学習通信081210
◎まだまだ男性は女性から尊敬されないと居心地が悪い……

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敬語の使い方

 品格ある言葉というと、「……あそばせ」「ごきげんよう」に代表される「ざあます言葉」のような特別に丁寧な言葉を指すと誤解している人がいます。女性の場合、特に女っぽすぎる敬語表現は日常生活では効率が悪く場違いです。

 もちろん敬語を自然に使えるのはとても大事です。日本語の上手な外国の人でも、一番難しいのは敬語の使い分けだといいます。たしかにそれほど親しくない外国の方から、「バンドーさんセンセイしてるの。それいいね」などと友だち同士の間で使う言葉で話しかけられると、ちょっと違和感があります。日本人の場合はなおさらです。それほど親しくない人からは、敬語は使ってもらわなくてもいいから、せめて丁寧な言葉で話しかけられたいと思います。「ございます」は不自然なので、「です」「ます」が適当です。学校では年上の人や目上の人には敬語を使いましょうと教えられましたが、私は敬語というのは、年齢や地位にあわせて使い分けるより、相手との距離感に応じて使い分けるべきだと思います。

 それほど親しくない人と会うときは、何はともあれ敬語を使いましょう。たとえ相手が年下であろうと職場の地位が低い場合であろうと、よほど親しくなるまでは敬語など丁寧な言葉を使うべきです。女性管理職のなかには男性部下をクンづけで呼んだり、「整理しておいて」「電話して」など気軽な言葉を使う人がいますが、それは自分の品格を落とします。ウチワの仲間として親しい気持ちを表しているつもりかもしれませんが、単に威張っていると見られます。部下に対しても、「整理しておいてもらえますか」「電話をしておいてください」と丁寧に言うほうが、ずっと気持ちよく動いてもらえます。

 仕事における初対面の場面で、こちらが買う立場や選ぶ立場だと、相手は最上級の敬語を使います。「今度こちらの会社の説明に伺わせていただいてよろしいでしょうか」といった調子です。それに対して、「ああいいわよ、来てちょうだい」などとカジュアルな口を利いていてはいけません。「恐れ入ります。ご足労かけますが、どうぞいらしてください」と受けるべきです。

自分が強い立場、上の立場でもそれを当然として大きな顔をするのではなく、相手を立てる言葉が自分の品格を高めるのです。相手の敬語には同格以上の敬語で応じましょう。気心が知れて親しくなってきたら、最上級の敬語でなくて、普通の丁寧な言葉でいいかなとも思いますが、それも相手次第です。相手が最上級の敬語を使ってほしいと思っている関係なのに、こちらが心安い関係になったと思って敬語を使わないと、相手は気を悪くします。敬語を使っていた人に敬語をやめるのはリスクがあります。基本的にはどの相手にも、です・ます調の丁寧語を使いつづけるのが安全です。

バカバカしいですが、まだまだ男性は女性から尊敬されないと居心地が悪い、対等の口をきかれると不愉快だと思う人が多いのです。あえて事を荒だてることもないで仕事や職場関係の人とは敬語が使えるのに、プライベートな場では敬語が使えないという人もいます。何か他人行儀な感じがすると思うのでしょうか。親しき仲にも礼儀ありです。できるだけ「です・ます」調を使いましょう。

女性同士のプライベートな関係だと敬語抜きの言葉があふれますが、度が過ぎるとそばで聞いていて聞き苦しいものです。友人と話すときもあまりにも無防備な言葉で話すのはやめ、せめて他人に聞かれても恥ずかしくない言葉遣いをしましょう。
(板東眞理子著「女性の品格」PHP新書 p48-50)

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女とことば
──誰がために敬語はある──

 以前「女らしいことば」とは何ですかという質間を、いろいろの人にしたことがあります。圧倒的に多いのは「敬語」を使うこと、という答えでした。

 もともと「女らしい」とか「女らしさ」とかいうことばには、かなり重要な間題が含まれていますので、それはいずれ触れるとして、今回は「敬語」について考えてみましょう。この前にも、ドラマで乱暴なことばを女に対して使う問題に触れましたが、「敬語」はそのさかさまです。つまり男は女に無敬語で対し、女は男に「有敬語」で対するというのが日本の言語生活といえます。

もちろん、いつもいつもこの一般論が通用するのでなく、たとえば谷崎潤一郎の「春琴抄」で、佐古は女主人公に対して実にきめ細かな敬意に満ちた表現をとり、女が逆にいわゆる対目下語を使います。ですから、世間でいう身分の上下という軸と、男が女がという軸とをからませて、たいそう微妙な表現が日本語には展開してゆきます。男女の区別が有効に働くときと、身分上下のほうが優先するときがあるわけですが、目下の女が一番ひどいということになります。ちょっと目上の女と、ちょっと目下の男がからまるときなどは、たいへんデリケートで、言語学的にはとても面白い問題となります。

 家庭の夫婦の場合は通常とてもはっきりしています。男、つまり夫は、女である妻に無敬語であることが多い、あるいはもっぱら乱暴に口をきくのです。ただ、恐らく夫婦というものはそう簡単な関係ではありませんので、一見乱暴そうであっても、それがテレ隠しになっていたりしてことがややこしいのですが、しかしやはり簡単に考えるほうが問題の核心をつけると思います。

かつて私の家庭状況がドラマになったとき(NHKドラマ人間模様「いつか来た道」一九八三年二月)、実に多くの人は「寿岳さんとこはあんなに丁寧にお父さんがお母さんにもの言うの」と驚いていました。そう言われても、どうももう一つあのドラマの会話はわが家の状況にぴったりでなかったため、私はあいまいな答えをせざるを得ませんでしたが、少なくとも、「いいえ、もっと父は乱暴に母にものを言っていた」とは答えません。むしろ、もっと丁寧だったと言いたいくらいでした。

 私は家庭で、高飛車に母に対してものを言う父を見たことがありません。父は播州弁を使って、
 「何しとってですか?」
なんてよく母に言ってました。そう言って茶の間にいる母のところへ父が顔を出せば、母が、「お茶でもいれましょか」と答えたりするのでした。とても柔らかな優しい会話でした。激しい討論、つまり夫婦げんかをするときだって、この基底の言語性格は失われません。つまりバカヤロだのアホだのの罵り語は登場せず、黙れだの、オレにたてつく気かだの、よく世間にいう口封じ語めいたことばもありませんでした。まったくの討論でした。

 つまり私の家庭では「いばり語」がなかったのです。母が丈夫なころ、婦人会などで「夫婦は同等対等で、夫がいばっているのはおかしい」ということを話すと、よく反問を受けたそうです。「一軒の家に二人も柱がいたらどうなります。お父ちゃんが主で妻は従です。そうしないと家が乱れます」という内容だったそうです。つまり、家庭の民主主義というものは、とてもわかりにくいもののようです。

いつでしたか、全国の母親大会が大阪でありましたとき、私が助言者になった分科会で、「もう離婚しそうです」と語った人が二、三人いましたが、聞いてみるとみな「職場ではあんなにすてきだった人が、結婚してみるとひどい変身、家庭ではいばりのワンマン」と言います。その思いを伝えて、うんと夫婦げんかをしなさい、それを言わないで離婚では不誠実と私は返答しましたが、つまりその男性の資質いかんとは別に、男が君臨するのが日本の文化のパターンらしいです。

 恐らく、その男の育った家庭が、男いばりの家だったのです。男の子はそれを見習います。母に対していばっている父を見て、それをおのずととり入れるのです。それはいってみれば、母がそういう家庭をつくったといえます。

 ことばのみならず、他のいろいろなことでも完ぺきに民主的なわが家を見ては、よその家の奥さんはよく母に言っていました。

 「寿岳さんとこ、奥さんほんとにお幸せ、あんな優しいご主人で」。
 母はややうんざりして必ず言うのです、「私がそういうふうにしたのです」と。

 いかなる夫婦であるかが、まずその夫婦のことばに深くかかわります。そこを問わないで、質のいい言語生活を望むことは不可能です。その人に向うはとてもそんな乱暴なことばが使えないような女であることが必要だし、そういう女性なのになおかつそうであるなら、ぴしりとその不当を告げるべきです。家庭のみならず、地域や、職場でも、敬語が男に対してのみ使われるなんぞ、だれのためにもよくありません。(「びいた」14号一九八六年)
(寿岳章子著「はんなり ほっこり」新日本出版社 p192-195)

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◎「その人に向うはとてもそんな乱暴なことばが使えないような女であることが必要だし、そういう女性なのになおかつそうであるなら、ぴしりとその不当を告げるべき」と。