学習運動080523
◎歯ごたえ手ごたえは、人生で大切なこと……
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「なんでやめたの?」って私が聞いたら、「ついていけると思えなかった」と彼らは言うんです。この反応について、私は、いろいろ考えさせられました。
新しく仕事につくということが、どういうことなのかを、あらためて考えてみました。新しい仕事につくということは、出会ったことのない初対面の人たちと、使ったことのない機械や道具を使って、一度もやったことのない作業をやるということです。
初日の段階で、自分がやがてこの仕事をこなせるようになるのか、職場の人と仲良くやっていけるのかどうか、というのは、実はまったくわからないこそなんです。
「ついていけると思う」という気持ちに、実は根拠はないわけです。けれども、なぜ多くの人が、根拠はないが「やってみよう」と思えるのかというと、子どものときからの生育の過程で、やったことのない初めてのことに挑戦して褒められたとか、いろいろなことを試してみるチャンスを与えられ、そのたびに達成感を持つことができたとか、そういう経験の積み重ねの応用のようなものだと思うんです。
けれども、その人の生育歴の中で、周りの大人たちから褒められたり、評価されたりすることがほとんどなかった場合は、どうなるか。
新しい職場に行ったとき、ちょっと冷たいあしらいを受けるとか、へまをして怒られたりしたときに、「とてもこの人たちとはうまくやっていけない」「この仕事はこなせない」と思ってしまうのは、当然ではないでしょうか。
本人にとっては、病気になって体が動かない、だから会社にいけないということと同じくらい、どうしようもないことだと考えなければならないと思うんです。
「努力もしないで」と、切り捨てることはできないはずなんです。
(小森陽一著「理不尽社会に言葉の力を」新日本出版社 p162-163)
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かじる私
以前、「ザルソバ? ダメ、あれかまなくてはいけないでしょ」と言ってた少年をテレビで見たことがあります。ソバが固いなんて、とその時は笑ったものの、よく考えるとかなりぞっとする話ではあります。
私は固いものが大好きです。たくあんなどでもカリカリとうれしそうにかんでいるのを母は「ええ音たててるなごと言い言いしたものです。おやつでも豆がお気に入り。黒豆のいったのなど目がありません。甘くやわらかいものももちろんきらいではないのですが、カリリ、カリリとかじっていると何となく気分が安定するというところです。
仲よくしている農村の人から固い固いカチ栗をいただいた時も私は上機嫌でした。小さな石のようでも、ちょっと口に入れると少しずつ柔らかくなってきて、やがてカチッとわれます。ムワッと、まことに素朴な栗そのものの味。わ、しあわせ、というところです。
しかしこのごろの若い人は固いものを好まないそうです。保母さんたちのある会に出かけて話した時のこと、ある園長さんがこぼしておられました。
明治村へ出かけておみやげに昔菓子を買って園へ持ち帰ってみても、誰も手をつけず何日も何日もほうってあったということでした。その話は、私が、こどもたちがズルズルのものしか食べたがらぬそうだけど、それではあごもダメになるし、思想的にも硬質のものがなくなってズルズル人間になるのでは、と心配したのをうけて、「いや、こどもばっかりじゃありませんよ、保母もそうです」ということからでした。
父と二人暮らし、総入歯の父には柔らかく、きざんだようなおかずがほとんどです。いささか欲求不満で、深夜豆をかじっている私。いくら年女だといっても、ネズミさながらだと自分でおかしくなりますが、ま、一生かじれるかぎり私は固いものを好みつづけるでしょう。
歯ごたえ手ごたえは、人生で大切なことのように私には思えるのです。
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p28-29)
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希望ある社会 自分の手で
テレ朝系 不破さん、若者にメッセージ
戦後を生き抜いてきた政治家が若い人に語る―テレビ朝日系「サンデープロジェクト」が番組二十周年スペシャル企画として十一日に放送した「激動の歴史を語る」。日本共産党の不破哲三前議長(78)が、中曽根康弘元首相(89)、土井たか子元衆院議長(79)と語り合いました。
スタジオには、学生五十七人が同席。司会者が「日本の未来に希望が持てるか」と問いかけると、希望が持てると持てないが半々の結果でした。
その学生たちに、どんなメッセージを送るか。不破さんは、自らの青年時代とも比較してこんな言葉を贈りました。
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不破 われわれの若いころ、あの時代は社会も貧しかったですよ。われわれの生活もものすごく貧しかったです。だけど、新しい社会をどうつくるのかということにつながるエネルギーはみなぎっていましたよね。
だから私は、社会とか政治とかを与えられたものとして、そのどこに自分の居場所があるかということではなくて、居場所のないような社会は変えて、居場所のある社会をつくる。自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在を見てほしいと思うんですね。
今の社会の貧しさを自分の貧しさにしちゃいけないんですよ。今の社会が貧しければ、豊かな可能性が出る社会に変えられるのが国民主権なんだから。国民主権の主権者に若い人たちがどんどんなってほしい。
◇
不破氏の話に、中曽根元首相も「その通りです」と応じました。
番組終了後、学生たちに「ご苦労さま」と声をかけた不破氏。すると学生からいっせいに「ありがとうございました」という声があがりました。
(「赤旗」20080512)
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◎「社会とか政治とかを与えられたものとして、そのどこに自分の居場所があるかということではなくて、居場所のないような社会は変えて、居場所のある社会をつくる……自分で夢と希望の条件をつくるというつもりで、現在を見てほしい」と。