学習通信090508
◎自分が魔法で呼びだした地下の魔力……

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清流 濁流
マルクスの「予言」

 何年先か分かりませんが、経済危機が終わったとき、世界はいったいどう変わっているでしょうか。巨大金融資本が息を吹き返し、米国型の市場経済が再び世界を席巻しているでしょうか。

 答えを、今、世界の多くの人々が、マルクスの著作に求めている、と米外交専門誌『フォーリン・ポリシー』の最新号は伝えています。同誌によると、昨年の金融危機 ぼっぱつ 以降、『資本論』の売り上げが急伸しており、ドイツのある出版社は、前年は百冊程度だったのに、昨年は数千冊も売れたといいます。

 マルクスは、今から百数十年も前に、経済のグローバル化や今回のような世界金融危機を予言≠オていました。たとえば、『共産党宣言』の冒頭部分も、「ブルジョアジー」を「ウォール街の金融資本家」と置き換えても、すらすら読めてしまうから驚きです。

 「ブルジョアジー(金融資本家)は、社会全体を絶えず変革(規制緩和)しないでは生きていけない」「自分が呼び出した地下の魔物(デリバティブズ=金融派生商品やCDO=資産担保証券などのさまざまな証券化商品)を、もはや統御しきれなくなった魔法使いに似ている…」

 オバマ米大統領も麻生首相も、国家の力で、弱体化した金融産業をよみがえらせようと躍起になっています。しかし、ほんとうに必要なことは、金融を私的利益追求の手段から真の公共サービスに転換することです。それができなければ、きっとさらに恐ろしい「魔物」が襲い掛かってくるでしょう。(沢庵)
(「赤旗」20090508)

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 ブルジョアジーは、生産用具を、したがって生産諸関係を、したがって社会的諸関係総体を、絶えず変革することなしには、存在することができない。

これに反して、古い生産様式を変化させずに維持することはこれまでのすべての産業的諸階級の第一の存在条件であった。

生産の絶え間のない変革、すべての社会的状態の絶え間のない震憾、永久的な不安定および運動は、ブルジョア時代を以前のすべての時代から区別するものである。

すべての固定した、さびついた諸関係は、それにともなう古くから尊敬されてきた諸表象および諸見解とともに廃止され、すべての新しく形成された諸関係は、それらが骨化しうる前に、古くさくなる。

今すべての身分的に固定した不動のものは消えさり、すべての神聖なものはけがされ、そして人間はついに、彼らの生活上の地位、彼らの相互の諸関係を、冷静な目で見つめざるをえなくなる。

 自分の生産物にたいする販路をつねに一層ひろげようとする欲求は、ブルジョアジーを全地球上に駆り立てる。いたるところにブルジョアジーは巣をつくり、いたるところに居をさだめ、いたるところで結びつきをつくらなければならない。

 ブルジョアジーは、世界市場の開拓によって、すべての国々の生産および消費を国籍を超えたものにかたちづくった。

ブルジョアジーは、産業の足もとから国民的地盤を取り去って、反動主義者たちをおおいに残念がらせた。

非常に古くからの国民的産業は絶滅されたし、なお日々に絶滅されている。

これらは新しい諸産業によって駆逐され、新しい諸産業の導入はすべての文明国民にとって死活問題となる。

これらの新しい諸産業は、もはや国内産の原料ではなくて、きわめて遠い地帯に属する原料を加工するものであり、またそれらの製品は、たんに自国内だけではなくて、すべての大陸で同時に使用される。

国産品によって満たされる古い需要の代わりに、きわめて遠い国々や地帯の生産物で満たされることを求める新しい需要が現われる。

古い、地方的および国民的な自足と孤立の代わりに、諸国民相互の全面的な交易、全面的な依存が現われる。

そして物質的生産においてと同様に、精神的生産においてもそうである。

個々の国民の精神的産物は共同の財産となる。国民的な一面性および制限性はますます不可能になって、多くの国民的および地方的な文学から一つの世界文学がかたちづくられる。

 ブルジョアジーは、すべての生産用具の急速な改善により、かぎりなく容易になった交通によって、すべての国民を、もっとも未開な国民をも、文明へとひっぱりこむ。

彼らの商品の安い価格は、ブルジョアジーがそれをもってあらゆる中国の城壁を粉砕し、未開人のもっとも頑固な排外心をも降伏させる重砲である。

ブルジョアジーは、すべての国民に滅亡したくなければブルジョアジーの生産様式を自分のものにするように強制する。

ブルジョアジーは、すべての国民に、いわゆる文明を自国に取り入れるように、すなわちブルジョアになるように強制する。

一言で言えば、ブルジョアジーは自分自身の姿に似せて世界をつくるのである。

 ブルジョアジーは、農村を都市の支配に従属させた。

ブルジョアジーは巨大な諸都市をつくりだし、都市の人口の数を農村のそれに比べてはなはだしく増加させ、こうして人口のいちじるしい部分を農村生活の無知な状態から引きはなした。

ブルジョアジーは、農村を都市に依存させたように、未開および半未開の国々を文明諸国に依存させ、農業諸国民をブルジョア諸国民に、東洋を西洋に依存させた。

 ブルジョアジーは、ますます、生産手段、所有および人口の分散をなくする。

ブルジョアジーは、人口を密集させ、生産手段を集中し、そして所有を少数者の手に集積した。

この必然的な結果は、政治的な集中であった。

異なる利害、法律、政府、および関税をもち、ほとんどただ連合しただけの独立した諸地方が、一国民、一政府、一法律、一国民的階級利害、一関税線に結集された。

 ブルジョアジーは、百年たらずの階級支配のあいだに、すべての過去の諸世代を合わせたよりもいっそう大量かつ巨大な生産諸力をつくりだした。

諸自然力の征服、機械設備、工業および農業への化学の応用、汽船航海、鉄道、電信、諸大陸全体の開拓、諸河川の運河化、地中からわき出たような全人ロ──このような生産諸力が社会的労働の胎内にまどろんでいたことを、これまでのどの世紀が予想したであろうか?

 しかし、われわれが見たように、ブルジョアジーが形成されるさいの基礎となった生産手段および交易手段は、封建社会のなかでつくりだされたのである。

この生産手段および交易手段の一定の発展段階において、封建社会がそのなかで生産し交換した諸関係、農業および製造業の封建的組織、一言で言えば封建的所有諸関係は、すでに発達した生産諸力にもはや照応しなくなった。

それらの諸関係は、生産を促進する代わりに阻害した。

それらはちょうどその数だけの足かせに変わった。それらは爆破されねばならなかったし、爆破された。

 これらの諸関係に代わって、自由競争が、それにふさわしい社会的および政治的制度をともない、ブルジョア階級の経済的および政治的支配をともなって、現われた。

 われわれの目の前で、これに似た一つの運動が進行している。

ブルジョア的な生産諸関係および交易諸関係、ブルジョア的な所有諸関係、これほど巨大な生産手段および交易手段を魔法で呼びだした近代ブルジョア社会は、自分が魔法で呼びだした地下の魔力をもはや制御することができなくなった魔法使いに似ている。

数十年来、工業および商業の歴史は、ブルジョアジーとその支配との生存諸条件である近代的生産諸関係にたいし、近代的所有諸関係にたいして、近代的生産諸力が反逆した歴史にほかならない。

それには、周期的に反復してブルジョア社会全体の存立を疑わせるようにますますおびやかしている商業諸恐慌をあげるだけで十分である。

商業諸恐慌においては、生産された生産物だけではなく、すでにつくりだされた生産諸力さえも、その大部分が規則的に破壊される。

諸恐慌においては、これまでのすべての諸時代には不合理だと思われたであろう一つの社会的な伝染病──過剰生産という伝染病が突発する。

社会は、突然、一時的な未開状態にあともどりさせられたことに気がつく。

飢饉が、全般的な荒廃戦争が、社会からすべての生活手段を奪い取ったように見える。

工業、商業が破壊されたように見える。

それはなぜか? 社会があまりにも多くの文明、あまりにも多くの生活手段、あまりにも多くの工業、あまりにも多くの商業をもっているからである。

社会が自由にできる生産諸力は、ブルジョア的文明およびブルジョア的所有諸関係を促進するにはもはや役立たない。

逆に、生産諸力はこれらのブルジョア的諸関係にとっては巨大になりすぎており、これらの関係によって阻止され、そして生産諸力は、この阻止を乗り越えるやいなや、ブルジョア社会全体を無秩序におとしいれ、ブルジョア的所有の存立をあやうくする。

ブルジョア的諸関係は、それらによってつくりだされた富を入れるためには、せまくなりすぎたのである。

──なにによってブルジョアジーは諸恐慌を克服するか? 一方では、大量の生産諸力をやむをえず破壊することによってであり、他方では、新しい諸市場を征服し、また古い諸市場をいっそう徹底的に利用することによってである。

つまり、なにによってであるか? ブルジョアジーが、いっそう全面的かつ強力な諸恐慌を準備し、また諸恐慌を予防する諸手段を少なくすることによってである。

 ブルジョアジーが封建制度を打ち倒したときに用いた武器は、いまやブルジョアジー自身にたいして向けられる。

 しかし、ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をきたえただけではなかった。ブルジョアジーは、これらの武器をとるであろう人々をも生みだした──すなわち、近代的労働者、プロレタリアである。

 ブルジョアジーすなわち資本が発展するのと同じ割合で、プロレタリアートすなわち近代的労働者の階級が発展するが、近代的労働者が生活することができるのは彼らに仕事があるあいだだけであり、また彼らに仕事があるのは、彼らの労働が資本をふやすあいだだけである。

自分を切り売りしなければならないこれらの労働者は、他のどの売買される品物とも同じように一つの商品であり、したがって同じように、競争のあらゆる転変、市場のあらゆる変動にさらされている。
(マルクス・エンゲルス「共産党宣言」新日本出版社 p54-60)

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◎「ブルジョアジーすなわち資本が発展するのと同じ割合で、プロレタリアートすなわち近代的労働者の階級が発展する」と。