学習通信081022
◎運動全体につきまとっている成長の病気……

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 いまやわれわれは、どの読者の心にもすでに浮かんだにちがいない一つの疑問に立ちいって調べなければならない運動全体につきまとっている成長の病気であるこの手工業性を、ロシア社会民主党内の一潮流である「経済主義」に関連させることができるであろうか? われわれは、できると考える。

実践的訓練が不足し、組織活動が拙劣なのは、たしかに、はじめから一貫して革命的マルクス主義の見地に立ってきた人をふくめて、われわれ全体に共通していることである。

また、たしかにだれにせよ、訓練が不足しているというそれだけのことで実践家を責めることはできないだろう。

しかし、「手工業性」という概念には、訓練の不足という以外に、まだ別のあるものがふくまれている。

総じて革命的活動全体の規模が狭いこと、このような狭い活動にもとづいてすぐれた革命家の組織が生まれるはずがないのを理解しないこと、最後に、──これが肝心な点であるが──この狭さを正当化して特別の「理論」にまつりあげようと試みていること、つまり、この分野でもやはり自然発生性の前に拝跪していること、これがそうである。

このような試みが現われたからには、手工業性が「経済主義」と関連があること、そして一般に「経済主義」(すなわち、マルクス主義の理論や、社会民主党の役割やその政治的任務についての狭い理解)から脱却せずには、われわれの組織活動の狭さからも脱却できないであろうことは、もはや疑いをいれない。
(レーニン「何をなすべきか」レニン一〇巻選集A 大月書店 p103)

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手工業
 生産者がみずから生産手段を所有し道具をつかい,手さきの熟練によっておこなう工業の形態.手工業は,共同体や自給自足の農民経済の補足的副業から分離して,独立の営業となった.その典型は中世の都市手工業である.独立の営業としての手工業は,もともと注文生産(顧客生産)であったが,のちには市場生産にうつった.
(「社会学総合辞典」新日本出版社)

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──封建社会の初期の段階では、手工業は自給自足の農村経済の従属物にすぎず、手工業者はじぶんの道具をもち、じぶんで原料を買いいれ、一人の親方が数人の職人や従弟とともに生産物をつくり、それを仕事場のうちにならべてその土地の人に買いにきてもらうか、あるいはその土地の人の注文におうじて生産物をつくり、それをその人の家にとどけた。

つまり、かれらの生産する商品は、主としてその土地で売られ、自給自足の農村の外にでることはなかった。

ところが、生産力が高まり、手工業者がその地方の需要をみたすよりも多くのものを生産することができるようになると、かれらは、商品を商人に委託して遠い地方で売ってもらうようになった。

というのは、商人は、遠い地方の事情をよく知っており、商品を売りさばく能力をもっていたからである。

商品が遠い市場に売れるということは、手工業者の生産を刺戟し、かれらは、ますます遠い地方の市場をめあてに生産をおこなうようになった。

ところがそうなると、かれらはますます商人に頼らざるをえなくなるのである。

商人は、はじめには手工業者の商品を買いあつめるだけであったから、つまりかれらは買占め商人にすぎなかったから、この集荷(商品の買いあつめ)によって手工業者を統制し、生産する商品の品質と分量とを統制することができるだけであった。

ところが商人が大量の注文をもってきたばあいに、手工業者は、経済力が弱くて必要な原料を大量的に,買入れることができないから、商人が原料を貸して生産物をつくらせるようになり、しだいに、手工業者の生産過程に干渉しはじめた。つまり買占め商人は前貸し問屋になった。

市場がさらに拡大して商品の注文がつづいて大量的におこなわれるようになると、こういうやりかたでは不十分になり、ついに商人は、生産過程に必要なすべての道具と原料とを供給し、生産過程をじぶんの支配下におき、手工業者には加工賃を支払うようになった。

つまり商人は事実上の商業資本家になり、手工業者は事実上の賃労働者になったのである。これが資本主義的生産が発生した第二の道である。
(宮川實著「新経済学入門」社会科学書房 p22)

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◎「手工業性が「経済主義」と関連があること、そして一般に「経済主義」から脱却せずには、われわれの組織活動の狭さからも脱却できない」と。