学習通信090409
◎ブルジョアジーが雇いたいと思っている以上に労働者がいるとき……

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水準低下と格差拡大の賃金構造の打破

 競争力強化のために、財界・大企業は総額人件費削減をねらって人減らしと賃下げ、非正規労働者への切り替えを強行してきた。これにより2001年に75.1%だった労働分配率は06年には69.3%へと低下したが、大企業(資本金10億円以上)ではその低下はさらに著しく、同期間に63.9%から53.3%へと大幅に低下した。

 こうして大企業の賃金は減少したのと対照的に経常利益は急増した。同時に中小企業への圧迫で格差拡大、状態悪化が進み、労働者の3分の1を占めるに至った非正雇用の増大と絡んで、低賃金層の拡大となった。その多くは女性労働者であり、賃金は男性正社員に対して大企業では44.7%と半分以下。また、ワーキングプアとされる年収200万円以下の労働者が全体の22.8%、女性労働者では43.7%も占めている。しかも規模5千人以上の大企業でその割合がもっとも高く53.7%にのぼり、低賃金の非正規女性労働者によって高利益を得てきた実態が示されている。女性労働者の22.4%は月16万円未満であり、18万円未満では35.0%と3分の1を超える。パートなど短時間労働者の賃金は、産業構造の根幹をなす製造業の女性で時間877円と低い。

 非正規不安定雇用の低賃金が中小零細企業の賃金や学卒初任給水準につながり、正規雇用の賃金抑制となる。こうして企業の支払能力優先で生計費を無視した最低賃金制の上に、多様な格差を積み重ねた日本の低賃金構造がつくられてきた。

 今、低賃金層の拡大と賃金水準の低下が、国民経済の過半を占める国民の消費支出を減退させ、景気後退の要因をなしている。政府・財界の政策を大企業本位、輸出依存から、国民の暮らし最優先へ転換させること、改定最低賃金法もテコに、人間らしい生活のできる賃金への引き上げと結んだ積極的な賃上げが、低賃金構造の打破、賃金水準の全般的引き上げのかなめとなっている。
(全労連・労働総研編「2009年国民春闘白書」学習の友社 p40)

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 こうしてプロレタリアはたがいに競争する。

もしすべてのプロレタリアがブルジョアジーのために働くよりも、むしろ餓死したいという意志を表明しさえすれば、ブルジョアジーは独占を放棄しなければならないであろう。

しかしそういう状況ではないし、それはむしろほとんど不可能なことだ。

だからこそブルジョアジーはいつものんびりと暮らしているのである。

労働者の競争にはたった一つの限界がある──どんな労働者もその生存に必要な賃金以下の賃金では働かないであろう。

いずれにせよ餓死しなければならないとすれば、彼は働いて餓死するよりは怠けて餓死する方をえらぶであろう。

もちろん、この限界は相対的なものである。

ある人はほかの人よりも多くのものを必要とし、ある人はほかの人よりもいっそう快適な暮らしに慣れている──イングランド人はいくらか文明化しているので、ぼろを着て、ジャガイモを食べ、豚小屋で寝小屋を、まったく着るものがないよりはぼろ着でも、餓死するよりはジャガイモだけでも、ほしいと思うだろう。

多くの失業者は街路にじっと座りこみ、みんなの目の前で死んでいったのだが、労働者はそうするよりは、またよいときもあるだろうと期待して、半分の賃金でも満足するだろう。

したがって、このわずかなもの、ないよりはすこしましなものが、賃金の最低限なのである。

そしてブルジョアジーが雇いたいと思っている以上に労働者がいるとき、したがって競争で争った結果、なお仕事にありつけない一定数のものが残ったときには、この人びとはまさに餓死しなければならなくなる。

なぜならブルジョアジーは、労働者の労働の生産物を売ってもうけることができないときには、おそらく彼らに仕事を与えないであろうから。
(エンゲルス著「イギリスのおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p124-126)

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◎「人間らしい生活のできる賃金」と。