学習通信090604
◎日本の女性は男性の賃金の66・9%……

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シリーズ
女性差別撤廃条約採択30周年

日本の常識≠ネ世界の非常識=I
縮まらない日本の
男女賃金格差

文京学院大学大学院客員教授
前ILO(国際労働機関)駐日代表・ジェンダー特別アドバイザー
 堀内光子さんに聞く

 1990年から開始された国連開発計画(UNDP)『人間開発報告』でのジェンダー・エンパワーメント指数(女性が政治参加や経済界における活躍、意思決定に参加できるかどうかを表す指数)の日本の順位は108カ国中58位、エンパワーメント指数をとれる国全体の真ん中より下になっています。主原因は、労働市場での賃金などの男女格差が大きいことです。また、ジェンダー・エンパワーメント指数の順位は改善するどころか、2002年の32位から07年の54位、そして08年には58位になり、女性への雇用不平等が大きい国だというだけではなく、世界から改善のテンポも遅い国だと日本はみなされているのです。

 女性差別撤廃条約が採択されて30年。85年に男女雇用機会均等法が制定されたときは、募集・採用・昇進など重要な部分の差別禁止は企業の努力義務でしかありませんでしたが、97年の改正でこれらも差別禁止となり、さらに07年4月施行の改正均等法では、一定の間接差別が禁止されました。パートタイム労働法でも93年にできたときは、差別を改善する規定が、ありませんでしたが。07年の改正パート法では、まだまだ不十分な面はありますが、限定的ですが、差別的取り扱いの禁止や均等待遇がもりこまれるなど、法の整備は一定進んでいます。

 にもかかわらず依然として格差は縮まらない……実態をどうやって真に改善していくのか、それが今、大きな課題になっていると思います。

世界でも大きい女性の雇用不平等

 女性への雇用の不平等で1番の問題は賃金格差です。日本の女性は男性の賃金の66・9%(07年「賃金構造基本統計調査」)となっていますが、これには短時間労働者は含んでいませんし、時間外労働賃金、ボーナスを含んでいません。パートタイム労働者やボーナスなども含めた全賃金の調査では50・0%(同年「毎月勤労統計調査」5人以上の従業員/30人以上の従業員では50・4%)になります。こちらの方が実態を反映していると思います。

 日本より男女の賃金格差の大きい国は、OECD(経済協力開発機構)諸国のなかでは韓国しかありません。日本は下から2番目です。EU(欧州連合)では、各国で男性より女性の賃金が平均して15%低く、それがなかなか縮まらないといって必死に取り組んでいます。そういう意味でも日本はもっとしっかりこの問題に取り組まなければならないと思います。

女性の半数以上は非正規

 男女の賃金格差の要因には、女性の労働者の半数以上がパートタイム労働者や派遣社員など、非正規雇用であるという問題が大きく影響しています。

 非正規雇用の問題点は、企業にとって極めて雇用調整がしやすく、低い賃金で雇えるというところにあります。実際、アンケートなどでも多くのパートタイム労働者が「賃金が安い」ことを一番の不満にあげています。

 さらに最近では、非正規雇用の増大とともに基幹労働力として位置づけられるようなパートタイム労働者も増えており、多様化も進んでいます。今、母子家庭の多くが貧困の問題を抱えていますが、これも女性のなかに非正規雇用が多いことと関連しています。そういう意味でも「同一価値労働同一賃金」を強力に推し進めていく必要があると思います。

 日本は、ILO100号条約「男女同一価値労働同一報酬の原則」を批准しています。私はこの原則を日本で本当に徹底すれば、非正規雇用の賃金格差をなくしていけるのではないかと考えています。

 ジェンダー・バイアスを払拭して

 7割の女性が第1子出産を機に仕事を辞め、子育てが一段落してから再就職する女性が多いため、日本の女子年齢別労働力率は依然としてM字型カーブを描いています。M字型の谷(30〜34歳層)の労働力率は若千上昇しているものの、M字型のカーブは変わっていません。これは、子育てサポートなどの政策支援が不十分で、多くの男性が家庭責任を負えない働き方をさせられているため、子育て期間中は女性が働けないという現状を示しています。

 M字型雇用は他の先進国ではみられないもので、日本のようなM字型カーブを描く国は韓国しかありません。政府は、ワ一ク・ライフ・バランスを提唱していますが、女性が仕事を続けようと思うとさらに育児と家事の負担が覆いかぶさり、男性は相変わらず仕事中心の生活を送るという構図にあまり変化がみられないのが実情です。

 企業側も子どものいる女性ではちゃんと仕事をしてもらえない≠ニいう固定観念を抱いているところが少なくありません。また、女性が多く就いている職業が低賃金に抑えられている、女性の管理職の登用が北アフリカや南アジアの諸国とほぼ同じ10%足らずしかないという点をみても、日本でジェンダー・バイアスを取り除いていくことの重要性を示していると思います。

 カナダ大使館で開かれたシンポジウムで、アメリカの有名な企業の人事担当者から直接聞いたのですが、そこの企業では男女に関係なく、企業にとって有能な人を採用したい≠ニ思ってやったらほとんどが女性になったということでした。企業によってどんな人がほしいのかは異なるとは思いますが、ジェンダー・バイアスを取り除いてみたらこんなこともできるのかと思いました。女性が子育てをしながら仕事をしやすい職場環境を掲げている企業も増えてはきていますが、日本の企業もこの点をもっと考えてほしいですね。

EUとの姿勢の違いはどこに?

 男は仕事、女は家庭≠ニいったジェンダー・バイアスの問題は、日本だけではなく、男女平等に積極的に取り組んでいる国でも残っています。それでもEUは、男女がともに生きる社会をつくらなければならないと考え、その方向に向けて、さまざまな制度を構築しています。それが日本との大きな違いだと思います。

 スウェ一デンでは、子どもが生まれたり、養子縁組をしたりした場合に、両親に480日間の育児休暇が与えられますが、1974年にそのうちの60日間は男性が育児休業を取得しなければならない制度をつくりました。この制度ができたときは、制度に反対する声もかなりありました。しかしその結果、今では家庭と仕事を両立しようとする男性が増えています。ノルウェ一のパパ・クォーター制度も同じ仕組みをとっています。

 EUでは、男性も女性も家庭と仕事を両立できる働き方ができるようにと、法整備を含めてさまざまな努力がなされています。日本のように家族のことを配慮せず転勤させて、単身赴任がまかりとおっているような国は他ではみられません。

 ちゃんと暮らせる社会を

 男女ともに、どんな雇用の形態であっても公平でちゃんと暮らしていけるような処遇がなされなければなりません。

 長時間労働を強いられる正社員と不安定な非正規雇用というような構図になっているのは大問題だと思います。こうしたなかで、雇用を守るための国民運動はひろがってきています。全労連と連合が非正規雇用の問題をともに訴えていますが、これは本当に大切なことだと思います。

 EUでは「同一価値労働同一賃金の原則」を実施していくために、法規制をして効果をあげています。そのうえで、平等への決定事項を労働組合が使用者側とともにソーシャルパートナー≠ニして共同協定を強化しています。日本でも公平な賃金制度の確立に向けて、労働組合がさらに積極的な役割をはたしていってほしいと思いますね。

 先人のたたかいを引き継いで

 実は、女性の生活をめぐる意識はこの30年間で大きく変わりました。

 内閣府「男女共同参画社会に関する世論調査」では、04年以降、かつてもっとも多くの人の考え方であった「職業中断型」(子どもができたら仕事を辞める)は2番目に落ち、「中断なし継続就業」に賛成する人が男女とも一位を占めたのです。これは、今後男女平等の社会をつくっていくうえで大きな力になると思います。

 男女雇用機会均等法ができる前は、結婚退職制や、男性より女性の方が定年退職の年齢が低く設定されるなど、あからさまな差別がありました。多くの女性たちが泣く泣く職場を去っていきました。こうしたなかで、女性たちは裁判で不平等を訴え、勝利し、判例にしてきました。本当に大変だったと思いますね。そうした女性たちの運動のおかげで、あからさまな差別はなくなりました。男女について現在ある社会的・制度的不平等の構造を平等・公正なものへと変革していくために、私たち女性は、もうひとがんばりしていかなくてはと思います。
(「女性のひろば 09年4月号」 日本共産党中央委員会 p32-37)

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職場の男女差別に対する不服従のたたかい

 一九九五年八月八日、住友金属工業に働く女性四名(北川清子、黒瀬香、笠岡由美子、井上千香子)が、同社における多年にわたる男女差別の不当性を訴えて大阪地裁に提訴した。提訴からほぼ一〇年を経た二〇〇五年三月二八日、大阪地裁は、性別のみによる差別的取扱いは公序良俗に反して違法であるとして、被告会社に原告四名の差額賃金に相当する六三〇〇万円余の損害賠償金の支払いを命じた。

 会社はただちに控訴を決め、審理の舞台は大阪高裁に移された。その後、二〇〇六年四月二五日に、大阪高裁において、原告四名と被告の間に和解が成立して解決に至った。大阪地裁判決の差額賃金の支払命令を一三〇〇万円上回る解決金を支払い、在職する原告らを含む女性労働者の処遇改善を約束した和解条項からみて、原告側の全面的な勝利は明らかである。

 この裁判については、筆者は提訴の日から原告等を支援し、法廷をたびたび傍聴し、高裁における和解の結果を踏まえ、裁判を振り返って、『労働法律旬報』の二〇〇六年七月下旬号に寄稿した。それをあえてここに紹介するのは、この裁判が日本企業における積年の女性差別の実例と、それに対する女性労働者たちの闘いの一ページを雄弁に物語っていると考えるからである。

 さかのぼれば、平塚らいてうらが女性解放をめざして、『青鞜』を創刊し、それに与謝野晶子が「山の動く日きたる。……すべて眠りし女、今ぞ目覚めて動くなる」という詩を寄せたのは一九一一年であった。第二次大戦後、日本国憲法で両性の平等が謳われ、労働基準法で男女同一賃金の原則が規定され、法のうえでは山は動いた。

 一九八五年、ケニアのナイロビで開かれた「国連女性の一〇年世界会議」で、日本政府代表は、一般演説の冒頭で与謝野晶子のさきの詩を引用した。さきに述べたように同年には、男女雇用機会均等法が成立した。一九九五年には日本政府は一九八一年にILOで採択された「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」を遅まきながら批准した。

 これらの前進があったにもかかわらず、日本の雇用と労働の場における男女平等の歩みは歯がゆいほど遅々としている。それはどに男女差別の根は深く、眠りし女たちが目覚めて動かないかぎり、その解消はありえない。そのことを痛感したのがこの裁判であった。

 この裁判には原告四人のほかにもう一人隠れた「原告」がいた。戦時中の一九四四年に入社し、一九七六年に定年(当時定年は男性五五歳、女性五〇歳)で退職するまで住友金属で様々な差別に抗して勤め続けた大喜多敏江さんである。

 大喜多さんが原告側証人として陳述書と法廷の証言で語っているところでは、戦中、戦後にかけて、女性は、少ない部署でも日に二回、多い部署では三、四回、家庭さながらにお茶くみをさせられた。そのなかで「お茶くみ廃止、私達は仕事をしに来た」をキャッチフレーズにお茶くみ反対運動が起きた。彼女は従業員組合の婦人部の一員として会社と交渉をしたが、会社から「当社は良家の子女をお預かりしている。やさしい心でお茶を出すのも花嫁修業の一つだ」と言われ、憤慨したという。このお茶くみは、来客用はともかく課内については一九六〇年代の初め頃までに廃止された。

 ー九五五年前後からは女性の仕事が増え、責任も重くなってきた。大喜多さんは、男並みに月五〇〜六〇時間の残業や休日出勤も行った。しかし、賃金差別は是正されなかった四〇代に行われた会社の一泊研修で、総務部長が「女性には非常に能力がある。会社も使いたいし、女性にも能力を伸ばしてほしい」と話し、その例として「大卒男性がやっていた登記の仕事を、高卒の女性が立派にやっている」と言った。大喜多さんは「高卒の女性が大卒男性の仕事をして、給料が上がったんですか」と質問したら、総務部長は「それはまた別問題」と言って逃げた。

 大喜多さんが定年で退職したとき、退職金は八五〇万円であった。男性の退職金は次長になると最低でも三〇〇〇万円だと言われていた。男性は会社の住宅貸付制度を利用できたが、女性は独身で世帯主でも利用できなかった。

 会社は、勤め続けたいと願う女性を結婚や出産を機に無理に辞めさせてきた。採用の際には紹介者がいたが、その紹介者に圧力を加えて退職させた例もある。体を壊すくらい仕事を与えて退職させた例もある。それにもかかわらず、彼女が辞めた一九七六年には彼女と同様に定年まで勤め続けた女性が四人いた。その後の数年間に退職した女性たちを含め、当時定年まで勤めた女性たちは(別会社に既婚者として勤めていて、その会社が住友金属の傘下に入り移籍してきた一人と、結婚していることを退職まで会社に隠していた一人を除いて)全員独身であった。大喜多さんは二〇〇〇年四月一四日付の陳述書の末尾に次のように書いている。
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 一九九五年……私は、この裁判を知ってから、期日のたびに傍聴にきました。半世紀にわたって会社からの差別に苦しみながら職場を去った女性、とどまった女性の、怒り、痛み、悔しさの代弁者として、この裁判は闘われているのだと思います。
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──略──

「こんな企業は時代遅れ」

 住友金属の女性労働者たちの賃金差別をなくすたたかいは、一九九四年、住友金属、住友電工、住友化学の住友系メーカー二社の女性たちが、賃金や昇格で男性と比べ著しく差があるとして、労働省大阪婦人少年室(名称は当時)に男女雇用機会均等法にもとづく調停を申請したときから始まった。これより二年前に、ミセスであるために昇格させられない、もしくは、昇格を不当に遅らされてきた住友生命の女性グループが均等法にもとづく調停を申請したが、労働省は「比較すべき一般職の男子労働者がいないので男女差別は明らかでない」という理由で調停不開始とした。

そのときとは違い、再度の申請では、会社の同意の得られた住友金属に限り、均等法施行一〇年にして最初の調停開始になった。しかし、労働大臣によって任命された三人の学識経験者からなる機会均等調停委員会が提示した調停案の内容は、申請した女性たちがとうてい受諾できるものではなかった。それは当の女性たちの個別処遇の改善にはまったく触れていないうえに、間接差別として批判のつよいコース別雇用管理制度の導入をすすめるものであった。

 こういう経過があって、一九九五年八月、住友系メーカー三社の女性たちは男女賃金差別の是正を求めてそれぞれ大阪地裁に提訴したのである。このうち住友電工事件は二〇〇三年二一月二四日、住友化学事件は二〇〇四年六月二九日、それぞれ大阪高裁で和解が成立した。

 二〇〇〇年七月に出た住友電工事件の大阪地裁判決は、被告会社が男女別の雇用管理を行っていたことを「男女差別以外のなにものでもなく、性別による差別を禁じた憲法一四条の趣旨に反する」とし、「現時点では、被告会社が採用していたような女子事務職の位置づけや採用方法が受け入れられる余地はない」と認めた。にもかかわらず、その一方で「原告らが採用された昭和四〇年代ころは、未だ、男子は経済的に家庭を支え、女子は結婚して家庭に入り、家事育児に専念するという役割分担意識が強かった」、「被告会社としては、その当時の社会意識や女子の一般的な勤続年数を前提にして最も効率的な労務管理を行わざるを得ない」として、長年の差別を公序良俗違反とはいえないという判断を示し原告の請求を棄却した。これと比べると、二〇〇五年三月の住友金属事件の大阪地裁判決は、多年にわたる差別の不当性を認定した点で、女性差別撤廃の闘いの前進を物語っている。

 住友金属男女差別裁判は、提訴のときから高裁における和解にいたるまで、マスコミで大きく報道されてきた。アメリカの「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙は、北川さんらが大阪地裁への提訴に踏み切った直後に「雇用差別に屈しない日本の女性たち」という長文の記事を載せた。「朝日新聞」は大阪地裁判決の出た直後に「こんな企業は時世遅れ」(〇五年三月三一日)という社説を書き、昇進・昇級の差別をなくし、人事制度を公正なものに改める必要を説いた。これらの事実も雇用差別に屈しない女性たちの勝利の記録に書き留められる必要がある。
(森岡孝二著「貧困化するホワイトカラー」ちくま新書 p160-174)

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学習通信090602

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◎「男女差別の根は深く、眠りし女たちが目覚めて動かないかぎり、その解消はありえない」と。