学習通信080529
◎三國自身の思い……
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テレビ ラジオ
思いの
ままに
今井正、山本薩夫、家城巳代治
三監督から学んだ物作りの良心
俳優 三國連太郎さん
日本映画界の重鎮・三國連太郎さん(85)。このほど平和と民主主義、ヒューマニズムの理念に徹した業績におくられる第25回日本映画復興賞を受賞しました。「身に余る光栄です」と穏やかな口調で語ります。(板倉三枝)
卓越した演技力で日本映画の芸術的な発展に貢献したこととともに、人間愛と平和ヘの願いを貫いた三國さんの生きざまが、評価されました。
多数の受賞歴がある三國さん。しかし、今井正、山本薩夫監督が作ったこの賞は、「自分の生きる方法として選んできた結果が実証されたようで、息子にも誇れます」と、ひときわうれしそうです。
ウソをつく苦悩
役者生活57年。その歩みに大きな影響を与えたのが今井、山本、家城巳代治といった独立プロダクションの監督たちでした。
1951年、28歳のとき木下恵介監督の映画「善魔」でデビュー。中国から復員し、職を転々としながら路頭に迷っていたとき、声をかけられたのが、そもそものきっかけでした。カメラテストを受けたのは、食券が目当て。映画界に入ることは「驚天動地の出来事だった」と振り返ります。
三國連太郎の芸名はそのときの役名。「大阪大学卒、水泳は学生チャンピオン」という虚偽の経歴で売り出します。
とんとん拍子に話題作に出演。気がつくと十数回の受賞を重ね、「一種の倒錯」状態に陥っていました。宣伝文句に縛られ、カメラのないときも「〈虚〉の私」を演じなければならなくなった三國さん。著書『生きざま死にざま 三國連太郎』(KKロングセラーズ)には、世間にウソをつき続ける苦悩がつづられています。
自分は何をしているのか。何のために生きているのか。人生の〈実〉と向き合いたいと思うようになった一因が、今井監督たちとの出会いでした。
確固とした信念
「この方々は、自分がこの世の主役であるというような、尊大な考え方は片りんすら持っておいでになりませんでした。立身出世のためでなく、確固とした信念をもって地に足をつけて仕事に取り組んでいらっしゃる。人の世の真実を見つめる眼力がありました」
出演料は交通費程度。しかし、三國さんは自分を見つめ直すために、独立プロの仕事に専念します。
泥棒稼業の男が列車転覆事故の目撃者として法廷で証言する山本監督の喜劇「にっぽん泥棒物語」、不義を働いた妻とのかっとうを描いた今井監督の「夜の鼓」……。加害者の行動原理から戦争を切り取った家城監督の「異母兄弟」で、老け役をつくるために上の前歯を全部抜いたことは、有名なエピソードです。
「共演の田中絹代先生は僕のおふくろと同い年でしたからね。抜いた歯は生えてきませんが、次は次だと思いました」
メガホンをとった家城監督は病気でした。喀血(かっけつ)しながらの壮絶な仕事ぶり。「物作りというのは、ここまで自分をのめりこませなきゃいけないのかと、気押されました」
三人の監督から「物作りの良心、人生の羅針盤のようなものを学んだ」と語る三國さん。作品と作家の日常性は大きな関係がある、と考えています。
「才能の問題だけじゃない気がするんです。安直にものを考えて安易な注文に応じていくうちに、名匠でも精神的に堕落していくのではないかと思います」
人間観と歴史観
役者も作品を通して生き方が投影される、というのが持論です。
「自分本来のものを出さず、仮面をかぶったまま、その役を演じ切ることはできません。自分の体や感情の中にある役柄と共通の部分を取り出して、そこを原点にしてつくりあげていくしか、ないんではないかと思っています」
だから役者自身が、人間観や歴史観を持たないと、良い演技はできないと。
「多くの演出家の方々にかわいがられ、一番、恵まれた環境で映画界を過ごしてきました。道を踏み誤らないように、これからも一本の道を歩き続けたい」
この秋公開の「釣りバカ日誌19」で出演映画182本目を迎えました。「あと10本はやりたいと思っています」とにこやかに語ります。
みくに・れんたろう
1923年群馬県生まれ。主な出演作品「飢餓海峡」「戦争と人間」「神々の深き欲望」「未完の対局」「息子」「利休」「北辰斜にさすところ」など。原作・脚本、監督作として「親鸞 白い道」がある。
(「赤旗」20080529)
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文化の話題
旧制高校の青春と戦争
●「北辰斜めにさすところ」
伴 毅
旧制高校を舞台に、青春を謳歌した若者たちの姿と、その未来を戦争によって踏みつぶされる悲劇を描いた作品。監督は『郡上一揆』『草の乱』の神山征二郎。
旧制高校は、明治政府のエリート養成のための教育制度の一環で、一八九四年から一九五〇年まで存在した。多くは三年制で、同学年で二度留年すると退学となったが、卒業すれば帝国大学への進学が保証されていた。現在でいえば大学の教養部にあたる。
映画の題名は鹿児島の第七高等学校の寮歌で、北辰(ほくしん)とは北極星のこと。学校の緯度が低いことを表している。
七高と熊本の五高との野球の対校試合は明治のころからおこなわれていたが、時には試合後の応援団のあらそいから憲兵隊が出動するほどの大騒動になったこともあった。
そんな因縁がある対五高戦の、百周年を記念した現在の鹿児島大と熊本大の試合を翌年に控えて、七高OB会は五高OB会との打ち合わせや会員への連絡で忙しい。とくに伝説のエース上田勝弥に観戦させることに執着していた。
上田勝弥は東京近郊で医院を開いていたが、今は院長を息子に譲り、孫の勝男の甲子園出場を楽しみにしていた。OB会の会報の取材にこたえ、勝男を前にして楽しそうに当時を振り返る勝弥だったが、なぜか記念試合への参加はすげなく断るのだった。
勝弥の回想で、旧制高校の生活が描かれる。黒マントに高下駄、学生帽の蛮カラ・ファッション、ストームといわれる大騒ぎ、一本のローソクの周りでいそしんだ勉学、そして見た目に似合わぬ純真な恋。回想の中心になっているのは、草野正吾という先輩で、勝弥が最も慕い尊敬した人物だった。
学生たちのはじけた振る舞いには、厳しい受験をくぐり抜けて入学した喜びと開放感とともに、エリートとしての誇り、自らの力で未来を切り開く希望が溢れている。だが、それは戦争によって阻まれる。
バッテリーを組んだ親友であり義理の兄でもある西崎の死をきっかけに、勝弥は記念試合の観戦を決意し帰郷する。そこで、勝弥の思いが吐露されてゆく。
勝弥の弟・勝雄、野球部のチーム・メイト、そして草野正吾。多くの友人が戦死した中で自分が生き残ったことの悔恨、とくに戦場で草野を見殺しにしたことの慙愧(ざんき)の念が五十年以上たった今も勝弥を苦しめていたのだ。
勝弥役の三國連太郎自身が、中国へ出征して、数百人の部隊のうち数十人しか生還できなかった経験を持っている。指宿の花瀬望比公園で語る「南方の島々にも、この先の海の中にも、帰ってこれん者がいっぱいいるんだよ」というセリフは、勝弥の言葉であると同時に、三國自身の思いでもあり、その演技は見るものを圧倒する。
そのほかにも、昨年五月に亡くなった北村和夫や、神山繁など熟練俳優の演技が光っている。また、寮歌の巻頭言を吟じる姿が印象的な緒方直人は、若々しく、かつ重みのある草野正吾を生きいきと演じている。
戦争さえなければ、前途洋々たる未来があったはずの若者たちが、その生命を散らさなければならなかったことへの憤りが、旧制高校での青春の輝きによって、より強調されている。
旧制高校へのノスタルジーに終わらず、いまだ癒されぬ戦争の傷跡を描いていて、若い人たちにもぜひ見て欲しい映画となった。(映画評論家)
(「前衛 08年3月号」日本共産党中央委員会 p156-157)
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「自分本来のものを出さず、仮面をかぶったまま、その役を演じ切ることはできません。自分の体や感情の中にある役柄と共通の部分を取り出して、そこを原点にしてつくりあげていくしか、ないんではないかと思っています」