学習通信081112
◎強固な組織をしっかりと打ちたてることから始めるなら……
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──「糞壷」に帰ってくると、吃りの漁夫は仰向けにでんぐり返った。残念で、残念で、たまらなかった。漁夫達は、彼や学生などの方を気の毒そうに見るが、何も云えない程ぐツしやりつぶされてしまっていた。学生の作った組織も反古(ほご)のように、役に立たなかった。──それでも学生は割合に元気を保っていた。
「何かあったら跳ね起きるんだ。その代り、その何かをうまくつかむことだ。」と云った。
「これでも跳ね起きられるかな。」──威張んなの漁夫だった。
「かな──? 馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴等が無茶なことをすればする程、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりにいいだけつまっているんだ。──俺はそいつを頼りにしているんだ。」
「道具立てはいいな。」威張んなは「糞壷」の中をグルく見巡わして、
「そんな奴等がいるかな。どれも、これも…………。」愚痴ツぼく云った。
「俺達から愚痴ッぽかった─ら──もう、最後だよ。」
「見れ、お前えだけだ、元気のええのア。──今度事件起してみれ、生命がけだ。」
学生は暗い顔をした。「そうさ……。」と云った。
監督は手下を連れて、夜三回まわってきた。三、四人固っていると、怒鳴りつけた。それでも、まだ足りなく、秘密に自分の手下を「糞壷」に寝らせた。
──「鎖」が、ただ、眼に見えないだけの違いだった。皆の足は歩くときには、吋太(インチぶと)の鎖を現実に後に引きずッているように重かった。
(小林多喜二「蟹工船」新潮文庫 p116-117)
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──もし広範な労働者組織を望んで広範な一斉検挙を望まず、憲兵に満足をあたえることを望まないなら、われわれは、これらの組織を全然きまった形のないものにするよう努力しなければならない。
──そうしても、それらの組織は機能を発揮できるであろうか? ──では、その機能というものを見てみたまえ。
「……工場内に起こるいっさいの事柄を注視し、工場内の出来事を記録する。」(規約第二条)いったいこれに、ぜひともきまった形をあたえることが必要であろうか? そのための特別のグルーブなどはなにもつくらずに、非合法新聞に通信を送るほうが、もっとよくこの目的を達しうるのではないだろうか?
「……工場における労働者の状態の改善をめざす労働者の闘争を指導する。」(規約第三条)これもまたきまった形をあたえる必要などまったくないことである。
労働者がどんな要求を提出したいと望んでいるかということは、多少とも頭のはたらく扇動家ならだれでも、普通の会話のあいだにすっかり探りだすだろうし、そしていったん探りだしたなら、それをまさに狭い──広範ではなくて──革命家の組織に伝達して、適当なリーフレットを供給してもらうことができるであろう。
「……収入一ルーブリにつき二コペイカを払いこむ……基金を組織する」(第九条)、──それから、毎月全員に基金の会計報告をおこなう(第一七条)、掛金を払わない加入者は除名する(第一〇条)、等々。これこそ、警察にとってまったくの天国というものだ。
というのは、この「中央工場基金」の秘密を完全に看破し、金を没収し、すぐれた分子を全部からめとることほど、たやすいことはないからである。
そんなことをするよりも、周知の(非常に狭い、そして非常に秘密な)組織のスタンプを押した一コペイカか二コヘイカの券を発行するか、または全然券などなしに集金して、なにか符牒をきめて非合法新聞にその報告をのせるようにしたほうが、簡単ではなかろうか? それでも同じ目的は達せられるだろうし、しかもそうすれば、憲兵が糸を探りあてることは百倍も困難になるであろう。
まだいくらでも例をあげて規約の検討をつづけることもできるだろうが、以上に述べたことで十分だと思う。
最も確かな、経験に富み、鍛練された労働者たちからなる、固く結束した小さな中核があって、主要な諸地区に世話役をもち、最も厳格な秘密活動のあらゆる規則にしたがって革命家の組織と結ぴついているなら、それは、大衆の最も広範な協力をうけて、どんなきまった形もとらずに、労働組合的組織に課せられるいっさいの機能を果たし、そのうえまさに社会民主党にとって望ましいやり方で果たすことが完全にできるであろう。
このような方法によるときにだけ、どんなに憲兵がいようとも、社会民主主義的な労働組合運動の確立と発展をなしとげることができるのである。
私に反論して次のように言う人があろう。
全然きまった形なく、はっきりそれとわかった登録した成員さえまったくいないほどlose〔ルーズ〕な組織を組織とよぶことはできない、と。
そうかもしれない。
私には名称はどうでもよい。
しかし、この「成員のいない組織」は、必要なことはなんでもやるだろうし、またわれわれの未来の労働組合と社会主義とのしっかりした結びつきを最初から保障するであろう。
ところで、絶対主義のもとで選挙や、報告や、一般投票などをおこなう広範な労働者組織を望むものは、まったく度しがたいユートピア主義者である。
以上から引きだされる教訓は簡単である。
すなわち、もしわれわれが革命家の強固な組織をしっかりと打ちたてることから始めるなら、運動全体に確固さを保障し、社会民主主義的な目的をも、本来の労働組合的な目的をも、そのどちらをも実現することができるであろう。
もしこれに反して、われわれが、大衆にとって最も「とりつきやすい」と称する(そのじつ、憲兵にとって最もとりつきやすく、革命家を警察にとって最もとりつきやすくするところの)広範な労働者組織から始めるなら、どちらの目的も実現できず、手工業性から脱却することもできないで、われわれ自身がちりぢりばらばらで、いつも壊滅状態にある結果、ズバートフ型あるいはオーゼロフ型の労働組合を、大衆にとって最もとりつきやすくするだけであろう。
(レーニン「なにをなずべきか」レーニン一〇巻選集A 大月書店 p116-118)
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「かな──? 馬鹿。こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴等が無茶なことをすればする程、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりにいいだけつまっているんだ。──俺はそいつを頼りにしているんだ。」