学習通信090427
◎成功より失敗の方が何百倍も多いのだから……

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学問 文化
月曜インタビュー
失敗にめげないモットーに50年
理系研究の楽しさ喜び若い人に

物理学者
米沢 富美子さん

 物理学者、米沢富美子さんは理系の研究をめざす若い人たちに向けて自伝『まず歩きだそう』(岩波書店)を出しました。原子が不規則に並ぶアモルファス(非結晶物質)研究の第一人者として国際的に知られ、女性初の日本物理学会会長を務めた米沢さん。みずからの生きようを通して伝えたいことがあります。

 「若い女性たちに元気を出してもらおうと思って書いた本。でも私と同年輩の女性からも『女であることに自信がついた』と感想を頂いたりしているんです」

 物理の楽しさや研究に打ち込み、世界に挑戦する研究者の喜びがあふれています。

女性もやれると
気づいてほしい

 「戦後になって女性は参政権を獲得したけれど、世の中全体に『女は科学に弱い』『能力が低い』というイメージが定着し、それは現在も変わっていません。女性の権利に対する精神的土壌が培われてない。だから科学に限らず、あらゆる場面で女性は十分能力を発揮しきれていません。とくに理系の研究者に占める女性の割合はかなり低い。科学の分野で自分が思うように仕事をやれた、そんな例を提供したかった。こういう人もいるんだなと気づいてくれたらと思って」

 五年前に大学を定年退職しました。三人の娘はすでに巣立ち、十数年前に夫・充晴さんが他界。二年前から大阪に住む寝たきりの母・敏子さん(九一)の介護で東京の自宅と往復しています。

 七十歳になりました。「花の七十代」だ、と笑います。

 「母の介護はありますが、宮仕えはないので、自分の好きな研究、書きたい本のために自分の全エネルギー、全精神、全情熱を傾けることができるから」
 来し方を振り返り、こう話します。

 「蓄積って大きい。二十代から物理をやってきて、かれこれ五十年。一年間ためたもの×(かける)五十ですから、ものすごい量。どんな人でも、それだけ積み上げてきたら何をするのにも財産になっています。だから理解の程度は今がいちばん深いし、新しい問題に対して、どの時より頭がさえている気がします」

「中には小人が」
蓄音機の解体を

 物心ついたころから好奇心のかたまりでした。「なぜ?」を連発し、疑問が解けないと、くやしくて床についてもなかなか眠れない日々。内部から歌声が聞こえてくる箱に「きっと中に小人がいるに違いない」と一家の宝物である蓄音機を解体したり……。

 「機械に弱いんです」と笑います。

 科学の道に進んだのは、母・敏子さんの影響がとても大きいようです。高等女学校を出た敏子さんは数学に強くて、幾何の証明問題にかかると銭湯に行く時間も惜しんだといいます。

 五歳のころ。紙と鉛筆でお絵かきをしていると、横で縫い物をしていた敏子さんがその紙に三角や線を描いて「三角形の内角の和は二直角」の証明方法を示してくれたのです。それがわかったうれしさ。その衝撃的な感動は今も鮮明に覚えています。

 「こんなにすごいものが世の中にあるんだと思った。体ごと感じた。世の中といっても五つですけどね」

 この本には戦争の記憶も記しています。南方に配属された父・武文さんの戦死公報が戦後に届いたこと、空から機銃掃射や焼夷弾が降る恐怖…。「反戦や平和に対する気持ちは人より強かった。高校生の時、学校で禁止されていた原水爆反対の運動もしましたね」

 米沢さんが手がける研究に「金属─非金属転移」があります。温度や圧力などが変わると、同じ物質が金属から絶縁体に、あるいはその逆のことが起きる現象です。米沢さんは転移のメカニズムを発見し歴史に残る仕事をしました。今、その分野で世界に通用する専門書を執筆中で、四十時間続けて数式に取り組むことも。

人生一度だから
思い切つて挑戦

 「女性であることを感じなかった」研究者人生だったといいます。

 「科学に向き合うのに女性、男性は関係ないけど、常識にないことを切り開くには直観が必要。ちゃんと開拓すれば女性にそれがものすごくあると思う。そのためにはスポーツと同じでトレーニング。理詰めの部分でトレーニングしてないと直観も働かない」

 「若い人には、一度しかない人生なのだから、思い切ったチャレンジをしてほしい。やりたいことをやって一生過ごすのがいちばん。失敗してもめげない。世の中は成功より失敗の方が何百倍も多いのだから」(三木利博)
(「赤旗」20090427)

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はじめに

 自伝を書くようにと勧められたとき、気後れする思いがまず浮かんだ。自分のことを語るのは、気恥ずかしいしおもはゆい。しかし、あれこれ思案した末、以下の三つの「言い訳」を、いわばこじつけの理由にして、自分を納得させることにした。

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 第一の理由は、物理の楽しさを、たとえその一端でもいいから伝えたいと考えたことである。

 われわれの身のまわりのあれこれから、ミクロな世界まで、そして宇宙の果てに至るまで森羅万象のすべてを、物理の言葉で解き明かすことができる。

 この本の構想を立てていた二〇〇八年の秋、日本人によるノーベル物理学賞のトリプル受賞が発表された。受賞者の南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏は三名とも、私の身近な人たちである。いずれの受賞理由にも「対称性の破れ」がキーワードとして含まれている。

 われわれの宇宙は約一三七億年前に、ビッグバンによって誕生した。その宇宙誕生の際に、「粒子」と「反粒子」が同じ数だけ生まれた。「粒子」と「反粒子」が出会うと、互いに相殺し合って両者が共に消滅する運命にある。しかし幸いなことに、「反粒子」は寿命が短いので次第に姿を消して、「粒子」だけが生き残った。これを、「対称性の破れ」と呼ぶ。南部氏がこの事実を、理論的に発見した。

 銀河や地球やわれわれ人間は、「粒子」でできている。「粒子」だけが生き残ったお蔭で、われわれは「反粒子」に出会って消滅する心配もなく、今も安全に存在し続けているのである。

 「粒子」の中で最も小さいものが、クォークである。小林・益川両氏は、「対称性の破れ」が生ずるためには、クォークが少なくとも六種類なければならないと予言した。一九九五年までに六種類のクォークが実験的に見つかり、この予言は実証された。

 物質の構成要素のなかで最小の基本粒子であるクォークと、この世の存在のなかで最大のものである宇宙それ自体。この二つが、「対称性の破れ」を介して関連づけられる。胸躍る話ではないか。

 森羅万象の不思議を解き明かしていく作業は、時代から時代へ、人から人へ、鎖のように連なり、絶えることなく受け継がれている。まるで大きな城の石垣を築くように、小さな石や大きな石を積み上げていく。真理の探究への大きな流れのなかで、それぞれの石を積み、それぞれの貢献をしていく。それは何ごとにも変えがたい喜びである。

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 本書を執筆することにした第二の理由は、若い女性たちにひとつのロールモデル(お手本)を提供することである。

 物理学を含めて理系研究者に占める女性の割合を考えると、わが国はこれまで、OECD(経済協力開発機構)参加国の中で最低か、それに近いありさまである。この状況を改善するには、現役の女性研究者を増やさなければならない。そのためには、長期的視点に立って、理系を志望する女子中学生や女子高校生たちの数を増やすことが必要条件だが、それがなかなか増えない。

 理系を志す女子中・高生が少ない理由はいろいろあるだろうが、そのひとつとして考えられるのは、適切なロールモデルが目につかないことである。

 たとえば芸術家なら、その作品が一般の人を対象に発信されている。音楽家なら曲や歌が、文筆家なら小説や詩が、画家なら絵画が、誰もが見られる形で公開される。それらを鑑賞する側は、専門家である必要はない。作品をとおして、音楽家や文筆家や画家の存在を、専門外のわれわれも知ることができる。

 文科系や社会学系の学者の場合でも、その仕事や主張がさまざまのマスメディアを介して、専門外の人たちに届けられる。

 それにひきかえ、われわれ理系研究者の仕事が、そのまま一般の人たちに伝えられることは、ほとんどない。われわれの「作品」は、論文の形で発表しているのだが、その多くは英文の学術専門誌に掲載されていて、専門外の人たちがそれを読む機会はまずないといってよい。

 理系研究者の姿が目につきにくいのは、実は女性研究者ばかりでなく、男性研究者についても言えることである。理系離れ現象も、そこに一因がある。

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 本書を執筆することにした第三の理由は、個人的な問題である。十数年前に三人の娘たちが巣立ち、その後、夫が他界した。五年前には大学を定年退職し、すべての時間を研究や執筆に存分に使える身分になった。しかしその自由を謳歌したのも束の間、二年余り前から、母の介護という事態が持ち上がった。

 うかつにも人生設計には組み入れていなかった部分なので、戸惑った。四の五の言う暇もなく、介護の深刻度は日々つのっていく。時間的、肉体的、精神的、経済的な負担は想像を絶するものがある。

 しかし世の中には、もっと大変な状況の人たちも沢山いる。限られた時間のなかで、やりたい仕事や書きたい本の執筆を予定通り進めていくには、三人の子供たちを育てていたころと同じ覚悟が必要だ。仕事の重要度に「優先順位」をつけ、短い時間内で「集中力の勝負」をする。

 こういう状況下で、今後の人生を構築し直すために、自分がこれまで歩んできた道を振り返り、反省すべき点や再度採用すべき点を整理してみようと考えたのである。

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 本書のサブタイトル「女性物理学者として生きる」について、一言述べておきたい。このサブタイトルにある「女性」という部分は、私としては少し抵抗があった。しかし、それがないと本書の内容が分からない、という編集者の助言で採用することになった。

 アメリカ合衆国の第四四代大統領に就任したバラク・オバマ氏は、「アフリカ系の大統領」ではなくて、「大統領」である。その人がたまたまアフリカ系であった、というにすぎない。同様に私も、「女性物理学者」ではなく「物理学者」である。そしてたまたま女性であっただけのことだ。

 前述のように、本書執筆の第一の目的は、理系の研究の楽しさを伝えることである。そして、第二の目的は、勇ましく(そして無鉄砲に)生きてきたロールモデルの一例を知ってもらうことである。

 この目的を念頭において、本書を次のように構成した。第一章では物心ついてから小学校卒業まで、第二章では中学入学から大学卒業まで、第三章では二十代から三十代半ばまで、第四章では三十代後半から現在までを扱う。第五章では、まとめとして、若い人たちへのメッセージを綴った。

 私が生きてきた様子をとおして、若い女性のみでなく、若い男性や、さらには、若くない女性や男性たちにも、メッセージを送ることができれば、望外の喜びである。
(米沢富美子著「まず歩きだそう」岩波ジュニア新書 pB-H)

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◎「たまたま女性であっただけのことだ」と。