学習通信080703
◎認め合わない関係になって喜ぶのは誰……

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「クレーマ親」って
呼ばないて

──学校に無理難題を要求する親が増えているといわれ、マスコミは「クレーマー親」「モンスターペアレント」と呼んでいます。実は私もわが子の通う学校にいろいろと意見を言ってしまうタイプ。「もしかして私もクレーマー親?」。ちょっとドキドキしながら、日々対応に奔走している管理職や現場教師、保護者らに話をききました。(編集部・高阪由紀江)(文中はすべて仮名)──

 まずは実態を知ることから。保護者からの無理な要求を経験したことがありますか、との問いに、先生たちからはさまざまな事例が寄せられました。予想以上に学校が苦労していることが分かりました。

「宿題は出したことにしておいて」

 中学校の教員・田山智さんは最近の例を話してくれました。
──A君は学校を休んで親子で海外旅行に行きました。それはかまわないのですが、その後、欠席した分を授業してくれと母親が要望してきました。このお母さんはキャリアウーマンで、ひとりで子どもを育てています。まわりの母親たちとのつながりもなく、いろいろな苦労を背負っていると思います。

 中3のB君。通信簿をつける時期に母親から電話がありました。「息子は宿題を提出していないそうですが、『3』になると私立高校の推薦を受けるのに都合が悪いので、その宿題は提出したことにしておいてください」。有無を言わさぬ口調です。彼女は教育熱心でつねに息子をかばって行動します。B君がそんな母親の言動を嫌がっている様子がないのが心配です。──

たじろぐ先生たち

 小学校の管理職・梅野弘之さんの話です。「軽い障がいをもったお子さんの親で、『普通学級で普通に教育を受けさせたい。特別扱いはやめてほしい』という要望だったのですが、実際には体力的にもなかなかむずかしいものがありました。授業で別メニューで指導していたら、激怒して抗議してこられました。また、その子の状況をみんなに理解してもらいたいと保護者たちに説明したところ、こちらは大変配慮したつもりだったのですが、人権蹂躙だと抗議を受けました」

 ほかの学校でも、ふざけあいの中でわが子にケガをさせた生徒への「指導計画書」を文書で出すよう迫ったり、職員会議の中身を知るために行政にいくつもの情報開示請求をしたり……といったやり方に、先生たちがたじろぐ例も聞きました。

 しかし、その後、梅野さんはその親の気持ちをじっくり開いて対応するようにしました。

 「言っている内容は間違いでないことも多いんです。その中には障がいをもつ子の親としての不安や願いもたくさん入っている。ところが、学校がそれを十分受けとめられる余裕がなかったために、親の感情がこじれてしまったんですね」

 子どもたちの成長にしたがって、クラスの中でその子をささえる場面がたくさん生まれてきました。昨年の行事の中ではその様子が顕著に見られ、その親は連絡帳に「感動で言葉もありません」と書いてくれるまでになりました。いまはさほどトラブルもなくなったそうです。

内容証明書

 別の小学校の三村賢二先生は昨年、担任していた二年生のケンタ君の父親から、割印を押した「内容証明書」形式の抗議文をうけとりました。運動会の直前で、天候を見ながら慌ただしく練習にとりくんでいた時期でした。「『ダンス固有の価値をのべよ』『練習時間の設定の合理性は』など何項目もの質問が並んでいました。そして『回答次第では今後の対応に影響する』と結んでありました。形式にも内容にもびっくりしましたが、何度も読んでいくうちに、結局、練習でわが子が疲れたことを訴えたかったのだと思い、その日のうちに私の気持ちをつづった返事を持たせました。連絡帳十三ページにもなりました」

 父親はその後は何も言ってきませんでした。

 「ケンタは知識も豊富でロも達者ですが、ハサミも上手に使えず、発達のアンバランスがある子です。友達とも小さなトラブルが多い。一方、どうせオレなんて、ということもよく言う。ですから、表面に見える『攻撃性』だけでなく、内面に芽吹く別の感情に寄り添うことが私の課題だと思って接していきました」

 三村さんは毎日子どもたちの様子を書いた学級通信を出しています。学年末にケンタのお母さんから手紙が届きました。「最初は学級通信に何の意味があるかと思っていたが、だんだんとケンタがクラスにとけこんでいく様子が分かり、子どもの成長が見えるようになりました」──。こうして最後には、クラスの親たちが企画した花見会にケンタの父親も三次会まで参加したのです。

 「実は一年のとき担任がとてもきびしい先生で、子どもたちもしんどく、親も学校には何も言ってはいけないと思い込んでいたんです」。子どもが成長する姿を共有できたことで、親の学校とのかかわり方に変化が生まれたのだと、三村さんは考えています。

上から目線

 三人の小学生の母親で、PTAの役員をしたり、親たちが交流する企画をしたりしてきた佐藤友里恵さんは「同じ親という立場で見ても『えっ』と思う親はいますよ」と言います。「だけど、正直言えば、先生たちは親を『アドバイスしてあげる存在』と上から目線≠ナ見てて、親からのちょっとした意見や要望でもすぐに突っぱねることがあります」。たとえば、宿泊をともなう移動教室の前の説明会でのこと。ある親が「娘が恥ずかしがってお風呂は水着で入りたいと言ってます」と発言。佐藤さんも「見せたくない権利もあるし……」と言葉を添えると、「学校は集団生活ですから、それは認められません」と言われたそうです。「検討ぐらいしてくれてもよかったんじゃないでしょうか」。こうした小さな出来事が積み重なると、親は学校に共同でかかわっていく気持ちが失せてしまうのかもしれません。

 たしかに、先の事例を紹介してくれた先生たちも、親からの疑問や意見を学校側がきちんと受けとめきれなかったことがトラブルの始まりだったケースも多い、と率直に語ってくれました。

 「先生たちにコミュニケーション能力と親をパートナーと見る視線があれば、もっとスムーズに解決できることもあるはず」と佐藤さん。

 ただし、それは親にも言えること、とも。「イマドキの若い親は……≠ニいう人もいるけれど、実際にはちょっと年のいった親も、ときにはおばあちゃんたちも一緒になって無理なことを言う例もあって、世代の問題ではなくて、人と人との関係が結びにくくなっている社会状況の反映ではないかと思います」

親の厳しい授業チェック

 先生と親とのコミュニケーションがとりづらくなっている理由として、三村さんは「親が学校とかかわる機会が一面的になっている」ことを指摘します。

 「以前は学芸会や作品展、子どもまつりなど行事があって、かかわる機会が多面的でした。ところが最近は『授業時数の確保』という行政の方針によって行事がほとんどなくなり、あるのは公開授業。そうすると、親たちは厳しい目で先生たちの授業チェックをすることが多い。感想用紙には、『先生の発問が悪い』などと遠慮なく書いてあるんです」

 ドキッ。私も参親日に遠慮ない感想≠書いたことがあります。ショックを受けた先生に、別の先生が「いつも学校を応援してくれるお母さんですよ。あなたのためを思って書いてくれたんですよ」とフォローしてくれたと後から聞きました。(ありがとうございました!)

 三村さんは「親の厳しい目」の背景には、「学力低下」「教師の力量不足」などをセンセーショナルに報道するマスコミによって、「学校不信」があおられていることもあると感じるそうです。「僕たちが若いころは少々の失敗は親たちが目をつぶってくれ、教師を育ててくれました。政府のふりまく『自己責任論』がひろまり、社会全体が失敗や未熟さにたいする寛容さを失っている影響もあるのでしょうが」

 田山さんは、「学区自由化」の影響も感じると言います。「商品として選んだ学校」という意識がひろがると、地域の学校を地域で育てていこうとなりにくいからです。

小さな質問の対応に追われ

 先生たちからは、「クレーマー」とは思わないけれど、最近は小さな要望や意見や質問がたくさん寄せられるようになったという声も聞きました。

 梅野さんは「水泳パンツはスイミングスクールのものでもいいか、水筒の中身はスポーツドリンクでいいかなど、質問がたくさん寄せられます。しかも、ただの質問にとどまらず、『お茶か水にしてください』とプリントを出せば、抗議されます。学校はその対応に追われる」と言います。

 またもや、ドキッ。私も「学校基準の競泳用水着を息子がいやがっているので、別のでもいいか」と校長に手紙を書いたクチです。でも、もとはと言えば学校が事細かく持ち物や服装を決めているのですから、それ以外のことをしたいときは質問せざるをえないんですよね……。

 三村さんは、「学校は親の質問や要望にはきちんとこたえなければいけない」と言います。しかし、その要望を受けとめるときに、「顧客にたいするサービスみたいなやり方じゃなくて、親の声を学校に生かす、親の心配を解決する立場で対応していくことが大切」と三村さん。そうしたとりくみを重ねることが、親をパートナーとし、学校を豊かにする、とも。

 さらに、親の不安の高まりの原因のひとつとして、三村さんは安全への不安≠あげます。「ここ二、三年、登下校の安全にかかわる意見はすごい。どうしてかなと考えると、奈良、広島、秋田など下校中に子どもが殺される事件が相次いだんですね。そうした社会状況を見ないと、最近の親は苦情が多い≠ニ決めつけてしまう危険があります」

 佐藤さんも保護者としての危惧を語ります。「マスコミが『クレーマー親』と騒ぐ中で、先生の側が忙しさから、親からのまっとうな要求や疑問をクレームとみることで思考停止になってしまうのではないか」という心配です。「教育基本法が変わって、学校にもいろんな変化が起きています。学力テストや道徳が教科になるとか、親たちの不安や要望はさらに強まると思います。そうした教育要求を、先生たちはこれまで以上にきちんと受けとめてほしい」と。

「クレーマー親」は警察が対処……

 「クレーマー親」報道の背後には、政府の方針が見え隠れしています。政府の教育再生会議は六月、学校が保護者と意思疎通で問題が生じた場合、教育委員会や警察OBらがチームを組んで解決にあたる、という方向をうちだしました。

 この報道を聞いたお母さんが、「私たちを問題親∴オいし、警察に対処させるっていうこと?」とメールをくれました。式典での「君が代」斉唱時に起立しなかった先生が処分を受けたことを批判して、学校に申し入れ活動をしている保護者です。

 「給食費未納問題に始まって、最近は未熟な親∞非常識な親≠ニいうバッシングがひどくて肩身が狭い」というお母さんもいます。

 三村さんも言います。「親からの『クレ一ム』は増えてはいるかもしれないが、以前からあったことです。最近の親が急に『モンスター』になったというのは実態とは違います。ちょっと前は教師バッシングの嵐で、今度は親バッシング。手をつなぐべき人たちが切り離されて、認め合わない関係になって喜ぶのは誰なのか、冷静に考える必要があります。いまの社会や教育のもとで、親たちの持っていき場のない不安を学校がどう受けとめるか、教師の力量が試されているときではないでしょうか」

親の生活理解することから

 親の願いを「クレーム」にしないために、どんなことが大事でしょうか。
 田山さんは、「家庭訪問の復活」を提案します。「家庭訪問は、教員が親の状況を理解するためには大変有効なんです。生活の様子・スタイル、価値観、経済状況などさまざまなことが分かります。必死に働いて子どもを育てている親たちの苦労やがんばりを教員が理解し、敬意をもつことはとても大事です。そうすれば、たとえ多少のクレームがあっても、その背景を理解して対処できるようになります。また、そうでなければなりません」

 さらに、「厳しい働き方をしている親たちの中には、教員は恵まれた環境≠ノあると見て、自分たちの大変さを理解してほしいと思っている人もいる」と指摘し、教師たちがもっとそうした社会状況への理解を深める必要を強調します。

 三村さんも、「まずは教師が、親たちの子育ての困難さ、経済状態のきびしさ、生活の大変さを受けとめ、共感すること」と言います。さらに、「カギは子どもです。当たり前のことですが、学校はクレームだらけではなく、現実には毎日子どもたちは仲間の中で成長し、それを見守る親たちがいます。そうした子どもの成長を伝え、ひろげていくことが僕たちの役目」と。

困った親は困っている親

 軽い障がいをもった子の親からの苦情が多かったという経験から、梅野さんは、「過渡期にある特別支援教育のあり方を充実してほしい」と言います。「障がいをもった子も普通学級に通うようになっていますが、模索状態です。介助員の充実、教員の研修、トイレなど設備の改修などは急務です。もっと丁寧に学校が対応していけるように行政からの手厚い支援も必要ですね」

 「親同士も、ちょっとおせっかいをすることか大事かなと思っています」と佐藤さんは言います。「何かというとほかのお母さんに愚痴をメールしたり電話したりしてまわりから敬遠されている人もいるのですが、困った親は困っている親≠ニいうとらえ直しが必要だと思います」

 また、親からも先生たちとコミュニケーションをとる努力も大事だと考えています。「解決法は、意外と『飲み会』だったりして」と佐藤さん。お互いの素顔が分かれば、ちょっと表現方法が稚拙でも理解しあえるかもしれません。先生も親も人間同士、「モンスター」ではないのですから。
(「女性のひろば 07年11月号」日本共産党中央委員会 p21-28)

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モンスターペアレンツ§_を越えて
楠 凡之

子どもの最善のために
生きづらさを
つなげる力へ

 近年、モンスターペアレンツ≠ニいう言葉が頻繁に用いられるようになった。確かに教育・保育現場の話を聴いていると、「モンスターペアレンツ」という言葉を使いたくなってしまう保護者と出会うことは事実である。

保護者の葛藤
了解不可能に

 懇談会前のアンケートに「信頼できない担任とは話し合う気になれない」と書き、息子の前で「先生はバカだから、先生の言うことなんか聞かなくていいよ」と平気で言うA君の母親。この母親は、「漢字テストの文がおかしい。そのことを親全体に謝罪しろ」と激しく要求し、懇談会で謝罪したところをビデオで隠し撮りしてあちこちに見せて回っていた。

 「人から手紙をもらったら、その何倍も返事を書くのが常識です」「学校の電話だと誰が聞いているかわからないので、外の公衆電話からかけるように」「教室掲示している孫の顔写真のできがよくない。恥をかかされた」と主張するB君の祖母。

 このような保護者とのかかわりで心身ともに疲れている先生も少なくないのが現実である。しかし、個人的にはこの言葉に対してはやはり強い違和感を感じざるを得ない。なぜなら、モンスターペアレンツ≠ニいう言葉を使った段階で、保護者の抱える葛藤は了解不可能になってしまうと感じるからである。

 今日、新自由主義施策の進行とも相まって、保護者が社会的な支援やつながりを奪われた状況で「子育ての自己責任」を背負わされている。その結果、そこで生じる生きづらさが周囲の他者への被害的な認知を強めると同時に、その生きづらさや葛藤が教育・保育現場やさまざまなサービス産業のスタッフなど、相手が反撃しにくい関係への攻撃性として表れていることは否定できないであろう。

独自の見方を
共感的にみて

 三万三千人を超える自殺者、うつ病に罹患する人の増加が指摘される一方、児童虐待も深刻な問題となっている。自分自身への攻撃に向かうのか、わが子への攻撃に向かうのか、さらに学校の教職員などへの攻撃に向かうのか、その方向性の違いはあれ、個々人が自分の中では引き受けられない生きづらさや葛藤の表出であるという点では共通しているのである。

 また、教育現場で対応に苦慮している保護者の中には、児童虐待などの困難な養育環境の中でパーソナリティー障害の問題を抱えている人も存在している。パーソナリティー障害とはその独自の認知の仕方や行動様式のため、家庭生活や社会生活に支障をきたしている状態を意味している。

 たとえば、こちらから見ればささいな出来事で激しく非難されたり、あるいは、わが子が特別扱いされることを求め、それに応じないと怒りだす保護者には強い困惑を感じてしまうが、しかし、その背後には、それまでの生育史の中で築かれた、その保護者に独自の他者や世界の見え方や感じ方が存在しており、それをまずは共感的に理解していく取り組みが求められてくるのである。

援助課題など
丁寧な理解を

 さらに、アスペルガー障害などの発達障害の問題があったにもかかわらず、それに対する周囲の適切な理解や援助が受けられないどころか、かえって不適切な叱責や迫害的ないじめにさらされるなかで二次障害が深刻化し、周囲に対する被害的な認知を強めざるを得なかった保護者の方も存在している。

 それだけに、モンスターペアレンツ≠ニいうとらえ方ではなく、一人ひとりの保護者の抱えざるを得なかった生きづらさや内的葛藤、そして援助課題をていねいに理解していく取り組みが求められているのである。

 本来、教職員と保護者は、子どもの「最善の利益」を実現していくために共同していくべき存在である。にもかかわらず、両者がしばしば敵対的な関係に立たされていく社会的背景をとらえつつ、お互いの抱えている生きづらさを他者への攻撃ではなく、他者とつながっていく力に転換していく実践的な営みが、今、切実に求められているのではないだろうか。(くすのき・ひろゆき 北九州市立大学教授)
(「赤旗」20080702)

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◎「お互いの抱えている生きづらさを他者への攻撃ではなく、他者とつながっていく力に転換していく実践的な営みが」と。