学習通信081003
◎環境が……

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選球眼
浜田昭八
「愛のムチ」止まらなぬ訳

 つい先日、後期高齢者の仲間入りをした。75年を振り返って、人に暴力を振るったことも、振るわれたこともないことに気付いた。父親や先輩記者か毒舌制裁≠ヘ受けたが、鉄拳制裁≠ウれた覚えはない。

 殴られた痛さ、殴る怖さを知らないからか、人を育て、技術を教えるのに愛のミツ≠ェ伴うのを理解できない。絶えることのない高校野球指導者の暴力事件を知るたびに、それは指導でなく、調教≠ナはないかと感じる。

 智弁和歌山・高嶋仁監督(62)が、練習で部員に暴力を振るって退任した。高嶋さん、あなたもかと思った。甲子園のベンチ最前列に立ち続けて指揮をとる姿、ユーモラスな談話に豊かな人間性を感じていただけに残念でならない。若いころは過酷な練習を強行したと聞いてはいたが……。

 愛のムチが止まらない背景には、受ける側にもそれを許容する空気があるからではないか。昨年秋、四国・九州アイランドリーグで、大阪の強豪校出身のある選手から聞いた話が耳に残る。

 甲子園に何度も出場して、プロにも多くの人材を送り出した有名監督に育てられた。あるとき、気を技いた練習をとがめられてボコボコに殴られた。「殴る監督の目に涙があった。それを見たとき、私はこの監督について行く決心をした」

 スポ根ドラマの見過ぎではないかと冷やかせない、ひた向きな迫力があった。四国で所属したチームの監督は、ピンチになると「命まで取られはしない」と督励した。だが、高校の監督は「死ぬ気で立ち向かえ」。そこに愛情の差を感じるとまで言った。

 少子化時代の青少年は1対1で指導者と向かい合い、殴られることに究極の愛情を感じているのか。そうだとしても、人間には対話≠ニいう武器があるではないか。殴ったり、けったりすることはない。鉄拳より陰湿な言葉の暴力≠烽るけれど……。(スポーツライター)
(「日経」20080915)

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スポーツサイト
永井洋一
勝負弱さ
たくましい育たない環境

 私は北京五輪の前に、このコラムで日本人選手の「勝負さ」について取り上げました。「ここぞ」という場面でミスをする、あるいはチャンスを逃す場面が目立つと。そして、バレーボールとサッカーのプレーを引きあいに出しました。

 北京五輪でも、日本のバレーボールと男子サッカーは、私の悲観的な予測通り、勝負どころで、ことごとくチャンスを逃していました。

 バレーボールでは、相手が得点を重ねる中で、ようやく1点をもぎとり「さあ反撃」という場面でサーブミスをして再び流れを相手に渡してしまう、という場面が何度かありました。また、どちらも譲らないラリーの中で、決めておくべきスパイクをミスして相手に得点が入る、という場面も何度かありました。

 サッカーでは、ノーマークで軽くけりさえすれば得点という場面での空振りがありました。ていねいにパスをすればビッグチャンスをつくれるのに、そこで初歩的なキックミスをしてすべてを台無しにする、という場面もありました。

 さらに北京五輪では、野球でも同じことを感じました。「ここで何とか塁に出たい」という場面での三振、凡打や、「ここは絶対に抑えておきたい」という場面で投手が痛打を浴びる姿が目につきました。2006年のWBC(ワールドベースボーールクラシック=国別世界一決定戦)では福留孝介選手らの勝負強さがとても印象的でした。ですから、よけい北京五輪では日本代表チームの勝負弱さが気になりました。

 ここで例に挙げたバレーボール、サッカー、野球は、いずれも日本で広く普及しているスポーツです。少年スポーツの競技人口で見れば、他の五輪競技を引き離して上位を占めています。三競技とも、高校スポーツがとても盛んで、それぞれの全国大会はテレビで全国中継され、高視聴率を稼ぎ、毎年スター選手が輩出されます。

 普及の度合い、競技人口、国内大会の規模、注目度など、どれをとっても日本で最も「進んでいる」競技といえるでしょう。普通に考えれば、他の競技よりも身体能力のすぐれた若者が多く集まり、育成にすぐれたノウハウを持ち、戦術・戦略などの研究も進んでいるはずです。それなのに、勝負強さという点では国際的に見劣りする部分がありました。

 なぜでしょうか。

 この三競技にはいずれも、少年時代から競技者としての育成を積極的に推進し、大規模な大会で順位を競わせ、高校時代からはプロ顔負けの競技漬け生活を送らせる環境があります。私は一見、競技力向上を進める要素に思えるそうした環境こそが、実は勝負強さの萌芽を妨げる原因になっているのではないか、と思っています。

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 心身の柔軟な時期に人として成長する過程で、つまずき、悩む。あるいは、いろいろな方法を工夫してみる。挫折からの立ち直りもある。研究からの新たな発見もある。スポーツをする中で、そういう豊かな経験を醸成する過程が、小学生の時から次の大会の勝ち負けばかりを年中、考えねばならない環境の中では、十分に育たないと思うからです。

 目先の勝利のために、「ひな型」にはめられて育てば、国内の大会では勝てるかもしれません。しかし国際試合で、その「型」の規格外の事態に陥ったとき、それに対処できるような、たくましい応用力は育ちにくい。

 今回の「勝負弱さ」は日本のスポーツ環境を顧みる絶好の機会だと考えます。(スポーツジャーナリスト)
(「赤旗」20080920)

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◎「少子化時代の青少年は1対1で指導者と向かい合い、殴られることに究極の愛情を感じているのか……そうだとしても、人間には対話≠ニいう武器があるではないか」と。