学習通信081204
◎組合機関紙……労働組合活動を発展させていくために欠かせない

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機関紙の発行

 機関紙発行のために、機関紙部、あるいは教宣部をもうけ、結成大会の翌目には第一号を出します。内容は、結成大会のようすや結成宣言、要求などをのせます。つづいて第二号は、結成通知書をもっていった時のようす、第一回団交の報告などをのせます。このように、結成と同時に機関紙を発行できるように準備します。

 この組合機関紙の発行は、その後の労働組合活動を発展させていくために欠かせない、大切な活動です。機関紙によって、労働者に曇りのない真実を伝えることができ、労働者の要求とたたかいの方向をあきらかにし、あらゆる搾取の実態を告発することをつうじて、思想・信条の異なる労働者をたたかいに組織し、団結させ、階級意識を一人ひとりの労働者のものに育てていくことができます。

 こうして、労働者みんなが生きいきと自主的、自覚的に活動に参加することができるようになります。そのためには、機関紙が、担当者だけの机上のプランでつくられたり、執行部からの組合員への連絡のみ、といった、いわゆる上意下達だけのものになってはいけません。

 機関紙活動で大切な点は、@つねに組合員の利害にかかわるすべての問題や要求をとりあげ、みんなの声や投書を積極的にのせるようにすること。内容的には、生活と労働の実態をあきらかにするもの、要求と闘争の形態をしめすもの、資本家の思想攻撃を暴露するもの、科学的な立場からの解説などが考えられます。

A通信員、配布者などを組織すること(とくにいくつも職場がわかれているような大きな事業所などの場合はとくに欠かせないものです)、そして、B定期的に発行することが大切です(また、闘争中など必要なときには、号外や速報を機敏に出すことも欠かせません)。
(中森謹重・後藤耕三著「労働組合づくりの基礎知識」学習文庫 p120-122)

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 もう一つのたとえはこうである。

「新聞は、集団的宣伝者および集団的扇動者であるだけでなく、また集団的組織者でもある。この最後の点では、新聞は建築中の建物のまわりに組まれる足場にたとえることができる。それは、建築の輪郭を示し、個々の建築工のあいだの連絡を容易にし、彼らが仕事の割りふりをおこない、組織的な労働によってなしとげられた共同の成果を見わたすのを助ける。」

なんとこれは、文筆家、書斎人が自分の役割を誇張するのにそっくりではないか?

 足場は住宅そのものには全然必要でない。足場はいちばん粗悪な材料で組まれる。足場は、短期間建てられるだけで、建物があらましでもできあがるがはやいか、暖炉に投げこまれてしまう。革命的諸組織の建設について言えば、ときには足場がなくてもそれを建設できることは、経験の証明するところである。──七〇年代をとって考えてみたまえ。しかし、今日のわが国では、足場なしにわれわれに必要な建築物を建てうるなどということは、思いもよらない。

 ナデージヂンはこれに同意しないで、こう言っている。「新聞を中心として、そのための仕事をつうじて人々が集合し組織をつくるであろうと、『イスクラ』は考えている。だが、人々にとっては、もっと具体的な仕事を中心として集合し組織をつくるほうが、はるかに身近なのだ!」と。そのとおり、「もっと具体的な事柄を中心とするほうが、はるかに身近だ」

……ロシアのことわざに言う。「井戸につばを吐くな、いつかは水を飲むのに役だつだろうから」と。しかし、すでにつばを吐きこまれている井戸からでも、平気で水を飲む人間がいるものだ。

わがすてきな合法的「マルクス主義批判家たち」や『ラボーチャヤ・ムィスリ』の非合法的礼賛者たちは、このもっと具体的な事柄の名において、どんなにけがらわしいことまで言ったことか!「もっと具体的な事柄を中心とするほうが、はるかに身近だ」というおきまりの論拠によって正当化されているわれわれの狭さや創意性の欠如や臆病のために、われわれの運動全体がどんなに締めつけられていることか!

 ところが、ナデージヂン──とくに鋭い「現実」感覚の持ち主をもって自任し、「書斎」人をとくにきびしく断罪し、『イスクラ』はいたるところに「経済主義」を見たがる弱点があると言って(才気を気どりながら)非難し、自分は正統派と批判家とへのこの分裂をはるかに超越していると考えているそのナデージヂンが、夫子自身の論拠によって、自分の憤慨している当の狭さのお先棒をかついでいることに、つまり、つばをいっぱい吐きこまれた井戸から自分が水を飲んでいることに、気がつかないのだ!

 そうだ、もし狭さを憤慨している人が、舵ももたなければ帆ももたずに、ちょうど七〇年代の革命家たちのように「自然のままに」ただよっていて、「刺激的テロル」やら、「農民テロル」やら、「早鐘」などにしがみついているようなら、たとえ彼がこの狭さをどんなに本気に憤概していようと、狭さの前に拝脆している人々を立ちあがらせたいとどんなに熱望していようと、それだけでは足りないのだ。彼の考えによれば、それを中心として集合し祖織をつくるほうが「はるかに身近だ」という、この「もっと具体的な事柄」なるものを、まあ調べてみたまえ。

いわく、(一)地方新聞、(二)デモンストレーションの準備、(三)失業者のあいだの活動、と。一見しただけで、これらの仕事はどれもこれも、なにかものを言うために、まったくゆきあたりばったりに、でたらめにつかみだしてきたものだということがわかる。

なぜなら、どんなにそれらをながめてみても、そこになにかとくに人を「集合し、組織する」のに役だつものがあるように考えるのは、まったくばかげているからである。当のナデージヂン自身が、その二、三ページあとで言っているではないか。

「いまやわれわれは率直に事実を確認すべきときであろう。地方でおこなわれている活動ははなはだみじめなもので、もろもろの委員会は、当然やれるはずのことの十分の一もやっていない。……今日われわれがもっている統合的諸中心は、擬制であり、革命的なお役所仕事であり、たがいに大将に任命しあうことである。そして、強力な地方諸組織が成長をとげるまでは、こういう状態がつづくだろう」と。

このことばには、いろいろな誇張とならんで、疑いもなく、多くのにがい真実がふくまれている。ところで、ナデージヂンは、地方の活動のみじめなことと、活動家たちの視野の狭さ、彼らの活動の規模の狭さ──活動家たちが地方組織の枠内に閉じこもり、訓練に不足している場合にはまぬかれられないところの──とのあいだに関連があることが、ほんとうにわからないのだろうか?

 ほんとうに彼は、『スヴォボーダ』にのった、組織を論じた論文の筆者と同様に、広範な地方的定期刊行物への移行(一八九八年以後)にともなって「経済主義」と「手工業性」とがとくに強まったことを、忘れてしまったのだろうか?

 だが、たとえ「広範な地方的定期刊行物」をいくらかでも満足すべき程度に組織することができるとしても(ところで、まったく特殊な場合を除いてこれが不可能なことは、われわれがさきに示したとおりである)、そのときでさえ地方機関紙によっては、専制にたいする総攻撃のため、統一的闘争の指導のために、すべての革命的勢力を「集合し、組織する」ことはできないだろう。

ここではただ、新聞の「呼集者」としての、組織者としての意義だけが問題になっていることを、忘れたもうな。

そして、われわれは、細分状態を擁護するナデージヂンにたいして、彼白身が提出した皮肉な質問、「われわれは、どこからか二〇万人の革命的組織者の軍勢でも相続したのではないのか?」という質問を、返上することができるだろう。

さらに、「デモンストレーションの準備」を『イスクラ』の計画に対置することは、後者の計画がその目的の一つとしてほかならぬ最も広範なデモンストレーションを予定しているという理由だけからでも、なしえないことである。

問題はどういう実践的手段を選ぶかにある。ナデージヂンは、デモンストレーション(これまで大多数の場合にまったく自然発生的に起こっているところの)を「準備する」ことは、すでに「集合し、組織された」軍隊にしかやれないことなのに、われわれにはまさにその集合し、組織する能力がないのだということを見おとして、ここでもまた混乱におちいっている。

「失業者のあいだの活動」もまた、同じような混乱である。なぜなら、これもまた、動員された軍隊の戦闘行動の一つであって、軍隊を動員する計画ではないからである。

ナデージヂソが、ここでもまた、われわれの細分状態の弊害を、われわれが「二〇万人の軍勢」をもちあわせていないために生じる弊害を、どんなに過小評価しているかは、次のことからわかる。『イスクラ』は、失業についての報道をあまりのせず、農村生活のごくありふれた現象について思いつきで通信をのせているだけだといって、多くの人から(ナデージヂンもふくめて)叱責された。この叱責はもっともだが、しかし、この点では『イスクラ』は「罪なくして罪を問われた」ものである。

われわれは農村にも「糸を張り」わたす努力をしているのだが、農村にはほとんどどこにも石工がいないので、たとえありふれた事実のことでも通信してくれる人ならだれでも、奨励しないわけにいかないのである。──これは、そうしていけば、この分野についての協力者の数がふえてくるだろうし、ついにはわれわれ全部が実際にきわだった事実を選びだすことを学びとるだろうと期待してのことである。

しかし、学習材料がいかにも乏しいので、これをロシア全国にひろめないなら、全然なにも学習する材料がないことになるだろう。せめてナデージヂンに見られる程度の扇動家としての能力と浮浪者の生活についての知識とをもっている人ならば、疑いもなく、失業者のあいだで扇動することによってはかりしれない貢献を運動にもたらすことができよう。

しかし、もしそういう人が、自分の活動の一歩一歩をロシアの同志全部に知らせて、まだ大部分新しい仕事に着手することができずにいるこの人々の教訓とし模範とするように心がけないなら、せっかくの才能を地中にうずもらせることになるであろう。

 統合が重要なこと、「集合し、組織する」必要があることについては、いまではまったくだれもかれもが語っている。しかし、なにから始めるべきか、またこの統合の事業をどうすすめるべきかについては、大多数の場合なにもはっきりした考えがない。

われわれが一つの都市の個々のサークル──たとえば、地区サークル──を「統合する」場合には、共同の機関が必要なこと、すなわち「同盟」という共通の呼び名だけでなく、実際に共同の活動が必要であり、資料や経験や人手を交流し、その都市の活動全体の諸機能を、地区別に分担するだけでなく、さらに専門別に分担する必要があることには、たしかに、だれもが同意するであろう。

充実した秘密機構は、一地区だけの「資材」(いうまでもなく、物的資材も人的資材もふくめて)ではまかなえない(商業用語を使ってよいのなら)であろうし、このような狭い活動舞台では専門家の才能が発揮されないであろうということにも、だれもが同意するであろう。

しかし、これと同じことは、いろいろな都市を統合する場合についても言える。なぜなら、わが国の社会民主主義運動の歴史では、個々の地方というような活動舞台でさえも、とほうもなく狭いものになりつつあり、またすでになっているからである。

それは、われわれがさきに政治的扇動の例についても、また組織活動の例についても、くわしく証明したとおりである。

必要なこと、ぜひとも必要なこと、なによりも必要なことは、この活動舞台をひろげ、規則的な共同活動にもとづいていろいろな都市のあいだに実際の結びつきをつくりだすことである。

というのは、人々は細分状態に締めつけられて、「いわば洞穴のなかにすわりこみ」(『イスクラ』に寄せられたある手紙の筆者の表現な借りれば)、広い世界ではどんなことが起こっているのか、だれに学んだらよいのか、どうすれば経験を身につけられるのか、広範な活勤をやりたいという願望をどうして満足させたらよいのか、わからずにいるからである。

そして、私はやはり主張する。

このような実際上の結びつきをつくりだす仕事は、共同の新聞にもとづいてはじめて開始することができる。

共同の新聞は、多種多様な活動の成果を総括し、それによって、すべての道がローマにつうじるように革命につうじている数多くの道のすべてに沿って倦(う)むことなく前進するよう、人々を駆りたてる唯一の規則的な全国的事業だからである、と。

もしわれわれが口さきだけで統合を望んでいるのでないなら、あらゆる地方的サークルが、いますぐ、各自の勢力のたとえば四分の一を、共同事業のための積極的活動にさくことが必要である。

そうすれば、すぐに新聞がそのサークルに、この事業の一般的輪郭や規模や性格を示してくれ、また全国的活動全体のうちでまさにどういう欠陥が最も強く感じられているか、どこで扇動が欠けているか、どこで結びつきが弱いか、この巨大な総機構のどの歯車を、そのサークルが修理し、またはよりよい歯車に取り替えることができるかを、示してくれる。

これまで活動をやっていないで、いまようやく仕事を捜しもとめているサークルも、こんどはもう、自分より以前におこなわれた「工業」の発達のことも知らなければ、現行の工業上の生産方式の概況も知らない、個々の小作業場の手工業者として発足するのではなく、専制にたいする全般的な革命的強襲全体を反映する広大な事業の参加者として、発足できるようになるだろう。

そして、一つひとつの歯車の仕上げが完全であればあるほど、共同事業の局部的働き手の数が多くなればなるほど、われわれの網の目もいよいよ緻密となり、また、避けられない一斉検挙のために隊列全体に引きおこされる混乱は、それだけ少なくなるであろう。
(レーニン「なにをなすべきか」レーニン一〇巻選集A 大月書店 p160-164)

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◎「一つひとつの歯車の仕上げが完全であればあるほど、共同事業の局部的働き手の数が多くなればなるほど、われわれの網の目もいよいよ緻密となり」と。