学習通信080714
◎決してやめる事なく、のそりのそり歩いてゆく

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一九二八・三・一五

 渡は口笛を吹いて歩きながら、板壁を指でたたいてみたり、さすってみたりした。彼は実になごやかな気持だった。監獄に入れられて沈んだり憂影になったりする、そういう気持はちっとも渡は知らなかった。彼には始めから、そんな事には縁がなかった。女学生のようにデリケートな、上品な神経などは持合わせていなかった。

しかしもっと重大な事は、自分たちは正しい歴史的な使命を勇敢にやっているからこそ、監獄にたたき込まれるんだ、という事が、渡の場合、苦しい、苦しいから跳ね返す、跳ね返さずにはいられないその気持と理窟なしに一致していた。彼は、自分の主義主張がコブのように自分の気儘な行動をしばりつけているような窮屈さや、それに対する絶えない良心の呵責などはかつて感じなかった。

渡は、自分ではちっとも、何も犠牲を払っているとは思っていないし、社会的正義のために俺はしているんだぞ、とも思っていない。生のままの「憎い、憎い!」そう思う彼の感情から、少しの無理もなくやっていた。これは彼の底からの気持といってよかった。それに彼はがんばりの意志を持っていた。

裏も表もなく、ムキ出しにされていた彼の、その「がんばり」はある時には大黒柱のように頼りにされたが、別な場合には他の組合員の狂犬のような反感をムラムラッとひき起すこともなくはなかった。色々な点で渡と似ていた工藤は、しかし彼のように何時でも一本調子に「意思」をムキ出しにはしなかった。だから彼は渡のそばにいなければならない「エンゲルス」だ、と皆にひやかし半分にいわれていた。

──渡には「二つの気持」ということがなかった。一つの気持がすることを、他の気持が思いかえしたり、思いめぐらしてクヨクヨすることが決してなかった。この事が外から見て、或は「鋼のような意志」に見えたかも知れなかった。彼は何時でもズバズバとやってのけていた。

彼は前へすぐ下る髪を、頭を振って、うるさげに払いあげながら、一人いる留置場を歩き廻った。彼の長くない、太い足は柔道をやる人のように外に曲っていた。それで彼の上体はかえって土台のしっかりしたものに乗っている、という感じを与えた。彼は一歩一歩踵に力を入れて、ゆっくり歩く癖があった。彼の靴は一番先きに、踵の外側だけが、癖の悪い人に使われた墨のように斜めに減った。

彼は歩きながら同志の者たちはどうしているだろうと思った。誰かこういう弾圧に恐怖を抱くものがあっては、その事が一番彼の考えを占めた。もしも長びくようだったら、それがもっと工合悪くなる、彼はそれに対する策略を考えてみた。

 壁には爪や、鉛筆のようなもので、色々な落書がしてあった。退屈になると、渡は丹念にそれを拾い、拾い読んだ。何処にも書かれる男と女の生殖器が大きく二つも三つもあった。

 「俺は泥棒ですよ、ハイ」「ここの署長は剣難死亡の相あり──骨相家。」「火事、火事、火事、火、火。(これが未来派のような字体で。)」「不良青年とは、もっとも人生を真剣に渡る人のことでなくして何んぞや。呵々。」「社会主義者よ、何んとかしてくれ。」

「お前が社会主義者になれ。」男と女の生殖器を向い合わせて書いてある下に「人生の悲喜劇は一本に始って、一本に終るか。嗚呼。」「私は飯が食えないんです。」「署長よ。御身の令嬢には有名な虫が喰ッついている。」「何んでえ、こったら処。誰がおっかながるものか。」「労働者よ、強くなれ。」「ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ。落書はみっともないから止しにしよう。」「糞でも喰え。」「不当にも自由を束縛されたものにとって、落書は唯だ一つののびのびと解放された楽天地だ。ここに入ってくるあらゆる人に告ぐ、大いに落書をし給え。」「労働者がこの頃生意気になりました。」「この野郎、もう一度いってみろ、たたき殺してやるぞ。労働者。」「巡査さん、山田町の吉田キヨという人妻は、男を三人持っていて、サック持参で一日置きに廻って歩いてるそうだ。探査を望む。」「お前もその一人か。」「妻と子あり、飢えている。俺はこの社会を憎む。」「ウン、大いに憎め。」「働け。」「働け? 働いて楽になる世の中だか考えてからいえ、馬鹿野郎。」「社会主義万歳。」……。

 渡は何時でも入ってくるたびに、何か書いてゆくことにしていた。今までに、決めて何度もそうしていた。

 「俺はとうとう巡査の厄介になったよ。悲しい男。」「巡査のかかあで、生活苦のために一回三円で淫売をしているものが、小樽に八人いる。穴知り生。」

 渡はそう書かれている次の空いている壁に、爪で深く傷をつけながら丹念に落書を始めた、熱中すると、知らないうちによほどの時間を消すことが出来た。それは画でも書いているような気持で出来る愉快な仕事だった。なるべく長く書こうと思った。彼は肩先きに力を入れて仕事にとりかかった。熱中したときの癖で、何時の間にか彼は舌を横に出して、一生懸命一字一字刻んで行った。

おい皆聞け!
この留置場は俺だち貧乏人だけをやッつけるためにあるものなんだ。

警察とは、城のような塀で囲んだ大きな庭をもっている金持が、金をたんまりつかませて傭っておく番犬のようなものなんだ。

金持が一度だって、警察に引張られて来た事があるか。

だが、いや全く、だが、俺だちはクヨクヨしてる暇に力を合わせて、禄でもない金持と手先きの官憲と、そしてこの禄でもない政治を打ッ壊すことをしなければならないのだ。

クヨクヨしたって涙を損するだけだ。

メソメソしたんじゃ何時まで経つたって、俺だちはやっつけられるだけだ。
おい、兄弟!

第一番先きに手を握ろう。しっかり手を握ることだ。

警察の生くらサーベルで俺だちの団結が、たたき切れると思ったら、たたき切ってみろ!

俺だち労働者は、働いて、働いて、前へつんのめるぐらい働いて、しかも貧乏している。こんなベラ棒なことがあるか。

働くものの世界──労働者と百姓の世界。利子で食い、人の頭をはねて遊んで食う金持をタタキのめしてしまった世界。

俺だちはその社会を建てるのだ。

おい、手を出せ、

しっかり握ろう。

おい、お前も! おい、お前もだ!

皆、皆!

 かなり長い時間それにかかった。渡は読み返してみて満足を感じた。口笛を吹きながら、コールテンのズボンに手をつッ込んで、離れてみたり、近寄ってみたりした。

 夜が明けていた。電灯が消えるとしかし、眼が慣れない間、室の中が急に暗くなった。壁の落書も見えなくなった。青白い、明け方の光が窓の四角に区切られて、下の方へ三、四十度の角度で入ってきていた。渡は急に大きく放屁した。それから歩きながらも、力を入れて、何度も続けて放屁した。渡は痔が悪かったので、屁はいくらでも出た。そしてそれが自分でも嫌になるほど、しつこく臭かった。「えッ糞、えッ糞!」渡はそのたびに片足をちょっと浮かして放屁した。

 八時頃かも知れなかった。入口の鍵がガチャガチャ鳴った。戸が開いて、腰に剣を吊していない巡査が指先の分れている靴下に草履を引っかけて入ってきた。

 「出るんだ。」
 「動物園の獣じゃないよ。」
 「馬鹿。」
 「帰してくれるのかい、有難いなあ。」
 「取調べだよ。」

 そういったが、急に「臭い、臭い!」と、廊下に飛び出てしまった。

 渡はそれと分ると、大きな声を出して笑い出した。おかしくて、おかしくてたまらなかった。身体を一杯にくねらして、笑いこけてしまった。こんな事が何故こうおかしいのか分らなかったが、おかしくて、おかしくて、たまらなかった。



 十五日一日のうちに、また五、六人の労働者が連れられて来た。その室が狭くなると、皆は演武場の広場に移された。室の半分は畳で、半分は板敷だった。室の三方が殆んど全部硝子窓なので、明るい外光が、薄暗い所から出て来た皆の目を、初めまばゆくさした。中央には大きなストーヴが据えつけられていた。お互に顔を見知っている者も多かったので、ストーヴを囲むと、色々な話が出た。監視の巡査は四人ほどいた。巡査も股を広げて、ストーヴに寄った。

 初め、それでも皆は巡査に気兼ねをして、だまっていた。が退屈してくると、巡査の方を見ながら、話が切れ、切れに出た。叱られたら何時でも直ぐとめられる心構えをしながら。巡査はしかし、かえってそういう話に同意をしたり、うながしたりした。巡査も退屈していた。

 日暮れになると、皆表に出された。裏口から一列に並んで外へ出ると、警察構内を半廻りして、表口からまた入れられた。「盥廻し」をされてしまったのだった。急に皆の顔が不安になった。どやどやと演武場に入ってくると、お互に顔を寄せて、どうしたんだといい合った。今度の検束が何か別な原因からだ、という直感が皆にきた。実の入っていない塩っ辛い汁で、精気がなくてボロボロした真黒い麦飯を食ってしまってから、皆はまたストーヴに寄った。が、ちっとも話がはずんでゆかなかった。

 八時過ぎに、工藤が呼ばれて出て行った。皆はギョッとして、工藤の後姿を見送った。

 夜が更けてくると、ブスブス煙ぶっているような安石炭のストーヴでは、背の方にゾクゾクと寒さが滲みこんできた。竜吉は丹前を持ち出しに、薄暗い隅の方へ行った。あとから石田がついてきた。

 「小川さん、俺こんな事皆の前でいってええか分らないので、黙っていたんだけど。」と低い声でいった。

 竜吉は胃がまた痛み出してきたのを、眉のあたりに力を入れて、我慢しながら、

 「うん?」とききかえした。

 演武場の外を、誰かが足音をカリッ、カリッとさせて歩いていた。
 ──少し前だった、石田が洗面所に行った。別々の室に入れられている皆が、お互に顔だけでも見合わされ──また運よく行って、話でも出来るのは、実は一つしかないために共同に使われていた洗面所だった。皆がそこへ行くときは、それでその機会をうまくつかめるように、心で望んでいた。

石田が入ってゆくと、正面の板壁に下げてある横に長い鏡の前で、こっちへは後を向けた肩巾の広い、厚い男が顔を洗っていた。その時は、石田は何かうっかり外のことを考えていたかも知れなかった。その男の側まで行って、彼は──と、その時ひょいと、その男が顔をあげた。石田が何気なく投げていた視線と、それがかっちり合った。「あッ!」石田はたしかに声をあげた。頭から足へ、何か目にもとまらない速さで、スウッと走った。彼は、自分の体が紙ッ片のように軽くなったのを感じた。彼は片手を洗面所の枠に支えると、反射的に片手で自分の眼から頬をなでた。顔!それが顔だろうか? 腐れた茄子のようにブシ色に腫れ上った、文字通り「お岩」の顔、そして、それが渡ではないか!

 「やられたよ。」自分で自分の顔を指さすような恰好で、笑ってみせた。笑顔!

 石田は一言もいえず、そのままでいた。心臓の下あたりがくすぐったくなるように、ふるえてきた。

 「しかし、ちっとも参らない。」
 「うん……。」
 「皆に恐怖病にとッつかれないようにって頼むでえ。」
 その時は、それだけしかいえる機会がなかった。

 「キット大きな事だって思うんだ。」石田が怒ったように、低い声でいった。

 「うむ………心当りがない事もないが。しかし、大切なことはやはり恐怖病だ。」竜吉はストーヴの廻りにいる仲間や巡査の方に眼をやりながらいった。

 「それアそうだ。しかし警察へ来てまで空元気を出して、乱暴を働かなけア闘士でないなんて考えも、やめさせなけア駄目だ。警察に来ておとなしくしているというのは、何も恐怖病にとッつかれているという事ではないんだと思う。」

 「そうだ。うん。」

 「斎藤なんぞ、」そういって、ストーヴのそばで何か手振りをしながらしゃべっている斎藤を見ながら、「この前だ、警察へ引っぱられてきて、一番罪が軽かったら、それを恥しく思って首でも吊らなかったら、そんな奴は無産階級の闘士でないなんていい出したもんだ!」

 「……うん、いや、その気持も運動をしている者がキット幾分はもつ……何んていうか、センチメンタリズムだよ。同志に済まないって気がするもんだからな、そんな場合しかし、勿論それア機会あるごとに直して行かなけアならない事だよ。」

 石田は相手を見て、何か言葉をはさもうとした、しかしやめると、考える顔をした。

 「それはしかし、案外面倒な方法だと思うんだ。そいつをあまり真正面から小児病だとか、なんとかいい出すと、ところが肝心要めの情熱そのものを根っからプッつり引っこ抜いてしまう事にならないとも限らないからなあ。勿論それア、その二つのものは別物だけどさ。」

 石田は自分の爪先を見ながら、その辺を歩き出した。

 「大切なことは、その情熱をそのまま正しい道の方へ流し込んでやるッて事らしいよ。──情熱は何んといったって、やはり一番大きな、根本的なものだと思うんだ。」竜吉は何かを考えて、フト言葉を切った。

「革命的理論なくして、革命的行動はあり得ないッて言葉があるさ、君も知ってる有名な奴さ。けれども、それはそれだけじゃ本当は足りないと、俺は思ってるんだ。その言葉の底に当然のものとして省略されてるが大物は、何といったって情熱だよ。」

 「線香花火の情熱はあやまるよ。牛が、何がなんであろうと、しかし決してやめる事なく、のそりのそり歩いてゆく、それが殊に俺たちの執拗な長い間の努力の要る運動に必要な情熱じゃないか、と思うんだ。」

 「そうだ情熱はしかし、人によって色々異った形で出るものだよ。俺だちの運動は二、三人の気の合った仲間ばかりで出来るものじゃないのだから、その点、大きな気持──それらをグッと引きしめる一段と高い気持に、それを結びつけることによって、それらの差異をなるべく溶合するように気をつけなければならない、と思うんだ。−それア、どうしたって個人的にいって不愉快なこともあるさ。だが勿論そんなことに拘わるのは嘘だよ。俺だって渡がある方面では嫌なところがある。渡ばかりじゃない。しかし、決してそれで分離することはしないよ。それじゃ組織体としての俺だちの運動は出来ないんだから。」

 「うん、うん。」

 「これから色々困難な事に打ち当るさ。そうすればキットこんな事で、案外重大な裂目を引き起さないとも限らないんだ。俺だちはもっともっと、こういう隠れている、何んでもないような事に本気で、気をつけて行かなければならないと思ってるよ。」

 「うん、うん。」石田は口の中で何遍もうなずいた。
(小林多喜二「蟹工船 一九二八・三・一五」岩波文庫 p187-199)

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任務に命をかける山本宣治のたたかい

 山本宣治は昭和四年三月五日に反動の凶刃に倒れた。彼と関係の深かった私には、この時の思い出はいまも鮮烈である。

 彼は、この前年の二月の第一回普選で京都第二区から代議士に当選した。国民は「帝国議会」にはじめて代表を送りこんだのである。

 しかし、当時、真に国民の立場に立った議会闘争をおこなうことがいかに困難であったか。共産党は依然として「国賊」、民主主義運動は相変わらず犯罪視された。

 選挙が終わると政府は、日本共産党の大検挙(三・一五事件)、労農党、評議会、無産青年同盟の解散、治安維持法の死刑法への改悪など、矢つぎばやに弾圧を強化した。同時に労農党所属の山本、水谷両代議士にたいして、公然と国賊呼ばわりをし、その自決を強要し、除名を企てた。鈴木内相みずから、四月二十五日の共産党事件報告の衆議院本会議で、両代議士を指さしながら絶叫した。「この両君こそ、共産党と最も密接な関係にある労農党から出られたものである!」(当時の議事録)

 反動テロ分子が、いっせいに二人をマークしはじめたのはいうまでもない。

 山本宣治はこの時の状況をのちにこう語っている。(一九二九年二月二十二日同志社での演説)

 「私どもは院内でも便所へ行く時にさえ守衛についてもらった。便所の中で締め殺される恐れがあったからだ」

 山本宜治の議員生活は一年にすぎない。しかも第五十五議会では発言の機会もえず、第五十六議会になって数回えただけである。しかし、その数回の発言がわが革命運動史上長く残るものとなった。ことに二月八日の予算委第二分科会での「拷問・不法監禁に対する質問」は、敵の心胆を寒からしめた。彼はここで、人民を理由もなく不法に監禁する天皇制警察行政の問題、この前年の天皇即位の時期におこなわれた全国的人民不法拘禁と虐殺の問題、三・一五事件で全国的におこなわれた拷問の問題等を取り上げた。答弁に立った秋田政務次官は、はじめは「善処します」などと殊勝に答えていたが、最後には、事実のあまりの悲惨さに、蒼白となって「そういう事実は認めませぬ、認めませぬ」と叫ぶだけだった。

 ところで、私は三・一五事件で検挙されたがこの年の暮れ、獄中で持病の肺患が悪化し、責付出獄となって、そのころ今熊野の自宅に刑事の監視つきで病臥していた。山本宣治はその私の病床へ東京から彼の発言録を次つぎ送ってきた。私は見ながらはらはらした。私は彼が任務に命をかけていることを知った。

 山本宣治が遭難した晩、彼のいとこの安田徳太郎博士は、京都から宇治の山本留守宅へ駆けつけた。博士はこう書いている。

 「私は山本家に着くや迎えにでた山中君と抱きあって『やられた、残念だ』と男泣きに泣いた。山本の母堂と夫人は端座していたが、母堂は私の顔を見るなり『うちのものがそんなに興奮しては困る』と叱りつけた。『私も千代もかねがね覚悟していたんですよ』。私はおばのしっかりした態度がかえって気味悪かった」

 山本宣治の決死の闘争はその家族からも必死の覚悟で支持されていたのである。(一九七一年七月二十四日『赤旗』)
(谷口善太郎著「つりのできぬ釣り師」新日本出版社 p143-145)

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◎「彼が任務に命をかけていることを知った」と。