学習通信080729
◎働かなくては生きていけない……
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マルクス「1844年の経済学・哲学手稿」
(第一手稿)
労 賃
──以上略──
人間にたいする需要は、他のどのような商品の生産の場合もそうであるように、必然的に人間たちの生産を規制する。
供給が需要よりもずっと大きいと、労働者たちの一部は乞食状態か餓死におちいる。かくて労働者のあり方は他のあらゆる商品のあり方の条件へ引き下げられているわけである。
労働者は一つの商品となったのであって、もしも彼が自分をうまく売りつけることができれば、それは彼にとって一つの幸運なのである。そして労働者の生活を左右するところの需要は、富者と資本家たちの気まぐれにかかっている。
供給の量が需要を上〔まわる〕と、価格を〔構成する〕諸部分、すなわち利潤、地代、労賃のうちの一〔つ〕は価格以下に支払われており、〔これ〕らの諸支払いの〔一部〕は、したがってこの使い方からまぬがれ、かくて市場価格は中心点としての自然的価格〔のほうへ〕ずり寄っていく。
しかし、(1)労働者にとっては労働の分割が大きい場合には、彼の労働に別の方向をあたえることは至難であり、(2)資本家にたいするその従属的な間柄のゆえに、彼がまず不利益をこうむる。
したがって市場価格が自然的価格へずり寄る場合、労働者の失うところは最も大きく、そして無条件的である。そして自分の資本にある別な方向をあたえることができる資本家の能力こそが、ある特定の労働部門でしか能のない労働者を食いはぐれにさせるか、さもなければその資本家のどんな要求にでも否応なしに従わせるかするのである。
市場価格の偶然かつ突然の変動は地代にひびくよりももっと、価格のうちの利潤と給料へ分解された部分へひびくが、しかし利潤によりももっと労賃にひびく。上がる労賃があれば、たいていの場合、変わらないままの労賃と、下がる労賃がある。
労働〔者〕は資本家の儲けとともにかならず儲けるとは、かぎらないが、しかし資本家とともにかならず損をする。
(「ME八巻選集@」大月書店 p30-31)
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──フリーター生活に疲れ、マトモに正社員など目指したってなれないことは明白だ。なぜなら、履歴書に書ける私のすべては、誰も知らないような北海道の片田舎の高校卒、資格一切なし、職歴なし、今までフリーターをやってきました、ということだけなのだ。フリーター歴が長ければ長いほど、企業としてはマイナスポイントになるという転倒は周知の通りである。日本経団連の調査では、フリーターを積極的に採用したい企業は一・六パーセント。ということは、ほとんどの企業がフリーターなど雇いたくないということだ。フリーターなどの非正規雇用を安く使って利益を得ながらなんという勝手な言い分だろう。しかし、現実はこうなのだ。
そのことを裏づけるように、当時、私とともにフリーターをしていた人たちは、いまもフリーターのままである。いや、フリーターならまだいいほうで、心を病んでしまったり、ひきこもりになっている人も多く、自殺者も出ている。そもそも、三〇代になってフリーターを続けていたところで、もちろん時給は二〇歳のときと同じ。一〇年間、一円たりとも時給が上がらないなんて当たり前にある。上がっていても数十円から数百円。年をとるほど労働力としての価値は低くなり、年齢制限にも引っかかるようになる。また、年下の正社員である「上司」にこき使われたりもする。そんな生活を続けていると、身体だけでなく精神にもガタがきて、若い頃のようには働けなくなってくる。そして三五歳ともなれば「フリーター」という枠からも弾かれ、ただの「年をとった低収入の人」という存在だ。もちろん結婚など夢のまた夢、子どもを生むなど自殺行為だ。
私がフリーターだった九四年から九九年頃、フリーターのイメージはいまほど悪くなかった。会社に縛られ、毎日満員電車に乗り、かわり映えのしない日々を続けることで一生を終える「サラリーマン」的な生き方を否定するところから「フリーター」という働き方は注目され、そして若者たちに支持された。当時のフリーター向け求人語には、いたるところに「朝起きられない」「満員電車が嫌」「平日に休みたい」「自由でいたい」というような、フリーターの気持ちを代弁したつもりになっているキャッチコピーが踊っていた。そんな言葉にある程度の共感もあったが、それよりは即物的な欲望を刺激されているようで嫌だった。
自分はそんなくだらない理由でフリーターになったのではない、という自負もどこかにあった。フリーターを選んだのは、「やりたいことがある」という理由もあったからだ。が、フリーター生活のなかでやりたいことができたのかというと、そもそもやりたいことがなかなか見つからないまま、さまざまなことに手をつけていたというのが現状だ。そんな時期は必要なのだが、そのうちにバイトにも、そんな生活にも疲れてしまう。「フリーター」という言葉が象徴するものに騙されているのかもしれないと思ったときには手遅れなのだ。
そして現実に、数字としても格差がつきつけられる。たとえば工場で派遣で働く人の場合、一〇代でも三〇代でも時給はだいたい一〇〇〇円程度だ。三〇代も後半にさしかかかれば、ほとんど同じ仕事をしている正社員との賃金格差は倍になる。派遣であれば年収は二〇〇万円代前半だが、正社員は五〇〇万円以上もらっている、ということが当たり前に起こってくる。ボーナスもなく、退職金もないうえ、ずっと働き続けられるという保証などはじめからない。次の契約で切られるか、それとも更新されるか、つねに自分の運命は誰かの手に委ねられている。それで契約を打ち切られれば、また次の職場を探すしかない。が、ある時期からことごとく年齢制限に引っかかってしまう。こうして気づいた頃には取りかえしのつかない場所にいるのである。
そんな生活は、精神を破壊していく。私ももちろんそうだった。一ミリたりとも描けない将来のビジョン。時間と労働力だけ切り売りしているはずなのに、どうしようもなく消耗していく自分自身。そしてどこかで「くだらない仕事」と馬鹿にしながらも、そんなくだらない仕事にさえ必要とされないという事実は、私に「生きている価値がない」と思わせるに十分だった。そうしてうつ状態に陥る。そうすると働くことさえできなくなる。そしてさらに精神的に追い詰められるという悪循環。
当時の私は、つねに働いていたわけではない。特に、クビになった後には落ち込んで、またそんな目に遣うのではないのかという恐怖からなかなか動き出せずにいた。人間不信と対人恐怖、そして自分自身を否定する気持ちで、何もできなくなってしまうのだ。
しかし、働かなくては生きていけない。食べていかなければならないし、電気やガスも必要だ。が、身体はどうしても動かない。焦りに焦って強迫神経症のように求人誌を買い集めるものの、ページを開くことさえできずに一週間が過ぎていく。そしてまた次の発売日。求人誌を買い集め、なんとか面接の予定を入れようと電話しても、面接にすらこぎ着くことができない。ようやく面接までたどり着いてもことごとく落ちてしまう。私には何か重大な欠陥があるのだろうか?私は人よりも相当劣っているのだろうか? そんなことのひとつひとつが「お前は必要とされていない」というメッセージとしていちいち胸に突き剌さる。
とりたてて無計画に生きていたつもりもないのに、見えない穴に落ちてしまったかのように、いつのまにかそこから抜け出すことができなくなっている。そしてどうやら、自分は「就職」ということからも弾かれてしまっている。ということは、このままずっと、八〇〇円から一〇〇〇円程度の時給で、いつクビを切られるかわからないなかで働いていかないといけないということだ。これに気づいたときには本当に愕然とした。
バイトをクビになれば手首を切り、将来への不安に押しつぶされそうになると意識を濁らせるためにオーバードーズした。年を重ねれば重ねるほど、焦りは大きくなっていく。増え続ける年下のバイトや正社員。腹立たしい「ボーナス」という言葉。しかし、ここから脱出できる方法がわからない。気がつけば、ピンサロの面接にまで行っていた自分がいた。とにかくお金が欲しかったのだろう。あるいは取りかえ可能なバイトに嫌気がさし、「自分」が必要とされたかったのかもしれない。が、薄暗い店内でアジア系外国人に一生懸命サービスする半裸の女の子たちを見た瞬間、我に返り、逃げてきた。
とにかく、精神は破壊される寸前だった。が、風俗嬢たちに話を聞くと、彼女たちの多くもそんな心の軌跡を経て風俗業界に足を踏み入れている。せっぱつまって冷静な判断ができなくなったとき、若くて性別が女であれば、程度の差はあれそれくらいの行動はするものだ。
そしていま、状況は、私がフリーター時代に思い描いていた最悪のシナリオと寸分違わぬ形で現れている。三〇代でフリーターということは、四〇代になっても五〇代になってもフリーターということだ。二五歳から三四歳のフリーターは九七万人。三五歳以上の「年長フリーター」は○一年度で四六万人。二〇一一年には一三二万人に増えると予想されている(UFJ総合研究所の調査「増加する中高年フリーター」〇五年)。彼らの親の多くはすでに定年を迎え、あと数年もすれば死んでいく親もどっと増える。コロツと死んでくれればまだいいが、介護が必要になる親も増えるだろう。フリーターはいまのところ、多くが親の金に頼ることでかろうじてホームレスになっていないが、これから先、本当にどうなるのだろうか。普通に考えても、貧困からの一家心中が激増することが予想される。
私が二〇代の頃、周りにはいわゆる「夢追い系」といわれるフリーターが多かった。彼らは音楽など、自分のやりたいことをやりながらバイトで生活していた。そんな人たちが三〇代にさしかかったとき、何人かが自ら命を絶った。私はそこで知ったのだ。いまの日本では、二〇代で夢を追い、三〇代になって夢を諦め、そこから「普通」といわれる生き方をしようとしても、そこに受け皿など用意されていないということを。彼らはどれほど望もうとも就職など滅多にできず、いままで自由に生きてきたことへの「罰」を与えられるように社会から排除され、自殺にまで追い込まれていく。先日、留学先から数年ぶりに帰国したある女性もいっていた。「本当に、まったく仕事がない。まるで日本の社会から、自由に生きた罰を受けているみたい」。
ある意味、フリーターを選んだ人々は、真摯に試行錯誤した人でもある。正社員の職がなく、雇用情勢が好転するまでのつもりでフリーターになった人も多いが、自らフリーターを選んだ人のなかには、学校を出てすぐに就職という道ではなく、留学やボランティア活動などさまざまなことを経験したうえで就職したいと考えている人も多い。そういった期間は絶対に必要なのだ。そして日本以外の多くの国ではそれが当たり前に許されている。
が、日本の場合、新卒で就職しないと、もう正規のルートにはなかなか戻れない。私自身もフリーター時代、「やりたいこと」を探してさまざまなことに手をつけたからこそ、ものを書く仕事をしているわけで、それくらいの試行錯誤は若い世代には許されるべきなのだ。しかし、社会は一度正当といわれるコースからはみ出た人にあまりにも冷たい。だけどいま、そもそもその「正当なコース」に乗ることすら、大多数の人には不可能となっている。
だから、「働く」とは? 「生きる」とは? ということが、根本から問い直されるべきなのだ。
(雨宮処凜著「生きさせろ!」太田出版 p28-33)
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若い世代が直面している「二重の苦しみ」に心を寄せる
一つは、若い世代のおかれている実態、要求、悩みに心を寄せ、耳を傾け、ともに現状の打開をはかることであります。そのさい、第二十四回党大会の結語でのべた、若い世代が直面している「二重の苦しみ」に心を寄せることをとくに重視したいと思います。
いま多くの若者を襲っている現実の生活苦は、日本社会として一刻も放置することが許されない深刻なものです。若者は、職場では、派遣、請負、期間社員などの「使い捨て」労働、長時間過密労働と重いストレスのもとにおかれ、学校では、耐えがたい学費負担にあえぎ、「貧困と格差」の一つの集中点とされています。
同時に、若者の多くが、その生活苦の責任を、「自己責任」のように思いこまされ、人間としての誇りや尊厳を深く傷つけられている苦しみも深刻です。家庭の貧困、学校での過度な競争とふるいわけの教育、職場でのモノあつかいの「使い捨て」労働などのもとで、多くの若者たちが自己肯定感情――自分を尊いと感ずる感情をもてず、豊かな人間関係を築くことを妨げられ、連帯することが困難な状態におかれ、「生きづらい」「居場所がない」と感じていることは、ほんとうに心の痛む事態であります。
こうした苦しみの深さは、これまでなかったものです。それだけに、党が若い世代に働きかけるさい、若い世代の悩み、願いをとっくりと聞くことを、あらゆる活動の出発点とし、そして悩みと要求にこたえるために力をあわせるという姿勢が大切であります。
いま注目すべきは、若者たちのなかに、自らの生活苦は「自分の責任ではない」「政治と社会の問題ではないか」との自覚が広がり、仲間をつくり、自ら労働組合をつくって、たちあがる動きがおこりつつあることであります。先ほど『蟹工船』がブームだということをのべましたが、このことは多くのメディアでとりあげられています。NHKが、最近、「今若者が読む『蟹工船』 共感する理由は」と題する特集を放映しました。そこに登場したある若者は「『蟹工船』は社会に声をあげることの大切さを教えてくれた」とのべました。もう一人の若者は「他人のことを自分のことのように考える『蟹工船』の労働者に心を動かされ、自分の生き方を見つめなおした」と紹介されました。番組は、「社会の一員として声をあげる。他人を思いやる――『蟹工船』のメッセージが現在の若者の心を照らしています」と結びました。
困難をのりこえて人間的連帯、社会的連帯の道を模索し、前途を切り開こうとしている若者のたたかいを心から励まし、ともにたたかう姿勢が大切であります。
(日本共産党 第6回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告「赤旗」20080713)
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だから、「働く」とは? 「生きる」とは? ということが、根本から問い直されるべきなのだ。