学習通信090610
◎弁証法の方法を身につけないと……

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 エンゲルスは、マルクスが唯物論者になったいきさつについて、たいへん心に残る解説を書いています。それは、

 マルクスは唯物論の道を選んだとき、現実の世界──自然および歴史──を、どんな先入見的な観念論的気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づくすべての者に「現われるままの姿」で、とらえようという「決心」をおこなったのだ、

 という説明です(『フォイエルバッハ論』一八八六年)。

 自然でも歴史でも、人間が直面する世界は、はかりしれない奥深さと複雑さをもっています。

頭のなかで生みだした「先入見」やあれこれの枠組みをこの世界にもちこもうとするものは、世界の深さ、複雑さにぶつかって弾きとばされます。

世界の本当の姿に接近するためには、そういう「先入見」を捨てることがまず必要ですが、それだけでは足りません。

自分自身が、予想をこえたどんな問題、どんな事態にぶつかってもたじろがず、現実の世界を「あらわれるままの姿」でとらえることを可能にする方法──世界を認識する弾力的で柔軟な方法──をもたなければなりません。

マルクスの「決心」を説明したエンゲルスの文章は、そのことを教えているのだと思います。

 その方法が「弁証法」で、マルクスとエンゲルスは、この弁証法の達人でした。

 もちろん、その弁証法の内容は、人間が、自然や社会にたいして、ヘーゲル流に外からもちこみ、押しつけようというものではありません。

自然や社会の構造と運動、その発展のなかに生きて働いている弁証法を反映したものです。

人間が認識する対象の存在と運動に、弁証法的な連関や発展が豊かにつらぬかれているからこそ、人間は、弁証法の方法を身につけないと、世界を「あらわれるままの姿」で認識し、理解することができないのです。
(不破哲三著「マルクスは生きている」平凡新書 p30-31)

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 シュトラウス、バウアー、シュティルナー、フォイエルバッハは、これらの人たちが哲学の地盤をはなれないかぎりでは、ヘーゲル哲学からでた分枝であった。

シュトラウスは、『イエス伝』および『教義学』を書いたあとでは、ルナン風の哲学的および教会史的な美文にたずさわっただけであり、バウアーは、キリスト教発生史の分野でいくらかの仕事をしただけであるが、しかしここでは意義のあることをした。

シュティルナーは、バクーニンが彼をプルードンとまぜ合わせてこの混合物を「無政府主義」と名づけたあとになっても、相変わらず変わり者であった。

ただフォイエルバッハだけが、哲学者として意義ある者であった。しかし彼にとっては、哲学が──いわばあらゆる特殊科学のうえに高く舞いあがっていて、これらの特殊科学を総括する科学の科学が──越えることのできない限界であり、ふれることのできない神聖なものとされていたばかりではなく、彼は、哲学者としても中途半端な立場にとどまり、下半身では唯物論者、上半身では観念論者であった。

彼はヘーゲルを批判的に処理することができずに、彼を無用なものとして簡単に片づけただけであって、他方、彼自身はといえば、ヘーゲルの体系の百科全書的な豊かさにくらべて、誇張された愛の宗教と貧弱で無力な道徳のほかには、積極的なものをなに一つなしとげはしなかった。

 ヘーゲル学派の解体からは、しかし、さらに別の方向があらわれ、これは、実際に実をむすんだ唯一のものであった。そして、この方向は本質的にマルクスの名にむすびついている。


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ここで、私の一身上の弁明をさせていただきたい。

近頃いろいろとこの理論にたいする私の寄与に言及している人があるので、私は、ここで簡単にこの点をあきらかにしておかないわけにはいかない。

私が四〇年にわたるマルクスとの協力のあいだに、またそれ以前にも、この理論の基礎づけにたいして、またとくにその仕上げにたいして、いくらか独立的な寄与をしたことは私自身もこれを否定することはできない。

しかし、指導的な根本思想の大部分、とくに経済と歴史の領域における大部分、およびとりわけ根本思想の終局的な鋭い定式化は、マルクスのものである。

私が寄与したことは──せいぜい二、三の専門的なことをのぞけば──、私がいなくても、マルクスがなしとげることができた。

マルクスがなしとげたことは、私にはなしえなかったであろう。

マルクスは、われわれのだれよりも、いっそう高い所にたち、いっそう広く見、いっそう多く、またいっそう速やかに見渡した。

マルクスは天才であった。

われわれ他の者たちは、せいぜい能才であった。

マルクスがいなかったならば、この理論は、今日、それが現にあるようなものには到底なっていなかったであろう。

そこで、この理論が彼の名をつけられているのは当然である。
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 ヘーゲル哲学からの分離は、この場合にも〔マルクスの名にむすびついた新しい方向の場合にも〕、唯物論の立場へかえることによっておこなわれた。

すなわち、現実の世界──自然および歴史──を、どんな先入見的な観念論的気まぐれもなしにそれら自然および歴史に近づく者のだれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心がなされたのである。

そして唯物論は、一般的にいって、これ以上のことをなにも意味しない。

しかしここで〔この新しい方向の立場において〕はじめて、唯物論的世界観がほんとうに真剣にとりあげられ、問題にされる知識のすべての領域にわたって──すくなくとも根本的な点では──この世界観が首尾一貫してつらぬかれるにいたったにほかならない。
(エンゲルス著「フォイエルバッハ論」新日本出版 p67-69)

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◎「頭のなかで生みだした「先入見」やあれこれの枠組みをこの世界にもちこもうとするものは、世界の深さ、複雑さにぶつかって弾きとばされ」ると。