2011/4/30
◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。
こうしてこのブログもなくなるんでしょう。



2011/4/28


■@GAKUTOMO NO.303
私の大好きなチャップリン。彼の言葉を引用した記事に、グッときました。映画「ライムライト」でチャップリン扮するカルヴェロが語ります。「人生は欲望だ。」「そうだ、人生はすばらしい。・・・なによりも大切なのは、勇気だ。想像力だ。」と。(「しんぶん赤旗」潮流11/4/16)

記者は付け足していました。「なんでも欲しがる欲望ではありません。バラはバラらしく花を咲かせたがる、そんな『欲望』です。」「カルヴェロのせりふを目の前の現実に引き寄せると、人はたたかわなければならないのでしょう。人間らしく生きよう、人間らしい世の中をつくろうとする勇気をくじき、想像力を押しつぶす者に対して」と。

一ヶ月近く、私は仕事に時間をつぶされ(結局は自分がそうしているんですが・・・)、職場にも足を出せず、自ら学び変化を作りだしていくこともできず、日々流れていました。この間、自分で自分を生きていない感じがしていました。少し仕事が立て込むと、あっという間にそういう方向に流れていくのだ・・!と自分の根本思想の弱さも痛感しました。「たたかわなければ」・・・という言葉、まさに自分に言われてる気がしました。

私は保育士として、一人の人間として、たたかわなければ。

岡本太郎さんも「人間とは、そもそもたたかいながら生きるもの」「たたかいといっても・・・相手を逆に生かすこと、これが大事だ」と言ってました。人間らしさを見失わさせる社会の下で、人間らしさを再発見し、獲得していく、その過程がたたかいなのだと思います。チャップリンの映画や忌野清志郎さん・斉藤和義さんの反原発ソング、ケーテ・コルヴィッツの絵、金子みすゞさんの詩、そしてマルクス・エンゲルスの文章・・・たたかう人間の表現に、胸を打たれ、生きる力が引き出される感じがします。そんな表現者に、私はなりたい。(蓮)2011/04/28

学習通信051121◎「そうだろうかね。パーシャ」……


2011/4/27





◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。


2011/4/26


■@GAKUTOMO NO.302
民商の事務局をしている仲間に話していると、震災後、店を閉める業者が増えているということでその対応に追われる毎日だと。東北から遠く離れた京都でも被害が及んでいるのか! と驚かされました。店を閉める中小業者の人たちは、これまでただでさえ経営を成り立たせるのが大変な状況だったのに追い打ちをかけるように、生産のための部品が届かず店を開けられない状況になっているのだそうです。東北は日本にとって自動車、電機など、日本の基幹産業を支える部品、素材の供給基地。これが打撃を受け日本全体の生産活動を停滞させている、と「しんぶん赤旗」に報道されていました。まさにそうなのです。

店を閉めることで民商の会員も辞める人が増えているそうで、その仲間も自分の仕事(活動)に対して展望を見失いかけているような感じです。

その対話を終えた直後の学習協の「第45回定期総会」。その仲間が来ていたら、きっと元気になって帰っていったと思います。「地域の再建がいかに大事か」「人間の生活は本来社会的なものであり、そこを新自由主義の構造改革で破壊してきたから、こういう事態が起こったときに矛盾があふれてくる。」「大事なことは、住民のコミュニティーを重視すること」などなど、“地域”の重要性、そしてこれからの未来を語るうえでのキーワードがたくさん出てきました。

店をたたむ業者さんのいますぐの再建は難しいかもしれない。けれど働きかける側が展望を見失ってはいけない。こういう事態になっているときだからこそ「未来論=社会主義論」を活動家が身につけて地域の業者さんに対話し激励することが必要だと思います。民商で活動するその仲間に、しっかりと話したいと思います。(麦)11/4/24


2011/4/25


■@GAKUTOMO NO.301
 「“なかみ”が問われている」、学習協の事務局と運営委員会の合同会議で、事務局長に鋭く指摘を受けました。

 「カタチだけ、カッコウだけではダメ!なぜ労働学校をするのか、なぜセミナーをするのか…“なかみ”が問われている」

 自分の弱点とわかっていながら、指摘を受けないと、ほとんど認識できない。“自己嫌悪”(この言葉が適切かどうかわかりませんが)です。うまくできないのに、うまくやろうとする、まとめることもできないのに、まとめたかのようにしようとする、“カタチ”、体裁をなんとか…そんなの“未来を創りだす”活動とはいえません。

 その後の運営会議で、「現代経済学ゼミナールをどう押し出していますか?」と質問がでました。

 この課題についても、これまで“班・コースの仲間一人ひとりに、個別話してみよう”という提起だけしておいて、“なかみ”を論議することがほとんどなかったと反省…。言われてからしかできないなんて、“未来を語る”資格ないですよね。

 “ゼミナール”の話ですが…つい先日、ラジオのニュースに興味深いのがありました。震災で被害のあった漁港の話で、その漁港の漁協に入っている漁師さんの船約850隻のうち、約800隻が使用不能になったとのこと。しかし、漁業を再開するにあたり、その使用可能な約50隻を、その漁協で共同所有にして、みんなで交代して使用するなどの協力するとのこと。しかも、個人で船をあらためて購入するのには、費用負担(借金)があまりにも大きいので、全員に船がいきわたるまで、全部を漁協で共同所有にし、水揚げの10%を船の全体の購入資金として漁協に納めるという仕組みにして、再建をすすめるとのニュースでした(ラジオで聞いたことなので、数など正確さがかけるかもしれませんが)。

 インターネットで検索して調べてみたら、そのニュースとぴったりと同じニュースはみつけることはできませんでしたが、そういう共同所有で再建をすすめる取り組みは、今回被害のあった漁協で、さまざまなところですすめられていることもわかりました。

 こうした形態というのは、未来社会での“生産手段の社会化”ということとつながっているということではないのか、そう考えました。

 今までの社会でも…封建制社会の中で資本主義社会へと通じる“萌芽”が育つことが…あったように、資本主義社会でも、未来社会へひきづかがれるべきものが育ちつつあるのではないか、そう考えていました。

 21世紀の世界をみても、そうした未来社会に通じることはあるのではないでしょうか。中国においては、『市場経済』を通じての社会主義をめざす取り組みがすすめられている。ベネズエラでは、アメリカ資本が支配していた油田を、選挙によって選ばれた大統領によって、国が運営するようにかえてきている。東電がこのまま将来、国営化されることになったら(エネルギー政策は、国のあり方と大きく関わると思う)…。

 資本主義社会の問題点を明らかにし、その解決、克服をめざし、活動している私たちが、本当に“未来が語れるか”そこが問われているし、その最先端で研究されている芦田先生の講義を受けて、みんなと一緒に考えることができる機会、そうないと思います!

 仲間と、ワクワク“未来が語れるか”それが問われているし、この課題がありながら、“ワクワク”してそれができてなかった私でした。(吉)11/4/23

◎革命論の農民の問題(下巻 p151〜)が扱われているとこを学んでください。


2011/4/23

◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。


2011/4/22

◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。


2011/4/21

◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。


2011/4/20


■@GAKUTOMO NO.300
もうすぐ京都学習協の「第45回定期総会」が行われます。年に一度の「定期総会」で私たち地域で学習運動をすすめる活動家は1年の「総括」とそれを踏まえた「これからの活動」について発言をします。

「総括」は私の苦手とすることの一つ。自分の活動を振り返って、何が問題かを見つけ出し次の行動へ生かしていく、いわば“活動の法則を見つけ出していく”作業。

毎週の活動は毎週末に「総括」します。そのなかにも“法則”はしっかり存在しているはずなのですが、まだまだ自分の活動を科学的に捉えることができていない私には、そのことが見えにくく、ずれていることも多いのが現状です。

しかしそんななかでも5年間の地域での学習運動を振り返ると、いろいろ特徴が見えてきます。5年前は職場へ行ってもあまり相手にされなかったり、相手の関心に噛み合う話をしようという意識も薄く、担当職場以外の仲間を対象にした募集活動が主でした。

しかし、この1年を通して「労働組合を強めることの今日的意義」を学びながら、実践として職場へ足を運ぶことで「職場に存在する労働者の意識を変えるしかない、“労働組合を強めるために学習を推進している”」ということを強調できる職場が増えてきて、意識的に募集の対象も“職場の労働者”へと変わってきたと思います。学習の友を受け取ってくれる職場の担当者の後ろには無数の労働者がいる、生きづらさを抱えた青年も多いことを意識するようになりました。

以前に「職場活性化プロジェクト」という活動をしていましたが、そのときはあまりそのことの意味が深く捉えられていませんでした。いまになって「職場を活性化させる」ということの重要性が見えてきたように思います。職場に足を運ぶことが以前よりワクワクしている今日この頃です。(麦)11/4/19


2011/4/19


■@GAKUTOMO NO.299
6回目のHORIMARUセミナーが開催されました。今回は50名を超える申し込みがあり、当日は38名が学習会館に集まりました。そのうち15名が労働学校受講生以外の参加だったことが嬉しかったです。でも一方で、当日になって仕事が入ったり、体調を崩したりして、申し込んでいたのに来られなかった仲間もいました。休みだったはずの日に仕事が入る、忙しい日々の中で体調を崩す、そんな中で学習の機会が奪われてしまったことが残念だし、今の社会を象徴しているように感じました。

今回のHORIMARUセミナーのテーマは『搾取の謎を解く―わたしたちの“生きづらさ”の根っこ』。私たち青年を襲う「二重の苦しみ」の話から講義が始まりました。例に挙げられるのは、極端な例でしたが、「1人でいることが不安」、「悪いのは自分」、「結局はお金」などという気持ちは今の社会に生きる青年の多くが共感できる内容だったと思います。感想にも共感する声が出ていました。そんな“生きづらさ”の根っこにある搾取について学び、みんなで考えるセミナーでした。

講義後の感想交流の中で、「まず知ることが大事」という声が多く聞かれました。でも、今日学んだことは今の社会では知らされないようにされていることです。全体会で「こういったことは、仕事をしながら、学校に行きながら、自らすすんで学ぼうとしないと知れない」という意見が出されていました。今日のようなセミナーが、労働学校があるということを知るからこそ、学ぼうという思いも持てる。多くの青年が感じる“生きづらさ”と社会のしくみは大きく関わっている。そんな話を自分の周りにしていくことの大切さを、改めて確認できた場でした。

138期労働学校もあと2週間になりました。学びをまとめていくとともに、139期労働学校の準備を受講生とともに進めていきます。その原動力は今までの学びの中にあることに確信を持ち、勇気を出して実践へと踏み出していけるよう、頑張ります。(蛍)2011/4/17


2011/4/18


■@GAKUTOMO NO.298
昨日はHORIMARUセミナーでした!

今回のHORIMARUセミナーのテーマは「搾取の謎を解くーー私たちの”生きづらさ”の根っこ」搾取の講義は、労働学校の総合コースでも2回ほど聞いているし、前回のHORIMARUセミナーのテーマも「搾取」だったので、何回か聞いたことのあるテーマでの講義でした。でも、何回聞いたことあっても、何度聞いても、その時その時で新しい発見があって面白いんです!

138期総合コースの搾取の講義で、少し「?」とは思っていたけどあんまり自分の中で気にしていなかた部分が、HORIMARUセミナーで「!」に変わりました。

今回のHORIMARUセミナーの木原先生という方の講義を聴くのも初めてで、レジュメの資料も初めて見たものや引用されているものがあって同じ搾取の話でも、講師の先生の話し方や視点で根本は同じでも受け取り方がこんなにも違うんだなぁと思いました。

それまでに何度も搾取を勉強していた「自分」もあいまってのことかなぁとは思いますが、同じ本を繰り返し読んでも新しいものが発見できるような、じわじわとした楽しさがあります。

今回は京都市内から二時間!もかかるところから、私の友達が参加してくれました。

HORIMARUセミナーだけのために二時間かけて、受講料よりも高い交通費を払って…。

セミナー終了後、「どうやった?」と聞いてみると「すごいよかった!家が遠いし仕事もあるし、労働学校自体に通うのは難しいけど、また一日だけのセミナーがあったら教えてね!」とのことでした。

なかなか近しい友達に「こうゆうセミナーあるんやけど」と話すのも勇気がいるし、自分が話すだけじゃなかなか伝わらないところもあって難しいけれど、やっぱり同じ資本主義の日本に生きているんだから、講義を受けてもらえれば伝わることや分かることはあるんだな!と思いました。

そして、より多くの人に知ってもらうためにも、まずしっかり自分が話せて、伝えていけるようにならないといけないと思いました。

そのためには日々の学習でコツコツ積み上げていくしかないです。

昨日のセミナーで木原先生が「学ぶことで確信が持てる」とおっしゃていました。

日々の生活をただ過ごしていただけでは、だんだんと学んだことも忘れて行ってしまいます。

搾取のように見えないようにされているものや、イデオロギー支配など無意識にやられてしまっていることはたくさんあります。

日々、学び深めて実践する。今の時代に自覚的に生きていくには、それが必要で大切なことなんだと改めて思いました。

また今日から新たな一週間がスタートします。
138期総合コースものこすところあと二週間!今の仲間とみんなで一緒に学べるのもあと二週間…!

昨日学んだことをどう生かせるか、それはすべて自分次第だし、どう生かしていけたかでこれからも変わってくると思います。

今を、今日一日を大切に。今一緒に学べる仲間たちとどう学んでいくかで明日からがまた違って見えてくるんだなぁと思いました。
(世)2011/4/18



■@GAKUTOMO NO.297
受講生と運営委員中心で準備してきたHORIMARUセミナー≪搾取の謎を解く≫が4月17日、開催されました。

ビラを街頭で配ったり、自分の繋がりある人に声をかけたり、前日にはケーキ作りや当日の打ち合わせをしたり。こうやってみんなで1ヶ月以上前から準備にとりかかってきたセミナーです。

準備をしていく中で改めて感じたことがあります。

自分一人でどれだけ一生懸命取り組んでも、限界がある。一人でも多くの仲間と一緒に経験を交流し合ったり、相談し合ったり、想いを共有し合ったりすることで、前進するんだと。

総合コースの第13課≪政治を変える統一戦線のはなし≫の講義の中でも、「統一戦線の結成には課題の一致と協力共同の意思が必要です。統一戦線実現のためには、世界観の違いなどを取り上げて共同を否定する理由にしないこと、また団結を破る傾向との闘争が不可欠です」と学びました。

職業も、環境も、考え方も違う者同士が、「搾取されている生きづらい世の中の事実を色んな人に知ってもらおう!」という想いから、HORIMARUセミナーを準備してきたことと統一戦線の講義が重なりました。

この経験は、139期募集にも、これから組合活動をしていく中でも必ず生きてくると思いました。

誰もが生きがいを持てるような未来社会を創っていくのは、今を生きている私たち!(真)2011/4/17


2011/4/16


■@GAKUTOMO NO.296
経済学ゼミナールの募集で原発事故の話になりました。「これからは、人間が主人公の社会をつくっていくことが求められると思うんですが、このまま原発に頼っていくのか、頼らずとも生きていく道を模索していくのか、問われていますね」と話すと「いまの社会のあり方だったら原発に頼らないとエネルギーは足りないよ。いっそ江戸時代みたいな社会にならないと。朝はお日様が出たら働いて、夜はお日様が沈んだら仕事を終えるような・・・」と冗談のように返されました。

それは未来社会を考えるうえですごく大切なことなんだとあらためて思います。夜中まで働く人たちのためにいつでもどこでも買える自販機やコンビニ。タクシーも24時間街中を走り、仕事帰りの労働者を探している・・・。どれだけのエネルギーが使われているのでしょう。

日本共産党の全国決起集会で志位さんは言いました。「社会のあり方としても『大量生産、大量消費、大量廃棄』、あるいは『24時間型社会』といわれるような社会から脱却して、低エネルギー社会への転換が必要です。」と。エネルギーをフルに使い24時間機械を稼働させ利潤を追求する社会。そういう社会では原発に頼らざるを得ない。しかし、もっともっと人間本位の社会づくりとして目を向けたとき、エネルギーの消費量も見直していけるのではないかと思います。

また人間の体という点でも看護師さんの話で2交替制の問題のときに話が出てくるのはそのことです。「夜勤をする仕事は、体のことを考えると続けるのは難しい・・・。やっぱり回復するのに時間がかかる・・・」と。人間の体の仕組みという点で考えても「24時間社会」を変えていくこと、社会のあり方そのものをかえることしか道はないのだと思います。それは自然なことです。(麦)11/4/14


2011/4/15


■@GAKUTOMO NO.295
 昔、中学校か高校の社会の授業で疑問に思ったことがあります。それは、“マルクスが『資本論』を書いた”ってことを習った時でした。

 その時の(1973年生まれの)私のイメージでは、“アメリカ=資本主義”“ソ連=共産主義”そして“共産主義=マルクス”と思っていました。マルクスの本なら『資本論』じゃなくて『共産論』ってなるじゃないの?って本当に思ってました。

 その疑問がはっきり解けてきたのは、実は最近です。それは、不破さんの東大での講演、不破著『マルクスとともに現代を考える』(新日本出版社)に示されています。

 (p58)『スミスやリカードの場合、資本主義社会以外の社会が眼に入らなかった、ということを、あげなければならないでしょう。人間社会がいろいろな時期を経てきたことは、もちろん知っていましたが、それは未発展の段階であって、社会が発展したらこういう社会になる、つまり、資本主義社会を、発展した社会の当たり前の姿として見ていたのです。だから、彼らの経済学には、歴史のなかに登場した社会を、その仕組みで区別するということもない。だから、そこでは、この社会を特別の名前で呼ぶこともしませんでした。』

 (p59)『なぜ、マルクスが資本主義の名づけ親になったかというと、マルクスの場合には、研究の対象が社会一般ではないのです。人間社会のいろいろな歴史段階を区別して、現在の社会をその特定の段階として研究する。これがマルクスの経済学ですから、そこに名づけ親になる必然性があった、と見てよいでしょう。』、そして(p60)『…歴史的な視野で、現在の社会を見ると、資本主義絶対の立場では見えてこない大事なことが、鮮やかに見えてくる』と。

 マルクスは、資本主義社会という一段階を、ありとあらゆる角度から研究したからこそ、『資本論』というものがつくられたのであり、その資本主義社会という現実を出発にしているからこそ、その問題点を見抜き、それを克服した未来社会を語ることができたのだと思います。

 それは、『マルクスは生きている』(不破著・平凡社新書)に、(p82)『…マルクスが剰余価値を発見し、搾取の秘密を明らかにしたことから、貧困も格差もない新しい社会をつくる大方向が明らかになり、社会主義運動は、科学の裏づけをもつようにになった』と示されています!

 今、私たちは“第9回現代経済学ゼミナール『現代と「社会主義論」』”の開講準備をすすめています。その準備のための会議での事務局長の指摘にハッとしました。それは、“教員をしている仲間に、このゼミナールを押し出す際に何を強調すべきか”ということでした。

 教師自身が、未来を担う子どもたちに、どういう立場で教育をするか、とても重要なことだと思います。それが、“資本主義が絶対”という見地か“未来社会がある”という見地か。その立場、見地というものは、教師に限ることではなく、他の職業での同じことです。そして、震災から復興をどうすすめるかということにもつながっていることだと思います。

 今回の『現代と「社会主義論」』も、まさしく講師の芦田先生自身が長きにわたり研究されてきたことの現在進行形での研究内容だということ。そして、大きな構造変化をしているこの21世紀の激動の世界(アジア、中南米、、アラブ…)が、研究対象の“現実”であり、その現実の中に、未来社会へとつながる、未来社会へと受け継ぐべきことがみえてくるのだと思います。

 今、私たちが生きるこの21世紀の日本と世界。2011年の日本では、大地震と大津波、そして原発事故。そして復興へ…。この現実の中から、どう未来社会を展望できるのか。大きな構造変化している世界。まさしく人類の英知が結集して、新しい社会がきりひらかれるのか?芦田先生の講義には、そうしたテーマが含まれているのだと思います。

 今、“過去”から学び、“現在”をありのままにとらえ、“未来”に生きようとすることができるか、問われていると痛感します。(吉)11/04/15


■@GAKUTOMO NO.294
インフルエンザにかかり、仕事を4日間休みました。最初の2日はとにかく体がだるく、食事以外は寝てばかりいましたが、3日目からはだいぶ楽になり、自由に動けるようになりました。しかし、インフルエンザは熱が下がってから2日間は感染防止のため外出してはいけません。仕事はもちろん、買い物も散歩もできず、家の中だけで過ごす1日。テレビも新聞もあるし、暇ではないのだけれど、なんだか社会から切り離されたような気がしました。

そんな中で、私は仕事をしたり、人と関わる中で、自分が社会的存在だと実感していることに改めて気付きました。自分の人間らしさに気が付いた瞬間でした。

仕事が好き、人と会って話すことも大好きな私。インフルエンザにかかったからとはいえ、仕事もできず、人と会って話すこともできなかった時間はとても苦痛な時間でした。

そんな時間を、気を紛らわすためにテレビを見たり、新聞を見たりして過ごしていました。東日本大震災から1ヵ月が過ぎましたが、どのテレビ局も東日本大震災のことで持ちきりで、新聞も大震災の記事がたくさん。原発事故により避難を余儀なくされた子どもに対する偏見、1ヵ月経ってもまだ行方不明な家族を探す人たち、ハローワークに列をなす人々など、1ヵ月前とは違った形で、大震災の悲惨さが報道されていました。

被災地でないところに住む私たちは、時が経つにつれ、大震災のことを考える機会が少なくなってしまいがちなのかもしれません。でも決して忘れてはいけない、自分には関係ないことではないということを改めて感じました。

原発は福井県にもある、関西でだっていつ地震が起こるか分からない。今、自分にできることは何なのか、自分がしなければならないことは何なのか、事実を見ながら、学びながら、考えていきたいと思います。(螢)2011/4/15


2011/4/14

◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。4月は、これで2回目になりました。


2011/4/13


第45回総会準備をしています。2010年の前進を総括する上で総合コースの感想はさけてとおれません。社会主義論に対する青年労働者の率直な感想、感動的です。前17回の講義があって深く学べるのだと確信します。以下紹介します。なお感想は、この5倍は出ています。抜粋したものです。

第18課 人類の未来社会“社会主義・共産主義”とは

■135期──4月30日(金) 
@今までの講義で、結論は見えつつあったので、今後の労働のあるべき姿はルールある経済社会を作り、生産手段を社会全体の手に返すということだと、よく分かりました。利潤第一主義の資本主義経済の中で生きてきて、やっぱり労働の目的は利潤を求めることに、私もあったように思います。いっぱいもうけて、豊かな、よゆうのある暮らしをしたい、裕福になるのは無理だけど、あわよくばいっぱいお金が欲しいと思っていました。でも人間の目的って、人間の人生の充実ってお金ではないですね。お金は手段となっているだけで、私たちが私たちの生き方を充実させることができたら、お金なんて必要ないですね。そのことに気付けたので、社会主義は嫌だなと思ってたけど、そんなことはない、社会で生産手段を所有できるようになればいいと思います!!

Aさまざまな問題をかかえる資本主義を変革していく筋道の中で、それが自分だけでなく全ての人々の苦難を解決することであることは、大きな強みだと思います。沖縄の基地問題が騒がれるのは、やはり人々が人間としての生き方を尊重し、他者をさらには社会を大切にしていることであり、知のESSENCE「個性とは何によって輝くか」の内容が、今となって大きな意味を持っていたこともわかりました。

B労働学校で学んで、社会主義のとらえ方がちがったことがわかった。「科学的社会主義」「一人一人が主体的に…」という所で、個性の所など、今日のまとめで、今までの学びがつながっていることを感じられた。

C今回はまとめの講義でした。これまでに学んできたことを含めつつ、未来社会“社会主義・共産主義”を考えさせられました。これまで国家や資本家が悪い、と一方的に考えていましたが、自らが声を出すという行動ひとつでも何かがかわるのではないかと思いました。そういった声があがっているからこそ運動も出てくるし、やはり日頃から問題を無視しないようにしていかないといけないです。小さなことでもいつか大きな変化をもたらす日がくると感じました。

Dどうしたら私達にとって良い社会になっていくかを考えることができました。福祉に携わる仕事をしているだけに、国が保障してくれたらいいのだと強く願っていましたが、願うだけで自分は何も努力せずに人間として生きる権利を行使していなかったことに気付きました。自分がどれだけ今の社会に敏感に反応して、自覚的に取り組むかが、とても大切だと知り、これからの生活での向かっていく方向性が指し示されたと思います。

■136期──8月31日(火)
@働くのがしんどい、仕事以外でも楽しめる時間がたくさん欲しい、日々思っています。今日の講義を通して、そう思うことは当たり前だと感じました。目的は「人間の発達」究極かもしれないけど、そんな社会に一歩でも近づきたいです。今まで学んできたことをもう一度振り返って、誰かに話してみたいです。

Aギュッと中身のつまった講義でした。生産手段の管理を社会全体のものにする!というところは何度聴いても、聴き足りません。社会主義や共産主義の世の中になったらいいなぁ〜とは以前から思っていましたが、どのようにしてそうゆう世の中を作っていったら良いのかが、少しわかった気がしました。

Bとても面白く、興味のある内容でした。全ての人が自由に平等に生きていける社会を望みますし、そのために自分の出来ることを少しでもやっていけたらと思います。

Cさすが最後の講義なだけあって、今まで内容の総まとめという感じでした。よく理解できなかった内容も今後の未来社会に関わっているんだなと思いました。社会というものはやっぱり労働者が支えていると思います。

D社会主義、共産主義社会について、想像してみたけど、どうもよくわからない。資本主義社会では当たり前になっていることが、全く違うことになっていたり、そんな社会で生きていっていいの?となにか贅沢なもののようにも思えるし、現実味を帯びていない感じがする。でもこれまで受けてきた講義で、労働組合が沢山結成されていたり、世界に目を向けるとEUが社会主義的経済の形をとっていこうとしていたり、科学的社会主義の未来社会への段階が今でも表れてきていることに、希望がもてた。そんな変化をつくり出していくのは私たち労働者ならもっと声をあげなきゃと思ったし、自分が社会で生きるイミを考えさせられた。

■137期──12月24日(金)
@社会主義、共産主義の社会を見てみたい、生活してみたいと思いました。「労働者階級の解放を勝ちとるには団結して闘う意外にない」という言葉は胸にグッときます。労働者同士を分断する勢力の企みに屈する事なく団結して闘うこと、道はただひとつ!勇気と元気が出る講義でした。

A今までいろいろな問題について学んできたけど、今日はすごく前向きなまとめの講義だったと感じました。ただだまっていてもこの社会は変わっていかない。科学的な理論を意識的に身につけた上で闘っていかなければならない。そういう意味で、ここで学んだ事をしっかり自分のものにして、そして動きださなければならないと思いました。

B・今日の講義を聞いて、一番印象的だったのが、「何でも自然発生的じゃない」ということでした。今の時代ができてきたのも、勝手にそうなったわけではなく、多くの人の意志や力で意識的にできてきたものなんだなぁというのを改めて感じました。自分が今、この時代に生きている意味、この環境で生きている意味、全部がぐうぜんみたいで必然かもしれなくて、よく分からないけど、これからをつくっていくのは、今までの先輩たちがつくりあげてきた土台があっての、私たち一人一人の動きがあって、後輩たちにつないでいくものなんだろうなぁと感じました。・しっかり自分の目で見て考えて、判断していかなアカン。今まで学んだことも、全部、自分で判断できるんや。学ぶことっていうのは、自分の判断の目を広くつくっていくことだと思う。何が正しいのか、何がまちがいなのか、人生の学びの中で、色々な判断があると思うけど、自分はここで学べて、『判断の目』をまたひとつ得ることができて良かった。どんどん、変わって、成長していこう。はたらきかけていこう。みんなで、つくっていこう。

C人類の「本史」が初まる。という言葉に未来社会が本当に人間らしく暮らしていけることを要約しているな、と感じました。具体的な部分は見えません…。

D今の苦しい現状ばかり見ているとどうしても逃げだしたくなるな…というのが16課までの感想でした。本当に、どうなってしまうのだろう…と思っていました。でも余計に(?)17課、18課の講義を聞き、希望がもてそうな気がしてきました。人間の発達が目的とされる社会を考えるとすごくワクワクします。私が元気に生きている間に“本史”を見てみたいな、そんな世界で暮らしてみたいなと感じました。いろいろと考えさせられる2ヶ月間でした。ありがとうございました。

E労働者として、1人の人間として、これから先の社会をどのように作っていかなければいけないのか、また、自分達が社会にどのように関わっていかなけはいけないのか、考えさせられました。過去を知り、現在を見て、そしてこれからを考える、やはり、学ぶということはすごく大切なことだと感じました。生活の中、仕事の中で自分の考えを持ち、しっかり進んでいこう。

F最後が希望を持てるような内容の講義で良かったと思う。新たな社会を目指した運動に対する世界の支配者や資本家たちの力はとてつもなく大きいと思うし、これに立ち向かうのはとても困難だと感じているが、同時に私達が確固たる意志を持って戦っていかなければならないという思いを強くしました。このような思いを持つようになったのも、ここで多くの仲間と共に学習することが出来たからだと思います。

G未来社会論を学習したことは今までもありましたが、きょうほど詳しく鮮明に素晴らしい社会であることを聞いたことはありませんでした。人類の真の自由とそこからくる可能性を感じました。そのためのプロセスが団結を必要とするところに人間の本質を見たような気がします。
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5月8日からはじまる現代と社会主義論¢謔X回現代経済学ゼミナールは、さらに高次元にわたしたちの学習を導きます。(む)


2011/4/12


■@GAKUTOMO NO.293
少し前に保育の講演で、秋葉英則先生の話を聞きました。そこで私は、ある炭坑での出来事を初めて聞いて衝撃を受けました。

1981年10月16日、北海道夕張の炭坑の地底で大火災が起こったそうです。地下には救出を待つたくさんの労働者たちがいました。話は、昨年チリで起こった鉱山の事故と比較して語られます。チリでは大統領が国連へ協力を訴えたことで地下に穴を掘っていくことを可能にし、救出することに成功しました。夕張の炭坑では、事故を起こした会社の社長が「お命を頂戴したい」と、なんと火災を止めるために、59名の安否不明者がいる坑内に地上から水を入れたそうです。火災を止めることはできた・・・しかし、地下に閉じこめられた方々の命は奪われました。

あまりに信じられない出来事で、胸が締め付けられるようでした。秋葉先生は「命を守るこだわりを失った国の姿」と怒りをあらわにされていました。本当に信じられない。でも実際に、日本で起こった出来事です。

「命を守るこだわり」国や自治体こそ持つべきものだと感じる毎日です。

3月11日以来、自ら被災しながらも奮闘し続ける被災地の方々、自分に何か出来ることを!と支援に取り組む全国のみなさん。「命を守るこだわり」を感じています。

しかしそれでも、支援が行き届かずに命が失われたり、二次災害も起こっています。たくさんの命が閉じこめられた地下に水を注ぎ込むような事態が起こっていないだろうか……心配でなりません。

夕張の事件をきっかけに、日本の石炭産業は崩壊へと進んだそうです。「命を守るこだわり」をめぐって社会全体のあり方を大きく捉えなおし、つくり変えていく……今にも重なります。私たちがつくる、国と自治体の問題です。(蓮)2011/04/07


2011/4/11


■@GAKUTOMO NO.292
 NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)『おひさま』が、先週(4日)からはじまりました。第1週から、私は釘付けになっています。

 4日付赤旗の“試写室”に『“太陽のように”明るく生きぬいたヒロイン・須藤陽子の半生記。戦前、戦中、戦後を笑顔を絶やさずどう歩んだのか、その“陽(ひ)だまり”のような姿をみたいおもいにさせるはじまりだ。』と紹介されています。

 一日15分、週に6回というドラマの中に、心ゆさぶられるセリフがたくさん語られています。

 原田知世演じる母が「太陽の陽子さん」「おんなのこは、太陽なのよ」と優しく呼びかけます。この言葉は、平塚らいてうの『元始、女性は太陽であった』を思い出させます。

 そして「どんなつらいことがあっても笑うの。そしてみんなを、世界を輝かすの」と。

 その母の死をさとった陽子が、北アルプスの山の頂上で日の出をみながら、「誓ったの。母がそう願って名前をつけてくれたように、自分自身の力で輝いて、世界を明るく照らす人になろうって。」(将来の陽子が、“語り”として)

 この言葉は、社会を変革していこうとするものへの、大切なメッセージのように感じます。

 事務局長が立ち話で、ドラマのメッセージ性と百合子のつながりを“答え”ではなく、“自分で考えてみなさい”的に話題にされていました。それを機会に、あらためて宮本百合子の著作を読み始めてみました。「若き知性」(新日本新書)の、『知性の開眼』(p66)には、以前にも読んでいたはずなのに、今読むと、とても心うたれる、こんな文章がありました。

 「教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことができないものと思う。」「この人生への愛、ひとと自分との運命を大切に思って、そこから美しい花を咲かせようとつとめる心、そのために自然欠くことのできない落着いた理性の判断と、柔軟撥剌(はつらつ)な独創性、沈着な行動性、それらのものが、知性といわれるもののなかにみんな溶けこんでいて、事にのぞみ、場合に応じ、本人にとっては何か直感的な判断の感じ、あるいはどう考えてもそうするのが一番よいと思えるというような感情的な感じかたで、生活に作用してゆく。知性というものは抽象の何ものでもなく生き生きとしてしなやかなダイナミックな生活力そのもにつけられた名である。」

 私には、まだまだ“くっきりと”つながりはみえてませんが、どちらも心にしみる言葉です。

 長野県安曇野を舞台にドラマは展開されます。安曇野には、一度訪れたことがありますが、その「美しい風物もみもの」(試写室の解説より)です。

 ちなみに私の名前にも、太陽とかかわる“晃”という字が使われています。両親の思い、願い…そして“名前負け”しない生き方ができるか、まだまだこれからです。(吉)11/04/10

◎「元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今は月である。他の依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。─以下略」平塚らいてう 元始女性は太陽であった─『青鞜』発刊に際して─

※真正(しん‐せい 真実で正しいこと。偽りでないこと。ほんものであること。 (C)小学館しんせい)

「おんなのこは、太陽なのよ」といった明くる日の回で、平塚らいてうが発した女性≠、そのものとして解説的に話すシーンがあった。戦争へとすすむ時代を背景にしたドラマ、脚本家の意気込みが感じられる。(む)


2011/4/09


■@GAKUTOMO NO.291
 京都学習会館の1階の事務所には夫婦の金魚がいました。先月と今週に、とうとう寿命がきてしまいました。先月には、タマゴを産みましたが、残念ながら、稚魚にはなりませんでした。

 普段、学習会館にきて、それほど金魚の存在について、気にしていなかったのに、いなくなってから、妙にさみしさのような気がしてなりません…毎日、お世話をしていた事務局長はどんな気持ちでしょう…。

 事務局長は、いつも帰り際、金魚に食事をだされて帰られます。食事をだし忘れ帰られた時は、電話がかかってきて、食事の量を厳しく指示されることもありました。金魚が病気になったら、水槽を洗ったり、水を替えたり、薬を与えたり…。年末年始、GW、お盆などの学習会館が休館の時も、かかさずお世話を…。

 この金魚には、学習会館に集う仲間たちとのいろんな話もあります。

 ある保育士さんが、学習会館で以前、産まれた金魚を、自分の保育園で飼い始めました。そのクラスでは、保育園児が、“金ちゃん”と名前をつけて、みんなで“金ちゃん”の成長を見守り、週末はその保育士さんがビンにいれて持ち帰り、自宅の水槽でお世話されているそうです。

 そのクラスには、登園拒否がちの子がいたそうです。でも、“金ちゃん”がきてからは、「“金ちゃん”に、えさをあげないと!」と毎朝元気に保育園にやってくるようになったそうです!!!“金ちゃん”もスゴイし、その子もスゴイよ!

 また、私たちの活動とも重なる象徴的な出来事もありました。

 それは、労働学校の開校の日に、タマゴが産まれました。そのタマゴが稚魚になり、そしていろんな仲間のところへと、その“金ちゃん”たちは旅立っていきました。

 私たち労働学校に集う仲間たちと、それは重なります。

 労働学校の開校。そしてそこに集う新しい仲間たち(タマゴ)。2ヶ月間、仲間とともに成長する一人ひとりの青年・労働者(稚魚の仲間たち)。そして、その仲間たちが成長して、職場や地域での実践の場へ(一人ひとりが“金ちゃん”に)と…。

 京都には、労働学校(学習会館の水槽)を卒業して、いろんな職場にたくさんの“金ちゃん”がいて、元気に、いろんな人とかかわりながら、泳いでいます。

 学習会館の“金ちゃん”、長い間見守ってくれて、ありがとう!!

 私も“金ちゃん”のようにならなくては!(吉)11/04/08

◎ほんと! 寂しいですね。産卵に成功した金魚は2代目でした。事務所の乾燥を防ぐ目的から、うまれた(副産物)楽しみです。次は、出目≠ノしようかと。(む)


2011/4/08


■@GAKUTOMO NO.290
 今回の大震災を契機に、いろんなことを知ることが増えました。特に、原発関連の問題は、(今まで自分が知らなかった)構造から、放射性物質の名称から単位、それから日本で原発建設を推進する政府、電力会社、原発をつくる日米の大企業の思惑などなど…。

 でも、それを“知る”ということにとどまっていては意味がないことだと思います。実際、関西では電力の約50%を原子力発電に依存している訳で、自分たちの生活、社会のあり方を考えて、行動していく時なんだと思います。

 原発関連のことで、ヨーロッパのことも報道されていますが、その中で、とても印象的なのが、ドイツとフランスです。

 ドイツでは、ドイツの全原発17基の閉鎖を求めるデモが広がり、バーデン・ビュルテンベルク州の選挙では、脱原発を掲げる「緑の党」が大躍進…。すでに、発電量の16%を再生可能エネルギーでまかない、さらに、2020年には発電量の30%以上、2050年には80%をめざす計画を立てている…。

 フランスは、なんと原子力発電の依存率が80%。これには本当驚きました。

 この二つの国は、今回の対リビア軍事攻撃に対する態度でも、対照的だと思います。フランスは、率先して攻撃をすすめているのに対し、ドイツは、武力行使を認めた安保理決議に棄権し、軍事作戦不参加を表明している。

 ヨーロッパにある隣りにある資本主義国なのに、これほどまでに違うとは…明らかに、ドイツの方が“歴史を前にすすめている国”に思えます。

 世界の構造変化をどうとらえるか。あらゆく角度から一人ひとりが考え、行動することが求められる時代なんだと強く思います。

 138期で学ぶ仲間が、労働学校に参加しているこの機会に、5月から始まる現代経済学ゼミナールを受講し、学ぶことは重要だし、その重要性を伝えるのが、私の役目です。(吉)11/04/06


2011/4/07


■@GAKUTOMO NO.289
ある大きな職場の裏手に広い「バラ園」があります。いつもそこの職場の帰り道は「バラ園」の横を通っています。冬場ということだけでなく年中ひょろっこいバラの木がたくさん植わっていて、どことなく閑散とした感じの「バラ園」。いつも(なぜこんなところに??)と小さな疑問が心の中にありました。

「なんでここの職場の裏にはあんなに大きなバラ園があるんですか?」とその職場の人に聞いてみました。「昔は“バラサークル”があって、仕事の合間にバラ好きの人が何人かで育てていました。昔は立派なバラが育って、展示会をしたりしてたけど、今は忙しいこともあって、なかなか育てる時間もなく、セキュリティも厳しくなって・・・。とりあえず誰かが管理してるだけになってる…」と話してくれました。

他の職場でも聞いたことがありました。「昔は休憩時間にスポーツしたり、勤務後にサークル活動に明け暮れていた。いまは考えられない」という話。どこの職場でもそういう「余裕」がなくなっている。残業をしないと仕事が終わらない人、残業代をアテにして働いてる人、どんな理由であれ、自分の時間にをけずって働いている。バラだけでなく、隣の席の人のことさえ目を向ける余裕がなくなっている現状。

不破さんは「社会のすべての人間が、一方で、労働の責任を果たしながら、また生活を楽しみながら、他方で、自分の肉体的および精神的な素質を開発し存分に発揮する充分な機会を持つようになります。マルクスは『労働日の短縮』こそ『人間の力の発達の根本条件』だといい、ここに、人類の発展のなかで未来社会がもつ、もっとも重要な意義があるとしました」(マルクスは生きているp.164)と書いている。

細く、か弱いバラの木を見ながら、これも資本主義がつくりだした犠牲の一つなんじゃないか…と思います。労働時間の短縮を勝ち取る団結力。自覚した労働者をその職場で増やさないと。11/4/5(麦)


2011/4/06


■@GAKUTOMO NO.288
総合コースでは第7課、第9課、第11課、第15課は“知のESSCENCE”と題して、科学的社会主義の世界観を学んでいます。世界観とはものの見方・考え方のことです。マルクスがどんな風に人間を、そして社会を見たのかを4回かけて学びます。働くとはどういうことか、労働学校で学ぶ意義などいろんなことを考えながら講義が進んでいきます。

保育士という仕事をしているので、自分の世界観をきちんと確立することの重要性を日々感じています。1つ1つのことをバラバラにとらえるのではなく、相互の連関と運動し発展する姿をとらえることが大切です。そのためには現実をありのままにとらえることが必要になりますが、これが難しい。だから、学ぶ、実践する、また学ぶ…と繰り返す中で、少しずつ積み重ねているところです。

今、社会はその在り方を問われています。東日本大震災という未曾有の大災害によって、様々なことが明らかになりました。構造改革や平成の大合併により、「住民の福祉を守る」という自治体の仕事が壊されてきたこと、原発の危険性、大企業の社会的責任、メディアによるイデオロギー。このままではいけない、今までのやり方ではダメだという声もどんどん広がっています。そんな今だからこそ、科学的社会主義の世界観を学ぶことはますます重要です。これからどんな新しい社会を作っていくのかを考えるとき、まず現実をありのままにとらえることからスタートしなければなりません。1人1人が自覚的に学び、実践していく。そのことによって新しい「住民が主人公」な地方政治へと転換していけるのです。

私も自覚的にしっかり学ばなければなりません。仲間と一緒に成長するために。(螢)2011/4/05


2011/04/05


■@GAKUTOMO NO.287
私は、この東日本大震災が起こったことで、はじめて陸前高田市が共産党が推薦した市長であることを知りました。3月11日の翌日、職場の先輩から「陸前高田が壊滅や〜。共産党やで。」と言われて驚きでした。東北地方に知り合いはいませんし、地理も詳しくありません。多くの地域で悲惨な状況が報道されていましたが、「共産党の市長」と聞いただけで、陸前高田がどうなったのか気になって仕方ありませんでした。しかも、陸前高田は、数日経っても行政機関と連絡がとれない地域のひとつでした。

しかしと言ってはなんですが、私は共産党の市長を生み出すぐらいの住民たちなんだからきっと毅然として、力を合わし、励ましあい困難に立ち向かっているに違いないと想像していました。

先週の新聞記事を見て、想像はあたっていたことを知り、うれしくなりました。新聞記事の見出しは、「陸前高田の避難所 行政に頼らず住民運営」「みんなは一人のために!一人はみんなのために!」です。「みんなは一人のために!一人はみんなのために!」という標語は各所に貼ってあるそうです。

この震災で住民自治、地方自治が見直されることは間違いありません。陸前高田に限らず、各避難所で住民自らが立ち上がる姿が報道されています。政府は、各所の住民たちがしっかりと立ち上がれるように抜本的な支援を行なう必要があります。(書)11/4/3


2011/04/04


■@GAKUTOMO NO.286
2011年が始まって、4か月目に突入しました。
「毎日毎日を大切にしよう。今日やれることは今日やろう!」と2011年を始めましたが、1・2・3月は一瞬のように過ぎて行きました。

今日、会議で「新・日本共産党綱領を読む」を読みました。

そこに「一瞬一瞬を取ってみると、”ああ、素晴らしい時代だな”と思うことは滅多にないものです。 しかし、二〇世紀という世紀をまとまった百年としてふりかえり……これが同じ世紀かと思うぐらい、人類史の上での大変化が起きていることが分かります。」(「新・日本共産党綱領を読む」p193)と、ありました。

今日、今だけを見てみると「素晴らしい一日だったなぁ」なんて思うことはあんまりないです。

気分でやる気が変わったり、「明日もあるし」とか、「あとでやろっ」と、しんどいことから目をそらし、お尻に火がつくまで動かない自分がいたりしました。

でも、その場しのぎでやっていったら、その場しのぎの人生になっていくんだろうな、と。

一瞬一瞬はそんなに変わらなかったとしても、その積み上げてきたものは意識的に生きてきたかどうかで大きく違ってくるんじゃないかと思います。
「ちりも積もれば山になる」ではないですが、小さな「今」の積み重ねが過去の自分を作っていて、その自分が「未来」を選択していく。

自分がどう生きていきたいのか、日々の小さな「今」がとても大切なものなのだと思います。

人の人生は、当人にとって見たら大きいです。でも、たくさんの人で作られる「社会」にとってみたら小さなものでしかないかもしれません。

けれど、「社会」だって人ひとりひとりで作られています。

ひとりひとりの意識がどう動くかで社会も動いていきます。

東日本大震災、原発事故、ひとりひとりがどう受け止め、どんな未来へつなげていきたいのか…つなげていくのか。

4月1日から始まったいっせい地方選挙での選択が、これからの日本をつくりあげていくうえでとても重要になってくると思います。

ひとりひとりの意識が一票が、日本のこれからを選択します。(世)2011/4/3


2011/04/02


◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。


2011/04/01


■@GAKUTOMO NO.285
 4月1日、いっせい地方選が告示されます。京都市内でも、京都府議会、京都市議会の選挙が、本格的にはじまります。

 今度の選挙は、未曽有ともいうべき大震災のただなかで実施されます。だからこそ、この国難に立ち向かい、政治や政党を見定める、大切な機会です。

 労働学校で運営委員を10年していると、労働学校で一緒に学んだ仲間、労働学校を一緒に広げる活動に動いた仲間、そして私たちの大先輩たちが、今度の選挙でも立候補されています。

 それぞれの個性を輝かせながら、地道に奮闘されています。私の知るその仲間たちに共通することは、真に私たちを代表している、労働者階級を代表して議会へすすもうとされています。そして、未来を語ることのできる仲間たちです。

 先日の京都学習協の“地方自治”の集中セミナーで示されていましたが、今、大震災の中でも本当に、地方自治体のあり方が大きく問われていると実感します。住民の命、生活、健康に関わる大きな課題が問われています。

 主権者としての住民として、“地域の未来は、地域の住民自身が決め、実践する”、まさに“地域住民主権”、“自治”とは何かと、集中セミナーで問われていました。

 一番身近な選挙であるいっせい地方選。労働学校があり、私が住むこの上京区の京都市議候補には、労働学校に関わる仲間、大先輩と二人が立候補されています。その二人には、何としても私たちを代表して、市議会で活躍してほしい。それは、私自身のことであり、私たち自身のこととして!

 その思いを、自分のまわりの人、幼なじみ、同級生など、ありとあらゆる“つながり”のある人に共感してもらって(私自身がその直接的行動をしなくては!)、新しい地域づくり、、そして“未来づくり”をともに創りだしていきたい!私は、私の“持ち場”で、頑張ります!(吉)11/03/31