学習通信090522
◎民主的運動の発展にとって不可欠の課題……

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性的マイノリティの悩みにこたえて
「その入らしさ」支援広げて
 人間と性°ウ育研究所副所長 杉山貴士

 「20歳になる孫娘が、自分は男なのだと悩み、今、娘に相談していることを知っておどろいています。(中略)彼女は制服のスカートに抵抗があったと明かしました。今現在、就職に悩んでいます。社会で受け入れられない自分を知り、母親に打ち明けたようです。(中略)今後のこと、家族の対応、情報などを相談します」

 昨今、性的マイノリティにかんする話題や相談が増えてきたといいます。これは今までもあったのだけど、出すに出せずに困っていた関係者が、「やっと」語ってもいいのだとの世相を表したものではないでしょうか。性的マイノリティが自分を社会に語れることは、民主主義の成熟度を示すものです。今回は『女性のひろば』に寄せられたお便りへのアドバイスという形で、広く性的マイノリティを受け入れる側がどんな姿勢であればいいかまとめてみたいと思います。

ハードルをこえて

 お孫さんのトランスセクシュアル(いわゆる性同一性障害)の可能性を示唆したもので、どう受け入れ、対応するべきかとの相談です。

 ここは、まず、当事者のお孫さんと、それを受け入れる側の親御さんたちの2つの視点から考えてみましょう。

 2000年以降、ドラマ「金八先生」でのトランスセクシュアルの生徒の扱いから、自分の体の性と心の性との不一致にある人たちが、見えないだけでたくさんいることが広まりました。当事者には「自分は一人ではない」と励まされる内容でした。性的マイノリティは「自分は生涯一人かもしれない」と悩むものです。上記の相談から拝するに、彼(お孫さん)は、おそらく自分を受け入れるための相当の「葛藤」をしてきたはずです。そして、二人ではなく、大丈夫だ」と母親である娘さんに打ち明けたと思われます。

 当事者が大丈夫だと確信するには大きなハードルを何個もこえたり飛んだりしたに違いありません。そして家族以外に頼れる情報や友人たちに出会えたのかもしれません。だからこそ、悩んだこと、「本当の自分」を一番の理解者、親密な関係である母親に打ち明けたのでしょう。

話を聴くのに徹して

 私もお孫さんの計り知れない苦悩を想像すると胸が痛みます。しかし、なぜ、彼が「男だ」と「打ち明けた」のでしょう。それは「公言すること」で新しい関係性、より強固で親密な親子関係を作りたい発露と推察します。打ち明けたお孫さんは「やっと肩の荷を下ろした」感覚があったとも思います。そしてより密な信頼関係作りを望んでいるはずです。ですから、親御さんやご家族は、まずしっかり彼の話を聴くのに徹することが必要です。ここに至る道程を共有するのです。彼にいい友人や情報があれば、それをしっかり頼り、彼の自己回復支援を家族でできればいいですね。しかし、難しいことのほうが多いものです。その際は、例えばAGPという医療福祉教育者の当事者グループの相談などを受けるといいのではないでしょうか。

一人で背負い込まないで

 もう1つの視点、母親(娘さん)の問題が、実は深刻なのです。ゲイの息子を持つ私の母もそうでしたが、一人で背負い込む、他言無用で悩み続けることが多いのです。「同志出櫃、父母入櫃」(性的マイノリティの子どもたちが押入れから出て公言すると、親たちが押入れに入ってしまう)のです。親御さんたちが、育て方が悪かった、何もしてやれなかったと悩み、その悩みを吐き出す場がないのです。おばあさまが、娘さんの悩みをしっかり聴くのが重要です。でも、育て方や愛情の注ぎ方がおかしかったのではなく、人間の性の多様性の一つの現れ、と励ますことが必要です。参考の書籍等もあります(拙著編『聞きたい知りたい性的マイノリティ』(機関紙出版)、『自分をさがそ。多様なセクシュアリテイを生きる』(新日本出版社)など)。また、東京、神戸にも「LGBTの家族と友人をつなぐ会」(http://Igbt.web.fc2.com/)もあります。悩みが深いなら、娘さんとお二人でその会の会合などに参加されることをお薦めします。同じ悩みを持つ親御さんどうしの集いです。親身に、また自分たちの経験の共有もできます。それは結果としてお孫さんである彼にも大きな励みになるでしょう。

 よく「このごろ同性愛やそういう人たちが『増えてきた』から…」という人が多くいます。その認識は大きな間違いです。今までが「出すに出せなかった」社会である「未成熟な社会」であったことの裏返しです。ぜひ、「性の多様性」を支援する場所づくりを、家庭や職場などでも援助されることを願ってやみません。そして「その人らしさ」支援を広げてほしいと思います。
(「女性のひろば 09年5月号」日本共産党中央委員会 p96-98)

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性的マニノリティと人権
鰺坂 真

 性的マイノリティとは

 性的マイノリティ(性的少数派)とは、ゲイ(男性同性愛者)、レスビアン(女性同性愛者)、インターセックス(半陰陽者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスセクシュアル(性同一性障害)などの人びとの総称です。

 私たち多くのものは異性を恋愛の対象とする異性愛者であり、世界中どこでも、性的マジョリティー(性的多数派)となっています。社会の多数派なので、異性愛が普通であり、少数派の存在を理解できず、性的マイノリティなるものは病的な存在としてしか考えていないという状況がつづいてきました。

 そのため、このマイノリティの人びとは、社会的生活の上でさまざまな差別的なあつかいをうけたり、「変態」として猟奇(りょうき)的な目で見られるといった不当なあつかいをうけてきました。

全国民的な人権問題に

 ところが、二〇世紀に入り、第一次大戦後、ヨーロッパでは性的マイノリティヘの差別を無くする運動がはじまります。わが国では第二次大戦後にこのような運動がはじまりました。

 この運動は、当初は性的マイノリティの人びと自身の運動でした。さまざまな困難を抱えながら運動はつづけられてきました。

 二一世紀に入り、いまや性的マイノリティの人びとだけの運動ではなく、性的マジョリティ(多数派)もふくめて、全国民的な人権問題としてとりくまねばならない段階に来ていると思われます。

性的マイノリティは
病的なあり方か?

 まず、性的マジョリティとマイノリティの違いとは何なのかということを考えておきましょう。

 長らく性的マジョリティが人間として正常なあり方で、性的マイノリティは病的なあり方だという考えが一般的でした。したがって性的マイノリティのあり方は病的なのだから、これは治療の対象、あるいは矯正の対象であると考えられてきました。

 この点は二〇世紀の後半になり、医学的・心理学的研究がすすみ、あらゆる点から見て、病気ではない、つまり治療の対象ではないということが確定しました。

 アメリカでは第二次大戦後、女性解放運動や人種差別撤廃運動など民主化運動が高揚するなかで、性的マイノリティ解放運動もひろがっていきました。アメリカ精神医学会は新しい研究成果をとりいれて、大規模な議論と手つづきを経て、一九七三年『精神障害の診断と統計のための手引き(DSM)』から「同性愛」という項目を削除することを決めました。

 これは世界各国の医学界に大きな影響をあたえました。世界保健機構(WHO)も一九九三年に、「同性愛は、いかなる意味でも治療の対象とならない」と宣言し、『国際疾病(しっぺい)分類』改定第一〇版(ICD−10)の疾病分類から「同性愛」を削除しました。

 日本でも、一九九四年、厚生省(当時)が、ICDの分類を正式に採用しましたし、日本精神神経学会も一九九五年に、ICDを尊重するという見解をだしました。このように同性愛などマイノリティの性的指向を矯正や治療の対象とするのは間違いだということが、医学界の統一見解として確認されてきたのです。

 要するに同性愛など性的マイノリティのあり方は何ら異常なことでも、病的なことでもないということが今日では科学的に明らかになっています。

 最近の調査では性的マイノリティの人びとは人日の五%ほどいるだろうといわれています。ごく普通に私たちの隣人として生活しているわけで、これらの人が周囲の偏見から不自由な生活を強いられている実情は放置できないことです。

違いは、なぜ生じるのか

 次に、このような性的多数派と少数派という違いが、なぜ生じるのかということも検討しておきましょう。

 これは人間の(哺乳類全般に言えることですが)性別がどうしてできるのかという問題です。

 発生学的に考えると、胎児の段階で卵巣と精巣になるもとの部分は同じ一つのものです。これを生殖原基といいます。この生殖原基の中心の髄質が発達すると精巣ができ、その周囲のほうが発達すると卵巣ができるということがわかっています。

 つまり男女の違いは、もともと一つのものから分かれてできたのです。したがって男女の違いは絶対的なものではなく、相対的だといえます(その証拠の一つは、男性にも必要のないはずの乳首があることです)。卵子と精子の染色体の組み合わせが、XX染色体であれば胎児は女性に、XY染色体であれば男性として生まれてくるわけです。ところが受精卵ができても、ホルモンの働きが十分でないと、染色体の組み合わせが予定どおりにいかない場合がおこります。XYの染色体をもっている胎児に男性ホルモンが働きかけると精巣など男性の内性器が作られます。しかしこの段階で男性ホルモンが十分に働かないと、胎児がXY染色体を持っていても、その体内では卵巣や子宮など女性の内性器が作られていきます。

 このように男性と女性の違いは根本的なものではなく、もともと同じ一つのものであったのであり、ほんのちょっとの違いなのです。このメカニズムのわずかなずれが性同一性障害(体は男性だが、心は女性とか、体は女性だが、心は男性という不一致)などをおこすわけです。このずれは胎児が成長する際に、必ず一定の確率をもっておこるもので、一種の「事故」と考えられます。これは現在のところ防ぎようのない「事故」で、人間(生物)というものはこのような「事故」による「異常」と見えるものも含めて人間なのだと考えるべきです。つまり、これは病気ではなく、一種のずれなのですから、多数派である異性愛者もこれを理解し、受け入れていくことが必要だと思います。

 いわば、これは右利きと左利きの人の違いのようなもので、昔は左利きは子どものうちに治して、右利きにしなければならないように思われていましたが、現代では無理に矯正することはないということになり、今はだれも少数派である左利きを気にしないようになりました。これと同じだと思われます。

なぜ、わざわざ
差別撤廃の運動を?

 ところで、それは分かった、異性愛者は異性同士愛しあい、同性愛者は同性同士愛しあったら良いと思うので、いわば私たちは無関心でいれば良く、差別するわけではないから、性的マイノリティの人びとが差別撤廃という運動をしているのが理解できない、という意見が聞かれることがよくあります。この問題を次に考えて見ましょう。たとえば、杉山貴士編『聞きたい知りたい性的マイノリティー──つながりあえる社会のために』などを読んでみると、性的マイノリティの人びとが社会生活の中でどんな不自由を強いられているかが、よく分かります。

 まず日常生活で、まわりの多数派(マジョリティ)の人びとから、「おかま」とか、「変態」とか言われて、孤立させられるということが、しょっちゅう起こるということがあります。これも困ったことですが、これはお互いの努力で克服していかなければならないことです。

 しかし職場で働くことになると、服装など男は男らしくせよ、女は女らしくせよという有形・無形の圧力がかかる。家庭でも早く結婚せよという圧力(当然、異性婚を前提した圧力)がかかるということがおこる、こうなると事態はかなり深刻です。当事者同士の理解をふかめるというだけでは解決できない難しい問題です。社会的な運動をおこして、社会的理解を深める必要があります。

 さらに現在、問題になっているのは、性的マイノリティの人びとの家庭生活です。

 人間はだれでも、一人で生きるのは困難です。特に病気や事故の時や、年をとり介護が必要になったりした場合、一人暮らしというのは心細いものです。

 同性同士の所帯をもちたいという要求が出てくるのは、自然です。ところが現代社会では異性愛にもとづく結婚が普通とされていますから、同性のカップルは、社会保障制度などの保護をうけることはきわめて困難です。遺産相続などもきわめて複雑なことになります。実は同性婚は現在の日本国憲法の下で、可能であり、禁止されているわけではない、という見解はあります。しかし、実際の社会生活の中で、同性同士のカップルはきわめて暮らしにくいのは事実です。病気や事故や介護や遺産相続などの問題を考える時、同性同士の結婚についての法的整備が必要と思われます。

九条を守ることと
性的マイノリティの人権

 このような性的マイノリティの運動が高まってきているのに対して、政府与党の中でこれに対する逆流がおこっていることにも、注意をはらう必要があるでしょう。

 特に、この逆流勢力が「靖国派」勢力と密接なつながりを示していることが重要です。憲法九条を変えて、日本を戦争する国にしていくのに、「男とも女ともつかない」性的少数派の存在は邪魔になる、「民族を亡ぼす」と彼らは考えているらしいです。きわめて非科学的で人権無視の思想です。

 憲法九条を守ることと、性的マイノリティの人権を守ることとは、きわめて近い関係にあるようです。民族差別や女性差別はもちろんのこと、性的少数派の差別もすべて克服して前進することが、労働運動をふくめて民主的運動の発展にとって不可欠の課題であろうと思います。
(「学習の友 09年4月号」学習の友社 p86-91)

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◎「育て方や愛情の注ぎ方がおかしかったのではなく、人間の性の多様性の一つの現れ」と。