学習通信081031
◎J・P・モルガン……
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《潮流》
米映画「タィタニック」がアカデミー賞を受けたのは、十年前です。格差社会の縮図のような大型客船を舞台に、階級の違いをこえた若者の恋を描き、世界中でヒットしました
▼一九一二年のタイタニック沈没に題材をとった映画は、事件の直後から撮られていて、すでに数多い。映画ほど話題になりませんが、イギリスの作曲家ブライアーズも、「夕イタニック号の沈没」をつくっています
▼沈没まぎわまで、船上で六人の楽団が演奏していたそうです。ブライアーズは、そのとき奏でられた賛美歌の断片を繰り返していきます。未練を引きずるように延々と。そして、消え入るような終わり
▼事件のあと、多くの人が犠牲者をいたむとともに謎解きを試みました。「不況の豪華船」はなぜあえなく沈んだのか。ところが最近、謎は事件直後に解け、ずっと隠されてきた、という説が現れました
▼沈没は船体のもろさのせい。米英閥の造船競争が盛んなころ、造船会社は技師の心配をおしきって完成を急いだ。タィタニックの事実上の船主は、アメリカのモルガン財閥を率いるJ・P・モルガン。彼は、北大西洋の海運を支配しようとしていた……
▼事実を明かして遺族から訴えられたら、モルガンらに破産のおそれがあった、といいます。造船会社は、調査資料を極秘にしました(『ニューズウィーク日本版』二十二日号)。J・P・モルガン。彼の名を冠した銀行は、他行と合併しながら、金融危機をひきおこしたウォール街にいまも君臨します。
(「赤旗」20081024)
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ウォール街の国際投機人脈
ウォール街投機の歴史
投機屋ジェイ・グールド
これまでの章に登場した数々の資産家の大金を運用するのが、現代のウォール街のプレーヤーである。彼らの行動を紹介する前に、ウォール街の投機ビジネスがどのような歴史をたどってきたかを頭に入れておこう。
証券取引所での取引きには、長期的に運用して資産を増加させるための「投資」と、短期問に株価の上下動を利用して利ざやをかせぐ「投機」がある。英語でも、投資(investment)と投機(speculation)は、異なるものとして明確に分類されている。speculateという動詞は、先の出来事について推測・憶測するという言葉なので、「空論をふれまわる」という意味である。ジョージ・ソロスたちヘッジファンドのビジネスは、当てにならない将来の株価や為替レートに他人の大金を賭けさせ、一瞬の値動きを狙って短期間に市場から金をかすめとるので、明らかに投機である。このような投機を信用すれば、一九九八年八月に破綻してウォール街を震憾させたヘッジファンドLTCMのように、必ず膨大な数の被害者を巻き添えにする。
ウォール街における投機屋の代表者として名を残すのが、ジェイ・グールドであった。これに対して、堅実な事業への出資に徹しながら金融財閥を形成し、アメリカの全産業と国家を支配した投資家がジョン・ピアポント(J・P)・モルガンであった。
一世紀前の一八九二年にこの世を去ったジェイ・グールドだが、今日でもその悪名がウォール街の悪魔≠ニして言い伝えられ、投機伝説がアメリカの経済誌にしばしば引用されるのは、近年の企業乗っ取り屋の手法が、グールドが使った悪質な手法に通ずるからである。アメリカン・ヘリテージ≠ェアメリカのすべての富豪をリストアップしたなかで、歴代第九位にランクされたグールドの個人資産は、一九九八年時価に換算して四二一億ドル(五兆円)に達したという。
彼は、当時の。お尋ね者≠セったやくざのジェームズ・プィスクを相棒として、泥棒貴族の大親分コーネリアス・ヴァングービルトに挑戦して五大潮周辺のエリー鉄道を乗っ取ったが、そのあとヴァンダービルトに官権の利用法を入れ知恵して手を組みながら、汚れた金を配って次々と株主を味方につけた。金を儲けるだけでなく、生き馬の目を抜くように平然と弱い仲間を裏切り、賄賂を渡してニューヨーク市の判事を抱き込み、悪法をつくらせて、買収騒動の相手方をたたきつぶした。ライバル会社に押し入って株式台帳を盗むことまでしたのである。グールドの悪銭にたかる人間たちも、背後の動きを絶えず彼に耳打ちして分け前にあずかったので、一時はグールド一派のふりかざす権力が、アメリカの法≠ニなった。鉄道会社の支配権を握るためには、機関車まで脱線させたのである。
エリー鉄道でグールドの背任騒動が起こった一八六九年には、南北戦争の英雄グラント将軍が大統領になっていたが、グールドはその大統領さえ「金市場に介入するな」と恫喝し、金不足を演出して金価格をつりあげると、さっと売り逃げて暗黒の金曜日≠ニ呼ばれる大暴落を引き起こした。
数々の事件を起こしてエリー鉄道から追い出されると、彼は西部に移って株の買い占めにかかった。ユニオン・パシフィック鉄道の重役となるや、大金を次から次へと転がしながら、南西部の鉄道株を買いこんで、実に一帯の鉄道のうち、距離にして半分を手中におさめたのである。彼の死後、たちまち息子のジョージ・ジェイ・グールドが事業を受け継ぎ、アメリカ大陸を横断する鉄道をめぐってエドワード・ハリマンとすさまじい戦いを展開した。ひとりの友もなく孤独な人生の晩年を迎えたグールドだが、昔も今も、投機屋の活動は同じである。
二十世紀末に横行しはじめたヘッジファンドは、百三十年前にグールドが棍棒と拳銃を使った合法的手段≠、コンピューターに置き換えたものである。全世界の投資家からウォール街に金を集めるためとあらば、盗聴でも、インターネットを利用したえせ情報の流布でも、マスメディアを味方につけた怪しげな噂の先物投機でも、利益になることなら何をしてもよい。一秒でも早く事実を嗅ぎつけた者が勝ち、間抜けな貧乏人は泣けというルールだから始末が悪い。兜町で外国人投資家が値をつり上げて売り逃げたあと、今度は底値に落ちた株を買い占める手法は、ずっと昔にグールドたちが開拓したものである。
金融王モルガンの誕生
しかし、グールドがニューヨーク市の悪徳判事を利用してエリー鉄道の関連会社を乗っ取った時、それに対抗する判事と聡明な弁護士たちを引き連れて、巧妙にグールドに罠をかけてゆき、その鉄道会社の副社長に就任して暴力団一味を追い出した男がいた。
その人物こそ、まだ三十二歳という若き日のJ・P・モルガンであった。ロンドンで金融王ネイサン・ロスチャイルドがこの世を去った一八三六年七月二十八日からわずか九ヵ月足らずあとの三七年四月十七日、その生まれ変りである金融王が誕生していたのだ。
鉄道と言えば話は古く聞こえるが、当時の鉄道は、鉄路に名を借りた金融資本──巨大なマーチャント・バンクであった。二十世紀初頭に鉄道開拓の時代が終ろうとした時、全米における証券の発行額が、鉄道一〇に対して、そのほかの全産業の合計が五に満たなかったという事実は、大部分の企業が鉄道資本で動かされていたことを示している。一九二五年になって、モルガン商会が支配した主要な一五鉄道の資産は、合計八五億ドルに達し、一九九八年時価で七三一〇億ドル(八八兆円)にもなるのだから、今日の巨大ヘッジファンドでさえ足元にもおよばない。しかもモルガン商会にとっての鉄道資産は、シンジケ−ト組織系統の頂点に立つ「持ち株会社」の部分だけであった。
ひとつの鉄道会社の傘下に、それぞれ数十の産業会社がタコの足のようにひしめいて、アメリカ国内の発行株のうち四七パーセントが鉄道会社に所有され、総計一〇〇〇を超える企業がモルガン商会に支配されていたのである。したがって実質的なモルガン商会の資産総額は、数数の歴史家が計算しようと試みたが、誰にも不明であった。
一体その天文学的な資産は、今日、どこに生き続けているのか。
不思議なことに、一九一三年に死去したJ・P・モルガンの遺産は驚くほど少なかったと、すべての書物に記されている。美術品のコレクションが一億ドル、不動産が七〇〇〇万ドル、そのほか現金や信託基金などの遺産が〆めて三〇〇〇万ドル程度しかなかったという。九八年時価で五兆円ぐらいだから、支配していた資産が数十億ドル(現在時価一二〇兆円)と言われた金融王モルガンにして、投機屋ジェイ・グールド並みというのは妙である。
遺産が少額なのは当然で、この遺産額の計算には、莫大な価値を持っていた有価証券が、ほとんど数えられていない。それにもうひとつ、J・P・モルガンが資産を国外に隠すことができる国際金融業者だったというトンネルが忘れられている。この事情を知るには、大西洋を股にかけたモルガン商会の成り立ちから見てゆかなければならない。
死の商人デュポン、鉄道王ヴァンダービルト、鉄道王ハリマン、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、穀物王カーギル、タバコ王デューク、鉱山王グッゲンハイム、石油王メロン、自動車王フォードたちは、たとえあくどいトラストを形成したとはいっても、いずれも大衆を相手に商品を売る産業家であった。銀行家のメロンでさえ、石油を掘り当てなければ大財閥にはなり得なかった。産業があって資産が生まれ、その資産(金)をもとにシティーとウォール街が繁栄した。これは現在も同じである。
しかしベアリングとロスチャイルドとJ・P・モルガンは、本質的に違っていた。本業が国際金融にあって、現代アメリカと同様、政府が乱発した巨額の債券を全世界に販売しながら、国家的な事業の鉄道建設や軍需産業を動かしたのである。たとえば南北戦争後の一八七三年に、ロスチャイルド商会代理人のオーガスト・ベルモントとモルガンが、国家の借金返済のために政府公債を引き受け、その利益を運用して鉄道融資でかせいだ。息子のJ・P・モルガンJr(通称ジャック)も、第一次世界大戦でイギリスとフランスの金融代理人となって、極秘に軍需資金と物資調達を引き受けた。
この資質は祖父ジョゼフ・モルガンから受け継いだもので、南北戦争がはじまる前に数百万ドルの大資産家だった祖父の遺産は、息子の金融家ジュニアス・モルガンに継承され、金融王J・P・モルガン、金融王ジャック・モルガンヘと四代にわたって続いた。そのあと五代目のジュニアスとヘンリーが、投資銀行として分離されたモルガン・スタンレーを設立し、USスチール、ゼネラル・モーターズ(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)など、アメリカを代表する巨大企業の重役として君臨した。
さらにヘンリーの息子として、現代の第一線で活躍してきた六代目のジョン・アダムズ・モルガンは、投資銀行スミス・パーニーの副会長をつとめたあと、モルガン・グレンフェルの重役となって今日に至っている。スミス・パーニーはソロモン・ブラザースと合併して、九八年の全世界の企業買収M&Aで四〇〇〇億ドル、実に五〇兆円を動かす仲介実績で、マーチャント・バンカーとして世界第四位になった。モルガン・グレンフェルは、彼の四代前のジュニアスが創業し、現在はドイツ銀行の強力な細胞となった老舗である。ドイツ銀行が九八年十一月にアメリカのパンカーズ・トラストを買収、推定資産八四三〇億ドル(一〇二兆円)で世界最大の金融機関に躍り出たのは、以下に述べるように一九〇三年にモルガン商会がバンカース・トラストを分離設立した歴史に基づく回帰的動きであり、モルガン・グレンフェルが仕組んだ合併戦略であった。
そのほかモルガン家の女系家族は、多数のペンタゴン官僚をつくりだし、ソ連との核兵器削減交渉SALTのアメリカ代表のほか、八九年からアメリカ輸出入銀行の会長に就任したジョン・マコンパーの妻キャロライン・モルガンが、J・P・モルガンの妹の直系であることなど、彼らがただの遺産相続人ではないことを示す生き証人が目の前で無数に動いている。
モルガン商会の沿革
J・P・モルガンが国際金融業者となった歴史は、世界的金融家だったアメリカ人ジョージ・ピーボディーがロンドン金融界で大活躍した時代、一八五四年にJ・Pの父ジュニアス・モルガンを招いた日にはじまった。現在活躍するキダー・ピーポディー証券の一族が創業したジョージ・ピーポディー商会は、当時イギリス随一のアメリカ金融機関代表者であった。ヴィクトリア女王に拝謁したピーポディーが死んでからジュニアス・モルガン商会となり、ロスチャイルド商会のパートナーとなった。これが今日の投資銀行モルガン・グレンフェルである。
ジョージ・ソロスのクォンタム・ファンドと並んでヘッジファンドの横綱とされるタイガー・マネージメントを経営してきたのは、ジュリアン・ロバートソンである。若き日の彼を育てたのが、モルガン親子を育てた投資銀行キダー・ピーボディーであった。そのため、マーガレット・サッチャーがイギリス首相退任後にタイガー・マネージメントの顧間に迎えられ、九八年六月にはロバートソンの号令で国際的な投機筋の大物が東京に結集し、以後は年末まで兜町の歴史的な大暴落の日々が続いたのである。
そのキダー・ピーボディーを八六年に買収して、一躍金融業界に躍り出たのが、同じポストン出身ファミリーが支配するモルガン財閥のGEであった。ジョン・フランシス・ウェルチJr(通称ジャック)会長のGEは、「割に合わない買い物をした」と批判されたが、そうではなかった。九四年に、ウェルチはキダー・ピーボディーをペイン・ウェバー証券に売却したが、後者もモルガン家の一族ランドルフ・グリューが古くから経営してきたGEの同胞であった。すでに新戦略で古い体質から脱皮した九〇年代のGEは、電気製品・核兵器・原子力産業ではなく、モルガン商会の金融機関に変貌した。
九八年末の株式時価総額で、地球上の全企業のなかでマイクロソフトの二七一八億ドル(三二兆円)に次ぐ第二位にランクされたのが、二五八八億ドル(三一兆円)の金融業者GE≠ナあった。第三位エクソンの一七二三億ドル(二〇兆円)の一・五倍だから、驚異的な金額である。J・P・モルガン会長のルイス・プレストンがGE重役時代に育て、会長に抜擢したウェルチの戦略は、かつてのモルガン商会の金融哲学を体現していた。
「その分野の一位か二位にならなければ利益は得られない。三位以下ではだめだ」
このウェルチの言葉は、今世紀初頭にJ・P・モルガンが語った言葉そのままである。キダー・ピーボディー買収によって金融のノウハウを体得後、航空リース会社GPAグルーブと、放送界の巨人NBCの買収にもおよび、宝石商ティファニーの筆頭株主になるかと思えば、南アのダイヤモンド・カルテルと共謀してダイヤの国際市場価格を操作していた疑いが持たれ、FBIが調査に乗り出すほどであった。
子会社GEキャピタルの下に孫会社GEファイナンシャル・アシュランスがある。モルガン一族であるプレストンが、九一年九月から世界銀行総裁に就任し、若きローレンス・サマーズを幹部に据えたコンビで、日本のバブル崩壊を主導し、GEの三〇〇〇億ドルを超える資産をもって、弱り切った日本の金融機関を次々と買収したのである。会長だった浜田武雄が九八年度納税額で日本第一位の長者となった消費者金融レイク、破綻した長銀系ノンバンクの日本リース、東邦生命などの買収で日本に乗り込むと、東邦生命は九九年に破綻し、軒を借りて母屋をとったGEのエジソン生命が堂々生き残った。
そして九九年九月には、破綻した長銀がリップルウッド・ホールディングスに営業譲渡されることになり、この救済金融機関にGEキャピタル、トラヴェラしス保険(シティ・グループ)、ペイン・ウェバー、メロン銀行、RIT(ロスチャイルド投資信託)グループなどがぞろぞろと出資者に名を連ねた。長銀救済という名目によって、日本国民の納めた税金五兆円が、ほとんど本書登場の人脈によって流用される運命にある。
そうした広大な資金力を持つ近代的なモルガン・グレンフェルとモルガン・スタンレーで、J・P・モルガンの曾孫ジョン・アダムズ・モルガンが活躍してきたことは、意外にもほとんど知られていない。マゼラン・ファンドの商品名で知られ、ソロスを抜いて全米一のファンド王にのしあがったエドワード・ジョンソン〜アビゲール・ジョンソン親子は、九九年時点で八四六〇億ドル(一〇一兆円)を動かすフィデリティー・グループの経営者だが、特に注目すべきは、この投資信託の生みの親で、現在も同社を支配しているのがモルガン家の近親者たちだという事実である。
──以下略──
モルガン商会は国家であり、
法律であり、
制度である
J・P・モルガンが投機屋ではなかったことを示す有名な事件は、金本位制が公布される前の一八九三〜九五年にかけて発生した。クリーヴランド大統領の時代に経済危機が訪れ、金と銀の頻繁な交換によって財務省から金が流出して金準備が底をつき、国家の非常事態となった。この時、オーガスト・ベルモントとロンドンのロスチャイルド家が動き、J・P・モルガンがホワイトハウスまで自ら出向いて閣僚たちに指示を与え、三者の連携プレーで金を手当てしてアメリカを救ったのである。
こうして大統領さえ動かすようになった親子二代のJ・P・モルガンは、証券投資を独占化して金融トラストを形成した。当時ロックフェラーの石油トラストに倣って、タバコ・トラスト、塩トラスト、砂糖トラスト、酒トラストなどが続々とつくられるなか、J・Pはトラストのトラストと呼ばれるモルガン帝国を築き上げた。すでに一八九二年に発明王エジソンを籠絡(ろうらく)してGEを設立し、電気事業に乗り出したモルガンは、一九〇一年に鉄鋼王カーネギーを買収して鉄のトラストと呼ばれるUSスチールを設立し、一九〇七年に全米の電話を独占するAT&Tの買収を完了、一九二〇年には死の商人デュポンと組んでGMを支配した。
「紀元前四〇〇四年に、神様がこの世を創られた。しかし西暦一九〇一年に至って、J・P・モルガンとジョン・D・ロックフェラーが地球をつくり変えてしまった」と言われたものである。
ダウ工業株三〇種のモルガン株は、GE、GM、デュポン、テキサコ、USスチール(現USX)、AT&T、IBM、J・P・モルガン、シティバンクを数え、証券引受け業務で全米トップに立ち、ニューヨークの大手銀行がロンドン五大銀行と肩を並べられるまでにアメリカ金融機関を育て上げた。
この古い話が気がかりなのは、われわれの時代の一九八〇〜九〇年代に、全世界で巨大銀行・証券会社の合併の嵐が吹き荒れてきたからである。チェース・マンハッタン銀行、ケミカル銀行、マニュファクチャラーズ・ハノーヴァー・トラスト、ドイツ銀行、バンカーズ・トラスト、ドレスナー銀行、スイス銀行、スイス・ユニオン銀行、トラヴェラース、シティバンク、メリル・リンチ、バンカメリカ(BOA)、セキュリティー・パシフィック、香港上海銀行、ミッドランド銀行など、無数の合併を見てきたが、ちょうどモルガン全盛期の一九一九〜ニ八年にかけて、同じような銀行合併の嵐が吹きまくったのである。アメリカではその十年間で、驚くべきことに一三五八の銀行が、合併、合同の渦に巻きこまれた。
その結果、当時のウォール街に何が訪れたか。
これがメロン財務長官の時代であり、ウォール街が空前の景気にわき、数にしてわずか一パーセントの大銀行に、全米の預貯金の三分の一が集中する結果となった。当時と現在のウォール街は、きわめて似た状況にある。有頂天のウォール街に訪れたのが、一九二九年の大暴落である。
十月二十四日にウォール街に暗黒の木曜日≠ェ訪れる前年、ニ八年当時のモルガン・グループの資産合計は八九社の二〇〇億ドルにおよび、一二六社で重役の席を占めていた。歴史上ごれほど資産の集中が起こったことはないが、原因は二七年に政府が投機買いに走り、ニ八年にフーヴァー景気でUSスチール株、スタンダード石油株をあおったことにあった。モルガン商会パートナーのポーナスは一〇〇万ドル(九八年時価九九億円)に達し、暴落のあと、資金潤沢なモルガンとロックフェラー・グループだけが、恐慌のなかで莫大な利権を独占した。翌三〇年にチェースが全米一となるなか、六年間で四〇〇〇の銀行が倒産したのである。
モルガン家が大暴落でますます独占状態を強め、その融資活動が全世界の金融、軍事、原子力におよんだ謎の答を明かさなければならない。
これまで登場したヴァンダービルト、カーネギー、フォード、ロックフェラーたちには、「大した資金もないところから莫大な財産を築いた」という美談≠ェあったのに対して、J・P・モルガンは初めから資産家だった、つまりアメリカ上流社会の正統派だったというところに、答がある。
モルガン家とペリー提督の姻戚関係については、クリントン政権のペリー国防長官が一族であることを第一章に述べたが、モルガン家は、ピーボディー家とも姻戚関係を持っていた。また、第二代大統領ジョン・アダムズの息子が第六代大統領ジョン・クインシー・アダムズで、その直系のキャサリン・アダムズと結婚したのが、J・P・モルガンの孫ヘンリーであった。先ほど紹介した現代モルガン・グレンフェル重役の名前がジョン・アダムズ・モルガンだったのは、両家のあいだに生まれた子供だからである。この銀行家の名は体を表わし、大統領とJ・P・モルガンの両方の血が流れている。
一方、ワシントン大統領の副官として活躍し、初代の財務長官に就任して、アメリカ経済の基礎を築いたのが、アレグザンダー・ハミルトンであった。その曾孫をウィリアムといい、彼の妻がJ・P・モルガンの愛娘ジュリエットである。この夫婦のあいだにできた子供は、財務長官と金融王の名をとってピアポント・モルガン・ハミルトンと命名され、彼は、ウォール街の投資銀行プレア商会の経営者C・レドヤード・ブレアの娘マリーと結婚した。レドヤードの祖父ジョン・ブレアは歴代第二二位に数えられる富豪で、一族はホワイトハウス迎賓館ブレア・ハウスの元の所有者であった。この投資銀行が、バンカメリカ・ブレアとして活動してきた。ほかならぬブレア商会のクラウチと組んで設立されたアーカンソー州法律事務所クラウチ・ブレアの主が、ビル・クリントンを大統領に押しあげたジェームズ・プレアであった。この人物が、七八年にヒラリー・クリントンにシカゴの投機を勧め、それがのちにインサイダー容疑でヒラリー・スキャンダルとなって発覚したのである。
まだまだある。一九九八年まで、ニュートン・ギングリッチに代って下院議長になる予定だった共和党のロバート・リヴィングストンは、クリントン大統領のセックス・スキャンダルを追及するうち、火の粉がわが身にふりかかり、自分の不倫を追及されて辞任に追いこまれた。彼もピーボディー〜モルガン家の閨閥に属する一族であった。
さらにモルガン・ギャランティー・トラストの幹部だったマーティン・フェルドステインが、クリントン政権で経済局長となり、彼がディーン・ウィッター幹部でもあったため、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターが誕生したのである。歴代大統領は、こうした財閥の取り巻きに翻弄されながら、ホワイトハウスに坐る人形である。
「モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」と言われたのは、こうした理由からであった。昔の言葉は、死語ではない。最近のマスメディアがこうした脈絡を指摘しないだけである。
これに応えてモルガン商会は、内部に特権者リス卜(Preferred List)≠ニいうものを用意した。このリストに選ばれた権力者の政治家、官僚、企業人たちは、市場よりずっと安値で株を買うことができた。日本のVIPリストと同じである。
(廣瀬隆著「アメリカの経済支配者たち」集英社新書 p154-171)
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◎「J・P・モルガン……彼の名を冠した銀行は、他行と合併しながら、金融危機をひきおこしたウォール街にいまも君臨」