学習通信081125
◎軍事問題は一歩誤ると……

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永田町 インサイド
自衛隊幹部 閉じた世界
人事や教育田母神問題で脚光

 「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬ」などとする論文を発表した田母神俊雄前航空幕僚長が更迭された。政府見解に反する持論を現職の航空自衛隊最高幹部が公然と発表し、開き直る姿はシビリアンコントロール(文民統制)を揺さぶった。背景にあるとみられる自衛隊の幹部人事を巡る閉鎖性や、それを助長しかねない幹部教育のあり方を探った。

制服組の意向優先
 背広組は追認のみ

幕僚長人選は

 航空幕僚長は全国で約四万六千人いる航空自衛官のトッブ。自衛隊法九条によると、防衛相の指揮監督の下で@空自の隊員の服務の監督A「最高の専門的助言者」として防衛相を補佐B部隊への防衛相の命令を執行──が職務とされる。更迭された田母神氏の後任の外薗健一朗空幕長は三十代目となる。

 田母神氏は空自の防空任務の現場トップである航空総隊司令官から空幕長に昇格した。空幕長には各司令官や航空幕僚副長から就くのが慣例。一般に陸海空の幕僚長の人選は「制服祖の論理が優先される」(防衛省防衛局長経験者)ため、幕僚監部が作った人事案を内局(背広組)が追認するのが習わしだという。

 防衛省の内局幹部は公式には否定するが、実際は幕僚長OBが中心となって「後継指名」することが多いとされる。田母神氏が空幕長に就いた時にも、内局には「幕僚長にはふさわしくない」と懸念する声がありながらも、人事に結局反映されなかった。

 防衛省は田母神氏の後任の人選にあたって、遅ればせながら過去の論文や発言なども厳しくチェックした。その結果、空自内では最有力候補とはみられていなかった外薗氏に白羽の矢が立った。

 民主党は「文民統制が不十分」だとして、統合、陸海空の四幕僚長の人事は現在の閣議了解ではなく、衆参両院の同意を義務付けるよう自衛隊法の改正を検討している。

 今回は防衛省が田母神氏を懲戒処分せず、定年退職とした判断にも批判が集まった。定年退職なら田母神氏は約六千万円の退職金を受け取れるからだ。

 一般の国家公務員と違い、自衛隊法などの規定では、自衛官に規律違反の疑いがあれば懲戒権者が申し立てを受けて調査し、本人の言い分を聞く。場合によっては隊内から弁護人も立てられる「審理」の手続きが必要となる。

 懲戒免職のような重い処分では審理に十ヵ月程度はかかるとされる。田母神氏は「規律違反か徹底的に争う」と明言。すでに六十歳の田母神氏は空幕長を解任されれば来年一月には定年となる。防衛省は手続きが終わる前に田母神氏が定年退職し、処分できなくなることを恐れたという。

上級幕僚へは「難関」何度も

独自の養成システム

 自衛官の教育の基本は「基本教育」と「錬成訓練」に大別される。具体的には一九六一年に制定された「自衛官の心構え」がよりどころ。任用された際に「宣誓書」に署名押印した時か
ら始まり、上級幹部の登竜門である「統合幕僚学校」まで長い道のりが続く。

 航空自衛隊の場合、自衛官の教育を一元的に扱うのは「航空教育集団」だ。全国十基地の十四の教育部隊を統括し、パイロットを養成する航空団、航空機やレーダーの整領土や通信技師などを育成する五つの術科学校、一般教育を担当する航空教育隊など、約六千六百人を束ねている。

 空自では防衛大学校を卒業すると曹長になり、奈良県にある幹部候補生学校「一般幹部候補生課程」に入る。その後は昇進などのたびに部隊での任務と、術科学校や幹部学校での教育を交互に繰り返す。

 田母神氏の発案で「歴史観・国家観」の科目を新設した統合幕僚学校は将官や上級幕僚になるための最後の関門だ。学ぶのは陸海空自衛隊から十人ずつの約三十人で、指揮幕僚課程の修了者らが資格を持つ。

 防衛省が公表した二〇〇八年八月の統幕学校のカリキュラムによると「歴史観・国家観」は「防衛基礎」という科目の一部で、教育目標は「わが国の歴史等に関する本質について理解させる」だ。

 福地惇大正大教授は「シナ事変への流れ」として「蒋介石と日本の衝突の背後には米英、ソ連、コミンテルンが存在」「上海事変はシナ側が企てた戦争挑発の軍事行動」などと講義。坂川隆人・元統幕学校教育課長は「米国の日本占領政策」が「わが国の国家の縦軸(歴史)を切断した」「縦軸の切断に大きな役割を担ったのが検閲、宣伝活動、東京裁判である」とした。

 高森明勅日本文化総合研究所代表は「日本は最大にして最古の君主国」などと指摘。作家の井沢元彦氏は「世界の宗教から見た日本」などを取り上げた。

《田母神氏が統合幕学校に創設した「歴史観・国家観」のカリキュラム(2008年8月幹部高級過程)》

科目(担当)……歴史観・国家観@(坂川隆人元統合 =幕僚学校教育課長)
──教育内容
・歴史観、国家観変容の概括
・米国の占領政策

科目(担当)……歴史観・国家観A(福地惇大正大学教授)
──教育内容
・近代日本の国家目的等
・明治国家と戦後国家
・大東亜戦争史観

科目(担当)……歴史観・国家観B (高森明勅日本文化総合研究所代表)
──教育内容
・世界史の中の日本文明
・国家形成の過程と独自文化の創出
・日本の歴史における節目
・天皇の起源と歴史的意味

科目(担当)……歴史観・国家観C(作家・井沢元彦氏)
──教育内容
・宗教からみた国家観

(注)防衛省公表の資料に基づいて作成制服組が関与した主な事件や発言など

《制服組が関与した主な事件や発言》

■1961年 三無(さんゆう)事件
 旧日本軍の将校らが国会の襲撃や要人暗殺などを画策したクーデター未遂事件。自衛隊幹部らに協力を呼び掛けた。共産主義の台頭を警戒し、無税・無失業・無戦争の「三無主義」を掲げた

■1963年 三ツ矢研究
 統合幕僚会議事務局が第2次朝鮮戦争を想定して極秘で実施した「統合防衛図上研究」。国家総動員体制の確立へ、労務の徴用や交通・通信の強制的統制など107項目を明記。国会で暴かれ「制服組の独走」と批判

■1978年 超法規的発言
 栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「法制に不備があるため奇襲攻撃やその他の緊急事態に際して、自衛隊の現地指揮官は超法規的行動をとらざるを得ない」と発言。文民統制の否定として更迭

1992年 陸自3佐クーデター論文
 陸上自衛隊の3佐が金丸信元自民党副総裁への5億円献金事件に関連し、週刊誌に「クーデターなど武力によって政治を改革することが必要だ」との趣旨の論文を寄稿。懲戒免職処分に

2008年 田母神論文
 田母神俊雄航空幕僚長が「わが国が侵略国家というのは正にぬれぎぬ」などとする論文を発表。1995年の「村山談話」などを否定する内容で、集団的自衛権の行使容認も事実上求めた
(「日経」20081120)

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歴史ゆがめる田母神前空爆長「論文」
明治大学教授(歴史学)
・山田朗さんに聞く

侵略当時の論理そのまま

 日本が侵略国家というのはぬれぎぬ≠ネどと主張する田母神俊雄前空幕長の「論文」の何が問題なのか。明治大学の山田朗文学部教授(歴史学)に聞きました。(林信誠)
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 田母神氏の「論文」は、「新しい歴史教科書をつくる会」などの人たちが侵略戦争や植民地支配を正当化するために用いたさまざまな主張をオウム返しにしたもので、いずれも破綻(はたん)ずみです。新たな歴史的事実があるわけではありません。

 特徴は、日本がアジアを侵略していった当時の論理をいまも通用すると思い込んで使っているところにあります。歴史から何も学ばない考え方です。

19世紀の発想

 朝鮮や中国への出兵を「条約に基づいたもの」「国際法上合法」だとする議論は、その典型です。条約そのものが侵略の結果であり、力ずくで結ばれたものです。

 「条約」の合法性を振りかざして他国への侵略や植民地支配を正当化するというのは、実は十九世紀の欧米列強が盛んに行った手法で、日本はそれをまねただけです。

 第一次大戦以降、ロシア革命後のレニ一ンやアメリカのウィルソン大統領が民族自決権を主張し、民族自決の原則が認められるようになっていきました。国際法でも、国際的な紛争を戦争という手段で解決することは違法だという流れがつくられていきました。

 ところが日本は二十世紀に入っても、十九世紀の列強の侵略手法をまねして押し通したという点で、明らかに世界の流れを見誤ったのです。「論文」はこういう歴史的な流れを全然踏まえていません。

 だいたい、「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」などといいますが、だれもそんなことはいっていない。欧米列強が侵略したことは動かしがたい事実で、日本がそれに追随して侵略したことが問題なのです。

 朝鮮や「満州」の実態についてもそうです。「圧政から解放」したとか、「生活水準も格段に向上した」といいますが、一九三三年の「満州国建国」以来、毎年数于人単位、多い年で一万人以上の抗日勢力が処刑されました。

 「論文」が賛美する「五族協和」の実態も、日本の軍人や官僚を頂点としたピラミッドのなかで、各民族が自分の身分や立場に応じて奉仕しろというもので、決して「みんな平等」の社会などではありませんでした。つまり、差別を固定した上で仲良くやろう≠ニいう、日本の支配を正当化する論理です。

 基本的には、朝鮮や「満州」は日本の「生命線」として、兵たん基地にされ、資源と労働力を収奪されたのです。

列強との取引

 戦後アジア・アフリカ諸国が植民地支配から解放されたのは、「日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである」という議論も、当時の論理をそのまま言っているだけのことです。

 実際は、日露戦争以降、日本は逆に第二次日英同盟や日仏協約などいろいろな条約を結び、欧米列強のアジア支配を全部認める代わりに、日本が朝鮮を自由に処分することを認めてくれという取引をやったのです。

 その後は、欧米側についてアジアを支配する側に回っていったわけですから、これを 「アジア解放」といっても通用しません。

自衛隊の質的強化狙う

 田母神氏が言いたいのは、「論文」の形をとってはいるものの、歴史を「見直す」ことを通じて、自衛隊の現在のあり方を変えたいということです。だから、自衛隊は「集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている」など、がんじがらめ≠セと不満を述べています。裏を返せぱ、「集団的自衛権も行使したい、武器も制約なく使用したい、攻撃的兵器も保有したい」というのが本音だということです。

 実際、自衛隊内には、こういう意見がかなり以前からあったと思いますが、今回特徴的なのは、日米安保の枠を超えてでも、軍隊としての自立性確保や質的強化を図りたいという願望の表明です。

 これは、個人的に歴史観を述べたということではすまされないことで、政府が「憲法の枠内」だとする政策への強力な批判であり、文民統制(シビリアンコントロール)に反します。

危機感の表れ

 田母神氏は制約ばかりだ≠ニいいますが、これまでの自衛隊は、基本的にはアメリカの世界戦略に追随しつつも、国民合意をないがしろにしたまま海外に派兵するなど、とくに湾岸戦争以来さまざまな既成事実を積み重ね、憲法の枠を大きく逸脱しているのです。

 この現状に対し、既成事実の積み重ねだけではいけない。もう一度憲法の原則に立ち返れ≠ニ命じたのが、航空自衛隊のイラク派遣を違憲と断じた名古屋高裁判決(四月十七日)です。

 既成事実の積み重ねで現実を変えようとしてきた田母神氏らにとって、非常に痛いところを突かれた判決でした。判決後、田母神氏は、「そんなの関係ねぇ」とちゃかしましたが、むしろそこには彼らの強い危機感が表れています。

 結局、歴史論議にみせかけているけれども、つきつめると、現在の自衛隊を軍隊として強化したいというところに行きつきます。

政治の側にも

 一九七八年に、当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が雑誌誌上で、有事の際は首相の防衛出動命令前にも「超法規的行動」がありえると発言し、「文民統制に反する」と解任されました。しかし、この「栗栖発言」がバネとなり、政府・与党の有事法制研究が開始され、その後の有事関連立法につながった歴史があります。

 「論文」で田母神氏が更迭されたのをバネに、次に何が出てくるのかについては大いに注意が必要です。

 「論文」発表以前に政府が何ら手を打てなかった背景には、文民統制すべき政治の側に、侵略戦争を正当化する歴史修正主義的な考えが一定程度浸透している実態があります。だからこそ田母神氏は二人の元首相から支持されている≠ネどと居直っていられるのです。

 政治、とくに国民の代表たる国会が日本の軍事力を監視し、歯止めをかける役割は極めて重要です。軍事問題は一歩誤るととんでもないことになるというのが、歴史の教訓です。(おわり)
(「赤旗」20081122−1123)

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◎「特徴は、日本がアジアを侵略していった当時の論理をいまも通用すると思い込んで……歴史から何も学ばない考え方」と。