学習通信090430
◎夫の自分に対する暴力……

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兵庫幼児遺体
「別れが嫌、夫止めず」
 逮捕の妻供述
長男へのせっかん

 兵庫県小野市の県営住宅で冷蔵庫の中から幼児の遺体が見つかった事件で、無職、大塚美由紀容疑者(33)=死体遺棄容疑で逮捕=が「夫が長男にせっかんをしていたが、夫と別れるのが嫌で止められなかった」と供述していることが三十日、県警への取材で分かった。

 県警は夫のトラック運転手、竜容疑者(34)=同容疑で逮捕=が主導する形で長男(当時4)を虐待、冷蔵庫に隠した疑いもあるとみて詳しい経緯などを調べている。

 県警は同日、二人の自宅の家宅捜索と遺体の司法解剖を行い、幼児が亡くなった当時の状況や詳しい死因を調べる。

 県警によると、二人が県営住宅で一緒に暮らし始めたのは二〇〇七年三月ごろ。その後、竜容疑者は「泣き声がうるさい」などとして、長男を縛って衣装ケースに入れるなどのせっかんをしていたという。美由紀容疑者は「ほかに行く場所がなく、夫に捨てられたくなかったので、せっかんを止めなかった」と供述しているという。

 美由紀容疑者は遺棄から約一年九カ月後の今月二十九日、「長男が死亡し、遺体を冷蔵庫に隠している」と自首。県警によると、同容疑者は「夫の自分に対する暴力が激しく、怖くなった。夫がいない間に自首しようと思った」と説明しているという。県警によると、二人は共謀して〇七年七月ごろ、死亡していた幼児の遺体を自宅の冷蔵庫に隠したとされる。
(「日経 夕刊」20090430)

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シリーズー女性差別撤廃条約30周年

DV(夫からの暴力)、相続、夫婦の関係
向上した女性の地位
 弁護士 杉井 静子さんに聞く

 女性差別撤廃条約が国連で採択されたのは、1979年。日本はすぐに署名はしたものの、なかなか批准をしなかったんですね。女性団体をはじめさまざまな人たちが日本政府にたいして早く批准するよう働きかけていました。当時私はすでに弁護士活動を始めていたのですが、日本弁護士連合会(日弁連)も早期批准をもとめて要望を提出しました。日本政府が批准したのは85年のことです。

 条約の採択に先立つ75年が国際婦人年とされ、翌年から「国連婦人の10年」が始まったことは画期的でした。国連が先頭に立って、世界的に女性の地位向上への運動が始まったんですね。日弁連も76年に「女性の権利に関する委員会」を設置し(その後「両性の平等に関する委員会」に改称)、女性の地位、権利や法律の改善にかんする調査や研究にとりくむことになり、私も委員長を務めました。同委員会はいまも積極的に活動をつづけています。

男女雇用機会均等法

 条約の中に規定された労働の分野での男女平等についていえば、79年当時、日本ではこれに対応する具体的な法律―働く女性が、女性であることを理由に差別されることを禁止する法律がなかったんですね。そこで、条約批准の条件を整備するために男女雇用機会均等法がつくられました(批准と同じく85年)。

 均等法では、定年・解雇などについては、女性を男性と差別して扱うことを禁止しました。しかし、募集・採用や配置・昇進については企業に努力義務を課しただけでした(97年改正では「禁止」を明記)。私たち法律家も、単なる「機会の均等」ではなく結果として平等が実現できるような実効性のある「男女雇用平等法」が必要だと考え、法律案の提言をしました。一方で、労働基準法で女性の深夜・時間外・休日労働を制限している「女子保護」規定は機会均等には足かせだから撤廃するべきという議論が出てきたので、労働基準法改悪反対の意見も同時に出しました。

民法改正の運動

 条約の柱のひとつは、民法をはじめ家族にかんする問題でした。日本の民法では、男女で婚姻年齢が違うこと、離婚や死別のあと女性だけ6カ月間再婚を禁止する規定があること、夫婦別姓が認められていないこと、非嫡出子(婚外子)の法定相続分は嫡出子の2分の1であることなどが問題になっていました。

 女性たちの運動の中で世論も大きく変化し、96年には法務省の審議会である法制審議会が民法改正要綱を決定しました。この法案は不十分なところもありましたが、ついに民法が大きく変わる寸前まできたのです。

 ところが、保守層の横やりによって政府案の国会提出が断念され、その後もくりかえし野党が改正案を提出していますが、いまだ成立していません。

 私たちの常識からすれば、法制審議会が案まで出したら、すぐにも政府案として国会に提出され成立するものと思っていました。それが12年もたなざらしになっているのは、政治の責任といわざるをえません。こうした問題も総選挙の中でもっと注目をあつめてもいいと思いますね。

 この問題でも、国連の女性差別撤廃委員会からは日本政府にたいして、何度も改善するよう勧告がされています。今年は日本政府が出した報告書について、国連女性差別撤廃委員会の審査がおこなわれます。そこでどのような議論がされるか注目されます。

財産分与は半分に

 同時に、大きくいえば、この30年間に女性の地位向上をもとめる運動が大きく進んだことで、さまざまな変化が起きているというのが、私の実感です。

 たとえば、離婚したときの財産分与。貯蓄や土地・家屋・家財などの財産というのは夫婦が共同できずいたものです。でも私が弁護士になったころは専業主婦であればだいたい2〜3割しかもらえなかったんです。それが、法制審議会の民法改正要綱では、「各当事者の寄与の程度は、その異なることが明らかでないときは、相等しいものとする」としました。実際に民法は変わらなくても、こうした改正案を受けて、最近の裁判所の実務では夫婦半分ずつに分けることが一般的になってきました。

 また、姓の問題では、以前は離婚したらかならず旧姓に戻らなければなりませんでした。結婚のときにはほとんど女性が姓を変えていますから、離婚によって姓を変えるのも女性です。離婚というプライベートなことを職場などでも明らかにしなければならず、女性に不都合が大きかったのです。それは76年の民法の手直しによって改善され、結婚していたときの姓を使い続けることもできるようになりました。また、別姓をみとめる世論を反映して、職場での通称使用も広がってきていますよね。

 また、80年には相続法の改正によって、夫が死亡した場合の妻の相続は、これまでの3分の1から2分の1に引き上げられました。

 さらに、男女ともに休暇をとることができる育児休業法もできましたし、DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)ができました。

 配偶者からの暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)についていえば、ずっと以前から私たちが扱う離婚事件ではかならずといっていいほど「夫が暴力をふるう」という話が出ましたから、前からあったことでしょう。でも、DVが社会的に認知されたのは、DV法ができてからではないでしょうか。

 これは、女性差別撤廃条約とも関連しますが、女性の地位向上の問題にとりくむ中で女性への暴力の問題が浮上してきました。93年に国連総会で「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」が採択されて、日本では2001年にDV防止法ができたのです。DV法は配偶者の暴力を犯罪と明記した画期的な法律です。それまで妻にたいする家庭内の暴力は当たり前、警察も介入できないとされ、放置されてきましたから。

 でも、いまだに被害者本人もDVだと気づいていない場合が多いんです。いま問題になっているのは氷山の一角です。もっと啓発をしていかないといけないと感じています。

条約を尊重して

 法律家の目からみれば、日本は条約一般を軽視している国といえます。裁判所の出す判決に、条約違反だということはほとんど出てきません。本来は、憲法―条約―法律の順なので、条約に違反していれば法律は見直さなければならないし、判決でももっと条約違反を問うてもいいのです。

 さらに政府は条約について国民にたいして宣伝も広報もしないでしょう。この条約についても、全然知らない女性もたくさんいるのではないでしょうか。ですから、私たちが草の根から知らせていく、学習を広げていくことが大切ですね。

 日本では、戦前の家制度のもとでつくられた「男は外で働き、女は家を守る」といった性別役割分業の意識が、しきたりや言葉づかいにいたるまで、相当に根強く残っています。女性差別撤廃条約では、人々の意識や慣習を変えていくことを求めていますから、私たちひとりひとりが、理屈で理解するだけでなく、日常の感性になっていくところまで男女平等の意識をつくっていくことを目指さないといけないですね。

生活の中で問い直していく

 『格差社会を生きる 男と女の新ジェンダー論』(かもがわ出版)にも書いたのですが、家庭や学校や職場にあって見過ごしがちなジェンダーを、ひとつひとつ問い直していくことはとても大切だと感じています。

 たとえば、夫にたいする「主人」という呼び方。夫婦は主従関係ではないのですから、こうした呼び方はどうなのでしょうか。あるいは、「〇〇家と△△家の結婚式」という言い方。結婚は家ではなく個人の結びつきですよね。また、学校提出書類の保護者欄に父親の名前を書いていないでしょうか。こうしたことはやっている個々人はそれほど深く考えずにやっているのかもしれませんが、社会の中でつみかさねられたときにはどんなことになるでしょうか。

 「主人と呼んだって言葉だけのこと。実際はわが家では対等」とおっしやる方もいます。たしかにそうなのでしょうが、毎日「主人」と呼ばれている夫のほうはどうでしょうか。「一家の主」という意識を醸成させているかもしれません。

 以前に扱った中年のご夫婦の離婚事件です。妻ががんの実弟の見舞いに行こうとしたら、夫が許さなかったそうです。離婚訴訟の法廷で、「なぜあなたの許可が必要なのか」と夫に聞いたら、「僕が家長だからです」と胸をはったんです。日本社会に非常に根強く残る意識を感じますね。

 また、離婚を考えている女性が、私のところにたびたび相談にみえるうちに、「私、いつの間にか『主人』といわなくなったんです」とおっしゃっていました。夫との関係を見直して自立の方向を模索するうちに、言葉も変わってきたそうです。

新しい関係

 日常の暮らしの中にある男女不平等やジェンダーについて見直していくことは大切です。そのときに、「『主人』と呼ぶなんて、遅れてる!」と非難する必要はないのです。「なぜ、あなたはそう呼んでいるの?」と問いかけてみる。「『主人』という言葉は、普通は雇い主と雇われ主との関係で使う言葉じゃない?」と。多くの人が、社会の慣習の中で、自分だけ違う言動をしたくないというだけの思いでやっていることが圧倒的ではないかと思います。そのひとつひとつをお互いに問うていく。そこから会話も始まっていきます。決めつけや強制ではなくて、お互いの会話の中から生まれてくる新しい関係を大切にしていきたいですね。

※批准(ひじゅん)=条約が国内法としての効力をもつことを国家が表明すること。条約の署名をおこなったあと国会の承認を得て、さまざまな手続きをおこなう。

※ジェンダー=生物上の男女の区別ではなく、社会的文化的につくられる男女の差異。

(「女性のひろば 09年4月号」日本共産党中央委員会 p38-43)
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◎「決めつけや強制ではなくて、お互いの会話の中から生まれてくる新しい関係を大切に」と。