学習通信090318
◎エルサルバドル……

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 エルサルバドル内戦への介入

 隣のエルサルバドルでは、ニカラグアとは逆に、右翼政権に対して左翼ゲリラが立ち向かう内戦となった。

 この国は、スペイン系の白人が、アジア系の先住民や混血した人々を支配する、典型的な白人支配国家だった。中でも「一四家族」と呼ばれた名門一族がコーヒーや綿花の大農園や大企業を独占し、国の富や権力を握っていた。首都を歩くと、金持ちの大邸宅のそばに、貧しい市民の小屋が密集する風景に出会う。貧富の差を絵に描いたような光景が、首都のあちこちに見られた。政府軍は国民を守るのでなく、「一四家族」を頂点とする支配層を守り、彼らに逆らう国民を抑圧したのだ。

 これに対して、社会正義と公正な分配を求めて武装蜂起したのが、左翼ゲリラである。三つのゲリラ組織と、共産党や他の左翼政党が合体して一九八〇年、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)という統一組織ができた。ファラブンド・マルティとは、一九三二年に農民が武装蜂起した際の指導者の名である。アメリカで一九二九年に起きた世界大恐慌の余波で、エルサルバドルの主要産物であるコーヒーの価格が暴落し、コーヒー農園主が労働者を大量解雇した。これがきっかけで蜂起が起きる。しかし、軍に鎮圧され、反乱に参加した農民三万人とともにマルティも軍に殺された。このとき蜂起を鎮圧した軍司令官が大統領に就任し、以後のエルサルバドルは軍事独裁政権が半世紀も続く。

 軍政に対する国民の不満は強かったから、左翼ゲリラの勢力は急速に伸び、間もなく東部の山岳地帯を中心に国土の三分の一がゲリラ支配区となる。一方で一九八〇年代初めの政府軍は「九時から五時までの軍隊」と呼ばれるほどサラリーマン化し、戦意に乏しかった。実際、当時のエルサルバドルを取材に訪れるたびに感じたのは、空港と首都を結ぶ幹線の国道さえきちんと確保できていないほどの、政府軍の脆弱さだ。革命の成功は時間の問題だった。

 こうした状況を見て介入したのが、アメリカのレーガン政権である。まずグリーンベレーから成る軍事顧問団を送り込み、次いで軍事、経済援助のてこ入れをした。

 アメリカの介入で政府軍の戦略も変わる。それまではゲリラ支配区を空爆していたため、ゲリラだけでなく一般の農民も犠牲になり、怒った農民は反政府ゲリラになった。これではかえって敵を増やすだけだと考えたアメリカは、ベトナム戦争で行ったやり方を再現した。山あいの空き地に鉄条網で囲った避難民キャンプを作り、農民を強制的に移動させて、民衆とゲリラの切り離しを狙う。ベトナム戦争で見られた「戦略村」の発想である。ゲリラは民衆の海に泳ぐ魚に見立てられたが、アメリカは、海をなくせば必然的に魚は干上がってしまうと考えたのだ。キャンプの資金を出したのは、アメリカ国際開発局である政府を挙げて、エルサルバドルの右翼政権の延命に肩入れしたのだ。

 こうしたなかで、アメリカと結び付いて政治力を伸ばしたのが極右勢力だ。とくに国家警備隊の情報機関のトップだったロベルト・ダビッソンは、米軍やCIAとのつながりを利用して勢力を拡大した。彼は息のかかった軍人を組織して、軍部のなかに「死の部隊」と呼ばれる極右のテロ組織を結成した。当時、労働組合の活動家や左派系と見られた人々が自宅から拉致され、死体が街中の路上に放置されたり、木に吊されたりする事件が続発したが、その犯人が彼らである。このような行為を批判したカトリック教会のロメロ大司教は、ミサの最中に、信者を装った刺客の銃弾を浴び殺された。暗殺を企てたのは三人の政府軍将校だった。

 こうしたことは、アメリカ下院の調査委員会の調べでも確認されている。国連に設置された真相究明委員会の報告書は、八〇年代にエルサルバドルで行われた数々の人権侵害、大量虐殺、市民暗殺の責任はエルサルバドル政府軍と、アメリカが支援するエルサルバドル政府にあると非難している。

 さすがに暗殺という手段が国際的に非難されると、ダビッソンは合法政党として民族主義共和同盟(ARENA)を設立し、極右テロ団体を結成した。彼が虐殺の教育を受けたのは、米軍アメリカ学校だ。


コラム
──米軍アメリカ学校

授業内容は暗殺、拷問

 アメリカの侵略の先兵は海兵隊だが、アメリカ人の犠牲者を少なくするために考え出したのが、現地の軍人を教育して利用することだ。中南米の軍人をアメリカの手下にするために、米陸軍は一九四六年、米軍アメリカ学校(The School of the Americas 米州学校)を設立した。米州とは北米、中米、南米、カリブ海地域を合わせた、南北アメリカ大陸のすべての地域を指す。学校はかつてパナマの米南方方面軍の基地にあったが、パナマ運河がパナマに返還された後はアメリカ東南部ジョージア州のフォート・ベニング陸軍基地に移転し、悪評が議会で追及されたのち、二〇〇一年には西半球治安協力学院の名で衣替えした。

 南米の軍政がコンドル作戦で共同行動をとったとき、反政府派の市民に対して行った非人間的な拷間、殺害の仕方が南米各国で共通していたのは、共通のテクニックを組織的に教えた機関があるからだ。それがこの学校である。年間約一〇〇〇万ドルに達する学校の経費は、アメリカの国防費から出ている。米軍の意のままになる軍人を養成してその国の軍事を握らせれば、アメリカが国際批判を受けることもない。

 米軍アメリカ学校は、年間一〇〇〇人の中南米エリート軍人を集めて教育している。その科目を見ると、これが民主主義や人権の国を標榜するアメリカのやることか、と驚く。作戦指令や地雷敷設など通常の実戦向けの訓練もあるが、主眼は国内の反政府派の鎮圧や弾圧である。科目には心理作戦、尋問方法などがあり、クーデターの起こし方、その後の統治方法、反政府派市民に対する拷問や暗殺の方法、狙撃手の訓練方法、諜報機関の組織のつくり方など、およそ民主主義とはほど違い内容が授業で教えられる。

 敵として取り締まるのは、自国の「デモやストを行う者、及びその共感者」や「政府が国民の基本的な必要性を満たせなかったことを非難する国民」である。ベトナム戦争の際に、ベトナム解放民族戦線の捕虜に対して行った拷問のビデオを上映しながら、アメリカ人の医者が人間の神経系統の図を示し、体のどこをどう責めれば効き目があるのか、などを説明する。

 卒業生たちは、自分の国に帰って教わったとおりにクーデターを起こし、軍事独裁政権を樹立し、市民を拷問し、殺害した。ここ半世紀に中南米で起きたクーデターや虐殺事件のほとんどに、この学校の卒業生がかかわっている。このためこの学校は、「米軍クーデター学校」あるいは「米軍虐殺学校」、さらには「米軍独裁者学校」とあだ名された。米下院のジョゼフ・ケネディ議員はこの学校を、「世界の歴史上に設立された、どの学校よりも多くの独裁者を生み出した」と、議会で非難している。

卒業生は独裁者

 卒業生の名簿を見ると、エルサルバドルのダビッソンどころではない。中南米の軍事政権や、軍部の幹部がずらりと並んでいる。

アルゼンチンで国民を虐殺した軍事政権のビオラ、ガルティエリ大統領は、いずれもこの学校の卒業生である。

パナマの実力者で、CIAの手先になったり麻薬取引にかかわったうえ、最後はアメリカ政府に見放されて拉致された、ノリエガ将軍もそうだ。

かつてペルーのフジモリ大統領の腹心として秘密警察を握り、フジモリ氏失脚の原因となったモンテシノス国家情報局顧問や、フジモリ氏が罪に問われた大学教授や学生九人の虐殺事件を実行した軍人たちも、すべてこの学校の卒業生である。

チリのピノチェト軍事政権の中枢を占めた軍人は、一〇人以上が卒業生だった。

ボリビアでクーデターを起こして政権を握ったバンセル大統領や、グアテマラの大量虐殺の責任者であるリオス・モント将軍、ホンジュラスのパス大統領ら、軍人で政権に就いた独裁者は数十人、麻薬密売に手を染めた者は数え切れないほどで、自国で暗殺集団を組織した者もいる。ここで訓練を受けた中南米の軍人、警官らは約六万人に上る。

 彼らは自分の政府よりもアメリカに忠誠を誓い、アメリカの利益のために自国の国民を犠牲にした。アメリカの手先となって、アメリカ企業が中南米で安心して活動できるような治安を確立し、維持する存在となること。それがこの学校が設立された狙いである。

 設立は第二次世界大戦が終わり、自由主義と共産主義が対立する冷戦に突入した時期だ。翌一九四七年、アメリカ議会は国家安全保障法を成立させた。これに沿って組織されたのが、諜報機関のCIAと国家安全保障会議である。当時のアメリカ国防省で外交政策を担ったジョージ・ケナンは、アジアや中南米への対策について「アメリカの外交の目標は、民主主義でも自由でも発展でも人権でもなく、安定を手に入れることだ」と明言した。

 米軍アメリカ学校が一九八〇年代、とくに力を入れたのが中米地域だ。エルサルバドルやニカラグアだけでなく、グアテマラでも同じだった。この国の内戦は、一九六〇年から三六年間も続き、二〇万人もの死者が出た。その大半は政府軍が虐殺した一般の村人である。ベトナム戦争で米軍がソンミ村の虐殺をしたことは知られているが、グアテマラ政府軍はベトナムでの米軍の戦術を、そのまま取り入れた。戦略村を作って村人をそっくり別の地域に隔離し、従わない村は焼き払った。女性も年寄りも子どもも、皆殺しにしたのだ。大量虐殺を指示したのは、軍政のトップである。一九七八年から独裁政権を率いたガルシア将軍と、その片腕だったカジェハス情報局長は、五〇〇〇人の政治犯を処刑し、市民二万五〇〇〇人を虐殺した罪で非難されている。二人とも、この学校の卒業生だ。
(伊藤千尋著「反米大陸」集英社新書 p141-149)

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主張
エルサルバドル選挙
米国のくびき破る歴史的変革

 中米エルサルバドルの大統領選挙で左翼・ファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)が勝利しました。エルサルバドルは一九八〇年代の内戦で米国の軍事干渉を受け、内戦終結後も政治的、経済的に米国の支配のもとにおかれてきました。

 ベネズエラでチャベス政権が誕生して十年。この間、自主的な変革の波は中南米全域に広がってきました。今回の選挙で、米国の忠実な同盟国であり続けてきたエルサルバドルでも、自立した国づくりを求める国民の意思が明確に示されました。

米国の支配下で
 選挙では「変革」を掲げたFMLNのマウリシオ・フネス候補が、民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補(元国家警察長官)を破りました。

 エルサルバドルは隣国ニカラグアとともに、し烈な内戦で知られます。大土地所有者による収奪と軍事独裁による弾圧に抗して立ち上がったのがかつての解放運動指導者の名を冠したFMLNでした。

 一方のARENAは、内戦中に解放運動参加者を次々に暗殺した「死の部隊」の頭目だった極右のダビソン大佐が創設しました。内戦は九二年に終結しましたが、ARENAは今日に至るまで二十年間政権を握ってきました。

 エルサルバドルは米政策に忠実に追随してきました。ブッシュ前米政権の要請に応じてイラクに派兵し、多国籍軍の駐留を認めた国連安保理決議の期限である昨年末まで派兵を継続した中南米唯一の国でした。

 経済でも米国の押し付けた弱肉強食の新自由主義政策を積極的に推進し、貧富の格差が拡大しました。かつてコメを輸出したこともあったこの国で、米国からの穀物輸入が急増し、農業が崩壊しました。その結果、数年来の世界的な食料高騰では都市の中間階層でも食料が入手できない事態に陥りました。電力に続いて水道事業も民営化が計画され、生活を脅かすとして広範な国民が反対しています。

 ARENAの長期支配を可能にしてきたのが米国の干渉です。内戦終結後に実施された三度の大統領選挙で米国は、FMLNが勝利すれば対米関係が悪化し、在米エルサルバドル人による本国への送金が困難になるなど経済的に大打撃を受けると主張して、有権者を威嚇しました。

 今回の選挙でFMLNは米政府に対して、政権党を利する見解表明をしないよう求めました。米政府も中南米と世界での一国覇権主義の破たんに直面して、選挙での中立と次期政権との協力を約束しました。米国は「公正選挙の実施」を他国への干渉の名目にしばしば使ってきましたが、今回の選挙は米国の干渉を排してこそ公正選挙が実現することも明らかにしています。

中米に広がる変革の波
 FMLNは対外政策で民族自決と不干渉、平和と連帯、地域統合などの諸原則をうたっています。選挙結果は中南米の平和の地域統合を一段と強めるものです。

 米国の干渉を排して自主的、民主的な国づくりをめざす政治変革の波は、南米から中米のパナマ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドルと続き、さらに広がる様相をみせています。
(「赤旗」20090318)

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◎「自主的な変革の波は中南米全域に……、米国の忠実な同盟国であり続けてきたエルサルバドルでも、自立した国づくりを求める国民の意思が明確に示され」たと。