学習通信081009
◎一人ひとりの生き方に……

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今 問い直す未来は青年のもの

 「未来は青年のもの」とは、ドイツ共産党創立者のひとりであるカール・リープクネヒト(一八七一〜一九一九)の言葉としてよく知られています。学生の頃からわたしの好きな言葉の一つですが、歴史の歯車を正しく前方に廻すという条件のもとでのみ、はじめて洋々たる未来は青年の前に広がるという意味なのだと、今でも自戒をこめて祈にふれて思い出す懐しい言葉です。

 小・中学校時代を戦争中に過ごしたわたしは、天皇制軍国主義教育の鋳型にはめこまれて育った結果、敗戦までは軍国少年であり皇国少年でしたから自分を取りまく環境にいささかも疑いの目を向けませんでした。しかし、敗戦は多くの国民にそれまでの既成の秩序をはじめ価値観を疑わせ、それらを否定させる契機となりました。人類の歴史にはかならず、このようなエポックというか節目があるもので、わたしにとってのそれらの一つは敗戦だったといえます。

戦時中絶対とされていた価値が音をたてて崩壊していくのを目のあたりにしたわたしは、自分をそれまで拘束してきた過去を脱ぎ捨てようと、一九五〇年代の学生運動の渦中に身をおくようになりました。コミンフォルムによる日本共産党批判、レッド・パージ、朝鮮戦争、共産党の分裂など、あわただしい時代でした。

 そうした中で、学生運動についてのよき理解者であり、すぐれた指導者でもあったM教授がわたしたちにリープクネヒトのこの言葉を紹介されたのでした。先生は同時につぎのような言葉をつけ加えられました。──与えられたすべての瞬間を宝石の如き硬さをもって燃えよ──と。

「新人類」の好む小説とは

 古今東西を問わず、青年の特長の一つは、防禦よりは攻撃、建設よりは破壊、正統よりは異端を好むところにあり、それが青年の特徴だといえます。また、おとな以上に彼らは一切の束縛から解放される自由を渇望します。もちろん束縛されるよりは、解放される方が楽しいにきまっていますが、解放されてどのように生きるべきかが問題なのではないでしょうか。

いつ頃からか、「新人類」という今日の青年への呼称が一般化されるのと併行して、文学作品の中に未来を托すことなどとうていできないような青年像が、あたかも新しい時代の青年のタイプであるかのように描かれた小説が現われはじめました。村上春樹、島田雅彦、吉本ばなななどの作品が代表的なものだといえます。

 彼らが描く青年たちには様ざまなニュアンスのちがいはあるにせよ、そこに共通しているのは、変革の思想と行動をすべて徒労だとして嘲笑する青年の、はじめからそのような生活とはかかわりのないところでひたすら感覚的に生きる生きざまが描かれていることです。学生運動、青年運動、労働組合運動などは、彼らにとって束縛としてしか考えられないのでしょう。

文学作品が時代と現実の反映である以上、これらの小説も現実の一端を反映しているわけで、今日わたしたちのまわりにはこのような作中人物を思わせるような青年たちはたしかに実在しているのです。だからこそ、青年たちを無気力と怠堕に引きこみ、現実逃避を慫慂(しょう‐よう=そばから誘い、すすめること。)するこのような文学作品が青年たちの間で広く読まれるのです。

「豊かさ」の中味が
面白さ
楽しさの追求のみでいいのか

 かつて、価値判断の尺度とされていた〈正しいか正しくないか〉に、今日の青年の間では、〈面白いか面白くないか〉がとって替ろうとしているという意見がありますが、これは未来を切り拓いて行くという根気と忍耐を必要とする活動より、「豊かな社会」の中で生活をエンジョイする方が楽しく自由な生き方だという青年たちの間に漂う気分を指摘しているようです。

 しかし、先輩たちが築いた遺産を継承してさらに発展させていかなければならない青年が、ひたすら〈面白さ〉と〈楽しさ〉を求める生活に汲々としていてもいいものだろうか、このままではこれから先の社会はどうなるのだろうかと、わたしはかなり不安な気持ちになります。

一層こまったことには、彼らが根気と忍耐の要る仕事はすべて束縛であり桎梏(しっこく)だと考え、そのような仕事にかかわらない生き方こそ、「自由」だと思いちがいしているようです。「自由とは必然の認識」と言われるように、自然や社会の客観的法則を認識して、人間は自由になっていきます。

自然の法則を知らなかった原始時代には、人間は自然力に支配されて自由でありませんでしたが、自然に関する科学知識の発達によって、つまり自然の客観的法則を認識し、それを利用することによって、人間は自然に対して自由を獲得してきました。

社会の発展法則についても同じことです。支配階級が、社会の発展法則に反して、わたしたちの自由を奪ってくる今日の階級社会で、わたしたちが自由をかちとるには、彼らとたたかうしかありません。ですからいろいろな社会活動に背を向けて、好き放題勝手気ままに生きることは一見自由な生き方のように見えるだけで、けっして自由だとはいえません。さきに挙げた小説に描かれた青年たちの生きざまは、むしろ青年らしさを失ったみすぼらしいものに思えて仕方ありません。

「文学の中の青年」という、テーマを展開して行く上で、明治時代の作品に描かれた青年像をとりあげることにします。明治維新は、封建制から資本主義への日本社会の移行期を画す歴史上の節目、それもきわめて重要な意味をもった節目です。歴史の大きな転換期に生きた青年たちをいくつかの小説の中に探ろうというのが、本稿の目的です。

 今日に生きる青年たちが、過去の時代に青年として生きた先人たちの生き方から学ぶことは、自分たちの生き方を改めて見つめ直すという意味でも大切なことだろうと思います。
(千頭剛著「明治文学に見る青年像」 講座 青年1 清風堂書店 p216-220)

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 なぜ指導者たちは腐敗するのか

 アフリカの解放闘争には、人民を植民地の圧政から解放するという理念があったはずだ。その指導者がなぜ腐敗するのだろう。

 ひとつには部族の問題がある。
 植民地時代の国境線は、地理や自然、住民の構成に関係なく、宗主国同士の力関係で引かれた。そのため国境線の中には、多くの部族が取り込まれた。住民にとっては、イギリスやフランスがつくったそんな「国家」に関心はなく、帰属意識など持っていない。彼らが伝統的に帰属感を持ち、よりどころとしてきたのは、部族共同体なのである。

 「植民地政府と闘う」という共通の大きな使命感がある間は、部族対立はその下に隠れ、表に現れることはなかった。しかし使命が達成されてしまうと、部族の利害がもろに表面化する。国家の財産をくすねて部族のために使うのは、むしろ褒められることでさえある。

 いい車を持って大きな家に住み、部族の若者を多く居候させて食べさせてやる。それは有力な指導者に求められる「優れた資質」なのだ。国会議員や官僚の給料などではとてもやっていけない。だからわいろを取る。わいろをとっても、部族の者の面倒を見ることの方が大切だという文化は、まだアフリカに根強い。

 もうひとつは、アフリカの独立政府指導者に強い危機感がなかったことだ。国家形成を急がなければ、武力侵攻を受けて社会が滅ぼされるかもしれないという、外部からの攻撃に対する危機感である。そのため指導者は、形骸化した国家の中で安住し、国民国家の形成に真剣に取り組もうとしなかった。
(松本仁一著「アフリカ・レポート」岩波新書 p73-74)

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日本社会が直面している二重の矛盾

 現在の日本社会は、社会の型から言えば、資本主義の社会です。資本主義の社会というのは、利潤が社会を動かす最大の原動力になっている社会ですから、「利潤第一主義」の社会とよく言われます。利潤第一主義ということは、同じ資本主義の社会である以上、ヨーロッパ諸国にもアメリカにも、日本にも、共通する特質ですが、日本社会をとらえる場合には、この社会が、二重の矛盾と言いますか、二つの型の矛盾にさらされていることを、よく見る必要があると、私は考えています。二つの型の矛盾のうち、一つは、日本だけに特有のもの、もう一つは、世界の資本主義に共通するものです。

 第一の矛盾は、日本の社会が、世界の資本主義諸国のなかでも、政治的、経済的に、たいへん異常な特質をもった社会になっている、という問題です。この異常性からぬけだすということは、日本の社会の緊急の課題にならざるをえません。これは、日本社会に特有の矛盾です。

 第二の矛盾は、二一世紀を迎えた現在、日本も属している世界の資本主義そのものが直面している矛盾です。資本主義は一六世紀に生まれた、と言われますが、それからすでに五百年たちました。そろそろ「耐用年数」のつきる時代──「賞味期限」と言ったほうが分かりよいかもしれません──二一世紀は、資本主義の体制がそのまま存続しつづけていいだろうか、その是非が大きく問われる時代に入り始めていると、私は考えています。

 ここに、私たちが、現代を激動の時代≠ニ呼ぶ客観的な原因があるのです。

 私は、戦争が終わったとき、中学の四年生でした。あの時代には、日本の国民の大部分が、戦争の末期になっても、日本の「体制」は不動だと思っていました。日本中が空襲で焼け野原になり、食べるものの保障もない、危機と言えばこれ以上の危機がないというような段階に入っても、その「体制」に慣らされてきたものですから、この「体制」がおおもとから変化するということは、おそらく大部分の国民にとって、考えられないことでした。

 私は、中学三年の二学期から、勤労動員で東京の大崎にある軍事工場(明電舎)に通っていました。八月一五日の前の日に、工場のなかに、ある噂が流れてきたのです。明日はどうもやばい放送があるらしい、戦争に敗けたということじゃないか≠ニいう噂です。それを聞いて、「いやそんなはずがない。神国日本が敗けるわけがない」、こういって友人と論争したことを覚えています。戦前の異常な軍国体制のなかで、日本絶対の見方を徹底的にたたきこまれてきた、という問題はもちろんあります。私のこの経験は、同時に、人間は、自分が生きている社会の「体制」は動かないものだと思いがちだということの、一つの実例だと言ってよいでしょう。

 二一世紀というのは、私は、人類史の上でも、特別の激動の時代になると考えています。その時代に、社会全体が客観的にはかなり瀬戸際に立っているのに、八月一四日の私の場合のように、その社会を「不動のもの」だと思い込み、自分の将来を旧来の枠組みのなかに位置づけて描くとしたら、どうなるだろうか。

 そうではなく、その社会の不合理さに気づき、そのことを見きわめて、ただ気がつくだけではなく、不合理なものが解決される時期に近づいているということも見通し、自分のこれからの人生をその見通しのなかに位置づけて生きるのが、妥当なのか。

 社会の全体像をどう見るか、ということは、実は、一人ひとりの生き方にこういう風に響いてきます。激動の時代に、激動している社会を「不動のもの」と錯覚し、その枠組みのなかで自分の生涯を固定的に設計するとしたら、たいへん寂しい生き方しか出てこない。こういうこともありうるのです。

 そういう意味で、私は、今後どんな道を選ぼうとしている方でも、社会の全体像を発展的にとらえる、この努力をぜひしてほしいし、大学にいるあいだに、そのための足場を固めてほしい、こう思うのです。
(不破哲三著「これからの時代と、世界のこと 学問のこと」 日本の前途を考える 新日本出版社 p34-37)

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青年同盟の任務
ロシア共産青年同盟第三回全ロシア大会での演説
 一九二〇年一〇月二日

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 ある意味では青年こそ共産主義社会をつくりだす真の任務をになっていると言えるので、それだけ、この問題には立ち入って論じなければならない。というのは、資本主義社会で育てられた働き手の世代に解決できる任務は、せいぜい、搾取のうえに建てられた古い資本主義的生活様式の基礎を廃止する任務であることは、明らかだからである。

この世代に解決できるのは、せいぜい、プロレタリアートと動労諸階級が権力をその手ににぎって、しっかりした土台をつくりだすのを助けるような社会構造をつくりだす任務であろう。この土台のうえに建設をおこなうことは、すでに新しい条件のもとで、人々のあいだに搾取関係のない環境のもとで、仕事を始める世代だけがやれることである。

 さて、このような見地から青年の任務の問題をとりあげるなら、私は、一般に青年の、とりわけ共産青年同盟その他のあらゆる組織のこの任務は、一言で言いあらわせる、と言わなければならない。その任務とは、学ぶ、ということである。
(レーニン「青年同盟の任務」国民文庫 p26-27)

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◎「歴史の歯車を正しく前方に廻すという条件のもとでのみ、はじめて洋々たる未来は青年の前に広がるという意味なのだ」と。