学習通信081106
◎労働組合は 近代的プロレタリアートの誕生とともに……
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──こういうわけだから、戦闘的な革命組織を、なにか人民の意志派に特有なもののように考えるのは、歴史的にも論理的にもばかげている。なぜなら、どういう革命的潮流にせよ、実際に真剣な闘争を考えるかぎり、このような組織なしにはやっていけないからである。
人民の意志派の誤りは、彼らが、不満をいだくすべての人々を自分たちの組織に引きよせようとつとめ、そしてこの組織に専制との断固たる闘争の方向をとらせようとつとめたことにあったのではない。反対に、そのことこそ、彼らの大きな歴史的功績だったのである。
彼らの誤りは、彼らが、本質上全然革命的理論でなかった理論をよりどころとしたことに、そして自分たちの運動を、発展しつつある資本主義社会内部の階級闘争と不可分に結びつけることを知らなかったか、またはそうすることができなかったことにあった。
そして、大衆的な自然発生的労働運動が起こってくれば、土地と自由派がもっていたのと同じようなすぐれた革命家の組織、いな、くらべものにならないほどさらにすぐれた革命家の組織をつくりだす義務をわれわれに免除してくれるかのように考える意見は、マルクス主義のこのうえない無理解(あるいはマルクス主義の「ストルーヴェ主義」的な「理解」)からしか生まれえなかったのである。
事実は、反対に、この運動はまさにこの義務をわれわれに負わせるのだ。なぜなら、プロレタリアートの自然発生的な闘争は、強固な革命家の組織に指導されないあいだは、プロレタリアートの真の「階級闘争」にはならないからである。
(レーニン「なにをなすべきか」レーニン一〇巻選集A 大月書店 p132-133)
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基本的大衆組織としての労働組合の性格
では、労働組合とはなにか=労働組合の性格と任務について話をすすめましょう。
さきにのべましたように労働者の組織には労働組合のほかにもいろいろあります。たとえば生活協同組合、共済組合、自主的なサークルなどがそれです。しかしそれらを労働者階級の基本的大衆組織とはいいません。労働者階級の基本的大衆組織というのは、労働組合以外にはないのです。なぜかといえば、労働組合は労働者であり、雇い主と政府にたいして生活改善のために団結するという意志さえあればだれでもはいれる組織ですから、そういう意味で圧倒的な労働者を結集しうる大衆組織だからです。これは労働者階級の偉大な解放事業にとって、他のどのような組織によっても代行することのできない労働組合だけがもつ性格といわねばなりません。
レーニンは、『共産主義における「左翼」小児病』という文書のなかで「労働組合は労働者の初歩的なもっとも低いもっとも簡単なもっとも近づきやすい形態の組織」だといっていますが、これは基本的大衆組織としての性格をするどくあらわしています。そしてもちろん、この基本的大衆組織としての性格は、社会主義になっても変わらないものです。労働組合は思想、信条、政党支持のいかんにかかわらず、要求で団結し闘争する組織だといわれるゆえんもここにあります。
同時に、基本的大衆組織であるというのは労働組合が「資本から独立」した労働者の自主的組織であるということです。もし、労働組合にたいする資本家、当局の干渉や介入を許し、労働組合の自主性がおかされるとするならば、それは労働者の利益を守る組織とはなり得ないであろうし、ほんらいの意味での労働組合の名に値しない形骸化されたものになってしまうでしょう。
わが国の労働組合は、スローガンとしてはみな「資本からの独立」ということをかかげています。しかし実際には同盟系、IMF・JC系の多くの労働組合では、たとえば資本が組合の役員選挙やスト権投票などに乱暴なやり方で不法に介入し、右派幹部に組合の主導権をにぎらせるために直接、間接の援助をあたえ、これらの右派幹部をつうじて、組合の方針や人事にまで事実上関与するなど労働組合の運営や活動にたいしていろいろな干渉と介入をおこなっています。こうした問題を克服しなければ真に労働者の自主的組織としての発展はありません。
資本主義制度のもとでは、労働者は自分の労働力を資本家に売ることによってしか、その生活と生命を維持することはできず、反対に資本家階級は労働者の労働力を使用し、あくことなき利潤を追求します。こうして資本主義制度のもとでは「資本は賃労働を前提にし、賃労働は資本を前提にする。両者はたがいに条件になりあう。両者は相互に生みだしあう」(マルクス『賃労働と資本』)のです。
しかし、資本主義制度は資本と賃労働がたがいに「条件」となりあっているが、同時に、この両者の利益は根本的に対立しているということです。この点もまた、かつてマルクスが「われわれが資本と賃労働の関係の枠内だけで考えた場合でさえ、資本の利益と賃労働の利益はまっこうから対立する」といったように客観的な事実です。だからこそ、資本主義制度のもとでは、賃労働者が賃労働者であるかぎり、労働者は資本に「依存」しているが、同時に資本の支配は「この大衆にとって、共通な一つの地位を共通な諸利害関係をつくりだし……この大衆は自己を相互に結合させるようになる。大衆自体にとっての階級に自己を構成する」(マルクス『哲学の貧困』)のです。
このように労働組合の「資本からの独立」という原則は、資本主義制度のもとで、資本と労働者の和解することのできない根本的対立関係に根ざしているものです。実際、世界と日本の労働組合運動史そのものがしめしていますように、どこでも労働組合は、労働者が自分たちの日常的諸利益を守るため、資本とのたたかいをつうじて「資本から独立」した自主的な組織=団結の武器として生まれてきました。
もう一つの問題は、「政党からの独立」という問題です。政党は特定のイデオロギー、世界観にもとづいて結成されているものであり、労働組合はイデオロギーではなく要求で団結している大衆組織として、その基本的性格には根本的な違いがあります。これはだれも否定しません。しかし、今日のような政治のしくみのなかで、労働者の切実な経済的政治的な諸要求は労働組合のたたかいだけですべてかちとれるものではありません。それには革新政党とともに統一戦線を結成し、広範な民主勢力の団結をつくりあげる必要があります。
そこから労働組合は政党と協力・共同の関係をもちます。労働組合の「資本からの独立」は、労働組合の自主性の確立とともに資本とのたたかいを内容としています。これにたいして労働組合の「政党からの独立」は、労働組合の自主性の確立とともに政党との協力・共同をふくんでいます。資本とのたたかいのなかから生まれた労働組合は、要求実現のためには、反動政党と革新政党にたいして政治的中立主義の立場はとり得ません。
ここで、はっきりしておかねばならないのは、政党と労働組合の協力・共同と、労働組合の機関決定による「特定政党支持」の義務づけとは、根本的にことなる問題だということです。
協力・共同とは、一致する要求実現のために共同闘争をおこなうことです。
「特定政党支持」の義務づけは、思想・信条のいかんにかかわらず団結している組合員に「特定の政党」の支持を強要することで、労働組合の基本的性格をふみにじり、したがってまた団結の土台を破壊します。これは「政党からの独立」どころか、政党による労働組合の私物化を意味します。選挙のとき、「社会党支持」や「民社党支持」を義務づけている労働組合が、社会党や民社党の選挙活動に組合員を強制的に動員しているのは、政党による労働組合の私物化の典型といえるでしょう。
労働組合の階級的任務
つぎに労働組合の任務の問題ですが、これは、労働者階級と勤労人民の解放という一般的階級闘争のなかに位置づけられ、階級闘争の前進とともに発展していくものです。
よく知られているように、労働組合は資本主義が最初に発達したイギリスで、一七六〇年〜一八三〇年代におこなわれた産業革命の長子(ちょうし でも年長の子。第一番目の子。総領。ふつう男子にいう。嫡子。長男。)である近代的プロレタリアートの誕生とともにつくりだされました。それは、マルクスがのべているように、「せめてたんなる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件をたたかいとろうという労働者の自然発生的な試みから生れた」(「労働組合、その過去、現在、未来」)ものです。
ところで労働組合自身の発展の第一段階には、二つの目的がありました。
その一つは、労働者の生活水準にたいする資本家の攻撃を阻止することでした。
もう一つは、労働者のあいだの競争をとりのぞき、あるいは制限することです。
資本主義社会では、仕事になんとかありつこうとする失業者もいます。仕事にありつくため失業者は、仕事についている労働者と競争します。また、仕事についている労働者のあいだにも競争があります。こうして労働者の数がひじょうに多いにもかかわらず、この労働者間の競争は労働者の力をそぎ、弱めます。
こうして、労働組合の二つの目的、つまり、自分の賃金を引き下げまいとすること、労働者間の競争をなんとか防ごうとすること、これが労働者が労働組合を組織する要因でありました。
この点についてマルクスは、『哲学の貧困』のながでつぎのようにいっています。
「大企業はたがいに一面識もない多数の人間を一個所によせあつめる。競争が、彼らの利害関係をまちまちにする。しかし、賃金の維持が、主人たちに対抗して彼らがもつこの共通の利害関係が反抗という同一の考えで、彼らを結合する──これが団結である」
したがって、はじめのころの労働組合は、自己防衛的な性質をおびるものでした。労働組合の直接の任務は、労働者の日ごろの困難の解決ということに局限され、いいかえれば、賃金および労働時間の問題を解決するということは局限されたものでした。
こうして生まれた労働組合について、マルクスは、いろいろなブルジョア的、小ブルジョア的な「理論」、たとえば経済的ストライキや労働組合の必要性を否定するプルードンやラッサールとたたかい、また労働組合の役割を経済闘争に限定する労働組合主義、サンジカリズムとの闘争をおこない、労働組合の必要性とその役割、任務を明確にしました。
それは、労働組合運動の歴史的発展を、資本の蓄積過程と階級闘争の発展過程のなかで科学的、法則的にあきらかにした「労働組合、その過去、現在、未来」というマルクスの有名な文章のなかに定式化されています。
「……最初、労働組合は、この〔労働者間の〕競争をなくすか、すくなくとも制限して、せめてたんなる奴隷よりはましな状態に労働者を引き上げるような契約条件をたたかいとろうという労働者の自然発生的な試みから生れた。だから労働組合の当面の目的は……賃金と労働時間の問題に限られていた。労働組合のこのような活動は、正当であるばかりか、必要でもある。現在の生産制度がつづくかぎり、この活動なしにすますことはできない」
「いまや労働組合は、その当初の目的以外に、労働者階級の完全な解放という広大な目的のために、労働者階級の組織化の中心として意識的に行動することを学ばなければならない」
マルクスは、労働組合が経済闘争をつうじて生まれたことをあきらかにし、資本主義のもとでの労働組合の主要な任務のひとつとして、賃金や労働時間などの現実の日常的利益を守る経済闘争をきわめて重視しました。同時に、労働者階級の「組織化」の中心にならねばならない、つまり、労働者階級と人民が当面する政治課題のための闘争を、さらにすすんで労働者階級の歴史的使命である資本主義的搾取制度の廃止の闘争においても、重要な役割をになうべき展望をもっていることをあきらかにしました。
レーニンがこのマルクスの、労働者階級の一般的階級闘争のなかに正しく位置づけた、労働組合の任務、役割にかんする命題を積極的に擁護し、しかも帝国主義とプロレタリア革命のあらたな時期と条件のもとでそれをいきいきと発展させたことはいうまでもありません。
さらにまた、世界と日本の労働運動の歴史的発展は、階級的立場にたつ労働組合が経済闘争と政治闘争とを結合し、国政革新をめざす統一戦線運動の重要な一翼をになうまでになっています。
(荒堀広著「新 労働組合運動読本」学習の友社 p15-22)
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◎「自分たちの運動を、発展しつつある資本主義社会内部の階級闘争と不可分に結びつけること」と。