学習通信080822
◎その女のひとの心がちぢかまる……

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 マルクスが、むすめのたわむれの質問に回答しているなかに、つぎのような項目がある。

あなたの好きな男性の徳行
  ──強さ
あなたの好きな女性の徳行
  ──弱さ

 あるとき、わたしは、このくだりを、Rという女の人に示した。意地わるく、マルクスということは伏せておいた。Rは組合の支部の婦人部長をやっていた。

 なに、これ。バカにしてるわ。というのが彼女の卒直な直感反応だった。男はつよい、女はよわい、そうきめつけているのがアタマにくる、というわけだった。

 そうはいってないだろう、好きな徳行となってるだろう、それでもアタマにくるかい、とわたしはききかえした。おなじことよ、よわい女が好きだっていうんでしょ、まるきり男性本位じゃないの、ここの男の人たちとおんなしよ、と彼女のフンマンが職場の現状慨嘆に転化しはじめた。

 そうしてから、おもむろに、わたしはそれがマルクスのことばだという種明かしをした。一瞬、けげんな表情が彼女の顔を走ったが、気丈さをとりもどすかのように、彼女は、支部委員会で意見をのべるときの口調で、こういったものである。

 マルクスだってだれだって、男女差の是認はゆるせないわ。

 わたしが労働組合運動をもっぱらやっていたそのころには、よくこういったタイプの婦人活動家がいたものだ。もう十年以上たった。いまは変わっているかもしれぬ。なにしろ、十年ひとむかしというのだから、変わっていないはずはない。

 職場では男女差がはっきりとあった。給料の基準もちがっていたし、お茶汲みは女子の役目というような習慣が生きていた。婦人で課長になるという例は、まずなかった。べつの会社では、女子三十五歳定年制などという案がもちだされて、業界内の全組合の集中反撃がまきおこっていた。

 そういう状況のなかでは、むしろRのような、かたくななまでの、権利擁護∞権利拡張§_者のが存在は、貴重なものというべきだったろう。じじつ、彼女は組合でも職場でも、つねに勇敢に、ホーケン的な男性たちとたたかって、男女差撤廃を主張しつづけていた。

 彼女の組合運動のすべては、この男女差撤廃の一点で、もっともはげしく燃えるかに見えた。すべての現象に、男女差の匂いをいちはやくするどくかぎつけては、それをもっとも情熱的に告発し糾弾しつづけた。

 彼女にとって、男はすべて敵、ではないにしても、敵性を帯びているものとして、目にうつるようであった。男と女の問題でいえば、けっきょくは男が反動的なのよ、彼女はそう主張しつづけた。

 彼女にそういわれると、日ごろ、おい、お茶、などと調子のいいところをつかまえられている男たちはもちろん、組合で男女差撤廃のための方針なんかと熱心にとりくんでいる青年たちでも、ことばにつまった。大小の弱味に心あたりのない手合いは、ごくまれだったからだろう。

 わたしもその一人だった。そこで一策を案じてのマルクスとなったわけだった。

 だが、マルクスも一蹴されるのを見て、彼女の信念≠フ強靭さをあらためて認識させられた。

 Rくんみたいじゃおヨメのもらい手がつかないぜ、などと男たちが嫌味をささやくのはいいとしても、Rさんってどんな人と結婚しようというのかしら、というぐあいの同性の心配を集めるようにすらなっていた。もっとも、結婚なんか問題じゃないわ、というのが、彼女のもうひとつの信念≠セったけれど。

 彼女の父はある会社の重役だということだった。彼女がものごころついてからは、別居してほかのひとといっしょに住んでいるのだ、と彼女から直接きいていた。彼女も家をとびだして、ひとりで下宿ぐらしをしていた。そんなことが、彼女に勝気な感情理論≠フバリケードをきずかせたのであったろう。

 会社が男女差を温存し、それを助長しながら、社員をやすくおとなしく仕事させようとしているのは事実だった。それを彼女は、もっぱら男子のせいというふうに見て、そこに敵意を発散しつづけた。青年部と婦人部とのいいあいというような形で、組合のエネルギーが消耗されるようなこともあった。その後わたしはその職場をやめたが、彼女も組合の役員をやめ、やがて会社もやめた、とひとづてにきいた。組合もなにも見込みがない、とフンマンやるかたない絶望をかこちつづけた、ということだった。

 四、五年たって、結婚したそうよ、ということを、ウワサとしてきいた。どんなふうな家庭を彼女がもっているのか、意地わるい好奇心だけでなく知りたいところだが、そこまではきいていない。

 ともかく、オトコとオンナというのは、かんたんでない。オトコばかり、オンナばかりなどという人生はない。両方あっての人生であり、人生のおもしろさである。かんたんにわかってしまわないほうがいい。どうじに、永遠にわからないなどといってかんたんに投げださないほうがいい。

 ロミオとジュリエット、といった芝居が今日でもおもしろいのは、そのへんのことが、かんたんにわかってすませられる問題でないからだろう。どうじに、すこしでもわかろうとする心をさそいつづける問題が、そこに生きているからだ。オトコとオンナ、これは永遠の人生のテーマといってよいだろう。

 ボーボワールは、女は「女として生まれるのではない。女になるのである」、ということを書いている。これを、男とおきがえてみてもよかろう。もっとも、「男になる」ということばには、妙に仁侠的なひびきなどが日本語ではつきまといがちだけれども。

 女になる、男になる──という過程は、人間が人間として生まれると同時に、人間になる、人間にならなければならぬ、人間らしく生きなければならぬ、という人生過程の、二つのヴァリエーションということもできるだろう。らしく、ということを、卑俗に、皮相にとっては、むかしの「女大学」やできのわるいナニワ節になってしまうが、しかし、真の意味で、女になる、男になる、ということの中味は、かんたんではない。しかも、このヴァリエーションは、女か男かの限定された二つしかない。こうしたありようを、わたしはおもしろいというのである。

 つまり、社会主義になっても、共産主義になっても、男と女の矛盾はなくならないだろう。社会的な不当な差別や従属とその根源をたちきることはできる。が、矛盾そのものはちがった形で、その時代の世界と人生を彩どり、それを発展させていくだろう。
(土井大助著「詩と人生について」飯塚書店 p68-71)

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自信のあるなし

 私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされる。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信の無さに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。

 一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女のひとの心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。

 けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。

でも自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向っていいきれない場合である。

成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。

けれども、一体自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれる筈のものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあリ得ないものだろうか。

 私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしとはいえるのだと思う。

あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。

その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。

行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければならない青春に自信というものがあり得よう。(一九四〇年五月〕
(宮本百合子著「愛と知性」新日本出版社 p28-29)

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◎「女になる、男になる──という過程は、人間が人間として生まれると同時に、人間になる、人間にならなければならぬ、人間らしく生きなければならぬ、という人生過程の、二つのヴァリエーション」と。