学習通信090602
◎山の動く日来(きた)る……

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6月1日
青鞜社の発起入会がひらかれた。
一九―一(明治四四)年

 この日、東京の本郷駒込のある邸に五人の若い女性が集まった。平塚晴子(らいてう)とその友人たちで、女流文学を志す人々であった。

「女性が目覚めて、かくされた才能を十分に発揮したい」という願いをこめた文学サークルの初の集まりであった。

五人のよびかけで、与謝野晶子・野上弥生子・長沼(のちの高村)智恵子(ちえこ)をはじめ、女流文学者たちの多くが参加した。

九月一日には機関誌『青鞜』が発刊、「元始女性は太陽であった」にはじまるらいてうの宣言や「山の動く日来る……すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる」という晶子の詩がのせられ女性たちの心をひろくゆさぶった。
(永原慶二編著「カレンダー日本史」岩波ジュニア新書 p88)

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そぞろごと
  与謝野 晶子

山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。

 ○

一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。

 ○

額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。

 ○

われは愛(め)ず。新しき薄手(うすで)の玻璃(はり)の鉢を。
水もこれに湛ふれば涙と流れ。
花もこれに投げ入るれば火とぞ燃ゆる。
愁ふるは、若し粗忽(そこつ)なる男の手に碎(くだ)け去らば。――
素焼の土器(どき)より更に脆く、かよわく。

 ○

青く、且つ白く、
剃刀の刃のこころよきかな。
暑(あつ)き草いきれにきりぎりす啼き、
ハモニカを近所の下宿に吹くは懶(ものう)けれども。
わが油じみし櫛笥(くしげ)の底をかき探れば、
陸奥紙(みちのくがみ)に包まれし細身の剃刀こそ出づるなれ。

 ○

にがきか、からきか、煙草の味は。
煙草の味は云ひがたし、
甘(あま)しと云はば、かの粗忽者(そこつもの)
砂糖の如く甘しとや思はん。
われは近頃煙草を喫(の)み習へど、
喫むことを人に秘めぬ。
蔭口に男に似ると云はるるもよし。
唯おそる。かの粗忽者こそいと多(さわ)なれ。

 ○

「鞭を忘るな」と
ツアラツストラは云ひけり。
女こそ牛なれ、また羊なれ。
附け足して我は云はまし。
「野に放てよ。」

 ○

わが祖母(そぼ)の母はわが知らぬ人なれど、
すべてに華奢(かしゃ)を好みしとよ
水晶の数珠にも倦(あ)き、珊瑚の数珠にも倦き、
この青玉(せいぎょく)の数珠を爪繰(つまぐ)りしとよ。
我はこの青玉の数珠を解(ほぐ)して、
貧しさに与ふべき玩具(おもちゃ)なきまま、
一つ一つ児等(こら)の手に置くなり。

 ○

わが歌の短ければ
言葉を省(はぶ)くと人おもえり
わが歌に省くべきもの無かりき。
また何を附け足さん。
わが心は魚ならねば鰓(えら)を有(も)たず、
ただ一息(ひといき)にこそ歌ふなれ。

 ○

すいつちよよ、すいつちよよ。
初秋(はつあき)の小(ちいさ)き篳篥(ひちりな)を吹くすいつちよよ。
蚊帳(かや)にとまれるすいつちよよ。
汝(な)が声に青き蚊帳は更に青し。
すいつちよよ、なぜに声をば途切(とぎら)すぞ。
初秋(はつあき)の夜の蚊帳は水銀(みずがね)の如く冷(つめた)きを、
ついつちよよ、すいつちよ。

 ○

油蝉のじじ、じじと啼くは、
アルボオス石鹸(しゃぼん)の泡なり、
慳貪(けんどん)なる男(おとこ)の方形(ほうけい)に開(ひら)く大口(おおぐち)なり、
手握(てづか)みの二錢銅貨なり、
近頃の芸術の批評なり、
誇りかに語るかの若き人等の恋なり

 ○

夏の夜のどしや降(ぶり)の雨、
わが家は泥田の底となるらん。
柱みな草の如く撓み、
そを伝(つた)ふ雨漏(あまもり)の水は蛇の如し。
寝汗(ねあせ)の香、かなしさよ。よわき子の歯ぎしり。
青き蚊帳は蛙(かえる)の如く脹(ふく)れ、
肩なる髪は鹿子菜(ひるむしろ)の如く戦(そよ)ぐ。
この中(なか)に青白きわが顔こそ。
芥(あくた)に流れて寄れる月見草なれ。

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その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。