学習通信090527
◎ストックホルム・アピール……

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《潮流》

一週間のうちに三たび、峠三吉が詩にうたった一九五〇年八月六日について書くことになろうとは……。二十一日、二十三日付に続き、占領軍の弾圧をはねのけて開かれた広島の平和集会を振り返ります

▼その時、デパートの窓からまかれた「平和のビラ」(峠)は、「ストックホルム・アピール」でした。五〇年三月、世界の平和団体が署名をよびかけたアピールです。「原子兵器の絶対禁止を要求します」と

▼折から六月、朝鮮戦争が火をふきました。アメリカは、北朝鮮に対し核兵器を使う機をうかがいます。八月六日の広島・平和集会の開会宣言は、危機感もあらわにこう訴えました

▼「アメリカは朝鮮戦争で原爆を使おうとしている」「再び原爆の悲惨を繰り返さぬために世界の人と手をつないで、ストックホルム・アピール署名を広げよう」。署名は、全世界で十一月までに五億人に。署名に表れた反核世論はアメリカの手をしばり、朝鮮での核使用を断念させました

▼時をへていま、アメリカのオバマ大統領は、核兵器のない世界をつくろうと演説しています。ストックホルム・アピールなど反核運動が営々と積み重ねてきた世論の、重みを実感せざるをえません

▼ところが北朝鮮は、二回目の核実験に踏み切りました。核廃絶へと向かう機運に対する逆流。北朝鮮の指導者には、聞こえないのでしょうか。朝鮮でもベトナムでも核を使わせまいとした人々の声が。なにより、「被爆の体験は自分たちで終わりに」という被爆者の願いが。
(「赤旗」20090527)

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ストックホルム・アピール

 1950年3月19日、スウェーデンのストックホルムで開かれた世界平和擁護者大会常任委員会が、原子兵器禁止に関する署名運動を決定し、 全世界に呼びかけた4箇条の共同綱領。

1.わたしたちは、人類に対する威嚇と大量殺戮の兵器である原子兵器の絶対禁止を要求します。

2.わたしたちは、この禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求します。

3.わたしたちは、どんな国であっても、今後、最初に原子兵器を使用する政府は、人類に対して犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱います。

4.わたしたちは、全世界のすべての良心ある人々に対し、このアピールに署名するよう訴えます。

 以上、4箇条は広島と長崎に原爆を投下し、WWU後の冷戦と核兵器開発競争の主導権を握った米国外交と核による脅迫に対する批判を含むものだった。ストックホルム・アピールの署名は、朝鮮戦争を背景に世界的に展開し、1953年までに署名数が5億人に達した。主要国では、米国300万、英国120万、仏1500万、伊1700万、東西ドイツ1900万、ソ連1億1551万、インド67万、中国2億2375万など。

 日本においても、署名運動はGHQ占領下で原子爆弾に関する全ての事案が制限され、加えて朝鮮戦争の厳しい情勢と弾圧にもかかわらず、全国的に開催された 「原爆展」や朝鮮戦争反対運動と呼応しながら進行し、署名数が645万を超えた。 ストックホルム・アピールは、戦後の平和運動として最初の大衆行動で、核兵器の完全禁止を迫るものであり、署名行動という最も原始的な手段によって多くの人類の平和希求心を行動に転化し、平和運動の大衆的基盤を築き上げていくものであった。


■ストックホルム・アピール

 われわれは、人民にとっての恐怖と大量殺害の兵器である、原子兵器の絶対禁止を要求する。
 われわれは、この禁止措置の履行を確保するための、厳格な国際管理の確立を要求する。
 われわれは、どのような国に対してであれ、最初に原子兵器を使用する政府は、人道に対する罪を犯すものであり、戦争犯罪者として取り扱われるべきであると考える。
 われわれは、世界中のすべての善意の人々に対し、このアピールに署名するよう求める。(1950年3月19日 世界平和協議会)

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 核兵器による惨害を憂慮する運動は、それが完成する前からはじまった。ナチ・ドイツが先に開発して第二次世界大戦で使うことを恐れ、それに対抗して開発することをルーズベルト大統領に進言したアインシュタインの友人レオ・シラードらは、原爆投下による惨害を憂慮して、そのまえに威力を知らせる実験をおこない、日本に警告すべきだ、として請願書をつくり、回覧して署名を集めた。計画の総責任者グローブズ将軍らは、この署名運動にたいして激しい妨害をおこない、あくまで投下を推しすすめるため請願書がトルーマン大統領に届くのを遅らせる工作までやったことが明らかになっている。

 そしてトルーマンは、シラードらの進言を受け入れなかった。原爆開発をめざす「マンハッタン計画」は手をゆるめずにすすめられ、七月一六日ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠でプルトニウム原爆の最初の実験が成功した。翌月八月の六日、実験もされていない最初のウラニウム原爆が広島市民の頭上で詐裂した。九日には、二発目のプルトニウム原爆が長崎で爆発した。これはすでに決定的となっていた日本の降伏をうながすというより、第二次世界大戦後の国際政治のイニシアティヴを握り覇権を掌握しようとする、アメリカの主導する「冷たい戦争」(まだその名称は使われていない)の最初の第一歩であった。

 アメリカの原爆開発成功を知って、スターリン治下のソ連もただちにその開発に着手するが、翌年一九四六年一〇月二四日、国連総会はその第一号決議「国際原子力委員会の設置について」で「原子兵器および大量破壊に応用できるその他すべての主要兵器を各国の軍備から廃絶すること。遵守する諸国を違反や抜け道による危険から守るため、査察その他の手段により効果的な保護措置をとること」を採択した。もしもこの決議がこのとおりただちに実行されていたら、米ソ両国とも莫大な人員と資源を核武装で浪費する愚行からまぬがれることができ、世界の歴史はかなり違った展開を見せていたと思われるが、ついに今日までこの決議は実行されていない。なぜ、わざわざ、愚かな道を選んだのか。

 それは、決議をどう具体的に実行するか、という論議に入ると、アメリカは「国際原子力機関」に一切の核原料・核施設・核活動を管理する権限をもたせ、それが十分信託に足るものと認められたときに原子兵器を放棄すると主張して、その時までは放棄しないという核兵器独占態勢を継続する立場を固執したのにたいし、ソ連は核兵器の生産・使用・貯蔵を一切禁止するという立場を一歩もゆずらず、交渉は合意を見ないまま行き詰り、一九五〇年の一月、ソ連代表退場で機能を停止したという経過をたどっている。

 すでに一九四七年にアメリカは「冷戦」と「封じこめ」をはじめ、四九年にはNATOを発足させる一方、ソ連も原爆を開発、中国では人民共和国が成立、という激動する情勢が背景にあった。その年、第一回の平和擁護世界大会が開かれ、決議実践のためにつくられていた委員会が翌年、一九五〇年三月に第三回総会を開き、二五日に発表したのが「ストックホルム・アピール」だ。

それは、大量殺戮兵器である原子兵器の絶対禁止、厳重な国際管理の確立、そしてどんな国でも最初に原子兵器を使う政府は戦争犯罪人として取りあつかうことをよびかけ、これに賛同する人に署名を訴えた。日本平和委員会の前身である「日本平和を守る会」は、一九四九年四月末に平和擁護日本大会でスタートして、形式的にはまだ準備会であった。この会は同年一〇月には戦争反対・軍事基地化反対・全面講和要求・原子兵器使用禁止をかかげた反ファショ平和擁護大会を全労連(旧)や民擁同(民主主義擁護同盟)と共催しており、五〇年二月二七日に正式に発足したばかりであった。

同会の約四五〇名の委員と約一〇〇の参加組織は、全力をあげてこのストックホルム・アピール署名に取り組み、当時日本を全面占領していたアメリカ軍の厳しい弾圧とたたかいながら六四〇万名をこえる署名を集めた。

 ストックホルム・アピール署名は全世界で五億名以上の分が五〇年二月末までに集められた。それは、核戦争を準備している連中が巨大な国際世論に包囲され監視されていることをその圧倒的な数値で示し、核戦争の放火者の手を押さえつけ、しばりあげるものだった。広島・長崎への原爆投下を命じたトルーマン米大統領は、一九五〇年六月にはじまった朝鮮戦争の拡大にたいして、同年一一月末日の新聞記者会見で、「現在では利用しうるあらゆる武器を使用することが考慮されており、原爆を使用するかどうかも現地司令官の決定一つにかかっている」と朝鮮での原爆使用を示唆する重大発言をおこなった。さっそくイギリスのアトリー首相がアメリカに飛び、英国政府と国民が原爆使用を「不穏当」として反対している世論状況が明らかにされ、原爆使用は阻止された。

 ヘンリー・キッシンジャーは、一九五七年に書いた『核兵器と外交政策』で、「ストックホルム平和アピールにはじまる平和運動」について「とかく、この世界平和運動とその代表する戦略を、単なる宣伝としてほったらかしたくなるものである。だが、それは非常に危険である」とのべている。この告白は、素手で核兵器に立ち向かい国際世論を喚起して核戦争を阻止した平和運動の効果を、反対の側から証明するものだ。それは、核兵器の廃絶までは一気に実現できなかったが、核兵器の使用、すなわち核戦争を阻止する点では、みごとな成果をおさめた。

 同時に、軍縮一般でなく核兵器の廃絶を単独の中心課題としてかかげたことは、通常兵器もすべて廃棄する全面完全軍縮と区別して、それが実現するまえでも核兵器は特別に残虐な非人道的な大量殺戮兵器として禁止すべきものであり、また広範な世論をこの一点で結集すれば、十分に実現可能である、という運動論に明確に立つものであった。
(福山秀夫著「平和運動言論」学習の友社 p185-188)

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北朝鮮は、二回目の核実験に踏み切りました。
北朝鮮の指導者には、聞こえないのでしょうか。
朝鮮でもベトナムでも核を使わせまいとした人々の声が。
なにより、「被爆の体験は自分たちで終わりに」という被爆者の願いが。