学習通信090423
◎固唾を呑む地球経済……

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 私たちは今、一九八九年十一月九日にベルリンの壁が崩壊し、ソ連で共産主義が崩れ去った時と同じように、歴史的な日に立ち会っているのです。それからちょうど二十年後に今度は、アメリカで資本主義が大崩壊したからです。

 このことを忘れてはいけません。
 ベルリンの壁崩壊では、共産主義社会の東側と、資本主義社会の西側を分割していた境界線が取り除かれ、全世界がつかのまの平和≠フ到来を祝って、ドラマティックな事件に目を奪われ、大々的なテレビ報道が連日のように展開されました。そして地球上におけるアメリカが、政治的にも経済的にも軍事的にも、唯一の超大国として語られるようになり、とてつもなく大きな存在になりました。ところが、今度の資本主義の崩壊では、ひっそりと静まり返って、誰も「資本主義が崩壊した」と認識していないのです。おかしなことがあるものです。

 こう言えば、お前の頭がおかしいのだ、アメリカは今まで通り、今日も資本主義を謳歌しているではないか、と反論する人がほとんどではないでしょうか。では、二〇〇八年にアメリカ政府が何をしたかを思い起こしてください。莫大な政府資金を金融市場に流しこんで、ガラガラと崩れる銀行や証券会社などの金融機関を救済しようと奔走し、九月七日にはとうとう、経営破綻した巨大な住宅金融会社のファニー・メイとフレディー・マックの二社を二〇〇〇億ドルで国有化したではありませんか。為替レートが日々かなり変化する時代ですので、本書では、その時々のレートにまどわされず、すべて分りやすい一ドル=一〇〇円の換算で示すことにしますが、二〇〇〇億ドルとは、二〇兆円、日本でしたら新幹線を十本も二十本も建設できる金額です。

ところがそれから一週間後の九月十五日には、その効果もなく、大手証券会社のリーマン・ブラザーズが破綻してしまい、全米にすさまじい勢いで金融パニックが広がりました。そして翌十六日には、同じく経営破綻の崖っぷちまできていた世界最大の保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)にも八兆五〇〇〇億円の大金をつぎこんで、これを国有化したのです。AIGは日本の保険会社アリコジャパンの親会社です(二〇〇九年三月には、これが二倍を超える一八兆円に達し、アリコが中央銀行に譲渡される)。

 勘違いしてはいけませんが、このような国有化がおこなわれたのは、カリブ海の社会主義国家キューバではありません。一九五九年のキューバ革命で、カストロたちによっておこなわれた国営化が、あるいは一九一七年のロシア革命でレーニンたちによっておこなわれた国営化が、こともあろうに、食うか食われるかの資本の自由競争を謳歌してきたアメリカでおこなわれたのです。

 さらに十一月二十三日には、株価がほとんどゼロまで暴落して、完全に経営破綻した全米一の商業銀行シティグループに対して、そのマンモス銀行の崩壊に震えあがったアメリカ政府が三〇兆円の保証をする前例のない救済策を打ち出し、ここでシティグループが政府に二兆円もの優先株を購入させることになりました。先ほど示した、アメリカ歴史博物館の漫画がニューヨーク・タイムズ≠ノ掲載された日の出来事です。優先株とは、一定の配当率が保証されて、優先的に配当される株式のことですから、ほかの株主の利益を食い荒らして、まず政府に利益を配当することになるわけです。こうしてシティグループは世の中の人が思い違いしているように「救済された」のではなく、事実上、政府保護を受けて国営化されたわけです。

 いいえ、シティグループだけではありません。証券投資会社として君臨してきた第一位のゴールドマン・サックスも、第二位のモルガン・スタンレーも、九月二十一日に銀行持ち株会社に移行すると発表して、アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)の規制監督下に入る道を選びました。そのほか、ありとあらゆる銀行などの金融機関が、政府からお金を貰うという保護を受けなければ生きてゆけない企業に豹変したのです。巨大銀行がその大金を狙う図々しい様子が、アメリカン・フットボールになぞらえて、ヒトコマ漫画に描かれました。政府の救済計画発表と同時に、一番乗りのタックルで大金をかっさらおうと待ちかまえる銀行家たちのあさましさが、表情によく出ています。

 つまりどこから見ても、これは、資本主義のルールではありません。これら一連の「救済策」なるものは、まぎれもなく社会主義国家や共産主義国家のルールです。

 アメリカが誇ってきた資本主義の歴史は、トマス・ジェフアーソンたちが起草した独立宣言によって建国して以来二百三十余年、西暦二〇〇八年をもって幕を閉じたことになります。まず、この重大な史実を私たちが認めるところから、話を始めなければなりません。したがって本書で言う「アメリカ資本主義の大崩壊」は、アメリカに批判的なさまざまな本が指摘している「金融メカニズムの崩壊」という表現とは、まったくニュアンスが違います。誰が見ても、公正かつ厳密な定義による「資本主義制度の崩壊」を意味します。

 地球上で唯一の超大国であったはずのアメリカ合衆国の制度が、なぜこのように、不甲斐なくも白旗をあげる連戦連敗の窮地に陥ったのでしょうか。二〇〇八年十一月十五日に、この地球規模に広がった経済危機に対処するという名目で、EU代表を加えた世界の経済トップ一九ケ国がワシントンに集まって「金融サミット(G20)」が開かれ、この時には史上最低の大統領≠ニ呼ばれるジョージ・W・ブッシュが、自由主義による経済発展の栄華を誇らしげに強調してみせました。この期に及んでも、「これからもアメリカは世界の資本主義のリーダーである」と印象づけようと必死の猿芝居を演じたのですが、政府が民間企業を国営化して助けているという歴史的事実の前には、誰の目にも自作自演の狂言としか見えなかったため、日本の総理大臣・麻生太郎の腰巾着外交を除いて、ほとんど相手にされませんでした。

 これに対して、新大統領オバマの政策は、大統領選挙の中で「あいつは社会主義だ」と共和党から攻撃されるほど、国民生活主体の経済社会をつくろうと訴えた内容ですから、国民がある種の社会主義的な生き方を選択したと考えてもよいでしょう。確かに、アメリカ歴史博物館を新装オープンして、それまでの生活が陳列されるべき出来事が起こったのです。

 そして、わが国におけるエコノミストや経済関係者のほとんどの言葉は、アメリカ本国で「メルトダウン」と呼ばれているこの異常なパニック状態を説明するのに、ウォール街の資本主義があたかもまだ生きているかのように、見当違いの解説となっています。

 そこで本書は、読者の誰もが知っているかのように思いながら、実はあまりその真相が知られていないこれら一連の出来事を、誰にも理解していただけるように、図解を柱として、新鮮なスポットライトを当てて説明し、重要な歴史のドキュメントを残すために書かれました。

 ただし、ここで言う「真相」は、「何か特別な、世間に知られていない事実」ではないのです。みなが、新聞やテレビに出てくるエコノミストや評論家のなまぬるい解説で分ったように思いこんでいることが、実は、間違いだらけの解説、あるいは手抜き解説、もっと強い言い方をすれば「政治家や金持の太鼓持ち」である解説者のために誤解していることであり、大衆の正しい視線で見れば、正反対の意味を持っている、ということにほかなりません。
(広瀬隆著「資本主義の崩壊の首謀者たち」集英社新書 p12-19)

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はじめに
──恐れ慌てる世界

 ダンボール箱を抱えた人々が次々とビルの中から出て来る。二〇〇八年九月一五日の光景である。ビルから出て来た彼らは、何かを摘発に来たわけではない。捜査当局の人間たちだということではない。ごく直前まで、ある投資銀行の従業員だった。

 その投資銀行の名はリーマン・ブラザーズ(以下、リーマン社)。同社の突如の倒産に誰もが息を呑んだ。無表情で昨日までの職場を立ち去る従業員たちの映像を目の当たりにして、世界中が驚愕した。「勝ち組の彼らにも、そんなことがあるのか。」「まさかこんなことが起こるなんて。」そんな思いで彼らの姿を見守った人々が多かったに違いない。

 リーマン・ショツクに揺れるニューヨーク証券取引所では、トレーダーたちが目をつむり、頭を抱え、唇を噛む。さながら、良く出来たドキュメンタリー風ビジネス・ドラマを見るような光景が、連日連夜、世界中のテレビ画面を席巻した。我々は、一九二九年にタイムスリップしたのか。ニューヨーク株の大暴落が大恐慌への幕明けを告げたあの日に逆戻りしたのか。そう錯覚するようなニュースが次々と新聞紙面を賑わせる。

 しかし、実際には今は一九二九年ではない。二〇〇八年である。一九二九年からおよそ八〇年の時が経ち、世はいまやグローバル時代である。倒産したリーマン社は、まさにグローバル時代の金融ビジネスを象徴する存在だった。華麗なマネーゲームの名手であった。だが、その上手の手からいったん水がこぼれ始めれば、ショック死までの展開はあっという間であった。

 一体何が起きたのか。人々は、なぜ、突然、ダンボール箱とともに職場を追われることになったのか。しかも、いまや、世界中でこのような光景が繰り返されることになりそうな情勢だ。現に、日本でも、企業の派遣従業員たちが突如として解雇を通告されるケースが続出している。彼らは宿舎からも即刻の立ち退きを求められて困惑し、茫然自失状態に陥っている。

 起こらないはずの「まさか」が起こった。やって来ないはずだった狼がやってきた。それが現状だ。これから何がどうなっていくのか。ひたすら、固唾を呑む地球経済である。

 危機か、それとも恐慌か

 本書のタイトルは、「グローバル恐慌」である。二〇〇八年秋に幕が開いた金融と経済の大波乱を何と命名するか。さしあたり、「世界金融危機」という言い方が定着しつつある。確かに、状況は危機的だ。巷には危機感が満ちている。それは間違いない。だが、どうも、いまひとつ納得がいかないものがある。「危機」の語感にどうしても違和感が残るのだ。そこで、本書では「恐慌」という言葉にあえてこだわってみることにした。

 「危機」に違和感を持つ理由は二つある。第一に、危機の意味を辞書で引けば、「大変なことになるかも知れないあやうい時や場合。危険な状態」とある(『広辞苑』第五版)。今は「大変なことになるかも知れない」時だろうか。そうではなくて、もう既に大変なことが起きてしまっているのではないか。

 さらに、「危険な状態」の「危険」についても辞書を引いてみると、「危ないこと。危害または損失の生ずるおそれがあること」となっている(同前)。今、経済的危害と損失は「生ずるおそれがある」段階なのか。

 アメリカで大手投資銀行が破綻し、多くの人々が職を失った。破綻には至っていない金融機関たちも、大量の人員整理に着手し始めている。巨大自動車会社が資金枯渇の危機に瀕して公的救済を求める悲鳴を上げた。欧州でも、主要企業が同様の窮地に追い込まれている。「いざなぎ越え」が喧伝された日本の長期景気拡大もついに終わった。驚異の成長の国、中国も、大型景気対策が必要な経済状態に陥っている。かくして、損失は地球経済の津々浦々で既に発生している。

 「生ずるおそれがある」段階はもう通り越している。

(浜矩子著「グローバル恐慌」岩波新書 p1-4)

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はじめに

 二〇〇八年九月一五日、アメリカ証券四位のリーマン・ブラザーズが経営破綻をきたすと、史上最悪のいわゆるサブプライム危機が爆発した。低所得者向け住宅ローンであるサブプライムローンが焦げ付くことによって発生したサブプライム危機は、世界金融危機から世界経済危機(世界同時不況)へと波及し、世界中を不況のうずに巻き込んだ。

 アメリカの住宅バブル期には「住宅投機」ができたので、ひとびとは膨大な投機利益を元手にほしいものを買うことができた。その結果、アメリカは空前の好景気を謳歌した。アメリカのひとびとが世界中から消費財を買いまくったので、世界の景気はすさまじいまでに高揚した。しかし、住宅バブルが崩壊すると消費は止まり、アメリカの景気はもちろん、世界の景気も著しく低迷したのである。

 サブプライム危機に誘発された世界金融危機とつづく世界経済危機は、これまで歴史上最悪であるとされた一九二九年恐慌以来といわれたが、その本質を見れば、人類史上最悪ということができるかもしれない。

 二〇〇八年世界経済危機は、一九世紀末大不況、一九二九年恐慌につづく三番目の「大恐慌」である。一九世紀末の大不況は、一八世紀末に機械制大工業にもとづく繊維産業を中心として産業革命を達成したおもにイギリスで生じた大恐慌だ。鉄鋼、金属・機械、化学、電機、自動車などの重化学工業は、一九世紀末大不況期にその生産力段階にいたり(すなわち、経済の主要セクターとなり)、第一次世界大戦を経て成熟段階を迎えた。その帰結として勃発したのが一九二九年恐慌である。

 そして、大戦後の冷戦期に深化する核、IT(情報技術)、マイクロエレクトロニクス、バイオテクノロジーなどハイテク産業の発展の帰結として勃発したのが二〇〇八年世界経済危機なのである。つまり、二〇〇八年世界経済危機がそれまでのふたつの恐慌と質的に異なるのは、IT革命を経て、金融肥大化が極限に到達したあらたなステージにいたって勃発したという点にある。すなわち、世界経済危機というのは、アメリカが金融工学という金融的術策を駆使して、住宅価格を暴騰させ、住宅ローン債権を証券化した「優良」な金融商品を世界中に売りまくった帰結だということだ。

 そのからくりこそ、市場の規制を緩和・撤廃し、金融資本と企業に徹底的に金儲けをさせようとするアメリカ型資本主義、すなわち新自由主義・市場原理主義そのものにあった。金融システムの分野では、会社は株主だけのものであり、従業員は株主のためだけに働かなければならないという株主資本主義の原理にもとづき、金融的術策を駆使して、金融資本は徹底的に金融収益を追求した。

 戦後冷戦下でアメリカは、最先端の軍需産業に特化し、限定的ではあるが金の裏付けを与えられたアメリカ・ドル「紙幣」で世界から消費財を買うことができたので、消費財産業の発展に本腰を入れる必要はなかった。そのため、アメリカは、日本や中国をはじめ世界中から消費財を購入した結果、いまや貿易赤字がじつに年八〇〇〇億ドルにものぼっている。世界はいずれアメリカヘは、「紙」のドルとの交換では消費財を売らなくなってしまうだろう。

 それを見越して、アメリカは、一九九一年にソ連邦が崩壊して冷戦が最終的に終結するとともに、EU(欧州連合)が九九年からのユーロ導入を決定すると、金融業を活発にすることで経済成長をもくろんだ。それが株式バブルであり住宅バブルであった。バブル形成が可能であったのは、アメリカが冷戦下で軍事技術やITなどの最先端技術の開発に専念できたので、その成果を金融的術策の「高度化」にいかんなく発揮することができたからである。

 金融業というのは、数字の増減だけを追求する世界である。したがって、取り扱う資金量や金融取引を制限する金融規制は、金儲けの邪魔にしかならない。だからこそ、新自由主義的経済政策は金融業にもっとも適合的なのである。

 質ということにこだわれば、あくなき利潤追求はできない。借り入れをどんどん増やして投資できれば、マーケットの活況局面では、巨額の利益を獲得できる。しかし、その半面ですさまじいリスクがマグマのようにたまってしまう。その結果、ついに二〇〇八年九月にサブプライム危機が爆発したのである。

 世界金融危機は、まさに金融的術策と膨大なリスクをとって金儲けするアメリカ型資本主義の崩壊を告げるものであるが、金融危機にとどまらないところに事態の深刻さがある。株式バブルにつづいて生じた住宅バブルで、ひとびとは住宅投機をけしかけられ、巨額の投機利益の多くを浪費したので、空前の好景気がおとずれたものの、サブプライム危機が爆発して投機に失敗すると、個人消費が激減していったからだ。その過程は本文で詳しく述べる。

 アメリカのGDP(国内総生産)の七割を超えていた個人消費が冷え込めば、すさまじい景気の後退に見舞われる。その結果、アメリカヘの輸出拡大で好景気を享受してきた日本をはじめ中国、インドなどは深刻な不況におちいった。

 新自由主義的な行動様式で金儲けしてきた国際投機資本も、世界金融危機で膨大な損失をこうむっている。世界金融危機で需要が減退し、国際的投機がおさまると、石油価格や資源価格が下落した。その結果、ロシアやブラジルなどの資源国の景気低迷がはっきりとしてきた。世界金融危機につづく世界経済危機の到来である。

 二〇〇八年の世界金融危機は、史上最悪の金融「恐慌」であると同時に、金融危機が先行して世界経済危機、すなわち世界市場「恐慌」というプロセスをたどったところに特徴がある。

 第三章で述べるように、従来の恐慌というのはその逆であった。景気の活況期にものが飛ぶように売れるので、企業は、生産拡大のためにどんどん設備拡張が必要になるが、あっちでもこっちでも設備投資がおこなわれた結果、膨大な商品が街にあふれる。結局、供給量が需要をはるかに超えてしまうので、ダンピングがはじまり、体力の弱い企業から倒産していく。こうして、失業者が街にあふれる。企業が倒産すると銀行への支払いができなくなり、銀行倒産がはじまる。ところが今回は逆のプロセスをたどった。その点に大きな違いがある。

 この世界金融危機をもたらしたサブプライム危機を説明する考え方には、大きく分けてふたつあるように思われる。

 ひとつは、サブプライムローン債権を証券化し、その証券を一部として組み込んだ膨大な金融商品が世界中に売却されたので、リスクの所在がわからなくなったという考え方だ。その結果、投資家が疑心暗鬼となってしまい、売買が完全に止まりパニックとなり、金融機関に膨大な損失が出たというのである。

 もうひとつは、金融工学の発展によりリスクテーク(リスクを取ること)が可能となったことが危機の原因であるという考え方である。リスクを分散することにより、表面上ローリスクながらハイリターンの金融商品提供が可能になる。さらに、レバレッジ(てこ)を利かせる(自己資産にたいして、借入資金を激増させる)ことにより、多額の証券化商品が組成されていた。この仕組みが停止したことにより金融機関が膨大な損失をこうむらて、世界金融危機が発生したというのである。

 このふたつの要因が複合しあって世界金融危機が勃発したのは事実であるが、これは、あくまで現象であって本質ではない。繰り返すが、二〇〇八年の世界金融危機と世界経済危機というのは、一九二九年恐慌に匹敵する、というよりもそれをはるかにしのぐ深刻な「世界恐慌」である。そこに事態の本質があることを見誤ってはならない。そのため、恐慌とはなにか、資本主義の発展にしたがって、恐慌がどのように変容してきたかをあきらかにしたうえで、一九二九年恐慌と比較検討することにより、二〇〇八年の世界経済危機の本質がより明確になり、その克服の方向が見えてくるはずである。
(相沢光悦著「恐慌論入門」NHKブックス p9-14)

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ばくちのツケを国民に回してはならない

 この金融危機は世界の経済と金融のあり方の根本を問いました。

 1つはこの金融危機の主犯はアメリカの世界最大級の銀行だということ。もう1つは、イラク戦争が泥沼化し、急拡大したアメリカの赤字を補うために世界の投機資金をアメリカに引き寄せた末のバブルだったということです。

 1929年の大恐慌のときにアメリカ上院のペコラ委員会は問題の徹底調査と責任の追及をおこないましたが、このような厳正な調査をやれば、銀行のあり方や各国のアメリカとの関係のあり方にもメスが入り、経済を立て直す方向性も明らかされるでしょう。

破たんした金融ビッグバン

 日本政府が果たした特異な役割を忘れてはなりません。日本は1国でアメリカの国債を3分の1も買ってアメリカ経済を支えました。また超低金利の円をドルに変えて外国の市場にもっていけば高金利でもうけられるという「円キャリー取引」は、ヘッジファンドにとって最も魅力的な資金源となりました。自公政権は「金融を自由化すれば経済もよくなる」と、アメリカをお手本にした金融自由化・金融ビッグバン路線をすすめてきましたが、この路線はあらゆる面で破たんしています。今こそ自由化路線を抜本的に見直し、企業や経済がまともに発展する金融へ抜本的に転換するべきです。

銀行甘やかし政策

 次に銀行のあり方を見直すべきです。日本は96年の住専処理以来、46兆円を超える公的資金を金融機関に投入し、すでに国民の負担は10兆円以上にのぼります。このような銀行甘やかし政策が「失敗しても最後は税金で救ってくれる」という安易な依存を生み出し、金融の規制緩和ともあいまって、投機活動に傾斜した銀行・金融機関を生み出す一因となりました。投機に熱をあげるメガバンクが投機に失敗して苦しくなったからといって、そんなときばかり「中小企業への融資を滞らせてはいけない」という理由を持ち出してくるのは、身勝手すぎるというものです。すべての規制を撤廃したアメリカ型金融モデルから公共性を第一にした銀行モデルヘ転換しなければなりません。

 国際的な共同で経済と金融のあり方を見直し規制しようという動きが始まっています。ヘッジファンドなど、規制の届かない闇の投機集団にたいして、情報開示や抜本的な規制強化をおこない、原油や穀物など人類の生存の土台となる商品を投機の対象にしないルールなど、国際的な投機規制のルールをつくるために日本政府は積極的な役割を果たすべきでしょう。

終わりつつある一極支配

 金融危機の影響は実体経済に及んでいます。その上、日本政府はひたすら対米ドル協力を続けてきたため、ドル危機の進行は急激な円高となり、国内の輸出関連産業にとって大打撃です。景気の悪化を理由にした大企業の首切り、大銀行による中小業者への貸し渋り、貸しはがしで倒産に追い込むという事態がすすんでいます。

 この未曽有の経済危機にたいして、@「ばくち経済」によってつくられた景気悪化のツケを国民にまわすことを許さないA輸出中心から家計に目をむけた日本経済の抜本的な体質改善を求めるB「カジノ資本主義」への追随からの根本的転換を求める──という声をあげて政治の責任を求めようではありませんか。

 最後に、この金融危機は、アメリカの行き詰まった軍事、政治、経済を「チェンジ」するかもしれないということです。アメリカー国が世界を支配する日は終わりを迎えつつあるのかもしれない。それはかなり現実味をおびた可能性なのです。そういう時代がいま始まりつつあるということをかみしめながら、勇躍して暮らしを守るたたかいに立ち上がろうではありませんか。私たちのがんばりがきっと世界を変えると信じて──。
(工藤晃「やさしくわかる「カジノ資本主義」」女性のひろば 09年1月号 日本共産党中央委員会 p 30-31)

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◎「二〇〇八年の世界金融危機と世界経済危機というのは、一九二九年恐慌に匹敵する、というよりもそれをはるかにしのぐ深刻な「世界恐慌」である」と。