学習通信081202
◎自衛隊は日本の重要な外交ツール……
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田母神氏が講演改めて持論展開
日本外国特派員協会で
政府見解に反する歴史認識の論文を発表して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長(60)が一日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、「周辺の国から『侵略した』とさんざん言われる。黙っていることが日本の国益を損なう」などと改めて持論を述べた。
田母神氏は「自衛隊は他国が攻撃を受けても助けることができない」と集団的自衛権の行使を認めるよう主張。核や憲法改正などの問題についても、「議論するだけで核抑止力は高まる」などと語った。
(「日経」20081202)
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田母神 暴走なぜ
田母神俊雄・前航空幕僚長が政府見解に反する侵略戦争肯定論や、憲法違反の集団的自衛権行使、武器使用権限の拡大を公然と表明し、世論のきびしい批判をあびています。文民統制に従うべき自衛隊のトップがなぜこうした行動をとれるのか。(星英雄)
続く海外派兵を機に
制服組の発言力増大
「自衛隊が海外派遣されるようになって、政府全体の中で防衛省・自衛隊の役割が大きくなった。そのなかで、制服組の発言力が強くなったことが田母神問題の底流にある」
自衛隊に詳しい安全保障問題の専門家はこう指摘します。
一九九一年湾岸戦争後の掃海艇派遣に始まって、カンボジア、ゴラン高原などへのPKO(国連平和維持活動)派遣。そしてアメリカのイラク・アフガニスタン戦争への支援。とりわけ、現に戦闘がおこなわれているイラクヘの派兵が大きな意味をもったといわれます。
自衛隊が判断
日本の最大の外交資源とされてきたODA(政府開発援助)予算を何に使うのか。イラク南部のサマワで、現地住民の要望の可否を判断し、事実上決定したのは外務省ではなく自衛隊でした。自衛隊を派兵するも撤退するも、政府の判断材料は現地自衛隊の情報です。
「現場を知らずに政策決定できるのか」。イラク派兵後、自衛隊抜きになにができるのかという、不遜(ふそん)な機運が自衛隊内に生まれました。
「日本外交の基軸は日米同盟」とする日本政府。いまスーダンPKOに自衛隊を送り込み、アフガン本土やソマリア沖での海賊対策でも自衛隊派兵を探る動きがでています。日本の対外政策のなかに、自衛隊がすわるようになっています。
元自衛隊幹部はこういいます。
「世界各国の外交は軍事力を前提に行われていて、日本もだんだんそうなってきた。そうしなければ国際舞台で発言力がなくなるというのが政府の考え。自衛隊の立場が強くなるのは当然だ」
海外派兵にともなって、自衛隊内では不満がうっ積しているといわれます。
志方俊之帝京大学教授(元自衛隊幹部)はテレビ番組でこう発言しました。「自衛隊の任務がどんどん海外に出て行くようになって、日本から一歩外に出ると軍隊だ。日本に入ってくると軍隊でないといわれる。この間の相克はすごく大きい」
自衛隊OBの一人はこういいます。「命をさらす海外任務は評価されず、国内の災害派遣だけが評価される」
自信と不満と
海外派兵を担う自信と不満が政府の政策を動かしてきました。端的な例が武器使用の規定です。
最初は自己防衛だけに限定。それが、上官命令による組織的な使用へ。そして「自己の管理の下に入った者の生命または身体の防護」へと拡大されました。
イラクヘの派兵を経ていま、防衛省・自衛隊の要求は、「自衛隊を海外に出すなら、外国軍並みの権限を与えてほしい」となっています。
防衛省幹部や自衛官らが多数参加した十一月二十二日の日本防衛学会。防衛庁元次官、元統幕議長らが強調したのは、「機能する自衛隊」「強い自衛隊」です。国民の不安と批判を招いた田母神発言は、それを台無しにしかねないという危機意識でした。
「いまや自衛隊は日本の重要な外交ツールだ」。自民党国防関係議員はこういいます。「日本の対外的影響力拡大のため自衛隊を使う」という考えは民主党内にも広がっています。この政治土壌の上で、自衛隊を憲法に明記できないまま、自衛隊の海外派兵を展開する自公政権。不満を抱きつつ、これを機に「強い自衛隊」「軍」を目指す防衛省・自衛隊──。
憲法をじゅうりんしてきた政軍関係(文民統制)が引き起こす構造的矛盾があらわれています。
(「赤旗」20081201)
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08年政治考
田母神問題
懸念する自民党幹部も
靖国派≠ェ引き金
「小泉首相が靖国神社への連続参拝を強行し、続く安倍内閣は『戦後レジーム』からの脱却を掲げた。自民党内でも歴史認識問題を中心に民族派≠ェ台頭した。直接の引き金とはいえないが、こういう事情が背景にあることは間違いない」
自民党幹部の一人は、田母神俊雄・前航空幕僚長の侵略戦争美化「論文」についてこう述べました。「民族派」とは、日本の侵略戦争を正当化し、首相の靖国神社参拝を声高にとなえてきた日本会議国会議員懇談会のメンバーらをさしています。
田母神氏が空幕長に任命されたのは二〇〇七年三月。任命したのは「戦後レジームからの脱却」を掲げ、任期中の改憲を目標とした安倍晋三内閣でした。田母神氏と安倍元首相は懸賞論文を主催したアパグループの元谷外志雄代表を介してつながっています。元谷氏は安倍元首相の支援組織「安晋会」の副会長でした。
「日本は神の国」発言をした森喜朗元首相も元谷氏と同郷で親密な間柄。後に断ったものの、懸賞論文受賞パーティー(十二月八日に開催予定)の発起人代表をいったんは引き受けていました。
閣僚経験のあるベテラン議員は、事態の深刻さについてこう述べます。
「『自虐史観』などということをいう政治家が増えたし、国民の間にもそういう空気が広がっている。その中で、空自の長が公然と政治介入し、政治を批判した。一歩間違えればクーデターだ。海外活動を本来任務とする実力組織のトップがあのような歴史認識を示すのは、アジア諸国との関係から見ても重大だ。私自身も『左』のイデオロギーには厳しかったが、『右』には甘かった。これは反省している」
前出の自民党幹部は言います。「その後の自民党内での議論で、『シビリアンコントロールの観点からは問題だが、(論文の)中身はもっともだ』という意見が多いのも事実。同じような問題が再び起こるかもしれない」
田母神「論文」の波紋
政界から同調の危険
田母神氏とともにアパグループの懸賞論文に応募した自衛官は約百人。田母神氏は統合幕僚学校長だった時代に、「歴史観・国家観」の講義を新設し、「現憲法及び教育基本法の問題点」「大東亜戦争史観」などを教育=B「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらを講師に招いていました。
さらに自衛隊の幹部養成機関である防衛大学校の教科書『防衛学入門』では、明治以降の日本の侵略戦争をすべて「自衛が基本」という立場で記述していることも本紙の報道で明らかになっています。
教育体制が問題
元政府高官の一人は指摘します。
「ああいう人が制服組の主流となって育っていく教育体制、ここは重要なポイントだ。近代史の基礎知識について、少なくとも政府見解とまったく異なるものが教育されている事実があるとすれば、政府の一組織として大問題だ」
田母神氏は右派月刊誌『WILL』二〇〇九年一月号に発表した最新の「手記」で、防衛大学校時代「どちらかというとノンポリの学生だった」としつつ「だが自衛隊の教育が私を変えてくれた」とふりかえっています。
日米同盟を優先
麻生内閣が田母神氏を即日更迭せざるを得なかったのは、「靖国」派の主張を追いつめてきた戦後政治の到達点です。
さすがに自民党国防族の中でも公然と擁護する声はほとんどありません。
「核武談論とか集団的自衛権の行使とかいうのは、政府・自民党の見解とも食い違う。集団的自衛権行使は、安倍(元首相)が進めようとして福田(前首相)が止めた。この経緯もよく踏まえる必要がある。アメリカに頼った自衛は無責任だという議論が昔からあることは承知しているが、
『自分の国を自分で守る体制を整える』という主張は、日米同盟の考え方とは異なる」(国防部会のメンバー)
自民党が絶対視する日米同盟堅持の立場から、田母神氏の自主国防§_的な主張に困惑を隠せないでいるのです。
日本会議国会議員懇談会のメンバーでさえ、こう疑問を表明します。
「海上自衛隊のインド洋派遣延長の論議が衆院から参院に移行する時期に混乱を生じさせることは適切か──。日本にとって一番危険な問題がある。私は『右』で、歴史問題で言いたいことはある。しかし、今の日本の現実政治と国家の安全保障を考えたら、日米安保、アメリカを大事にしなければならない。矛盾があればアメリカが優先する」
同氏は、「最近、右翼の中に極右、反米の右翼も出てきて困る」と述べ、田母神氏の「日米開戦はアメリカの陰謀だ」「自立した防衛を」という主張に懸念を表明しました。
ただ、元防衛庁長官の一人は、不気味な予言≠します。
「米国の金融危機と経済混乱から、米国が世界の警察官としての役割を果たせなくなり、そのヘゲモニー(支配的影響力)が後退して、太平洋にも力の空白が生じてくる可能性がある。田母神氏の発言は更迭に値するが、それとは別にこの問題は考えておかねばならない」
安保問題を担当する民主党の衆院議員も、「アメリカー極支配秩序の崩壊」の現実を直視せよとして「いつまでも『アメリカ頼み』では、我が国の国民の生命も財産も守れない」と述べています。
軍事力による覇権の維持に固執する限り、政界の中からも田母神氏の主張に同調する流れが出る危険があることを示しています。(中祖寅一)
(「赤旗」20081130)
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揺らぐ文民統制──空爆長論文の背景
航空自衛隊トップだった田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関し政府見解を否定する論文を発表した問題は、戦前の反省から軍事組織に対し政治が優位に立つシビリアンコントロール(文民統制)の揺らぎを象徴した。軍事力を直接率いる当事者の大胆な見解表明には、自衛隊が米ソ冷戦後の相次ぐ海外派遣を通じて台頭し、じわりと政治に浸透してきた構造的な変化が影響している
発言力増す制服組
海外派兵、日米同盟緊密化
政治家に接近、意見
浜田靖一防衛相は田母神氏の論文が表ざたになった十月三十一日、即座に更迭したが、政治サイドの責任も大きい。元防衛相石破茂氏は二〇〇三年の自衛隊高級幹部会同で、政治に「意見を述べることは権利であり、義務だ」と訓示。田母神氏は自衛隊部内誌で「義務であるからには、問題を認識しながら意見を言わなかったら義務の不履行になる。栗栖発言は、当時は言ったことが問題になったが、これからは言わないことが問題になるのだ」と歓迎した。
「栗栖発言」とは一九七八年、当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が「日本が奇襲攻撃を受けた場合、超法規的行動を取らざるを得ない」と公言して有事法制の必要性を訴えたもので、文民統制に反するとして解任された。当時と状況が異なるのは、冷戦後の不安定化で九〇年代からカンボジアなどでの国連平和維持活動(PKO)参加やインド洋、イラクヘの派遣を通じ、それまでほとんど機能せず「管理」されてきた自衛隊が「運用」の時代に移行したことだ。
連動して日米同盟の再定義が進み、自衛隊と米軍の連携も強化。この結果、装備や現場の実情に詳しい自衛官(制服組)は発言力を強めた。国連安全保障理事会の常任理事国入りを悲願とする外務省は「国際貢献」をアピールする狙いから制服組と手を結び、インド洋への海上自衛隊派遣を推し進めた。
九七年六月には、当時の橋本龍太郎首相の指示で、制服組による国会や他省庁との連絡交渉を禁じてきた事務調整訓令が廃止された。これを契機に、議員会館で政治家と接触する自衛官の姿が散見されるようになる。
〇一年九月十一日の米中枢同時テロ直後には、陸上自衛隊幹部が安倍晋三官房副長官(当時)の自宅を訪ねて、海外派遣された場合の武器使用基準の緩和を訴えた。
防衛問題は金融や経済と違い、日常生活で意識する場面が少ない。政治家も制服組の専門知識と経験を直接聞こうとする。しかも自衛隊は全国で二十四万人を擁し、OBや家族を含めると選挙の当落に影響しかねない組織票があり「政治家が制服組を大切にする土壌になっている」(内局幹部)との指摘がある。
前防衛事務次官守屋武四被告の汚職事件が尾を引き、政治と制服組の調整役となってきた内局(背広組)が萎縮(いしゅく)した反動も相対的に制服組の発言力を高めた。〇四年八月当時の幹部協議で古庄幸一海上幕僚長は、背広組の優位を支える防衛参事官制度の廃止案を提出し、これに反対する守屋次官と激論をかわした。
防衛省では今、石破氏の主導した防衛省改革論議が最終局面だ。参事官制度を廃止する一方、内局の所掌から自衛隊の部隊運用を完全に外して統合幕僚監部に一元化し、制服組も政策決定ラインに入れる案を検討。田母神氏の問題で防衛省改革の方向も軌道修正を迫られる可能性が出てきた。
「暴走はない」断言したが…
防衛省改革高まる慎重論
自衛隊の海外派遣が拡大を続け二〇〇四年、戦後初めて陸上自衛隊がイラクの「戦地」に派遣されると、制服組は声を大にして組織内で役割拡大を要求した。その年六月、古庄幸一海上幕僚長は石破茂防衛庁長官や守屋武昌事務次官(肩書はいずれも当時)、内局の背広組幹部らに防衛参事官制度廃止を提案する。
防衛庁・自衛隊創設以来の文民統制の在り方を問い、制服組の発言力増大を目指して見直しを迫るものだった。当時は古庄氏の提案として注目を集めたが、実は陸自側も同じ提案を文書で提出。古庄氏は「(制服組の長官補佐は)間接的としかとれない」と議論の口火を切り、制服組幹部が次々に発言を求めた。
「参事官制度は文民統制の姿ではない。大切なのは、戦場で血を流すわれわれが納得できるものであるべきだ」「政策的なものはともかく、部隊運用については、われわれの報告をそのまま長官に見てもらいたい」
組織図を見ると、内局幹部は陸海空の三幕僚長と肩を並べているが、ワンランク上の防衛参事官を兼務。その権限は政策から部隊運用の隅々にまで及び、制服組は自分たちの専門分野の運用でも、内局の背広組を通さなければ、トップに意見も言えない状況だった。
戦前戦中の「軍の暴走」への反省から、文民(政治家)だけでなく文官(官僚)による統制も強化した仕組みだ。
背広組は制度の趣旨を盾に反論したが、制服組は「もはや暴走はない」と譲らず会議は紛糾。
最終的に石破氏は制度廃止を指示した。ところが石破氏が○四年九月に防衛庁を去ると背広組が巻き返し、制度は残った。
三年後、防衛相に就任した石破氏は前次官の汚職事件など一連の不祥事を受けて文民統制の徹底を掲げた防衛省改革で再び、参事官制度廃止を掲げた。背広・制服のしこりを残したままでは改革もおぼつかない。
「政治や社会情勢に関心が薄い制服組」「現場の実情を知らない背広組」と互いに批判し合ってきた背広・制服の混成チームで改基案をつくらせた。これを踏まえて政府の有識者会議は今年七月、背広・制服の混成化を進め、部隊運用を統合幕僚監部に一本化するなどの方針を打ち出した。
参事官制度廃止も盛り込まれた。だが法改正の準備が進む中、田母神俊雄前空幕長の論文問題が起き、制服組の役割拡大に省内外で慎重論が高まりつつある。
■夏目晴雄・元防衛事務次官
いつか来た道をまた
軍隊は限りなく自己増殖する恐れがある存在。抑制する力が常に働いていなければならない。そういう意味で、旧軍が独走した反省からつくったのが文民統制だ。
ここ十年ほど、制服組の動きがおかしいな、台頭が著しいなと思ってきたが、それを象徴するように、田母神俊雄前航空幕僚長の論文が問題になった。
背景には、日米同盟が一層緊密化して自衛隊のステータスが高まり、海外活動や災害派遣で国民から支持されるようになってきたことで、制服組が思い上がりとも思える自信過剰になってきたことがある。
自衛隊の実任務が増え政治家が専門知識のある制服組を重用。単純、明快で耳に入りやすい制服の言葉を重視するようになってきたことも大きい。
その結果「政治将校」と言われるように、各幕僚監部の幹部らが堂々と政治家と直接接触するようになり、参事官制度の廃止、内局運用企画局の統合幕僚監部への統合へという流れができてしまった。
制服組は「参事官制度は文民統制ではなく、『文官』統制でけしからん」としているが、文民統制はさまざまなレベルで行われることが必要で、日常的に行うのが、文官統制。米国でも同様な組織、機能がある。
当初、各省庁の次官経験者などを参事官に任命する制度が考えられたが、抵抗があって実現せず局長などの兼務ということになってしまったが、制服組と政治家を密着させない、という機能は十分に果たしてきた。
制服を容易に政治に直結させてはならない。最後までは行かないと期待しているが、今、いつか来た道を歩きだしたのではないか、との不安をぬぐえない。
■纐纈 厚・山口大学
「クーデター」に近い
自衛隊が現行憲法下で正当性を得るには、政治が軍事に優越する民主主義国家の基本原則である文民統制が厳格に機能していることが大前提となる。文民統制をないがしろにする田母神俊雄前航空幕僚長の爆走≠ヘクーデターに近く、民主主義の根幹を脅かし、自衛隊がよって立つ正当性を自ら否定するものだ。
田母神氏は「言論の自由」を持ち出し論文発表を正当化するが、戦前の軍人の感覚で、はき違えもはなはだしい。武装組織のトッブに政府見解を否定する自由を認めれば、文民統制は崩れ去る。
ドイツでは、ヒトラーやナチスの思想や行動に賛意を表すことを法律で禁じており、軍も含め言論の自由が制約される。だからこそ周辺国の信頼を回復できたのだろう。
麻生首相も、浜田防衛相も「更迭した」とするだけで、事態の深刻さを認識していない。問題発言をチェックできず、トップに上り詰めるのを許し、懲戒処分もせず、文民統制の機能不全を突かれた格好だ。第二、第三の田母神氏を生み出しかねない禍根を残した。
日本型の文民統制は、防衛省内局の官僚による「文官統制」(防衛参事官制度)だが、本来は国民に自衛隊を統制する権限がある。今回の問題は文民統制を官僚任せにしてきたツケとも言える。
冷戦後の「働く自衛隊」への変容を背景に、参事官制度の見直し、集団的自衛権の行使容認など、文民統制や憲法のたがを外そうとする制服組の動きと、同調する政治家の動きがある。田母神氏の問題は複合的な流れの中で起きたと言える。
文民統制の在り方を国民的に議論し、文民統制を補完する意味で、国民が自衛隊を監視する「オンブズマン制度」なども検討する必要がある。
(「京都」20081129)
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◎「憲法をじゅうりんしてきた政軍関係(文民統制)が引き起こす構造的矛盾があらわれてい」ると。