学習通信081201
◎マルクスもエンゲルスも……

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 エンゲルスの『起源』をいまなぜ読むのか

 一番最初の部分は、「女性解放の道──古典から学ぶ」と題しました。古典というのは、さきほど二十年前の講義の話をしたエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(一八八四年)のことです。現代の世界と日本のことを考えるのに、なぜ百二十四年も前の本を引っ張り出して、それを読むことからはじめるのか、こういう疑問を持つ方もおいでかと思います。しかし、これだけ変わった世界の中でも、女性の地位という問題を考えようという時、やはりその基準とも指針ともなるのが、実はこの本なのです。

いま世界で起こっていることは、どういう意味をもち、世界はどこからどこへ動いているのか、それらのことの筋道をつかむ上でも、私は、この本は、がイドブックになる本だと思っています。だから、現代をよく知るためにも、あえて百二十年ほど前にもどるというタイムスリップ≠させてもらいました。

 はじめにこの本の書かれたいきさつから話しますと、エンゲルスの親友のマルクスが、死の数年前に一生懸命に読んでいた本があったのです。それは、モーガンというアメリカの学者が、インディアンの社会を、そのなかに入り込んでよく研究し、そこを出発点に、世界の原始社会がどういうものであったかを徹底的に調べ上げて書いた『古代社会』という本でした(一八七七年刊行)。その本をマルクスが手に入れ、その内容に感激して、詳細なノートをつくりました。大判のノートに、ぎっしり九十八ページも抜き書きをし、そこに自分の意見も書きこんだのです。エンゲルスは、マルクスの生前に、彼がこの本に熱中しているという話は聞いたことがあったのですが、自分もほかのことに熱中していましたから、あまり気にも留めなかった、といいます。

 そのマルクスが一八八三年三月に亡くなりました。そのあと(四月から)、エンゲルスは、マルクスの家に通って、彼の部屋の草稿や書類の山を捜索して、『資本論』の草稿を見つけたりするのですが、その整理と捜索にはたいへん時間がかかりました。書類の山のなかから見つけたのがこのモーガンの『古代社会』についての抜き書きノートだったのです。見つけたのがなんと翌年の二月ですから、捜索・整理の活動をはじめて何と十ヵ月目の発見だったわけで、そこからもマルクスの遺稿・草稿・書類などの山がどんなに巨大なものだったかが、推測されます。

 エンゲルスは、こうして見つけたノートを読んで、マルクスが熱中して話していたのはこのことだったのか、とびっくりします。そこには、それほどものすごい発見があったのです。そこでエンゲルスは早速モーガンの本を手に入れて読み、この研究の成果をマルクスにかわって発表するのは、マルクスの遺言を実行することだ、と考えて、『家族・私有財産・国家の起源』を書きはじめます。二月にマルクスのノートを見つけ、それからマルクスのノートとモーガンの著作とを研究し、五月には『起源』を書きあげてしまったのですから、エンゲルスの研究と執筆のスピードのすごさがよく分かります。こうして、いわばマルクスとエンゲルスの合作で生まれたのが、『起源』というこの著作でした。

 この本の値打ちがどこにあるかといいますと、一つは、原始共産主義社会の仕組みと姿を、はじめて明らかにしたことです。マルクスは、一八五〇年代から、アジア社会の研究を通じて、アジアでもヨーロッパでも、人類の原始の時代には、原始的な共産主義の社会があったことを知っていました。

しかし、その社会がどんな姿をしていたかということはわからなかったのです。社会が富者と貧者など階級にわかれていなかったこと、土地などの生産手段は社会の共有だったことなどは分かっていましたが、それ以上の社会の仕組みなどは、まったく情報はなかったのです。

ところがモーガンの本の中では、原始の共産主義社会が社会制度の仕組みまで生き生きと描かれていて、歴史の最初に登場した人間社会がいかに素晴らしいものであったかが、はじめて明らかにされた、その事実を知って、マルクス自身が、原始共産主義の社会についての見方を根本からあらためたのです。そこには、そういう大発見がありました。

 その中にまた、女性の歴史についての、すごい発見がありました。マルクスもエンゲルスも、この本を読んで原始社会の本当の姿を知るまでは、男性に対する女性の従属というのは、人間社会が生まれた最初から続いていたことで、人間社会の進歩とともにその不当さや矛盾が明らかになり、それを古い体制として乗り越える時代に近づいてゆく、おおよそこんな見方をしていたのです。ところが、モーガンの研究は、人類社会の最初は、男性と女性のあいだに差別がない、支配も従属もない、こういう平等社会だったことを明らかにしたのです。

 現在の歴史研究では、人間が地球上に生まれたのは三百万年くらい前とされています。その人間集団が一定の秩序をもって社会といえる姿をとったのは、明確にはいえませんが、数万年ぐらい前のことではないでしょうか。その数万年の歴史のなかで、女性と男性の間に、支配と従属、差別のクサビが打ち込まれたというのは、せいぜい二、三千年から数千年ぐらい前、数万年の人類社会史からいえば、ごく最近の出来事でした。

 いま述べた年代の長さは、現在の研究にもとづく私たちの知識で、マルクス、エンゲルスの時代には、人間の歴史をもっと短いモノサシで見ていたはずですが、ともかくそういう人類史の見方をマルクス、エンゲルスはモーガンのこの本ではじめて確認したのです。

 そして、マルクスとエンゲルスが、モーガンに触れてえた、人類史についてのこの二つの新しい発見を、まとめて発表した最初の著作が、エングルス『家族・私有財産・国家の起源』なのです。

 この本には、男女の平等、ある意味では女性の優位という特徴をさえもっていた原始社会が、いつ、どんな理由で男性中心の社会に変わってしまったか、その歴史も詳しく追究されています。さらに、これからの発展のなかで、男性中心の社会が、女性の権利を回復して、男女平等の社会への変革をとげるには、社会のどんな変化が必要なのか、この大間題についてのエンゲルスの研究とその結論が詳しく書き込まれているのです。その意味では、この本は、「科学の目」で女性差別のこれまでの歴史を解明し、今後の女性解放の道を明らかにした最初の本だといってよいでしょう。

 こういうわけですから、この本は、百二十四年前の本ではありますが、二一世紀の現在でも、社会における女性の地位の現在と将来を考えようというとき、手ばなすわけにはゆかないガイドブックとなるのです。

 今日は、みなさんが『起源』を持って参加されているわけではありませんから、これからお話しすることに関係のある文章を中心に、この本からの抜粋をつくってみました。いわば、エンゲルスの本のさわり集≠ニいうべきものです。これからの説明は、この抜粋の解説という形ですすめることにします。
(不破哲三著「社会進歩と女性」日本共産党新婦人内後援会 p13-17)

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序 言

 地球上における人類がきわめて古いことは、決定的に確証されている。この証拠がようやく最近この三十年内に発見され、そして現世代がこのような重要な事実を認めることを求められた最初の世代であるということは、奇異にすらみえるのである。

 今日、人類は氷河期、いなその開始以前にさえもヨーロッパに存在したことが、知られておりそれとともに、その起源がそれ以前の地質学的時代にあったということも大体知るところとなっている。人類は人類と同時代に存在した多くの種類の動物よりも生き長らえた。そして人類種族の数分派において、その進歩においてもまた道程においても、顕著に発展の過程を経過したのである。

 おそらく、彼らの経歴は地質学的時代と関連しているのであるから、時間を限定して計ることは不可能である。北半球における氷河の消滅から現代にいたる時代を十万年もしくは二十万年と計算することは、理性にはずれてはいないであろう。実際の期間が知られていない時代の計算にはどのような疑問が伴うにしても、人類の存在は無限に後方に拡がるのであり、広漠深遠な太古の中に消えている。

 この知識は、野蛮人と未開人との関係ならびに未開人と文明人との関係に関してこれまで一般に行われていた見解を実質的に変更する。未開が文明に先行したことが知られているように、人類のあらゆる部族において、野蛮が未開に先行したことが、いまや信頼しうる証拠にもとづいて主張しうるのである。人類種族の歴史は、根源において一であり、経験において一であり、進歩において一である。

 いかにして、過去のこれらすべての累積した時代が人類によって費やされたか、いかにして野蛮人が、緩慢なほとんど目に見えぬ歩みで進みつつ、未開人のより高度な状態に達したのであるか。

 いかにして未開人が、同様な漸進的(ぜんしんてき)発展によって、最後に、文明に到達したのであるか。しかして何故その他の部族や民族は、進歩の競争において後にとりのこされたのであるか──すなわち、あるものは文明に、あるものは未開状態に、そしてまた他のものは野蛮状態にあるのであるか。

 もし出来るならば、これらを知ることは、自然であるとともに適当な欲求である。そして、究極において、これらの疑問が解答されることを期待することは、決して過大な期待ではない。

 発明と発見は人間進歩の線に沿うて系列的な関係にたち、その継次的段階を記録している。しかるに、社会的および市民的諸制度は、永久的な人間の欲望と関連することによって、若干の本源的思想の胚珠から発展したのである。これらの制度は進歩の同様の記録を示している。これらの制度、発明および発見は、この経験の現在残っている例証である主要な事実を体現し、そして、また保持しているのである。これらを対照し比較するとき、これらは、人類の起源の単一、同一の発展段階における人類の欲求の類似および類似せる社会状態における人類精神の作用の斉一性を示す傾向をとっている。

 野蛮の後期および未開の全期を通じて、人類は一般に氏族、胞族および部族に組織されていた。これらの組織は、全古代世界を通じて、あらゆる大陸に行われており、古代社会が組織され結合を保たれたところの媒介だったのである。これらの組織の構造、組織的系列の成員としての関係、氏族の成員として、また胞族および部族の成員としての権利、特権および義務は、人類の精神における政治組織の観念の成長を例証している。野蛮状態に発生した人類の主要な制度は未開状態において発展し、文明において成熟しつつある。

 同様に、家族も継次的諸形態を通過し、そして現在にいたるまで残っているところの血族と姻族の大制度を創造した。これらの諸制度は、各々の制度がそれぞれ形成された時代の家族のうちに存在する諸関係を記録するものであるが、家族が血縁的形態から中間的形態を通して一夫一婦的形態へ進みつつある間の、人類の経験についての教訓に富む記録を包含している。

 財産の観念もまた、同様の成長と発展とを遂げた。蓄積された生活資料の代表としての財産の所持に対する熱情は、野蛮状態における零に始まり、いまや文明種族の人間精神を支配するにいたった。

 以上に述べた四種の事実は、野蛮状態から文明にいたる人類進歩の行程に沿うて平行して進展するのであり、本書における論究の主題を形成するのである。

 われわれが、アメリカ人として特別な義務のみならず特別な興味をも有する研究の一領域がある。アメリカ大陸は物質的な富の豊富なことで有名であるが、それはまた、未開の大時期を例証する人種学的、言語学的、考古学的資料においても、あらゆる大陸の中でもっとも豊富である。

 人類は起源を一にしていたから、その道程も本質的に一であり、すべての大陸において別々ではあるが斉一な径路をすすみ、人類のすべての部族および民族においてきわめて一様に、同一進歩の状態にいたったのである。したがって、アメリカ・インディアン部族の歴史と経験とは、それに対応する状態にあった時代のわれわれ自身の遠い祖先の歴史と経験とを、多少ともそれに近く示すことになるのである。彼らの制度、技術、発明および実際的経験は人類の記録の一部を形成するものであり、インディアン人種それ自身をはるかに超えた高度なそして特別な価値を有するのである。

 発見された当時、アメリカ・インディアンの部族は三つの異なる人種的時代を示していた。そして、その当時地球上において示されるどこよりもそれを完全に示したのである。人種学、言語学および考古学の資料は比類なく豊富に提供された。しかしこれらの科学は、今世紀にいたるまではほとんど存在せず、そして現在のわれわれの間においても、その研究はわずかにしか行われていないのである。すなわち、これまで仕事に当った人々と仕事との間に均衡がとれていなかったのである。

のみならず、地中に財源されている化石の遺物は、将来の学徒に対しても現状を保つであろうが、インディアンの技術、言語および制度の遺物は、そうではないであろう。それらは、日々、消滅しつつあり、そして三世紀以上もすでに消滅しつづけていたのである。インディアン部族の種族的生活は、アメリカ文明の影響のもとに衰滅しつつあり、彼らの技術および言語は消滅をたどり、彼らの制度は崩壊しつつある。もう数年もたつならば、現在容易に集めえられる事実も、発見が不可能になるであろう。これらの事情は、アメリカ人に対しこの大なる領域が入り、その豊富な収穫を蒐集すべきことを強く訴えるのである。
 一八七七年三月
 ニュー・ヨーク州ローチェスターにて。
(モルガン著「古代社会 上」岩波文庫 p19-22)

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◎「いま世界で起こっていることは、どういう意味をもち、世界はどこからどこへ動いているのか、それらのことの筋道をつかむ上でも、私は、この本は、がイドブックになる」と