学習通信080520
◎闘う勇気が……

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プロレタリアは生きる事
 石井 斉

 「僕も殺されるかも」
 と小林多喜二の『蟹工船』を読んで考えた。
 僕は一〇代の頃に心の病い、統合失調症を患った。統合失調症の症状の中で、自分が何者かに殺される、という妄想に苛まれる事がある。「殺す」という幻聴が聞こえると言う人もいる。

 しかし、殺されると考えたのは、決して妄想ではなかった。
 僕は清掃会社で働いていた。毎朝嘔吐しながら出勤した。内科で検査したが異常はなかった。仕事はたまり、モップは重かった。『蟹工船』の「監督」はなんて憎らしいのだろう。自分の上司と重ね合わせた。

 「何で平日の同じ曜日にお前は休むの、何かあんの」
 と上司は僕に尋ねた。通院日なのだ。僕は病気のことを知られるのを怖れた。曖昧な返事を言ってごまかした。唇の端が引きつった。

 小林多喜二は『蟹工船』で「資本主義は人間を人間扱いしない」と書いた。物扱いだ。資本主義は人間を消耗品に変える。

 今、僕は病気のことを隠さず、パートで働いている。障害基礎年金を受給しながらだ。

 現在多くの青年が僕の様な不安定雇用労働者だ。僕が学生の頃はバブルで大方の学生は正社員として雇われた。フリーで働いているとかっこいいイメ一ジすらあった。バブルの後には必ず不況が来る。資本主義の宿命だ。そして不安定雇用労働者が増加する。その大部分が労働組合に組織されていない。『蟹工船』の頃と変わらない。

 僕は労働組合に加入した事は一度もない。組合運動の何たるかも知らない。「今は組合の時代じゃない」。悪友が言い放った。しかし、そうだろうか。僕は職場で「死」を感じたのだ。仕事が辛く自殺を考えたのだ。もし、民主的な労働組合に加入していたら少しは違っていただろう。

 逆なのだ。『蟹工船』の戦前と同じ様な今の時代だからこそ労働組合が必要なのだ。

 「殺されたくないものは来れ!」
 「学生上り」の宣伝文句だ。


 「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞、こッ殺されてたまるもんか!」
 と漁夫が言う。僕はモップをかけながら、『蟹工船』のこの部分を想い出した。

 カローシという言葉が海を超えて久しい。カローシの中には自殺も含まれる。日本は自殺大国だ。政府は自殺対策を小手先だけで講じる。やらないよりましだが。

 しかし、過労自殺は減るだろうか。答えは否だ。長時間労働、派遣、請負、サービス残業。これが過労自殺の温床だ。この労働条件を改善しなければ、僕らは「殺される」のだ。

 自殺のほとんどは心の病いが関係する。もちろん労働条件を改善したからと言って心の病いが無くなるわけではない。まだ医学でも解明し尽くされていないのだから。だが過労自殺が減る事は確かだ。「死にたくなる」という心の病いの症状を緩和させる抗うつ剤はたくさんある。僕は今でも「死」を感じる時がある。その時はかかりつけの精神科で、薬を処方してもらう。薬を飲めばすっと楽になる。心の病いは治療を続ければ働く事も可能だ。

 モップを投げ捨て小樽に行った。小林多喜二文学碑を仰ぎ見た。思ったより大きい。レンガ色をしていた。

 上司の怒号が甦る。
 「仕事を辞めよう。殺されるよりましだ」

 と僕はつぶやいた。決して間題の解決ではない。当時も仲間はいたし、一人でも加入できる全国一般という労働組合も知ってはいた。しかし、闘う勇気がなかった。『蟹工船』の時代に労働条件の改善のために闘おうと呼びかけた、小林多喜二は称賛できる。また、闘う労働者は絶賛できる。

 僕はリストラされた事もある。仕事も転転とした。何度も辛酸をなめた。その度に、「『ん、もう一回だ!』そして彼等は、立ち上った。──もう一度!」という『蟹工船』のラストに鼓舞される。

 仕事を辞めるのは簡単だ。死ぬのも簡単だ。しかし、諦めない努力、生き続ける勇気を持ちたい。

 プロレタリアは生きる事。

 生きて社会を変革する事、労働力の再生産をする事だ。

 と僕は『蟹工船』を読んで強く感じる。特に精神障がい者になってから、労働者になってから。

 そして、僕はもがく。僕の中の「糞壷」から這い出すために。
 (いしい ひとし・三九歳)
(「経済 08年5月号」新日本出版社 p104-105)

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 彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく、まだ生きているな……」と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。よく、まだ生きている。──そう自分の身体に!

 学生上りは一番「こたえて」いた。
「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」──その学生は、糞(くそ)が何日もつまって、頭を手拭(てぬぐい)で力一杯に締めないと、眠れなかった。

「それアそうだろう」相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつ嘗(な)めていた。「何んしろ大事業だからな。人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。――この蟹工船(かにこうせん)だって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったりした創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ。」

「…………」

 ──歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹を撫(な)でた。弱い電気に触れるように、拇指(おやゆび)のあたりが、チャラチャラとしびれる。イヤな気持がした。拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。――皆は、夕飯が終って、「糞壺」の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。お互の身体が少し温(あたたま)ってくると、湯気が立った。蟹の生ッ臭い匂(にお)いがムレて、ムッと鼻に来た。

「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」
「んだよ!」

 憂々した気持が、もたれかかるように、其処(そこ)へ雪崩(なだ)れて行く。殺されかかっているんだ! 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。

「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞(くそ)、こッ殺されてたまるもんか!」

 吃(ども)りの漁夫が、自分でももどかしく、顔を真赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。

 一寸(ちょっと)、皆だまった。何かにグイと心を「不意」に突き上げられた――のを感じた。

「カムサツカで死にたくないな……」
「…………」
「中積船、函館ば出たとよ。――無電係の人云ってた」
「帰りてえな」
「帰れるもんか」
「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」
「んか ……ええな」
「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものもいるッてな」

「…………」

「日本帝国のためか、――又、いい名義を考えたもんだ」――学生は胸のボタンを外(はず)して、階段のように一つ一つ窪(くぼ)みの出来ている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシ掻(か)いた。垢(あか)が乾いて、薄い雲母のように剥(は)げてきた。

「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」

 カキの貝殻のように、段々のついた、たるんだ眼蓋(まぶた)から、弱々しい濁った視線をストーヴの上にボンヤリ投げていた中年を過ぎた漁夫が唾(つば)をはいた。ストーヴの上に落ちると、それがクルックルッと真円(まんまる)にまるくなって、ジュウジュウ云いながら、豆のように跳(は)ね上って、見る間に小さくなり、油煙粒ほどの小さいカスを残して、無くなった。皆はそれにウカツな視線を投げている。

「それ、本当かも知れないな」

 然し、船頭が、ゴム底タビの赤毛布の裏を出して、ストーヴにかざしながら、「おいおい叛逆(てむかい)なんかしないでけれよ」と云った。

「…………」

「勝手だべよ。糞」吃りが唇を蛸(たこ)のように突き出した。
 ゴムの焼けかかっているイヤな臭いがした。
「おい、親爺(おど)、ゴム!」
「ん、あ、こげた!」
(小林多喜二「蟹工船」新潮文庫 p61-64)

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◎「歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた」と。