学習通信080623
◎羊頭を懸げて狗肉を売る……

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まど
「羊頭狗肉」はたくさん

 CI(コーポレート・アイデンティティ)という言葉がはやったのは一九八〇年代末でした。バブル景気に浮かれた企業が、社名をカタカナに変えたり、似合わぬ「企業理念」を掲げたりを競い合ったものです。

 〇……これを思い出させてくれたのは、福岡県内の読者からの一通のメールでした。牛丼チェーン・すき家を展開するゼンショーという会社が企業の「使命」に「世界から飢えと貧困を撲滅する」を掲げている。アルバイトの残業代を払いしぶって訴えられるような会社が何をえらそうに──とお怒りです。

 〇……「羊頭狗肉(くにく)」(羊の頭を飾りながらイヌの肉を売る)といえば中国の故事ですが、日本の会社が自分を飾る言葉は、とかくこのたぐいが多い。毒ガス密造が発覚した化学メーカー石原産業の企業理念は「遵(じゅん)法精神を重んじ、信頼される行動」。秋葉原無差別殺傷事件の容疑者が働いていた人材派遣・日研総業は「身につく 活かす育つ」。派遣、偽装請負、労働者買いたたきならなんでもあり、御手洗冨土夫日本経団連会長のキヤノンはなんと「共生」です。

 〇……いま大企業はバブル期をも上回る史上最高利益を更新し続けています。その一方で、国民のくらしは弱り、日本経済そのものがゆきづまっています。いま日本の会社に必要なのは、空疎な言葉でなく、「経済は人々のくらしを豊かにするためのもの」という「理念」に立って、ルールを守り、社会的責任を果たすことではないでしょうか。(竹)
(「赤旗」20080623)

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羊頭を懸げて狗肉を売る

 この言葉のもとの形は「羊頭を懸げて馬ホ(ばほ)を売る」──店頭に善い品をみせておいて悪い品を売る──で、「看板に偽りあり」の譬(たと)えに用いられる。これは、後漢の光武帝が下した詔の中にみえる語、「羊頭を懸げて馬ホを売り、盗跖(とうせき)、孔子語を行う」(「後漢書」光大紀)がその出処である。店先には羊の頭を懸げておいて実際には馬のほ(乾肉)を売り、盗跖が孔子の語を行う、というわけである。

 盗跖というのは、有名な春秋時代の大泥棒。兄の柳下恵は孔子や孟子が激賞するほど立派な人物であったが弟のかれは数千の手下をつれて天下をあばれまわり、しかも悠々と天寿を全うして司馬遷を嘆かせた男である。強盗に押し入るとき、先に入るのは「勇」で、最後に出るのは「義」だなどと大言壮語した。まさに「看板にいつわりあり」で、「勇」や「義」が泣こうというものである。

 盗跖と同じ春秋の斉の人で、斉の霊公、荘公、景公に仕えた名臣晏子(名は嬰)の遺事を編集した「晏子春秋」(撰者不明、後世の人が集成したもの)に同じ意味の語がある。ただし少し変っていて、

 「牛首を門に懸げて馬肉を売る」というのである。そのいわれはこうである。……

 斉の霊公は男装の麗人が好きで、宮中の女たちに男装させて喜んでいた。ところが、このトップ・モードが斉の国で大流行になり、一般の女たちまでが男装をまねるようになった。霊公はさっそくきびしい禁令を出した。しかし宮中だけは別で、相変らず男装の麗人を眺めては眼を楽しませていた。禁令の効果がないのをみて、霊公は、

 「禁令の効目がないがどうしたのだ?」

 と下問した。すると、晏が答えた。

 「君、これを内に服せしめて(宮中では男装させながら)これを外に禁ず。なお牛首を門に懸げて馬肉を内に売るが如きなり。」

 禁令の看板にいつわりあり、というわけである。

 「牛首」を「牛骨」とする語もある。出処は、前漢末の皇帝成帝に仕えた学者で、後漢の光武帝即位の二十年ほど前に死んだ劉向というものが撰した軼聞瑣事集「説苑」の「理政篇」である。「牛骨を門に懸げて馬肉を内に売るが如きなり」というのが、これである。

 むろん意味は同じだが、「牛」になったり、「羊」になったりするところが面白い。

 面白いはずで、「羊を以て牛に易う」──小さなものを大きなものにかえる譬え──この故事にも立派な出処があるのである。

 ある日、斉の宣王は犠牲の牛がおどおどしながら屠殺場へつれていかれるのを坐視するに忍びず、牛を羊に易えよと命じた。孟子はその話をきいて、宣王の側隠の心は尊いが、牛を羊にかえ、小を以て大に易えたところで、人民は王はけちだというだけだ、殺されるのをあわれむなら牛も羊も変りはない、と説いた(「孟子」の「渠恵王篇」第一)。

 羊頭が牛骨にかわったり、牛首にかわったりするのに対して、馬ホは馬肉からさらに狗肉にかわって、「羊頭を懸げて狗肉を売る」(「無門閥」六の「世尊枯花」)という語になったが、看板にいつわりあり、の意味はかわらない。

 さて、羊だ、馬だ、牛だと、枝葉末節のことばかり書いているうち紙数も尽きた。これがいわゆる「羊頭を懸げて馬ホを売る」というやつである。(岡本)
(「中国故事物語」河出書房新社 p335-336)

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◎「日本の会社が自分を飾る言葉」……看板にいつわりあり。