学習通信080716
◎「監督の棍棒(こんぼう)」が何の役にも立たない!……

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朝の風

六中総と「蟹工船」

 六中総の志位和夫委員長報告で示された、現在の青年に接近する視点には、「蟹工船」論にも通じる新鮮なものがある。

 この作品では、今日の「使い捨て」労働につながる過酷な現実が描かれているが、同時にそこに、傷つけられた人々が人間的尊厳に目覚めるプロセスがどう描かれたかが重要であろう。

 作者は各地から集まる漁夫、雑夫を集団としてとらえながらも、連帯行動に立ち上がる過程ではむしろ一人一人の個性、役割を意識的に描き分けることになる。それは、ストライキを個々の人間的自覚にもとづく行為としてとらえるからに他ならない。

 小林多喜二は、蔵原惟人にあてた手紙で書いている。「この作では未組織な労働者を取扱っている。──作者の把握がルムペンにおち入ることなく、描き出すこと」。当時の文学は、「未組織」といえば「ルムペン」、すなわち放浪者扱いする描き方に陥っていたが、多喜二はこれを「労働者」、人間としてとらえ直すことによって真実に接近できると考えたものである。

 「蟹工船」は、社会主義の「プロパガンダ」だなどと一部で評する向きがあるが、それではいま起こっているブームの画期性に迫ることはできないのではないか。(乾)
(「赤旗」20080716)

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 漁夫達は何日も何日も続く過労のために、だんだん朝起きられなくなった。監督が石油の空罐(あきかん)を寝ている耳もとでたたいて歩いた。眼を開けて、起き上るまで、やけに罐をたたいた。脚気(かっけ)のものが、頭を半分上げて何か云っている。然(しか)し監督は見ない振りで、空罐をやめない。声が聞えないので、金魚が水際に出てきて、空気を吸っている時のように、口だけパクパク動いてみえた。いい加減たたいてから、
「どうしたんだ、タタき起すど!」と怒鳴りつけた。「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け! 馬鹿野郎」

 病人は皆蒲団(ふとん)を剥(は)ぎとられて、甲板へ押し出された。脚気のものは階段の段々に足先きがつまずいた。手すりにつかまりながら、身体を斜めにして、自分の足を自分の手で持ち上げて、階段を上がった。心臓が一足毎に無気味にピンピン蹴(け)るようにはね上った。

 監督も、雑夫長も病人には、継子(ままこ)にでも対するようにジリジリと陰険だった。「肉詰」をしていると追い立てて、甲板で「爪たたき」をさせられる。それを一寸(ちょっと)していると「紙巻」の方へ廻わされる。底寒くて、薄暗い工場の中ですべる足元に気をつけながら、立ちつくしていると、膝(ひざ)から下は義足に触るより無感覚になり、ひょいとすると膝の関節が、蝶(ちょう)つがいが離れたように、不覚にヘナヘナと坐り込んでしまいそうになった。

 学生が蟹をつぶした汚れた手の甲で、額を軽くたたいていた。一寸すると、そのまま横倒しに後へ倒れてしまった。その時、側に積(か)さなっていた罐詰の空罐がひどく音をたてて、学生の倒れた上に崩れ落ちた。それが船の傾斜に沿って、機械の下や荷物の間に、光りながら円るく転んで行った。仲間が周章てて学生をハッチに連れて行こうとした。それが丁度、監督が口笛を吹きながら工場に下りてきたのと、会った。ひょいと見てとると、

「誰が仕事を離れったんだ!」
「誰が……」思わずグッと来た一人が、肩でつッかかるようにせき込んだ。
「誰がア――? この野郎、もう一度云ってみろ!」監督はポケットからピストルを取り出して、玩具のようにいじり廻わした。それから、急に大声で、口を三角形にゆがめながら、背のびをするように身体をゆすって、笑い出した。
「水を持って来い!」
 監督は桶(おけ)一杯に水を受取ると、枕木のように床に置き捨てになっている学生の顔に、いきなり――一度に、それを浴せかけた。
「これでええんだ。――要(い)らないものなんか見なくてもええ、仕事でもしやがれ!」

 次の朝、雑夫が工場に下りて行くと、旋盤の鉄柱に、前の日の学生が縛りつけられているのを見た。首をひねられた鶏のように、首をガクリ胸に落し込んで、背筋の先端に大きな関節を一つポコンと露(あら)わに見せていた。そして子供の前掛けのように、胸に、それが明らかに監督の筆致で、

「此者ハ不忠ナル偽病者ニツキ、麻縄(あさなわ)ヲ解クコトヲ禁ズ」

 と書いたボール紙を吊していた。

 額に手をやってみると、冷えきった鉄に触るより冷たくなっている。雑夫等は工場に入るまで、ガヤガヤしゃべっていた。それが誰も口をきくものがない。後から雑夫長の下りてくる声をきくと、彼等はその学生の縛られている機械から二つに分れて各々の持場に流れて行った。

 蟹漁が忙がしくなると、ヤケに当ってくる。前歯を折られて、一晩中「血の唾」をはいたり、過労で作業中に卒倒したり、眼から血を出したり、平手で滅茶苦茶に叩(たた)かれて、耳が聞えなくなったりした。あんまり疲れてくると、皆は酒に酔ったよりも他愛なくなった。時間がくると、「これでいい」と、フト安心すると、瞬間クラクラッとした。

 皆が仕舞いかけると、
「今日は九時までだ」と監督が怒鳴って歩いた。「この野郎達、仕舞いだッて云う時だけ、手廻わしを早くしやがって!」

 皆は高速度写真のようにノロノロ又立ち上った。それしか気力がなくなっていた。

「いいか、此処(ここ)へは二度も、三度も出直して来れるところじゃないんだ。それに何時(いつ)だって蟹が取れるとも限ったものでもないんだ。それを一日の働きが十時間だから十三時間だからって、それでピッタリやめられたら、飛んでもないことになるんだ。――仕事の性質(たち)が異(ちが)うんだ。いいか、その代り蟹が採れない時は、お前達を勿体ない程ブラブラさせておくんだ」監督は「糞壺」へ降りてきて、そんなことを云った。「露助はな、魚が何んぼ眼の前で群化(くき)てきても、時間が来れば一分も違わずに、仕事をブン投げてしまうんだ。んだから――んな心掛けだから露西亜(ロシア)の国がああなったんだ。日本男児の断じて真似(まね)てならないことだ!」

 何に云ってるんだ、ペテン野郎! そう思って聞いていないものもあった。然し大部分は監督にそう云われると日本人はやはり偉いんだ、という気にされた。そして自分達の毎日の残虐な苦しさが、何か「英雄的」なものに見え、それがせめても皆を慰めさせた。

 甲板で仕事をしていると、よく水平線を横切って、駆逐艦が南下して行った。後尾に日本の旗がはためくのが見えた。漁夫等は興奮から、眼に涙を一杯ためて、帽子をつかんで振った。――あれだけだ。俺達の味方は、と思った。

「畜生、あいつを見ると、涙が出やがる」
 だんだん小さくなって、煙にまつわって見えなくなるまで見送った。

 雑巾切れのように、クタクタになって帰ってくると、皆は思い合わせたように、相手もなく、ただ「畜生!」と怒鳴った。暗がりで、それは憎悪(ぞうお)に満ちた牡牛(おうし)の唸(うな)り声に似ていた。誰に対してか彼等自身分ってはいなかったが、然し毎日々々同じ「糞壺」の中にいて、二百人近くのもの等がお互にブッキラ棒にしゃべり合っているうちに、眼に見えずに、考えること、云うこと、することが、(なめくじが地面を匐(は)うほどののろさだが)同じになって行った。――その同じ流れのうちでも、勿論澱(よど)んだように足ぶみをするものが出来たり、別な方へ外(そ)れて行く中年の漁夫もある。然しそのどれもが、自分では何んにも気付かないうちに、そうなって行き、そして何時の間にか、ハッキリ分れ、分れになっていた。

 朝だった。タラップをノロノロ上りながら、炭山(やま)から来た男が、
「とても続かねえや」と云った。

 前の日は十時近くまでやって、身体は壊(こわ)れかかった機械のようにギクギクしていた。タラップを上りながら、ひょいとすると、眠っていた。後から「オイ」と声をかけられて思わず手と足を動かす。そして、足を踏み外(はず)して、のめったまま腹ん這(ば)いになった。

 仕事につく前に、皆が工場に降りて行って、片隅(かたすみ)に溜(たま)った。どれも泥人形のような顔をしている。

「俺ア仕事サボるんだ。出来ねえ」――炭山(やま)だった。
 皆も黙ったまま、顔を動かした。
 一寸して、
「大焼きが入るからな……」と誰か云った。
「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」
 炭山(やま)が袖を上膊(じょうはく)のところまで、まくり上げて、眼の前ですかして見るようにかざした。
「長げえことねえんだ。――俺アずるけてサボるんでねえんだど」
「それだら、そんだ」
「…………」

 その日、監督は鶏冠(とさか)をピンと立てた喧嘩鶏(けんかどり)のように、工場を廻って歩いていた。「どうした、どうした」と怒鳴り散らした。がノロノロと仕事をしているのが一人、二人でなしに、あっちでも、こっちでも――殆(ほと)んど全部なので、ただイライラ歩き廻ることしか出来なかった。漁夫達も船員もそういう監督を見るのは始めてだった。上甲板で、網から外した蟹が無数に、ガサガサと歩く音がした。通りの悪い下水道のように、仕事がドンドンつまって行った。然し「監督の棍棒(こんぼう)」が何の役にも立たない!

 仕事が終ってから、煮しまった手拭(てぬぐい)で首を拭きながら、皆ゾロゾロ「糞壺」に帰ってきた。顔を見合うと、思わず笑い出した。それが何故(なぜ)か分らずに、おかしくて、おかしくて仕様がなかった。

 それが船員の方にも移って行った。船員を漁夫とにらみ合わせて、仕事をさせ、いい加減に馬鹿をみせられていたことが分ると、彼等も時々「サボリ」出した。

「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど」

 仕事の出しなに、誰かそう云うと、皆そうなった。然し「サボ」と云っても、ただ身体を楽に使うということでしかなかったが。

 誰だって身体がおかしくなっていた。イザとなったら「仕方がない」やるさ。「殺されること」はどっち道同じことだ。そんな気が皆にあった。――ただ、もうたまらなかった。
(小林多喜二「蟹工船」新潮文庫 p76-83)

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第6回中央委員会総会
志位委員長の幹部会報告

──略

若い世代が直面している「二重の苦しみ」に心を寄せる

 いま多くの若者を襲っている現実の生活苦は、日本社会として一刻も放置することが許されない深刻なものです。若者は、職場では、派遣、請負、期間社員などの「使い捨て」労働、長時間過密労働と重いストレスのもとにおかれ、学校では、耐えがたい学費負担にあえぎ、「貧困と格差」の一つの集中点とされています。

 同時に、若者の多くが、その生活苦の責任を、「自己責任」のように思いこまされ、人間としての誇りや尊厳を深く傷つけられている苦しみも深刻です。家庭の貧困、学校での過度な競争とふるいわけの教育、職場でのモノあつかいの「使い捨て」労働などのもとで、多くの若者たちが自己肯定感情――自分を尊いと感ずる感情をもてず、豊かな人間関係を築くことを妨げられ、連帯することが困難な状態におかれ、「生きづらい」「居場所がない」と感じていることは、ほんとうに心の痛む事態であります。

 こうした苦しみの深さは、これまでなかったものです。それだけに、党が若い世代に働きかけるさい、若い世代の悩み、願いをとっくりと聞くことを、あらゆる活動の出発点とし、そして悩みと要求にこたえるために力をあわせるという姿勢が大切であります。

 いま注目すべきは、若者たちのなかに、自らの生活苦は「自分の責任ではない」「政治と社会の問題ではないか」との自覚が広がり、仲間をつくり、自ら労働組合をつくって、たちあがる動きがおこりつつあることであります。先ほど『蟹工船』がブームだということをのべましたが、このことは多くのメディアでとりあげられています。NHKが、最近、「今若者が読む『蟹工船』 共感する理由は」と題する特集を放映しました。そこに登場したある若者は「『蟹工船』は社会に声をあげることの大切さを教えてくれた」とのべました。もう一人の若者は「他人のことを自分のことのように考える『蟹工船』の労働者に心を動かされ、自分の生き方を見つめなおした」と紹介されました。番組は、「社会の一員として声をあげる。他人を思いやる――『蟹工船』のメッセージが現在の若者の心を照らしています」と結びました。

 困難をのりこえて人間的連帯、社会的連帯の道を模索し、前途を切り開こうとしている若者のたたかいを心から励まし、ともにたたかう姿勢が大切であります。
(「赤旗」20080713)

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◎「傷つけられた人々が人間的尊厳に目覚めるプロセスがどう描かれたか」と。