学習通信080904
◎その程度の自覚≠ナはたちむかえなくなる。……

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 前章でわれわれは、九〇年代のなかごろ、ロシアの教養のある青年が全般的にマルクス主義理論に熱中したことを指摘した。ほぼ同じころ、有名な一八九六年のペテルブルグの産業戦争のあとで、労働者のストライキも同じような全般的な性格をおびるにいたった。ストライキがロシアの全土にひろがったことは、新しく高まりつつあった人民運動の深刻さを明らかに立証するものであった。

そこで、いやしくも「自然発生的要素」をうんぬんするとすれば、もちろん、まず第一に、このストライキ運動をこそ、自然発生的なものと認めなければならないであろう。しかし、自然発生性にもいろいろあろうというものではないか。

ロシアには、七〇年代にも六〇年代にも(それどころか、一九世紀の前半にさえ)ストライキはあったし、「自然発生的な」機械の破壊等々をともなったものである。こういう「一揆」にくらべると、九〇年代のストライキなどは「意識的」と言ってもよいくらいである。この期間に労働運動がなしとげた前進は、それほどいちじるしいものがあったのだ。

このことがわれわれに示すのは、「自然発生的要素」とは、本質上、意識性の萌芽形態にほかならないということである。それに、原始的な一揆にしても、すでに意識性がある程度めざめたことをあらわすものであった。

つまり、労働者は、自分らを圧迫している制度が確固不動のものであるという古くからの信仰を失って、集団的反抗の必要を理解しはじめたとは言わないが……感じはじめ、上長への奴隷的従順をきっぱりと捨てさったのである。だが、それでもやはり、それは、闘争であるよりも、はるかに多く絶望と復讐心との現われであった。

九〇年代のストライキは、これにくらべてはるかに多くの意識性のひらめきを示している。すなわち、明確な要求を提出したり、どういう時機が好都合かをあらかじめ考慮したり、よく知られている他の地方の事例や実例を検討したりしている、等々。一揆が抑圧された人々のたんなる蜂起でしかなかったのにたいして、組織的なストライキはすでに階級闘争の芽ばえをあらわしていた。

だが、あくまで芽ばえにすぎない。

それ自体としてみれば、これらのストライキは、組合主義的闘争であって、まだ社会民主主義的闘争ではなかった。

それらは、労働者と雇い主との敵対のめざめを示すものではあったが、しかし労働者は、自分たちの利害が今日の政治・社会体制全体と和解しえないように対立しているという意識、すなわち社会民主主義的意識をもっていなかったし、またもっているはずもなかった。

こういう意味で、九〇年代のストライキは、「一揆」にくらべれば非常な進歩であったにもかかわらず、やはり純然たる自然発生的な運動の範囲を出なかったのである。

 われわれはいま、労働者は社会民主主義的意識をもっているはずもなかった、と言った。

この意識は外部からもちこむほかはながったのである。

労働者階級が、まったくの独力では、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇い主と闘争をおこない、労働者に必要なあれこれの法律を政府に公布させるためにつとめる等々のことが必要だという確信しかつくりあげえないことは、すべての国の歴史の立証するところである。

他方、社会主義の学説は、有産階級の教養ある代表者であるインテリゲンツィアによって仕上げられた哲学、歴史学、経済学の諸理論から、成長してきたものである。

近代の科学的社会主義の創始者であるマルクスとエンゲルス自身、その社会的地位からすれば、ブルジョア・インテリゲンツィアに属していた。

ロシアでもそれとまったく同様に、社会民主主義の理論的学説は、労働運動の自然発生的成長とはまったく独立に生まれてきた。

それは、革命的社会主義的インテリゲンツィアのあいだでの思想の発展の自然の、不可避的な結果として生まれてきたのである。

いま論じている時代、つまり九〇年代のなかごろには、この学説は、「労働解放」団のすでに完全に形をなした綱領となっていたばかりか、ロシアの革命的青年の大多数を味方に獲得していた。

*組合主義は、往々考えられているように、あらゆる「政治」を排除するものではけっしてない。労働組合は、つねにある種の(だが社会民主主義的ではない)政治的扇動や闘争をやってきた。組合主義的政治と社会民主主義的政治との相違については、次章で述べよう。

 こうして、労働者大衆の自然発生的なめざめ、すなわち意識的な生活と意識的な闘争へのめざめも存在していたし、また労働者に近づこうと熱望していた、社会民主主義的理論で武装した革命的青年もいた。

このさい、しばしば忘れられがちな(そしてわりあいに知られていない)一事実を確認しておくことが、とくに重要である。それは、この時期の最初の社会民主主義者たちは、経済的扇動に熱心に従事しながらも──(そしてこの点では、そのころまだ手稿で読まれていた小冊子『扇動について』があたえていた真に有益な指示を、十分に尊重しながらも)──、そういう経済的扇動を自分たちの唯一の任務と考えなかったばかりか、反対に、最初から、一般にロシア社会民主党の最も広範な歴史的諸任務、とりわけ専制の打倒の任務をも提起していたということである。
(レーニン著「なにをなすべきか?」レーニン一〇巻選集A 大月書店 p33-35)

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知を力に変革の立場をつらぬく

階級闘争の弁証法

 敵・味方の力関係は固定的なものではなく、政治・経済の動きを反映し、内外の情勢ともかかわりながら変化するものである。

 高度成長期の労働組合運動のように、それなりに経済要求が実現できる時代もあったが、今日は、そうはいかない。たたかいが前進すれば、かならず相手もそこから学び、数倍の力をもって反撃にでる。これが階級闘争の弁証法である。

 有利な状況のとき、一定の「自覚」でたたかうことができても、局面が変わるとその程度の自覚≠ナはたちむかえなくなる。

 やってもダメ……という状況がつづくとたたかうことが困難になり、ついにはたたかう立場にたつことさえ疑問に思うようになる。

 困難な時期には、子育てのこと、老人問題、住宅問題、仕事上の困難、家族や親戚の問題、健康のことなど身のまわりに解決を要する問題や、経済的な苦しみが増えてくるのが法則である。

 変革の高い志に影がさし、自分のことしか考えられなくなり、生きかたの基本がくずれはじめる。くずれた自分を弁護するため、それを容認してくれる理論≠探しはじめる。こんなときのために支配階級は退廃文化からイデオロギーまでとりそろえて持っている。この点では支配階級の方がずっと歴史は古く、人民の闘志を打ちくだき、志気を萎えさせるものを蓄積し、整備している。
 思想攻撃は他の攻撃とちがって、すぐには直接的な変化をもたらさず、目にみえないだけに始末がわるい。

 心の底に沈澱し、長期にわたって潜伏し、そして頭をもたげる。そのときは、すでに「自分がそう思う」と自分の思想にまでなっているから恐ろしい。

学びつづけるとき

 科学的な社会観の学習も、すぐ力になるものではない。日常不断に学びつづけるとき、はかり知れない力をもたらしてくれ、変革の立場にたって生きることを心の奥深いところで支え励ましてくれるのである。
 学習の持続が変革の立場を持続させる力となり、その力が、あらたな学習にむかわせるのである。

 変革の立場にたちきるなら、どんなに局面が困難になっても、攻撃そのもののなかにある矛盾をみぬき、味方のなかにある有利さがみえてくる。その気になって調べてみると、まるでこのときのために書かれたがのような文献が、結構みつかるものだ。

古典とよばれるに値するものは、いつも新しく私たちに語りかけてくる。

 たたかう立場をつらぬくなら、知恵も力も貸してくれる仲問がみえてくる。

 攻撃に屈せず、面を上げて生きようとするとき、健全な音楽や美術や文学などが美しく心に響く。それがすぐれた芸術や文学であればあるほど、あたたかく、やさしくつつんでくれ、はげましてくれるのである。

 どんなに孤立した局面にあっても、人類の価値ある遺産に依拠し、社会発展の法則に確信をもてば、決してたじろぐことはない。敵を必要以上に大きくみるのも、少しの努力ですぐに成果を望むのも、ともに科学的でない。

 戦後第二の反動攻勢ときりむすぶなかで、こうした非科学的なもののみかたが生まれてくることもさけられない。

 いまこそ、本格的思想闘争にいどむ計画と、その計画をやりとげる組織的手だてを必要としている時代である。

 激動の時代であればあるほど、中途半端な認識では、激しい変化に対応できない。

 学習が、学習に終わるのではなく、実践に、そして勝利につながる学習でありたいものだ。
(中田進「序章 現代社会と労働者階級」 浜林正夫編「現代の社会観」学習の友社 p38-40)

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執行部と組合活動家の役割

 労働組合は組合員すべてのものであるから、みんなが力をあわせて組合活動をすることがいちばん大切なことであるが、その場合組合の執行部はどんな役割をはたさなければならないだろうか?

 労働組合が闘争する相手方である資本家の側には、本社があり、工場には工場長がおり、労務課があって、組織的に労務対策をうちだしてくる。そのうえに産業別の資本家団体や日経連のような独占資本の共同の作戦本部を持っている。労働省や労政事務所もあって、これらが互いに連絡し、協力しながら労働者にたいして攻撃をしかけてくる。労働組合が資本家とたたかって勝利するためには、敵側のこうした組織に十分対抗できるだけの組織が組合の側にもどうしても必要になってくる。

 前に私は、芝浦の組合で職場幹事を月当番制にしてよい成果を収めたことを書いた。だがそれだけですべてではないのである。職場で日々おこる問題を処理するだけならこの方法で十分な成果はあがるけれど、十いくつもある工場全体のことは職場幹事にはよくわからない。まして日本の景気の動向や政府と資本家の産業・経済政策や労働対策、日本と世界の労働運動の情勢や経験というようなことは月交替の職場幹事には十分につかむことはできない。しかも、こうしたことがらを十分に知って、闘争をすすめなければ、労働組合は敗北する。

だからどうしても、労働者階級全体の利益の立場に立って、二十四時間、労働組合と組合員の利益のためにだけ思いをめぐらし、活動する、理論と経験のゆたかな指導者が必要になってくるのである。芝浦の組合でも分会の執行委員会は、そのような、なかば職業的な労働組合活動家によって構成されていた。労働組合の執行部というものはそうした大切な役割を持つものであるから、この選出はきわめて大切なものである。執行部が良ければ組合は発展するし、執行部が弱ければ組合も発展をさまたげられる。

 執行部の大切な役割の一つは、組合員の要求を正しく組織することである。そのためには、組合の民主主義的な運営を徹底しておこない、組合員の不満や要求を十分に引き出し、これを吟味して、要求の性質に応じた闘争を準備することが必要である。

 たとえば、機械の具合が悪い、手袋を支給せよ、などのように現場の主任や工場長を相手にして解決できる要求もあるし、賃金の引上げ、労働時間の短縮などのように本社を相手にしなければ解決できない要求もある。また賃金引上げの要求にしても中小企業の場合では会社の実情からみて、すぐには実現できない条件のある場合もある。そういう場合には、他の中小企業の組合との共同闘争や大企業の労働組合と共同してたたかわなければならないことにもなる。賃金の引上げとか臨時工を本工にせよという要求は個々の経営においても労資間の力関係に応じて実現されるが、最低賃金制の制定とか臨時工制度の撤廃というような要求は、反動政府もふくめて、資本家階級全体を相手とする階級対階級の大闘争をおこなわなければ実現することはできない。

 組合の幹部は、このような要求の性質をよくみきわめて、それがどこで解決できるものか、そのためにはどれだけの力が必要かということをはっきりと組合員に知らせ、組織的にも、精神的にもこの闘争にたえうる準備をととのえていくことが必要である。

 もう一つの大切な任務は、執行部が組合運動の経験を裏づけとして、組合員をたえず階級的に教育していくことである。この教育は、要求の討議や闘争の経験を通じても直接にできることであるし、組合が機関紙や教育集会を組織してもおこなうことができる。こうして、労働者が資本主義社会のからくりや搾取される労働者の運命を自覚し、資本家や政府との敵対関係を理解することが深まれば深まるだけ、労働組合活動にたいする積極性が増し、組合は強化される。この中から組合活動家が大量に養成されてくる。

 このように、組合の民主的運営と執行部の指導的役割とが統一的に理解されないと、執行部が指導性のない小使のような存在になってしまったり、逆に「執行部になんでもまかせろ」式の請負主義、官僚主義になってしまって、組合を弱めるような結果を招く。

 執行部の指導的役割はこのように大切なものであるが、組合運動を推進するうえで欠くことのできないもう一つの要素は職場における熱心な組合活動家の役割である。労働組合の力の根元は職場にある。職場に組合員がいて、組合の実体をかたちづくり、執行部をささえている。労働者は職場でじかに資本家と対決している。だから資本家も職場にたいして攻撃を集中してくる。

 この場合、職場に階級的に自覚した活動家がいて、資本家の側から流れてくる思想宣伝を粉砕し、職場における労働者の毎日の生活と利益を守ってたたかうだけでなく、労働者の要求を結集して組合の執行部に集中したり、また組合の方針や内外の政治情勢や労働者階級の闘争の状況を労働者に説明して、組合員の意志と行動の統一をはかり、組合員を毎日の生活の中で階級的に教育していくならば、労働組合は磐石の基礎の上に立つことができるであろう。

 職場活動家が多いほど組合は強くなる。職場活動家が個々バラバラで活動するより、活動家集団として組織的に学習し、討議し、行動を統一すればいっそうその力を発揮することができる。職場活動家は労働組合運動の推進力である。
(春日正一著「労働運動入門」新日本出版社 p40-43)

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「われわれはいま、労働者は社会民主主義的意識をもっているはずもなかった、と言った。この意識は外部からもちこむほかはながったのである。労働者階級が、まったくの独力では、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇い主と闘争をおこない、労働者に必要なあれこれの法律を政府に公布させるためにつとめる等々のことが必要だという確信しかつくりあげえないことは、すべての国の歴史の立証するところである」と。