は1万6000部に達した。

 同ライブラリーは、多喜二没後75周年の今年、多喜二の母校・小樽商科大学との共催で『蟹工船』読書エッセーコンテストを実施。25歳以下を対象とした部門では国内外から117編、ネットカフェからの応募部門で9編の応募があった。「『蟹工船』を読め。それは現代だ」(20歳男性)、「私たちの兄弟が、ここにいる」(34歳女性)といったように、『蟹工船』に現代の労働状況を重ねるエッセーが大半を占めた。
(「産経」20080514)

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◎「『蟹工船』の「虚構の事実」は、虚構を突き抜けた現実そのものであったことが証明された」と。