学習通信090127
◎「科学の目」の要をなす……
■━━━━━
大転換時代への足音
世界をおおう金融危機とG20によるサミット、米大統領選挙でのブッシュ政権への審判、二度の政権放り出し後の自公政権の迷走、混迷。軍事覇権主義、ドル帝国主義と新自由主義路線の大破綻である。激動する内外情勢は、二一世紀が人類史上の大転換時代であることの明瞭なきざしを万人の前に示している。
資本主義万歳は、お手上げ万歳に変わった。出口はどこか。マルクスヘの世界中の視線が熱くなってきた。
金融市場投機化をきびしく批判する英国国教会カンタベリー大司教は、マルクスの学説の正当性に言及した。
マルクスの祖国ドイツでは、三一の大学で学生たちの努力で『資本論』講座が開設され、『資本論』ブームがおきている。日本でも『資本論』の解説書が数万邦の売れ行きである。
資本主義社会の経済的運動が新しい社会を生み出す法則性を発見し、その生みの苦しみを短くし、やわらげることを願った思想・理論のルネサンスである。
社会発展の必然性が無数の偶然事をつうじて貫徹し、人間が新しい歴史をつくっていくというマルクスの科学的洞察は、資本主義体制の末期的症状の引き起こす諸災厄に抵抗する大衆的運動の地熱のようなかたまりとむすびつき、大転換時代を押しすすめる羅針盤になっていく可能性が強まっている。
マルクスを現代に生かす理論の発展・大衆的普及が期待される。
『蟹工船』プラス『資本論』ブームの流れが、近づく政治選択戦における日本国民の歴史的前進のステップアップの力となることを熱望する。(隆)
(「経済 09年1月号」 新日本出版社 p5)
■━━━━━
なぜ、『資本論』を学習の主題に選んだか
──略──
なぜ選んだか。それは何といっても、『資本論』が、科学的社会主義の理論──分かりやすく「科学の目」といっていますが、その「科学の目」の要をなす本だからです。
『資本論』の経済学は現代に生きる
『資本論』といえば、もちろん、まず第一に経済学の本です。そのことは、マルクスが、『資本論』の第一巻(初版)の「序言」で書いているとおりです。
「私がこの著作で研究しなければならないのは、資本主義的生産様式と、これに照応する生産諸関係および交易諸関係である」。
「近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の最終目的である」。
しかも、経済学の本のなかでも、『資本論』は、なかなか大変な本でして、マルクスがこの第一巻を発行してから百三十年以上もたっていますが、その著作がいまなお、私たちが生きているこの時代──現代を分析する最良の手引きになる、これはすごいことだと思います。こういう見方は、私たちだけのものではないのです。バブルの崩壊する前後のことでしたが、財界側のある経済研究所の所長さんが、雑誌に不況やバブル、その崩壊にぶつかるたびに、『資本論』の言葉が頭に浮かぶ≠ニ書いていました。ずっと財界側にいて、その立場から経済の研究をやってきた人が、危機にぶつかると、『資本論』の資本主義批判を思い出し、世の中はマルクスが『資本論』で書いたとおりに動いているということを実感する。『資本論』の経済学には、それだけの値打ちがある、ということです。
マルクスの時代と私たちの時代とは、時代的には大きく離れています。まだ電気を動力として産業に利用することも知らない。工場といえば蒸気機関でした。電話なども、マルクスの晩年ようやく発明されたところで、日常使うところまではいっていない。実は、そのおかげで、私たちが、ずいぶん助かっていることがあるのです。マルクスとエンゲルスのやりとりが、全部、手紙で残っていることです。もし電話があったら、話は全部電話ですませてしまい、記録に残りませんから、彼らの考えの発展を研究するのに、もっともっと苦労が要ったでしょう。電話がなかったおかげで、二人がせっせと毎日のように書きあった手紙が、全集のなかに厖大な記録として残っていて、ああ、二人はこの時、こんなことを考えていたのか≠ニいうことが分かる、そういう時代です。
その時代の資本主義を分祈して書いた『資本論』が、いまの時代に、財界側の研究者をさえ驚嘆させるだけの力をもっているのです。これがまさに「科学の目」の力です。
ここに史的唯物論の真髄がある
私が、それにつけくわえて言いたいのは、『資本論』に書かれているのは経済学だけではない、科学的社会主義の理論の全体──「科学の目」のほとんどありとあらゆる分野のことが、『資本論』全巻のなかにまとまった形で凝集している、ということです。このゼミナールでは、その点をぜひ、よくつかんでほしいと思います。
たとえば、われわれの社会の見方は、史的唯物論です。『資本論』と史的唯物論というと、有名なレーニンの言葉があります。
レーニンが、ロシアの革命運動にくわわったばかりのまだ若い頃、ナロードニキというマルクス主義反対の潮流と、哲学から経済、政治のほとんど全分野にわたる大論争を展開したことがありました。相手側には、当時、ロシアでは思想家として知られていたミハイロフスキーという哲学者がいて、史的唯物論というけれども、マルクスのどこに、史的唯物論の正しさを実証した大著──ダーウインの『種の起原』に匹敵するモン・ブランがあるか≠ニ、マルクス攻撃の大見得を切ったのです。モン・ブランというのは、アルプスの代表的な高峰で、モン・ブランのような巨大な業績があるか、という意味でした。それにたいして、レーニンは、『資本論』を見よ、これがマルクスのモン・ブランだ≠ニ、ずばり答えるのですが、その反論のなかで、『資本論』と史的唯物論の関連を、次のように解明しました。
レーニンは、まず、史的唯物論(レーニンは、「唯物史観」と呼んでいますが、同じ意味です)の社会の見方のあらましを説明したうえで、この見方は、それが一八四〇年代にマルクスによって最初に提起された時には、まだ「仮説」だったこと 歴史や社会を「科学の目」で見る可能性をはじめてつくりだしたものだったが、まだ実証されていない「仮説」にすぎなかったことを、率直に認めます。
「社会学における唯物論のこの思想は、すでにそれ自体として天才的な思想であった。もちろん、その当時にはこの思想はまだ単なる仮説であったが、歴史や社会の諸問題にたいして厳密に科学的に対処する可能性をはじめて創造した仮説であった」(『「人民の友」とはなにか、そして彼らはいかに社会民主主義者とたたかっているか?』。
しかし、マルクスの研究は、史的唯物論を一般的な形で提起することにとどまるものではありませんでした。マルクスは、膨大な材料にもとづいて、資本主義という経済的社会構成体の研究にとりかかり、二十五年以上もの研究のうえにたって、史的唯物論の立場でこの社会構成体の全貌とその運動を説明し、資本主義的社会構成体の「生きた描写」をあたえることに成功しました。マルクスは、そのことを通じて、史的唯物論を「仮説」から「科学的に証明ずみの命題」に転化させたのでした。
レーニンは、言います。
「いまでは──『資本論』があらわれてからは──、唯物史観はもう仮説ではなくて、科学的に証明された命題である。そして、なんらかの社会構成体の機能と発展──まさに社会構成体のそれであって、なんらかの国あるいは国民、あるいはさらには階級、等々の生活様式のそれではない──を科学的に説明する、他の試みがなされないあいだは──すなわち、唯物論がなしとげたのとまったく同じように「関係諸事実」を秩序だてることができ、それとまったく同じように、一定の構成体を厳密に科学的に説明しながら、それの生きた描写を与えることができるような、他の試みがなされないあいだは──、そのときまでは、唯物史観は社会科学と同義語であろう。唯物論は、ミハイロフスキー氏が考えているように『大体において科学的な歴史観』ではなくて、唯一の科学的な歴史観なのである」。
レーニンのこの言葉のように、「史的唯物論の真髄ここにあり」といえるほどの意義をもつのが、『資本論』なのです。
『資本論』と史的唯物論について、ここで、もう一つ紹介しておきたいのは、エンゲルスの言葉です。
エンゲルスには、『反デューリング論』という大作があります。これは、『資本論』第一部が出版されて十年ほどたった一八七七〜七八年にドイツ社会民主党の機関紙に連載され、その後本にまとめられたもので、デューリングという人物の諸「理論」を批判する形で、哲学、経済学、社会主義論などを展開した本なのですが、エンゲルスは、そのなかで『資本論』の解説をやるということを一つの基調にしたのです。この本は、『資本論』の研究のうえで必読の書の一つだといえますが、エンゲルスは、そこで、経済学という学問について、たいへん興味ある問題を提起しました。
それは、いまある経済学は、ほとんど資本主義的生産様式の研究だけに限られているが、人類は、いろいろな形態の社会を経験しているのだから、資本主義以前の諸段階(封建制、奴隷制、原始共産制など)あるいは資本主義以後の段階(社会主義・共産主義の社会)を研究する経済学もありうる≠ニいう問題です。エンゲルスは、資本主義以外の社会についての経済学を、「広義の経済学」(範囲を広げた経済学)と呼びました。そして、資本主義以前の社会の経済学について、いままでに確かな研究があるとしたら、それは、マルクスが『資本論』のなかで展開した研究以外にない、と述べています。マルクスにとっては、資本主義批判を完全におこなうために、資本主義以前の社会形態をも大まかにでも研究することが必要だったからだ、というのです。
「ブルジョア経済にたいするこの批判を完全にやりとげるためには、生産・交換・分配の資本主義的形態を知っているだけでは十分でなかった。これに先行した諸形態や、発展の遅れている国ぐにに資本主義的形態と並んでいまなお存在している諸形態をも、同様に、せめて大まかにでも研究し比較しなければならなかった。そのような研究と比較とは、これまでのところ、全体として、ただマルクスだけが行なった。だから、ブルジョア期以前の理論経済学についてこれまで確かめられたことも、ほとんどまったくマルクスの研究のおかげなのである」。
これは、『資本論』のなかには、資本主義社会を史的唯物論の立場で見た成果が盛り込まれているだけでなく、もっと広く人類社会の諸段階をその目で見た成果も、込められている、ということです。そういう意味では、史的唯物論の分野で、われわれが『資本論』からくみ出せる理論的な財産には、たいへん大きなものがあります。
弁証法の合理的な核心
次に、弁証法の問題ではどうでしょうか。ここでも、『資本論』と弁証法の関係を問題にした、いくつかの文章を紹介することにします。
まず最初は、一八五八年一月、『資本論』にいたる準備草稿の一つである『一八五七〜五八年草稿』(この中身はあとでふれます)を書いている途中に、マルクスがエンゲルスに書き送った手紙の一節です。はじめに、「仕事は具合よくはかどっている」という「仕事」とは、草稿執筆のことです。
「それはそうと、仕事は具合よくはかどっている。たとえば、これまで行なわれてきたような利潤学説を、僕はすっかりひっくり返してやった。問題を論じる方法の点では、ほんの偶然のことから──フライリヒラートがもとはバクーニンの蔵書だったヘーゲルの本を数冊見つけて、僕にプレゼントとして送ってくれた──ヘーゲルの『論理学』をもう一度ぱらぱらめくってみたのが、大いに役に立った。もしいつかまたそんな仕事をする暇でもできたら、ヘーゲルが発見はしたが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーゲン二枚か三枚で、普通の人間の頭にわかるようにしてやりたいものだが」。
ヘーゲルの『論理学』というのは、観念論の立場で弁証法をもっとも詳細に展開した本です。マルクスは、大学時代はたいへん熱心なヘーゲル派でしたから、『論理学』の内容はよく知っていたのですが、経済学の草稿を書きながら、ヘーゲルの『論理学』にもう一度目を通してみた、それがたいへん役に立った、という手紙です。
マルクスはこの手紙のなかで、ヘーゲルが「神秘化」した弁証法の方法のなかから「合理的なもの」をつかみだすことの重要性について、述べていますが、彼は、この問題を、『資本論』第一巻の「あと書き(第二版への)」のなかで、より詳しく説明しています。
「ヘーゲル弁証法が〔事物を〕神秘化する側面を、私は三〇年ほど前に、それがまだ流行していた時代に批判した。……弁証法がヘーゲルの手のなかでこうむっている神秘化は、彼が弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述したということを、決してさまたげるものではない。弁証法はヘーゲルにあってはさか立ちしている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない。
その神秘化された形態で、弁証法はドイツの流行となった。というのは、それが現存するものを神々しいものにするように見えたからである。その合理的な姿態では、弁証法は、ブルジョアジーやその空論的代弁者たちにとっては、忌まわしいものであり、恐ろしいものである。
なぜなら、この弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的であるからである」。
ここで「肯定的理解」のうちに「必然的没落の理解」を含む、というのは、大事な点の一つですから、若干の解説をくわえておきましょう。どんな事物でも、いま現にそこにあるということは、存在するだけの現実的な根拠をもっているということで、それを理解することが、その事物にたいする「肯定的理解」です。しかし、「肯定的理解」とは、その事物がいつまでも同じ形態で存在し続けると主張することではありません。どんな事物も「運動の流れ」のなかにあり、その状態をたえず変化させ、さらにはその段階をのりこえるという「経過的な側面」をもっています。この側面も事実にもとづいて的確にとらえ、その「否定」と「没落」の必然性をも理解する……ここに、弁証法の批判的で革命的な本質があるのです。
『資本論』にとって、弁証法がどんなに深い意味をもつかは、マルクスのこれらの言葉から分かる、と思います。
マルクスがみずから説明しているように、弁証法を唯物論の立場でつくりかえ、ヘーゲルにあっては「神秘的な外皮」に包まれていた「合理的な核心」を取り出し仕上げて、意識的に活用したのが、『資本論』なのです。もちろん、そこでは、これが弁証法だよといった、まとまった弁証法解説があるわけではありません。弁証法は、『資本論』に展開される問題のとらえ方、いろいろな経済現象や運動形態への迫り方、論理の進み方などのなかにあるのであって、そこを読み取る努力を、いつも忘れないようにしたいものです。
『資本論』と弁証法−レーニンのノートから
三つ目に、もう一度、レ一二ンの言葉を引きましょう。史的唯物論についての引用は、若い時代のレーニンの文章でしたが、『資本論』と弁証法についての今度の文章は、もっとあとの時代のレーニン、第一次世界大戦中、スイスに亡命して、そこの図書館で猛烈にヘーゲルの勉強をしたときのものです。この時、レーニンは、ヘーゲルの『論理学』や『哲学史』など、ヘーゲルの著書やヘーゲル研究書をたくさん読んで、重要なところを抜粋したり、自分の論評を書き込んだりしました。そのノートのなかに、『資本論』と弁証法について書いた一連の文章があります。そのなかから、二つの名文句を紹介しましょう。
一つは、『資本論』を読む上で、弁証法の理解の重要性を説いた文章です。
「警句 ヘーゲルの『論理学』全体をよく研究せず理解しないではマルクスの『資本論』、とくにその第一章を完全に理解することはできない。したがって、マルクス主義者のうちだれひとり、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった!」
もう一つは、『資本論』そのもののなかに弁証法の論理学があることを指摘した文章です。
「マルクスは『論理学』をのこさなかったとはいえ『資本論』の論理学をのこした、そしてこれは与えられた問題について十分に利用されるべきであろう。『資本論』のなかでは、ヘーゲルにあるすべての価値あるものを取りいれ、そしてこの価値あるものを前進させたところの唯物論の、論理学、弁証法および認識論〔この三つの言葉は必要ではない:これらは同一のものである〕が、一つの科学に適用されている」。
レーニンの二番目の文章のなかで、「論理学」と「弁証法」と「認識論」が同一のものだ≠ニいう議論は、分折的に読めばかなり複雑な内容をもつものですが、ここでは、とりあえず、弁証法=論理学の重要性を強調した文章として読んでください。レーニンがこうして口をきわめて力説するほど、弁証法の問題でも、『資本論』は、尽きせぬ財産を含んでいるのです。
『資本論』は、マルクスの「社会主義的見解の基礎」を叙述した本(エンゲルス)
最後に、社会主義論です。この問題でも、一つの文章から始めましょう。
これは、一八七七年に、エンゲルスが、ドイツのある出版社に頼まれて書いた、カール・マルクスの人物紹介の一節です。
「社会主義に、よってもって今日の労働運動全体に、はじめて科学的基礎をあたえた人、カール・マルクスは、一八一八年にトリールに生まれた」というところから始まって、前半ではマルクスの活動の歴史を、後半ではマルクスの理論的発見のあらましを説明しているのですが、前半の歴史の部分での『資本論』紹介の文章が、たいへん面白いのです。
「とうとう一八六七年、ハンブルクで『資本論。経済学批判、第一巻』──マルクスの経済学的=社会主義的見解の基礎と、現存社会つまり資本主義的生産様式とその諸結果とにたいする彼の批判の大綱とを叙述したその主著──が出版された」。
『資本論』は「マルクスの経済学的=社会主義的見解の基礎」を叙述した「主著」だというのは、マルクスの経済学的見解と同時に、マルクスの社会主義的見解が、『資本論』の主要な内容をなしている、ということです。『資本論』には、経済学の基礎があるだけではない、マルクスの社会主義論の基礎もここにある、これが『資本論』の特徴だ≠ニいうことを、エンゲルスがずばり特徴づけて『資本論』紹介としている、ここに、なによりも注目すべき点があるのではないでしょうか。
ところが、『資本論』を読んだり、『資本論』の話をしたりするときに、その面をあまり見ないで、資本主義社会の研究という面からだけ、この本を見ようとする人が、わりあいに多いように思います。それだけに、私は、『資本論』が、マルクスの「社会主義的見解の基礎」を書いた著作だということを、とくに強調したいのです。
実際、マルクスは、いろいろな著作のなかで、社会主義・共産主義のことを論じていますが、これほど詳しく、また多面的に、自分の社会主義論、共産主義論を書いた著作は、『資本論』のほかにはありません。
しかも、『資本論』は、マルクスが自分の社会主義・共産主義論を仕上げた著作です。それまでにも、共産主義論を正面からの主題にした著作に、たとえぱ、エンゲルスと共同で書いた『共産党宣言』(一八四八年)があります。しかし、『共産党宣言』を書いたのは、科学的社会主義の形成の歴史でいえば、まだ初期の段階で、その時には、搾取の理論、剰余価値の理論もまだできあがっていませんでした。
科学的社会主義の理論の中心部分をなす経済学説は、剰余価値学説を含めて、『資本論』を準備し執筆する過程で、はじめて仕上がったわけで、その意味では、科学的社会主義の学説全体が、『資本論』の段階で仕上がったといってよいでしょう。ですから、社会主義論、共産主義論についても、マルクスは、『資本論』のなかで、彼の「科学の目」がいちばん成熟した段階での見解を展開しているのです。しかも、その論点は、きわめて多角的です。
ですから、エンゲルスがいうように、『資本論』には、資本主義の経済学があるだけではなく、マルクスの社会主義的見解の基礎もあるのだということをきちんとつかんで、この本を読むことが、非常に重要です。
以上、経済学、史的唯物論、弁証法、社会主義論と、四つの角度について話しました。講義は、当然、経済学が中心になりますが、その他の三つの面、なかでも、マルクスの社会主義・共産主義論については、よく注意して取り組んでゆきたい、と思います。
二十一世紀に『資本論』を読む意味
われわれは、二〇〇一年から二十一世紀に足を踏み込みました。世紀の変わり目といっても、実態は、人間が勝手に百年ごとに歴史を区切っているということなのですが、やはり世紀が変わる時期というのは、それだけの視野で人間が新しい展望をつかむ時代です。
そういう時期──世界史や人類史が激動する新しい世紀を迎えた時に、「科学の目」の集大成ともいえる『資本論』をおたがいに勉強するということには、非常に意味深い現代的な意義があると思います。
私は、昨年(二〇〇一年)の「赤旗まつり」の講演やテロと世界情勢についての「朝日新聞」インタビュー、今年(二〇〇二年)の正月の「しんぶん赤旗」の新春インタビューなどで、新しい世紀の問題を、いろいろな角度から考えてきましたが、私自身、二十一世紀を迎えた世界と日本の情勢の新しさを実感しています。
この問題で、先日、一つの投書が寄せられました。私が新春インタビューで、二十一世紀ぐらい、先ざきが晴れ上がって見える世紀はない≠ニ話したことについて、びっくりした、という投書でした。私は、暗い世紀になると思っていた≠ニいうのです。
しかし、二十世紀をふりかえってみてください。本当に明るいといえた年は、ほとんどなかった、と思います。しかし、百年たって、歴史をまとめてふりかえると、二十世紀のあいだに世界史が描いてきた進歩の足取りには、巨大なものがありました。私は、二十一世紀は、世界史の前進、人類史の発展という点で、それ以上の時代となることは間違いないし、また私たちの努力でそうしなければならないと考えています。
そういう展望をもちながら、『資本論』をそのための指針としても読んでゆきたい、と思います。
(不破哲三著「『資本論』全三部を読む 第一分冊」新日本出版社 p20-36)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「『蟹工船』プラス『資本論』ブームの流れが、近づく政治選択戦における日本国民の歴史的前進のステップアップの力」と。